悪魔な娘の政略結婚

夕立悠理

第1話 悪魔な娘の政略結婚

 私は、今日、婚約する。


 これは、政略的な婚約だ。


 私は、悪魔と名高いバーナード侯爵家の娘、マリエラ。そして、相手は、光の一族と呼ばれているワールド公爵家の長男ミカルド様だ。


 バーナード侯爵家がなぜ、悪魔と呼ばれているかというと、国の暗部を担当するから──というのも、あるけれど。


 なにより、その見た目だ。


 漆黒の髪に、ルビーのような赤い瞳。


 そんな異彩な組み合わせをもつのは、バーナード家だけだったし、バーナード家は代々表情筋がかたく、無表情なものばかりだった。


 対して、ワールド家は、ふわふわの金髪に、海よりも深い青い瞳。それにとても整った顔立ちをしている。


 代替わりしたばかりの王家を支えるため、という理由があるにしても、この婚約に対して世間はとてもワールド家に同情的だった。


 鏡を見る。赤いドレスはそれなりに似合っていたけれど、にこりともできない表情筋のおかげで全てが台無しだ。こんな無表情な婚約者をもらうことになるミカルド様は、本当にかわいそうね、と私はため息をついた。


 婚約者になるミカルド様との顔合わせは、つつがなく行われた。


「これからよろしくね、マリエラ嬢」


 そういって微笑んだミカルド様はとても眩しかった。なるほどこれが、光の一族。お顔がとても眩しいわ。眩しすぎて、直視できない。


 心のなかでは、ミカルド様の美しさを讃えてはいた。けれど私が自由に動かせたのは、頬の表情筋ではなく、眩しさを軽減するために寄せた眉だけだった。


 ──絶対、この婚約を嫌がってるように思われたわよね! そんなことないのに。


 とりあえず言葉だけでも喜びを表現しておこう。逆効果かもしれないけれど。そう思って、


「はい。よろしくお願いします。ミカルド様」


ミカルド様にそういうと、ミカルド様は微笑んでくれた。



 ──どうしよう、好き!



 私は元々、この仮面のような顔と悪魔のような色彩からあまり男性に優しくされた覚えがない。だから、こんなふうに微笑まれたら、簡単に好きになってしまう。



「ミカルド様?」



「ん!? ううん、なんでもないよ」



 ミカルド様はなぜか、一瞬、頬を染めて、私から顔をそらした。



 ──どうしたのかしら? やっぱり、私のこの無表情な顔に怒った?



 嫌われたくないのに。


 思わず、心の中で涙をこぼす。


 そう、我が家は涙腺も固いのだ。


 無言でうつ向いた私をどう捉えたのか、ミカルド様は首を振った。


「本当になんでもないんだ。それより、マリエラ嬢。僕と庭を散策しない?」


 今日、顔合わせが行われているのは、ワールド公爵家の一室だった。


「はい、喜んで」


 相変わらずにこりともできない表情筋を腹立たしく思いながら、頷いた。


 公爵家の庭は流石公爵家なだけあって、とても綺麗だった。季節の花々が咲き誇り、香しい香りが立ち上っている。


 しばらく、ミカルド様にエスコートされて、穏やかな時間を過ごした。




 と、そのとき。


 ──ぎゃーーー!!!!



 心の中で、令嬢としてはあるまじき悲鳴をあげる。綺麗だなぁ、と思って近寄った花の葉っぱに毛虫がついていたのだ。


 花だから虫がついていても当然、なのだけれど。弟に昔された悪戯のせいで、私はどうも、毛虫だけは苦手なのだった。


 ──毛虫怖い、毛虫怖い!


 思わず、ミカルド様に飛び付いてしまった!


 飛び付いてしまって、はっとする。いきなり無表情で飛び付いてくる婚約者。はっきりいって、とても不気味じゃない?


 ミカルド様に絶対嫌われたわ。


「あの、ミカルド様……」


 私が恐る恐るミカルド様の顔を見上げると、ミカルド様は、なんとも言えない表情をしていた。


 怒ってる? 怒ってるかしら?


「マリエラ嬢」


「……はい」


 やっぱり、君とはやっていけない、っていわれるのかしら。そんなの辛いわ。


 けれど。ミカルド様の口から出たのはとても意外な言葉だった。


「君は、とても可愛らしいね」

 私が、可愛い?

