憧れの人

口一 二三四

憧れの人

 クローゼットの奥から喪服を引っ張り出す。

 祖母の葬式以来使っていなかったそれにはクリーニング帰りの袋が被さっており、肩のところにはうっすら埃が積もっていた。

 チャックを開けて状態を確かめる。

 今の私の心境と同じ沈んだ黒が一層気分を落ち込ませた。

 明日私はこれを着て生まれ育った町に帰る。

 他の誰でもない、私を慕ってくれていた後輩がこの世を去ったからだ。

 交通事故だったと、後輩の友達であり自分もよく知る子から連絡があったけど。

 天真爛漫で思い返す限り笑顔しか頭に浮かばない後輩の最期がこんなにも呆気ないなんて、正直今でも信じられなかった。



「先輩また風景画ですか?」


 学生時代、美術部の片隅で油絵を描いていた私にそう言って近づいてくるのが後輩だった。

 餌付けされた野良猫みたいに甘やかな声ですり寄って来るのが鬱陶しくもあり、懐いてくれていることがなんだかちゃんと先輩しているみたいで誇らしかった。


「たまには人物画描きましょ~よ~。わたしモデルになりますから~」


「……私は風景画が好きなの」


 人付き合いが悪く部内でも孤立気味だった私にとって後輩は唯一の話し相手であった。

 キャンバスから目を外さないまま、視界の端に映す後輩の顔は確かに整っていて、伸びる黒髪が窓からの陽射しで淡い光沢に彩られていたのをよく覚えている。

 モデルとしては申し分なかった。

 けれど私は卒業まで後輩を描くことは無かった。

 理由は色々ある。


 どう接していいのかわからなかった。

 自分をバカにしているかもと勘ぐった。

 そこまですり寄る動機がわからなかった。


 でもそんなの卒業してから後付けしたモノで、本当は。

 中学以来賞らしい賞を貰えていない私に、好きな物を描くだけの余裕が無かっただけだった。



 朝一番の電車に乗って懐かしい駅に下りる。

 目に入る田舎の風景は私がキャンバスに納めたモノとは随分様変わりしていたけど、ただ町中を歩くだけで得られる安心感は相変わらずであった。

 上京して就職した私と違い後輩はこの町で職を見つけ勤めた。

 たまに連絡を寄越す話から趣味程度には絵を続けていることはなんとなくわかった。

 学生時代も今も自分のことで精一杯の私は不甲斐ないけど、よく人物画を描いているのは知っていたけど、後輩が何を描いているのかまでは知らなかった。

 今さらな後悔を頭の片隅に置いて葬式の場所へと足を向ける。

 呼吸一つすら辛いのに、未だ涙は出なかった。



 少し早めに着いた会場には彼女の絵が飾られていた。

 親御さんがどうしてもと言うので葬儀屋が融通をきかせたらしい。

 こんな形で後輩の絵を見るなんてと嬉しいような虚しいような気持ちで一枚一枚鑑賞する。

 受付で顔を合わせた後輩の両親、思い出話と共に涙する後輩の友人、私が卒業した後にできたであろう後輩の後輩。

 彼女にとって身近だったであろう人達の絵が並ぶ中、一枚の絵に歩みを止める。

 窓からの陽射しに照らされているよう描かれているのは、キャンバスとその陰に隠れる女性の姿。

 顔の見えない被写体はパレットを机に置き、一心不乱に何かを描いている。

 思わず魅入った絵。

 初めて見るそれを、私はよく知っている。

 絵の中にいる誰かが何を描いているのか、私はよく知っている。


 きっと、賞に出すための風景画だろう。


 目を滑らす。

 絵から下へ。

 他の絵同様付けられた題名の札を見つける。


「……言ってよ、ちゃんと」


 再び絵に視線を戻し、涙を流す。

 懐かしく、二度と訪れない時間。

 絵の中にしか残っていない瞬間。



 納められた、その絵のタイトルは――

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