アルトでも歌姫になりたい! ~御所高校合唱部の日常~
瀬々良木 清
第1話 私もあれやりたい!
小川希望子(きみこ)は、徳島県立御所高校に入学したばかりの女子高生。
中学時代は天才的な運動神経を活かし、バスケ部のエースとして活躍。地方の小さな公立中学を四国大会まで導くほどだった。
だが、高校に入ったらバスケは辞めて、女の子らしくなろうと決めていた。
中三の春、つまり受験が終わってみんな一息ついていた頃、希望子はかつてのバスケ部レギュラーの女友達と集まって、卒業記念にどこかで遊ぼうと考えた。
でも、希望子の誘いに乗ってくれる友達は一人もいなかった。
部活を引退した後、いつの間にかみんな垢抜けて、お洒落をして、彼氏をつくって……
希望子だけが取り残されていた。練習のしすぎで勉強をほとんどしておらず、ひたすら受験勉強をしていたのだが、他の子はもっと上手く生きていたのだ。
高校生になったら、女の子らしくなりたい。そのためには、体力を限界まで使ってしまう運動部では駄目だ。
そう決意して、前々から何度も来ていた高校バスケ部からのオファーを断り、新たな高校生活を始めようとしていた。
とは言うものの、小学生の頃からバスケを中心に生きてきた希望子には、部活以外でどうやって生きればいいのか、よくわからなかった。
高校入学までに準備できたのは、せいぜいスカートを短くしたことくらい。
そんな希望子の高校生活に転機が訪れたのは、ある先輩との出会いだった。
* * *
御所高校に入学してすぐ、体育館に集合しての部活紹介があった。
各部とも三分程度、体育館のステージに立って紹介を行う。
希望子は他の生徒と同じように体育座りをして、あまり期待せずに見ていた。
そもそも部活なんかやったら時間がなくなるし、入るとしたら美術部とか、そういう文化系の部活しかないな、と思っていたので、あまり興味がなかった。
運動部の紹介は全てまともに聞かず、文化部の紹介が始まってから顔を上げた。
最初は、吹奏楽部の爆音だった。
御所高校の吹奏楽部は県下でそこそこの強豪であり、人数も多い。体育館じゅうが管楽器の爆音に包まれ、みんな圧倒されていた。が、
(楽器とか難しそうだし、今更できんよなあ……)
そう考えた希望子は、あまり気に留めなかった。
続いて、合唱部の紹介があった。
吹奏楽部がステージに乗り切らないほど多かったのに対し、合唱部は数えられるほどの人数しかいない。
しょぼっ、と希望子は思った。
希望子は後ろの方に座っていてよく見えなかったのだが、真ん中にいる背の低い女子だけ、制服ではなく白いドレスを着ていた。
ドレス? 実物を見たのは初めてかも。
そんなことを思っていたら、ピアノ伴奏が始まり、そのドレスを着た女子が歌いだした。
歌声が聞こえた瞬間、希望子は、鳥肌が立つほどの感動を覚えた。
この時歌っていたのは、ミュージカル『オペラ座の怪人』の『シンク・オブ・ミー』という曲だったのだが、希望子は知らなかった。
曲のことはどうでもよかった。とにかくその透き通ったソプラノ・ソロの響きが、体育館じゅうに共鳴していた。
吹奏楽部が何十人もかけて体育館を揺さぶっていたのと比べ、ソロの女子一人で体育館全体を優しく包み込むような歌声。
希望子にとっては汗とボールの匂いにまみれたイメージの体育館が、たった一人歌うだけでこんなにも優雅な場所になるとは、思いもしなかった。
ちなみに、この後ソロの他にバックコーラスが歌い始め、それなりのクオリティだったのだが、ソロに心酔していた希望子はほとんど気づかなかった。
(私もあれやりたい!!)
