132話 人魔境界その5

 固い決意をしたのに、その後数日はまったく動きがなかった。


 なんでもロジェスが信庁に何やら派遣要請をしているらしく、準備を整え・聖都を出発し・ここに到着するまで、特にすることはないんだとか。


 《魔界》との安定《経》も不穏な気配は見せない。───友好的魔王(いるのか、そんなもの?)があちら側を抑えているのなら、軍の侵攻とかもないだろうから納得ではあるが、同時に退屈でもある。


 俺はディゴールに戻ってきたことを報告しに、あちこち挨拶回りに出ることにした。


 レッサとカリエ、孤児院の二人。変わらず自分たちの孤児院の運営に四苦八苦しているが、いつぞやの匿名寄付のおかげで経営が軌道に乗っているそうで安心した。


 探窟家の大剣士ジグレード。今や《冥窟》は失われ、彼女も職にあぶれているかと思ったが、そこはそれ。《魔界》と繋がった影響はディゴール近辺にも出ていて、魔族の出現頻度が急上昇したからそれを狩ることで生計を立てているという。探窟のルーティーンに沿った戦いとは違う、命懸けの戦いというのもやりがいがあるな、と彼女は笑っていた。


 半人半妖のジニア。彼女はアファラグ山の庵を降りて、ディゴールを訪ねてきて鍛冶師のもとに弟子入りしていた。父ジーブルが死んでからの日々は炉に火を入れることもなかったというが、やはり彼から教わった技術と《地妖》の血が、そのまま錆びることを許さなかったのだろう。


 そうして見知った顔に会って回って、宿に帰ってきたある日、一通の置手紙が残されていた。こんなことをする知り合いはこの街にはムールギャゼットくらいしかいないだろう。案の定、差出人は異端聖堂の彼だった。……普通に便箋の手紙。そしてやけに達筆。


 会議の話をどこで聞きつけてきたのか、俺が《魔界》に行くことになった事実を当たり前のように知っている前提で書いてある。《魔界あちら》から帰ってきたら色々と聞かせてほしいと書いてあるが、聞きに来るつもりだろうか。それとも俺に手紙のやり取りをしろと───?


「冗談じゃない。文字書きなんざ真っ平御免だぞ、俺は」


「ボクはそういうの得意だけど、彼のためにはねぇ」


「……というか、お前は《人界こっち》で留守番だぞ」


「は? ……はァ───!?」


 そこから、バスティとひと悶着あった。


 彼女は今までの旅みたいに、当たり前についてくるつもりでいたようだ。


 だが、俺としてはそれを許容するわけにはいかない。西方の旅、魔術師製《冥窟》───エリオン真奇坑で、俺とバスティはあっさりと引き離され、そしてバスティは義体を手酷く破壊された。幸いにして命に別状はなかったものの、あれは痛い教訓となって俺の心に刻まれている。


 今度行くのは《魔界》、正真正銘の危険地帯。連れて行けば今度こそ神体を破壊されてしまうかもしれない。それだけに、絶対に連れていくことは認められなかった。


「ユーヴィーみたいな考えなしの莫迦が一人で《魔界》になんて行ったらどうなるか分かっているのかい! きっと帰ってきたころには魔族になっているに違いないよ!」


「ならんわ!」


 脅して、宥めすかして、言うことを聞かせるのに最終的に丸二日かかった。それだってどうにか同行はしない、ディゴールで待っているという言質を取るまでに要した時間で、そのあと出発まで延々とご機嫌を取る羽目になったと補足しておく。


「ユーヴィーはボクのなんだからね……。あっちで勝手なことしてきたら駄目だからね。莫迦やって帰ってこないとか、赦さないから」


「分かってる。絶対帰ってくるよ」


 信じてくれ、とは言えなかった。そればっかりは、俺の口から告げられる言葉じゃないから。

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