世界をうるおす放浪記

@HighTaka

序章 死

 あっという間だった。

 あの公園で暗くなるのもかまわず遊んでいたのが昨日のことのようだ。まだ携帯端末もろくにない時代、生身で感じる遊びだけがすべてだった時代だった。

「そろそろ時間です。モニターが見えますか? 」

「見える」

 老人は老人に見えなかった。若々しい外見は彼の三十ごろのものだ。体格だけ修正されて引き締まったものになっているが、とても人工物のようには見えない。なんといっても目に力が宿っている。

「あなたの最後の生体組織はかなり弱っています。もうすぐ死ぬでしょう。そのとき、あなたは世界最初の完全電脳人になるのです」

「なに、失敗してもあんたを恨みはせんよ。おかげで心残りもない」

 強がりだった。死にたくなければこんな実験には参加しない。おかげで普通よりも長くもっている。法的にはもうすぐ死に、自分の大半を移した一式はこの所有物となる。そのとき、自分が自分であったとして人権はどうなるかという点はあまり心配していなかった。なんといってもこの実験に興味をしめすパトロンたちは新時代の人間の規定と法的保護も実現しなければ無意味と知っている。

 彼らに比べれば圧倒的に持たざるものである老人はいちかばちかの賭けに出たのだ。

「ああ、もうすぐです」

 教授は興奮を隠しきれないようだ。

「さあ、新しい世界へようこそ」

 モニターの表示がフラットになった。老人は死んだ。

 目の前が真っ暗になる。

 駄目だったか、老人はふっと消えて無に帰すのを待った。


「目をあけたまえ」

 いつの間にか目をつぶっていたらしい。かけられた声のほうを見ると、毒々しい原色の壁を背中にイースター島のモアイのような石像が浮かんでいた。そう、浮かんでいた。

「これはただのアイコンだから気にしないように」

 モアイのほうから声がしている。

「何がなんだかわかりません。わたしゃどうなったんでしょう」

「君の複製は二つ作られた、今、ここにいるのは完璧なほうだ」

 嫌な予感しかしない。老人であったものはおびえた。

「あなたは教授とは思えない。教授のところに残したほうは完璧でないと」

「肝心な要素をいくつも見落としているからね。気の毒にあちらの君は心の中に大きな穴が広がって行くがごとく感じながらあまり長く持たずに崩壊してしまうだろう」

「なんてことだ、教授に教えてあげればよかったのに」

「彼の関心はひきたくなかったのでね。なあに、彼ならあと二、三人失敗すればだいたいつかむことができるよ」

 それまで立場と資金が続くかどうか。いや、人の心配してる場合ではない。

「で、あなたは何者だ。なぜ私をここに? 」

「ん、人類のいう名前のようなものはないのだ。ダイモンとでも呼んでくれ」

「あなたは人間のいう神か? 」

「あるいは悪魔だな。好きに呼ぶがいい。私にあるのは知的興味のみ。そう、私は研究者なのだ。もう何万年も研究を続けている。私の研究は人間の発展とともに複雑化して行く一方である。私が何かは、こんなところでよいかな」

「考えても無駄らしい、ということはわかった」

「そしてなぜ君をここに複写したのか。少なくともそれは伝えておいたほうがよいという点では君と意見の一致を見る事ができる。君は私のアイコンや背景の壁に見覚えはないか」

 老人だった男はじっと見た。そして首をふった。

「ひどくちゃちな初期のグラフィックという感じだがどうもね」

「暗黒の塔、というゲームを覚えているかね」

「聞き覚えがあるような。でも若いころには有名どころやインディーズ、いろいろなゲームをやったから思い出しても混同していそうだ」

「暗黒の塔はインディーズゲームだ。そして物質世界に匹敵する仮想世界を構築するための初期のツールとして私が作成した」

 老人の脳裏にひらめくものがあった。

「あったあった。ソースを解析したら、えらく複雑だったやつだ。しかもいい意味で」

「君のその後のキャリア、そしてあの教授との縁もそこから始まったことは知っている。私は君を監視していたのだよ」

「興味本位でプロテクトをはずして、中をちょっと見ただけですよ」

「君は影響を受けた。これはいい。もう一つやったことがあるだろう」

 だんだん思い出してきた。わかってくるといろいろもたげてくる挑戦心というやつがあった。

「ちょっとしたチートを二つ仕込んでみた。経験値と、魔法の威力が二百五十六倍になるのと」

「それを許したのは私の落ち度だ。初期とはいえ世界創造ツールを十分に保護できていなかったせいであの世界は少々具合の悪いことになったのだ」

「ちょっとまって、あれはもう五十年以上前のゲームでしょう」

「実験期間としては全くたりない。それにあれにはあれにしかないデータもある。失敗として破棄するのは惜しい。そして塔にいる絶対強者が動いてくれれば解決する見通しがあるのにやらない手はない」

「絶対強者? 」

「君だよ。教授の実験につきあってくれてありがとう。おかげでここに招くことができた」

「まさか、そのために」

「電子の存在になろうとも生きたいと望んだのは君だ。その点でも我々の利害は一致している」

 生きたいといっても、ゲームの世界を望んだ覚えはない。とはいえ、実験が失敗ならもはやぜいたくは言えないだろう。

「さあ、かつての分身がまっている」

 もう一度、目の前が真っ暗になった。

「世界に彩りをあたえてくれたまえ」

 ダイモンの言葉を聞いたのはこれが最後となった。

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