握手
@GABAGABAAMINOSAN
握手
明日、俺は、いや、俺たちは結婚する。結婚式には俺の友達が来てくれる。でも、本当に呼びたい奴らは来ない。
麻衣とは小学校の時からの幼馴染だ。当時の俺達に接点はなかった。強いて共通点を探すとすれば、小学校で俺たちは浮いていた。麻衣は恥ずかしがりやで人と殆ど喋らない、幸薄そうな娘だった。俺は喋るのは得意でよく喋る事で評判だったが、内心小学校の同級生たちを見下していた。本当に好きなのは冷笑的だったり、ナンセンスなユーモアだったが、同級生達には彼ら向けの話をしていた。だから友達関係という面で、満たされない日々を過ごしていた。いや、皆心の中ではそういう、人には見せられない物を抱えていたのだろう。少なくとも、俺は自己開示出来なかった。
そんな俺にも心をさらけ出せる相手が出来た。きっかけは中学受験をする事になって小4から学習塾に通い始めた事だ。塾は、一言でいえば地獄だった。いや、勉強させられるとかゲームを取り上げられるとかが辛かったのではない。通っている人間が酷かった。隔週で終末に試験をやらされるのだが、その試験の順位でクラス内の席順が変わる仕組みになっていた。優秀な成績を持つ人間は前の方の席に座らされる。熱心な生徒程前に座るのはどんな教室でもある現象だが、制度的に決まってるというのは珍しい。もちろん視力が悪い子等例外もあるが……。幼い俺たちはテスト後に教室の壁に貼りだされる席順で一喜一憂したものだ。それだけじゃない。俺のクラスは塾では上から二番目のクラスで、大人たちから見ると割と和気あいあいとしているように見えたらしい。だが、塾に入った当時の俺には、小学校で馴染めない人外共が幅を利かせている、妖怪の巣窟に見えた。俺もそうだったが、殆どが地元の中学に進学する中で、中学受験をするというのは辛いしストレスが溜まる事だ。そんな中では狂わないとやっていけないのかもしれない。
勉強のためにテレビもゲームも取り上げられた奴らは小学校での話題を失っていく。また、学習塾に通わせる親も、学校の連中は馬鹿だから、つるむなという教育をする。当時の塾生達に聞いて確かめた訳じゃないが、そんな気がしていた。だから、頭のおかしい、成績だけ良い奴らは小学校で立場を失い、塾でイきり始めるのだ。だが、俺はそんな奴らと一緒に勉強するとこっちまで腐ると思った。だから、一番上位の、私立小学校出身の連中が集まるクラスを目指した。
一度成績が良かった時期に入ったことがあるが、一番上のクラスは私立小学校出身の、お高くまとまった人たちの集まりだった。二番目のクラスには無い、刺すか刺されるかのような緊張感があった。文化が違う気がした。話が会わないし、向こうから言わせると俺は庶民の匂いがするみたいだ。一言で言うと、馴染めなかった。俺は絶望した。絶望すると受験からも塾からも遠ざかる。そして小学校の人間関係を重視するようになる。そうして元の、上から二番目のクラス、それも成績があまりよろしくない生徒の座る後ろの方の席に落ち着いた。ただ、戻ってきてみると前と状況は変わっていた。麻衣が同じ塾に通い始めたのだ。
俺は塾の中では無口な方だった。客観的に見ればよくしゃべる方だったらしいが、小学校と比べると大分自分を抑えていた。だが、同じクラスの後ろの方の席でいつも申し訳なさそうにしている麻衣を見て、こっちも申し訳ない気持ちになった。学校で彼女と喋ったことは無かったが、同郷のよしみ、とでも言うのだろうか。麻衣をからかったりして、クラスに馴染めるように手助けをした。塾生は皆電車や親の車で通っていたが、俺と麻衣は同じ駅から電車で通っていた。塾で麻衣が人と喋りだす頃、俺たちは塾から駅まで一緒に帰るようになった。そんな事をしていると、塾の連中が俺を見る目が変わった気がした。一目置かれるようになったのだ。一目置かれると、多少自己開示する余裕が出てくる。塾の連中は、コミュニケーションの基本がなってない奴も多かったが、本質的には教養がある連中だ。社会に出てみれば、勉強だけできてコミュニケーションが出来ない奴が問題になる事もある。だが、社会に出る位の歳になれば、勉強が出来ないとされる奴でも大卒なら最低限の教養はあるから、それ以外の要素が問題になるのだ。その点、中学受験をしない小学校の連中は、教養という意味では本当に酷い水準だった。という風に、俺は、半年塾に通ううちに、まんまと塾の連中の選民思想に取り込まれたのだった。
上から二番目のクラスは本当に変な奴らが多かった。
中村は自称火星人で、いつもシャーペンを宇宙船に見立てて遊んでいた。
「これが地球の宇宙船」変なイントネーションでそう言うと中村はシャーペン宇宙船を着陸する飛行機のようになだらかに机に着陸させた。
