キミアの学徒

舶来おむすび

キミアの学徒

「さて、始めようか」

「……ここでか?」

「不満かね」

「いいや? ちっ、ともォッ!」

 ビルが建ち並び、通行人が闊歩し、車の行き交う都会のど真ん中。文字通りに万物をすり抜けて、ふたつの影が衝突した。

 関節から紫電を迸らせる大人と、四肢から溢れるオーラを虹色に織り上げる子供。両者から洩れ出たエネルギーの余波が建物の隙間に潜り込み、ビル風として吹き荒れる。やだもう、と呟いたミニスカートの女性の頭上で、男と少年は拳を交わし、再び離れて距離をとった。

「『火』は使いこなしていると、良いね。光、熱、電気……応用がきくだけに制御が難しいわけだが」 

「うっせえ。自分を見えなくさせるのなんて基本中の基本だろ」

 違うんだがなあ、と男は内心ひとりごちる。

 確かに『火』を使えば、光の反射を利用して自身を人の目から消失させることは容易だ。だがさて、この少年は気づいているのだろうか。

 我も彼も、人や車をすり抜けて一戦交えている。それはつまり、自身を光の粒にまで───万象の最小単位にまで分解させ、物質の間隙を縫うように移動する技術に他ならない。

 己のように『火』だけを使う四素遣いであるならまだしも、この少年は『水』も『風』も『土』も手足のように扱うのだ。ともすれば足の引っ張り合いになりかねないものを、ひとつの元素で一時的に、互いの元素を反発させることなく上書きするほどの腕。そして今の口ぶりからするに、おそらく無意識の行為らしい。

 思わず天を仰いだ。自慢の姉は、なんてものを置き土産にしていったのやら。

「……まあ、いい。それを何と言うのかは覚えているかね?」

「…………ラ、ランハン、シャ?」

「……イントネーションがだいぶん怪しいが、正解ということにしてやろう、ッ!」

 語尾を残して飛び退いたのは、勘というより経験の賜物だ。ごくわずかな筋肉のきしみ、骨の動き、そこから導き出される皮膚のひきつり……視界の端で捉えた情報が、反射を上回る速度で男の身体を突き動かす。間一髪の差で、ねめあげる三白眼と視線が交錯した。

 宙を舞いながら、先程まで立っていた場所を眺めやる。左足を道路に埋もれさせて、ぎらぎらと見据える双眸が、男の背筋に冷たいものを走らせた。

「吹いてんじゃねえぞ狸。師匠ヅラやめろ、ムカついて殺しちまうからよ」

「猿を人にしてやろうと言うんだ、そんな口を利かれる筋合いはないな」

「じゃあそのスカした面を固めてやる」

 途端、大地が盛り上がった。少年の足を中心に、アスファルトが粘着質な音を立てつつ渦を巻く。引きずられるように標識や信号が徐々に傾いていくのを目の当たりにして、さすがに男は舌打ちをこぼした。

「おい、こら」

「『水』に『風』を掛けましてー、っと」

 どろどろの地面へ左腕を突き入れ、ひとつかき回して引き上げる。餅のように伸び上がったアスファルトは、勢いをそのままに津波のごとく男のもとへ迫り来た。

 通行人が写真を撮り始めたのを見咎める。鬱陶しいことこの上ないが、まずはこの暴れ馬を止めなければ始まらない。

 四方に『火』を押し広げ、簡易的な結界を張る。念のために仕込んでおいた空き缶基点が役に立ったのは僥倖だった。先程講釈した目眩ましをこちらが使わされる羽目になるとは、と思わず自嘲した。

 だがさて、とタール状の攻撃を避けつつ考える。『水』だけなら『火』で対処しようもあったが、この麒麟児が混ぜたのはよりにもよって『風』だ。

『火』と『風』、どちらも軽量・上昇の因子を孕んでいる。似た要素がぶつかった場合、エネルギーの多寡で勝負は決まる。単純な力比べでは不利と悟って障害物の多いフィールドへ連れてきたというのに、これではまるで自殺願望者のようではないか。

 仮に『火』を全力でぶつけたとして、まず間違いなく『風』で勢いを殺される。『水』で追い討ちをかけるか、はたまた『水』と融合させて思いがけない飛び火を狙うか。どちらに転んでも、数秒後の自分は力を使い果たしてアスファルトの海に沈むだろう。

 とはいえ。


「───ありがとな、姉貴」


 打つ手がまるでないわけではない。

 天上の無窮アイテールまでは教えなかったらしい少年の師匠に、男は心の底から感謝を述べて。

「あんまり大人を舐めるなよ。殺したくなっちまうだろうが」

 小さなアスファルトの山頂でからからと笑い転げる仔猿が、今は無性にいとおしい。

 実に大人げない、と囁く理性は捨て去った。これからは躾の時間だ。どちらが上かを叩き込む必要がある。

「『終始の元素クゥインテセンス』よ、光あれ」

 ぼそりと呟いた一言が、戦況をひっくり返す。

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キミアの学徒 舶来おむすび @Smierch

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