218話 ✖✖✖✖その1

 地下墓所カタコンベからユヴォーシュが跳びだすよりも、


 信庁本殿の大議場からロジェスが跳びだすよりも、


 少しだけ前。


「───さあ、始めよう。眠っている場合じゃないぞキルキィ」


 聖都イムマリヤと言えば信庁本殿であり、大聖堂である。そこに聳える無数の塔のうちの一つ、まともに名前で呼ばれることがないため名無しと化した塔に、その男の姿はあった。


 手には権杖、頭には角。顔に嘲り笑いを浮かべた彼の名はケルヌンノス。


 妖精王マムンディ・アーティゼンより遣わされた者。全権委任された者。


 彼の囁きに、手の権杖が花開くように展開する。起動する。胎動する。杖頭が複数の環を組み合わせた形に───渾天儀になっていく。それが完了したと見て、ケルヌンノスは支えていた手を放す。


 杖は宙に浮いていた。


 渾天儀が爆発した───ように錯覚する。真実は光の輪が広がり、ケルヌンノスをも取り囲む大きな渾天儀の様相を示したのだ。それはインタフェース。魔術師が行使の際に展開する魔法陣とは違う、翳し撫ぜ手繰ることで事象を改変するための案内線だ。


 ケルヌンノスはゆっくりと抱擁するように両手を動かす。自分を抱きしめる状態から、右手を掲げ、天より地へ。渾天儀はその動きに呼応して捻じれ、絡まり、うねって狂う。そして空は、ああ、空が、それに呼応して狂い果てるのだ。


 空に合わせて渾天儀を操るはずが、渾天儀を操れば空を統べられるという倒錯。


 これこそは《真なる遺物》。


 ───ウディスタス奏星幹の成せる御業である。


「下拵えは完了、っと」


 これは下準備。正した───捻じ曲げた星の配置は更なる異変を起こすために必要となるのだ。


 すぐに次の異変が始まる。


 星空の向こう側に目を凝らせば、が近づいてくるのが見える。止まらない、ぶつかる───ぶつかった!


 空と空が激突した、としか表現できない怪現象。聖都イムマリヤのどこか、周辺の地面にぶつかったものはない。だというのに世界が揺れる。


 バラバラと破片が落ちてきて、地表に到達するより先に透明になって消えていく。現実には何の破片も出てはいない。認識した者の脳が勝手に補正をかけてそう見せているだけだ。


 二界衝突の余波。人の魂に訴えかける異常事態。


 かつて、《人界》ヤヌルヴィスと《人界》ラーミラトリーを統合せしめた大魔術を、限定的に行使したのだ。


「これで約定は果たしたぞ。せいぜい好きなように前夜祭を盛り上げてくれ」


 眼下の聖都イムマリヤは混沌の極みに叩き込まれている。空を見上げ、恐慌の叫びを上げ、それ以上は何をできるわけでもなく右往左往する人々。彼らの感情が膨れ上がっていく。行き場を失った情動が飽和していく。うねり、綯交ぜになり、狂奔の坩堝と成り果てていく。それこそがケルヌンノスの求めていること。互いに利があるからこうして手伝いはしたが、本番はまだだった。


 まだ、


「───何を」


「ああ、ユヴォーシュ。もう来ちまったのか、早過ぎる」


「何を、してるんだァッ!!」


 と顔を合わすには、いかにも早過ぎる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る