気づいた時、希望子はお尻を少し浮かせるくらい興奮して、そう考えていた。
高校に入ったら女子らしくしてモテたいとか、そういう雑念は一瞬で消え、素晴らしいソロを歌っていた合唱部の部長・上月歌音のようになりたいと、心から思った。
歌姫になりたい。
この瞬間に、希望子はそう決めたのだ。
* * *
部活紹介の翌日、放課後になると希望子は音楽室へ向かった。
バスケ部の経験で体育会系な考えを持っている希望子は、真面目に部活をするならとにかく早く参加表明をして、先輩たちに着いていくしかないと思っていた。
何より、あの美しい声の先輩に会ってみたかった。
廊下や玄関先で激しい勧誘合戦が繰り広げられている間をくぐり抜け、希望子は音楽室に着いた。ところが音楽室は楽器を持った生徒ばかり。希望子には、どれが合唱部の生徒なのかわからなかった。
「あの! 合唱部ってここじゃないんですか」
希望子は怖気づかず、上級生らしき女子生徒に聞いた。その人は吹奏楽部員で「ああ、合唱部は奥の部屋だよ」と面倒そうに言った。
御所高校の音楽室には、メインの部屋の他にもう一室、アンサンブル室という名の小部屋があった。大部屋のいちばん奥にあり、扉が閉まっていて中は見えない。扉に『合唱部』というパネルがかけられている。
ここが合唱部か。
中が全く見えないため、少し緊張しながら希望子はドアを開けた。
「失礼します!」
威勢よく言いながら、希望子はドアを開ける。
教室の半分くらいの、狭い部屋だった。そこでは五、六人の女子生徒たちが半円状に並んでいて、希望子の姿をすごく驚いた目で見られた。
あの美しい声の先輩は、並んでいる部員たちの前、つまり指揮者のポジションにいる。
「えっ、と……?」
場が沈黙する中、美しい声の先輩が言った。
「一年の小川希望子です! 入部希望です!」
そう言うと、驚いていた合唱部のメンバーたちの表情が「おっ」と綻んだ。
「えっ、ほんと? ありがとう! わたし、部長の上月歌音です。ささ、こっち来て! 今日は一年生に練習見学してもらってるんよ!」
希望子は用意されていたパイプ椅子に座り、しばらく練習を見学することになった。
「今年はすごいなあ。最初から入部します! って言ってくれる子が二人もおって」
希望子は知らなかったが、御所高校合唱部は人気のない部活で、毎年部員の人数確保に困っていた。
名門の吹奏楽部に音楽好きの生徒をとられ、合唱部には人が集まらない。
だから合唱部の二年生たちは、アンサンブル室で見学会をしながらも、今年は何人くらい部員を集められるか、不安で仕方なかったのだ。
希望子は後で二年生たちの心情を知ることになるが、この時、別のことが気になっていた。
二人?
一人は自分、ということはもう一人、先にいる?
先を越された!
私がいちばん最初に行って、あの先輩に弟子入りしようと思ったのに!
まだ体育会系的な競争思想の残る希望子は、悔しがりながらその一人を見た。
パイプ椅子に座っていたその女子生徒は、希望子の知っている同級生たちとはどこか、違う雰囲気を持っていた。
落ち着いた感じで、すこし大人っぽい雰囲気をもつ、美しい女の子だった。
希望子が一番乗りを果たすため、教室から音楽室まで急いで汗をかいているのに、その女子はとても涼しそうな顔で希望子を見ていた。
なんなの、この子。
そう思いながらも、先輩たちが合唱部の練習を見せてくれる、というので、静かにその女子の隣に座った。
すると、またアンサンブル室の入り口が開いた。
「有望な男声を確保したぞ!」
入ってきたのは、二年の男子生徒たちだった。
だ、男子?
希望子は驚いた。美しい声の先輩のことばかり考えていた希望子は、合唱部に男子がいることなど考えていなかったのだ。
しかも、なぜか大男ばかり。運動部にいそうな連中がアンサンブル室に入ってきた。
そのあとに続いて、一年の男子たちが入ってきた。三人いて、一人は女子よりも小さいくらい背が低かった。あとの二人は中肉中背といったところ。二年のたくましい男子部員たちに比べると、どう見ても貧弱だ。
「えっこんなに!? 岸田くん、無理やり連れてきたんとちゃうよな?」
部長の上月歌音に岸田と呼ばれた、ギリシャ人のように彫りの深い顔をした大男は、満面の笑みで答える。
「まあ、そうとも言う」
「あかんよ!」
「だが心配するな! この三人は宮中の合唱部経験者だ!」
えーっ、という期待に満ちた声が女子部員たちから上がる。すぐに二年の生徒たちで追加のパイプ椅子を用意し、三人の男子を座らせた。
経験者がやたらと優遇されていることに希望子は驚いた。バスケの場合、経験者はいくらでもいて、毎年入部してくる。だからいちいち優遇したりしなかった。
「えっと、何人か揃ったし、一年生から名前とちょっとした自己紹介してもらっていいかな?」
歌音が言うと、希望子は真っ先に声を上げた。
「一◯二HRの小川希望子です! 中学ではずっとバスケやってました! 昨日、部活紹介で上月先輩のきれいな歌声を聞いて、自分もあんな風になりたいと思って来ました! よろしくお願いします!」
特に緊張もせず、スパッと言い切った。
我ながら完璧な挨拶だ、と希望子は思った。実際、ほとんどの二年生たちは笑顔で拍手してくれた。だが、憧れの歌音とその隣にいる岸田という大男だけは、なぜか苦い顔をしていた。
「キミ、声質的にアルトだと思うが」
岸田が言うと、隣で座っていた一番乗りの一年生女子がくす、と笑った。それに釣られて、周りの皆が笑いだした。
「えっ、どういうことですか!?」
希望子は混乱した。声質的にアルトってどういうこと? それの何がおかしいの?
「ま、まあちゃんと声出してみなわからんし、パート分けの時に考えましょ!」
歌音がその場を取り持つ形で言って、希望子の自己紹介は終わった。
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