「火星の宇宙船」と言いながら中村はまたシャーペンを着陸させた。違いは、接地後にピタッと止まった事だ。母星の方が地球より優れてていると言いたいらしい。乗客は皆潰れそうだが、火星人なら何とかなるのだろう。オネェ言葉で喋る面白い奴だったが、火星の宇宙船が笑いをとったのを見た事はなった。
十(もぎき)は斜め下のボケを連発する明るい奴だった。昆虫好きで、コミュニケーションに難がある塾生代表だった。俺よりも一年早く塾に通いだしたらしい。同じクラスの岡崎に、「ポケモン歌ってみて」と言い、「あの子のスカートの中」の所でニヤニヤしていた。オチは用意していなかったらしい。通いだした頃は塾の女子から虐められていたらしいが、ある時ピタっと止んだ。何か恐ろしい手段を使ったらしいが、その女子たちは皆塾を辞めたので最早分からない。一説には、鞄を漁る女子の対抗策としてペットボトル一杯のクモを鞄の中に忍ばせていたとか何とか。
デネー大統領は本当の苗字を忘れた。あだ名がデネーだったことは覚えている。男子トイレの個室で、「でねーな」と呟いた所を十が広めたのだ。優しい顔の無口な男だったが、「でなかったのは大ではなくトイレットペーパーだ」という謎の言い訳をしてきたのが受け、デネー大統領のあだ名が卒業まで継続した。
岡崎は他人をいじる才能がある奴で、テレビCMの替え歌を歌うのが好きだった。3日に一度くらい新しいミームを作り出していた。空気の読める奴で、クラスの空気が沈んだ時はコイツが場を盛り上げる事が多かった。
ゴリラは、今考えると酷いあだ名だが、怪力暴力系女子だった。月一位のペースでクルトガだとかフリシャーだとか新しい文房具を塾校舎下のコンビニで買ってきて、自慢していた。買った直後は「これなら集中できる!」と言っていて、1週間ほど経つと。「飽きた」と言うのがいつもの流れだった。
最後のはとばっちりだったかもしれないが、この魔窟なら俺は冷笑的だったりナンセンスだったりするユーモアを存分に披露する事が出来た。一つ癪な事があったとすれば、上記の連中が皆俺より勉強が出来る事だが。
変な連中との相手に疲れたら、麻衣に話しかけるのが常だった。逆に言えば、麻衣が塾に入ってくれたおかげで変な連中と仲良くなったのかもしれない。麻衣は口数は少ないが、癒し系だった。それに、麻衣の方が後から入ったので俺の方が成績が高く、よく勉強を教えていた。勉強を教える事は自己肯定感が上がるし、知識が整理されて自分のためにもなる。この上から二番目の魑魅魍魎クラスは、結果的に一番上より合格実績が良かったのだが、それは勉強を教え合う文化があったからだと思う。
塾ではなんやかんや色んな事があって楽しかったが、本質的にはストレスの多い環境だ。6年の冬になると、ストレスで暴力を振るう奴が出てきたり、悪口がエスカレートしすぎて泣き出す生徒が出てきたりした。十が”歴史年代に解答するたびに相手を攻撃できるゲーム”で鎌倉幕府成立エルボーをして他の生徒を泣かせたり、岡崎が学校でいじめられている事をカミングアウトしたりした。俺も、麻衣と一度些細な事で口喧嘩をしてしまった。当時は何とも思わなかったが、この混沌とした空間をまとめあげた塾のスタッフは相当な腕だったのだろう。問題は少しずつ噴出していたが、その鬱憤は勉強に向けられた。向けられない生徒は自ら辞めていった。俺も、一番上のクラスでの経験や麻衣の癒しが無かったら、続けられなかったかもしれない。俺は魑魅魍魎共とは上手くやっていたし、楽しかったが、塾に入った当時の俺がその時の俺を見たらドン引きしていただろう。
小学6年生というのは、色々な社会的能力が発達してくる時期らしい。塾や小学校の中で恋愛関係を築く生徒が少しずつ出てきた。俺も、麻衣と一緒に帰っているので、よくいじられた。塾に行くと150%の確率で誰かにいじられた。1回は確実にいじられ、50%の確率でもう一度いじられた。ただ、そういうのは受験には邪魔だし、俺と麻衣は小学校が同じだけだ。そう思っていた。あの時までは。
休み時間はケシバト(机の上で消しゴムを指で弾いて相手の消しゴムを落とすゲーム)や腕相撲をしたり、突発的に発生する机を叩いてリズムを発生させる遊び等が流行っていた。そんな中、弱肩の火星人中村が麻衣に腕相撲の勝負を挑んだ。麻衣は色白であまり体が強い方ではなかった。というか、女子の中でも下から数えて何番くらいの戦闘力だった。だから、幾ら弱肩とはいえ男の中村が勝つと誰もが思っていた。
「麻衣ちゃんにならアタシでも勝てると思うの」
「言ったな、中村」と俺。
「中村クソ雑魚だから麻衣が勝つかも」とゴリラが言った。
