195話 悪嫁攫取その9
《魔界》アディケード、魔王城カカラム。
魔王アムラ・ガラーディオ・カヴラウ=アディケードは、その日の執務を終え床に就くところだった。
月明かりの中、豪奢なベッドの中に一人。今宵は妃のところへ行くでもなく、ゆっくりと眠れる夜のはずだった。
「───よう。遅い時間に失礼するぜ、魔王アムラ」
するはずのない声がするまでは。
魔王アムラは掛け布団をはね飛ばすと、傍らから剣を取り立ち上がる。
「衛兵! 何をしている、曲者だ!」
「おいおい、夜更けに大声出すなよ。あんまり騒がしくすると起きちゃうだろ」
姿なき何者かは焦る気配も見せない。衛兵が駆けつけないと確信しての物言いだ。事実、待てども誰かがやって来る様子は微塵も見られない。とっくに制圧済みというわけか、と魔王アムラは歯噛みする。
「別にあんたの身を脅かそうってんじゃない。話をしたいだけだ」
「そう言うならば姿を見せろ、無礼者」
「冗談じゃない、そうしたらあんたは俺を殺そうとするだろ」
若い男の声は事もなげに、「まあ殺せるとは思えないけど」などと嘯く。《魔界》にあってそれほど不遜な言葉、魔王同士でもなければ口に出せもしない。そして魔王が単身で他所の魔王城に乗り込むなどありえない。───とするならば。
「貴様……いつぞやの人族か」
「ご明察。いちいちこっちから説明する手間が省けて助かるぜ、魔王サマ」
「何が目的だ」
「話も早い。───用件は一つだけ、ヒウィラを自由にしろ」
魔王アムラの脳裏を最初に過ぎったのは『どのヒウィラだ』という疑問。答えはすぐに出た、人族と共に《魔界》インスラへ送り出したヒウィラに決まっている。
ならばそれに入れ込んでここまでするのは何故か? 姫としての血筋、大魔王へ嫁がせたという実績の破壊、彼女の握る王家の内部事情、制約の外れかかった《信業遣い》としての戦力、あるいは魔王アムラでは想像もできない理由があるかもしれない。いずれにせよ、
「言っておくがこれは交渉じゃない、通告だ。別にあんたは断ってもいいし、取り戻すために手先を送り込んでもいい。その場合、俺は全力で迎撃するし、何ならこの城をペシャンコにすることも厭わないってのは覚えとけ」
「───何故そこまでする? 言っておくがこれは宣戦布告だぞ。自分が何を敵に回しているのか、理解しているのか?」
「
へっへっへと、気の抜けた笑い声が闇に響く。調子に乗った悪童のような気の抜け具合だが、それを魔王城に忍び込んで魔王に聞かせているとくれば不気味さが勝る。
何をするか知れたものではない。関わり合いになるだけ損だ。
「じゃあな。また会わないことを祈ってるぜ」
男の声は、それきりしなかった。
───その後。
魔王アムラは無傷で昏倒している衛兵たちを発見する。彼らは一瞬で意識を奪われたといい、襲撃者を一切目撃していなかったという。
魔王アムラは夜間の衛兵の数を増やさせたものの……翌日に帰還したヒウィラ第三姫護衛の兵たちから、大魔王討伐の報を受けて、その措置を取り下げた。
大魔王を殺すほどの相手に、衛兵では役に立つまいと悟ったのだろう。
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