145話 悪嫁攫取その3

 大勢で移動するならば、足並みを揃えなければならない。必然、個人よりも遅くなるというものである。


 行きに一日半かかった安定《経》への道のりを、俺はヒウィラを抱きかかえたまま一晩のうちに走り抜けようとしていた。


 追手は必ず放たれているだろう。魔王城カカラムの各所には魔術的ながそれこそ数えきれないほど設置されていた。エリオン真奇坑に潜った経験───は特に活きなかったが、その時を反省してウィーエとカストラスにそういう魔術的トラップについて教わった活きた。あれがなければ幾つ引っかかっていたか知れないが、それでも全て避けられてはいないだろう。


 魔王の居城ならば《魔界》最高峰。魔術において素人の俺が、一朝一夕のレクチャーでどうにかできるなどと自信過剰なことは言わないさ。


 俺の侵入はバレている。だから急ぐ。ヒウィラを抱えて全速力……を出すと警戒に意識を割けないので加減はしているが、追跡者が諦めるくらいは出さなければならない。俺の強みは一人ゆえの身軽さだ。追いつかれるものか。


 出がけにはまだ天頂にあった《魔界》の月が、地平線に触れるころ、


「ユヴォーシュ、一旦下ろして。衣の裾が乱れてしまったので」


 ヒウィラの要請がなければ俺はノンストップで安定《経》まで駆け抜けていただろう。俺はいいが、彼女がどれくらい耐えられるかは分からない。休憩を挟まないと辛いかと判断して、俺は地面に足を踏ん張って加速を殺していく。


 地面を抉る音を長いこと立てて、ようやく俺は停まれた。振り返ると二本の溝が深々と道に刻まれている。その前には歩幅の広い足跡。───魔王城カカラムはとうに見えなくなっているとはいえ、これでは追跡自体は容易だろう。


 あまり留まってはいられない。お姫様が満足したら、またすぐ出発しなければ。


「これまでで一番荒っぽいやり口。まさかこのまま《経》まで連れていくつもり?」


「ああ。《人界》でほとぼりを冷ますにせよ、《魔界アディケード》のどこか別の国に逃げるにせよ、あの城にいるよりはよっぽどいい。一先ずは俺のところで匿って、そっから先は落ち着いてから考えよう」


「呆れました。衝動的誘拐にも程があります。後先考えず攫って、魔王を本気で怒らせるとは考えなかったのですか」


、ヒウィラ。俺からすりゃ───自分の娘の婚姻を勝手に決めておいて、怒る権利があると思ってる方が不思議だぜ」


 きょとんとした表情は、人族も《悪精》もそう変わらないんだな。肌や瞳の色が異なっていても、大きく造形が違うのは瞳孔のかたち、それと耳の長さくらいのものだ。妖属と同じ、髪から覗く尖り耳。


 そう、そんな感想を抱く程度には俺は魔族を知らない。───魔王を知らない。


 《魔界》における最上位。最高権力者。


 それがなんだ。


 


 世界を支える覇者というなら、俺はもう会っている。───ディレヒト。ロジェス。ニーオリジェラ。《人界》の聖究騎士と比肩する存在なのだろう。さぞや凄いんだろうよ。


 でもな、そのロジェスは───俺が再戦を期しているロジェス・ナルミエは───大魔王を倒すつもりの大馬鹿野郎なんだ。だったら、大馬鹿者の彼に勝ちたい、彼に勝とうと思っている馬鹿な俺は、せめて、


「なにが魔王だ、偉そうにふんぞり返りやがって。自由の邪魔するってんなら、俺だって容赦しねえぞ。全力でぶっ飛ばしてやる」


 己を鼓舞するためにもきっぱりと言い切る。果たして、自分でほざいておいても恐れ知らずだなと呆れかえる言葉に、ヒウィラも凍り付き───いや。


「ふっ、ふ、あはははははっ! ふふふはははははは、それは───くっ、ぷ、ぷふはははははは、そんな大言壮語を、真顔で───ああダメです、おかしくておかしくて……」


 上品さをかなぐり捨てて大笑い。馬鹿にされているようで気分がいいものじゃないが、馬鹿を貫こうと決めたのは俺自身だから甘んじて受け入れる。


 笑わば笑え。いざ俺が実現したとき、恥ずかしいのはそっちなんだから。

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