「……。」
麻衣は顔を赤くして、無言で手を差し出した。
「これで中村が負けたらくそウケるわ」と言いながら、十が二人の手に自分の手をかぶせ、カウントダウンを始めた。
「3、2、1、ファイト!……って言ったら始めてね」と十。いつものボケなのでもう誰も騙されないが少しウケた。
「じゃあファイト!!」
いきなり勝負がはじまった。中村は力をかけているように見えるが、組んだ手はまるで動かない。真ん中で止まっていた。
「やるな!地球人!」
「……っ」
もう中村の顔は真っ赤だ。麻衣も本気を出しているらしく、目を大きく見開いていた。
誰もが中村が勝つと予想したが、麻衣の方が少し押し始めた。
「えっマジ?」と十
「おいおい弱すぎだろ」と岡崎が笑う。
俺は少し違和感を覚えて、何だか嫌な感じがした。
「ちょっと、待って、連戦で俺の筋肉が弱っている」中村の一人称が俺になった。
「マジ?」麻衣さえも小声で呟いた。顔は真っ赤になっている。両者の手は小刻みに揺れるが、次第に中村の手の甲が机に当たりそうになる。誰もが麻衣の勝利を確信した時だった。
「うっそピョーン」そういうと中村は満面の笑みで一気に麻衣の手を逆側に叩きつけた。
「馬鹿にされた……」麻衣は勝負中よりもさらに顔を赤くして呟いた。
「クソ野郎だな」と俺。
「やっぱ火星人はちげーわ」と十。
次の休み時間、中村とトイレで一緒になった。
「早くしないとアタシがとっちゃうよーん」と笑みを浮かべる中村。殴りたいこの笑顔。でも、その怒りの中には嫉妬が混じっていたのが俺にも感じられた。
こんな些細な出来事がきっかけだが、俺は麻衣を意識するようになったのだ。「塾で勉強するから遅くなる」と親に電話して、麻衣と二人で駅を降りて、コンビニで買ったおにぎりを食べながら散歩した。そんなときも話題は入試の事だった。あの後中村が麻衣に特に何かをしたわけではないが、中村には許せないような、ありがたいような、申し訳ないような複雑な気がしていた。だから、あの腕相撲の日は麻衣と結婚を控えた今でも覚えている。
楽しいようなカオスなような時はすぐに過ぎ去り、2月頭の受験の日がやってきた。年明けから合格発表までは自分の事で精一杯だったが、結果が分かった後初めて、皆はどうなったんだろうと気になった。
そしていよいよ塾に行く最後の日がやってきた。受験が全て終わり、先生や他の塾生に結果の報告をする日だ。俺も麻衣も、第一志望校には入れなかったが、第二志望の中堅どころの進学校に入った。まあ、成績的には妥当なラインだ。岡崎と十は志望校に入れたようだ。中村は落ちた。デネーは12月ごろに塾を変えたので来なかった。ゴリラは受かった。皆同じ教室で過ごした対等な仲間たちなのに、第一志望に合格するかどうかで明暗がはっきり分かれてしまった気がした。皆に好かれていた変態理科教師が、ねぎらいの言葉をかけてくれた。「実は中学生からの英語塾もやってるよ」と勧誘されたが、もう勉強は御免蒙るといった気持ちでいっぱいだった。何となく、喋るだけでは物足りない気がしたので、関わった皆に握手を求めた。帰ってからも家族に祝ってもらう予定の生徒が多かったらしく、賑やかだった塾の一フロアは一人、また一人と人が減っていった。皆でひとしきり泣いたり笑ったりした後、「じゃあな」と言って別れた。それっきりだ。帰り道で麻衣に告白しようと思っていたが、家族と焼肉に行くと言って両親に連れられて帰ってしまった。仕方がないのでバレンタインデーに校舎の裏で告白した。麻衣は顔を真っ赤にしながら頷いてくれた。
だから、あの中学受験は俺と麻衣の始まりの物語なのだ。でも、久しぶりにあの学習塾に連絡したら、塾の当時の先生方は皆辞めてしまっていて、生徒の個人情報は教えられないと言われた。皆との連絡手段がいよいよ無くなってしまった。当時は携帯電話を持っている小学生はほとんどいなかったのだ。今結婚式に来ているのは親族、小中高大学の友人達、会社の同僚達だ。彼らはもちろん俺らの事を祝福してくれるのだが、俺としては何かが欠けた気がしている。せめて連絡先でも交換しておけばよかったと思って、麻衣と悔やんだ。
「また会おうぜ」そういって握手した塾の皆の手は、今では麻衣と初めて繋いだ手と同じくらい、美しくも遠い思い出となってしまった。いつかどこかで会えるのかもしれないし、もう会えないのかもしれない。会っても、もう皆握手の事なんか忘れているかもしれない。それでも、あそこに俺たちが生きていて、人生をかけて勝負を挑んだ事を、俺は忘れないだろう。
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