 可愛いなんて、初めて言われたわ。

 あまりの衝撃に私が固まっていると、ミカルド様はその美しい顔で微笑んだ。



「婚約者が君で、よかった」






「マリエラ嬢、そのドレスとても似合っているよ」

「……ありがとうございます」


 婚約者として一緒に出席した夜会で、ミカルド様にエスコートされる。それににこりともせずに答えた、私に周囲は顔をしかめた。


「ミカルド様も、おかわいそうに。あんな、無表情な婚約者のご機嫌とりをしなくてはいけないなんて」


 周囲の言うことは尤もだった。思わず私もうんうん、と頷いてしまう。けれど、ミカルド様は、そう言った面々にむかって、見惚れるような笑顔で言ったのだ。


「僕の婚約者は、とても可愛らしい人ですよ。ご機嫌とりだなんて、とんでもない。僕は、事実しか言っていません」



 !?


 これには私も驚いた。私が、可愛いなんて。以前も一度聞いたけれど、それは、私の聞き間違いだと思っていたから。


 でも。本当は、今日のドレスはとっても気合いをいれてきたのだ。私には愛嬌がないから、少しでも、可愛いって思われたくて。


 このドレスを着るために少しダイエットもしたのだった。


 だから。

 可愛いって言われて、すっごく嬉しい!


 心のなかで飛び上がって喜ぶ。もちろん、その間も私の表情筋はぴくりとも動かなかったけれど。


 そんな私をなぜか柔らかい眼差しで見つめたミカルド様は、手を差し出した。


「僕と踊っていただけませんか?」

「喜んで」


 ミカルド様と踊る。ミカルド様の海よりも深い瞳には私だけが映っていた。

 ミカルド様を独占できるなんて、とっても幸せだわ!

 なんて贅沢な時間なの。



 私はうっとりと、ミカルド様の瞳を見つめた。



◇◇◇


 僕の婚約者を、一言で表すなら。とても可愛らしい人だ。


 僕には──いや、ワールド公爵家には秘密の力がある。それは、心を読めること。


 そのため、重臣としてワールド公爵家は重宝されてきた。この秘密はワールド家と、王家しかしらないのだけれど。


 この見た目とその力はとても便利だった。良くも悪くも。


 悪いことは今日は置いておく。


 代わりに、良いことを話そうと思う。



 そう、僕はこの力のおかげで、婚約者がとても可愛らしいことに気づけたんだ。


 僕の婚約者、マリエラ嬢はとても可愛らしい。


 もちろん、その黒髪にルビーよりも綺麗な瞳──という見た目もだけれど、中身がなにより可愛いと思う。


 一見、無表情に見える彼女の心の声はころころ変わる。


 嬉しいことがあったら、全力で喜ぶし、悲しいことがあったら、泣く。


 そんな当たり前のことが、僕にはとても眩しく映った。


 僕たちは、常に笑顔の仮面をはりつけている。その方が、この見た目を最大限活用できると知っているからだ。でも、彼女の前でなら、僕は素直に笑えた。


 彼女は自分の無表情に見える顔をとても気にしているようだった。けれど、彼女を良く観察していると全く表情がないわけではないと、わかる。


 特に彼女のルビーよりも美しく輝く瞳は雄弁だった。


 でも、最近とても困っていることがある。

 彼女は、僕の力を知らない。

 だから、なんというか──僕に対する好意を心のなかで隠そうとしない。


 彼女の真っ直ぐな好意に、僕は何度も照れてしまう──というのもあるけれど。


 好意を勝手に聞くのは嬉しい反面、申し訳なさもある。


 はやく、彼女と結婚したい。

 そうすれば、この力について話せるし、もっと彼女を独占できる。


「ミカルド様?」


 そんなことを考えていると、マリエラ嬢が不思議そうな瞳をした。


「ううん。今日も、君が好きだと思って」


 僕がそういうと、マリエラ嬢の顔が心なしか赤くなる。


「わ、私も……」


 マリエラ嬢が、少し潤んだ瞳で僕を見つめた。

「ミカルド様が、好きです」


 ──ああ、だめだ。可愛すぎて、早く結婚したい。

 今すぐ抱き締めたい衝動にかられながら、僕は結婚式までの日取りをなるべく早く決めようと心に誓うのだった。

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