146話 悪嫁攫取その4
日の出よりも先に、俺たちが通ってきた安定《経》に到着できた。
丘の上から覗き下ろす。《人界》と繋がる門、黒い球体の形をした空間の歪みに近づけないよう、十重二十重に魔王軍が警備を敷いている。
「流石に厳重だな……」
「あれに飛び込めばその先は《人界》なのでしょう」
「そうなるな」
ヒウィラは長時間・長距離の移動にくたびれましたと言って、《経》の一帯から完全に陰になるあたりで休んでいる。水筒をひといきに呷るな、水を補充するのに手間取ったらそれが生命線なんだぞ。
高貴な身分というヤツだからだろうか、ヒウィラは旅慣れていない。城から出ただけで興味深げにあちこちきょろきょろしていたし、水をこうして一気に飲んでしまうのだってそうだ。俺が抱えて走るのを旅と表現していいなら、だが。
「《人界》にそのまま飛び込んだら大変なことになるな……。どうしたもんか」
「あちら側とも話はついていないのですね。我々が使者を送ったでしょう、それと同じ扱いをされると考えていいのでは?」
「簡単に言うけどな、それだってすったもんだあったらしいぞ」
《魔界》から《人界》へやってきた使者は、オーデュロの説明によれば全力で攻撃されたという。事情を知れば使節だったのだと分かるが、当事者からすればそりゃあ攻め込んできたようにしか見えないし、『話を聞く』とか『様子を見る』とかの選択肢は取れないよな。そんなことをすれば自分が死ぬかもしれないんだ。
しかも今は、当時と違って神聖騎士二名が見張りに加わっている。俺が一人───ヒウィラを連れて二人だけで戻れば、必ず詰問されるはずだ。それもどうやり過ごすか。
「結局どうするのです? もう
「ちょっと待て、少し考える……」
警備網を観察しながらそう呟いた俺に、ヒウィラは溜息をついて腕組みをとくと、
「そう。それじゃ残念だけれど、
そう言って両手をぱんぱん、と叩き合わせる。
俺は当初その行動の意味が分からず、ぼけっと彼女を眺めて───直後。
腰の魔剣に手を伸ばしたのが、そもそもとっくの昔に遅かったのだと悟った。
周囲、寝そべっても隠れられないような高さの草むらに、音もなくいくつもの人影があった。
《悪精》、《犬魔》、《蛮魔》───《魔界》からの来訪者としてよく知られる種族たち、その他見たこともない魔族もいる。《
ヒウィラはぐるっと見渡すと、《犬魔》の青年───たぶん青年だ、毛むくじゃらだから年齢が分かりにくいけど───に親しげに話しかける。
「やはり来ていましたか、タンタヴィー」
「姫様の警護が、私の使命ですから」
タンタヴィーと呼ばれた《犬魔》の青年が淡々と返す。それが俺に目線を向けた途端、
「それで、この不埒者はどう致しますか。───噛み砕いても?」
「なりません。この方は私の命の恩人です。弁えなさい、タンタヴィー」
「は」
きっぱりと答えたヒウィラに、タンタヴィーは模範的な目礼と短い返答で答え───てから、脳みそがようやっと言葉の意味を理解したらしい。
「……は? 失礼、今なんと? ヒウィラ様」
「二度言わせる気ですか。いいでしょう、この方は私の救世主です。でしょう、ユヴォーシュ様?」
俺と、タンタヴィーと、周辺の精鋭魔族兵たちの心はきっと今一つだ。
───何言い出すんだ、この女?
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