080話 倦神懐古その1

 ───私は、倦んでいた。


 この世界の構造に、大神と小神という存在に、そして自分自身に。


 《大いなる輪》に封じられて早千年近くが経過している。いいや、あるいは、既に千年は経過しているのかも知れなかった。どちらにせよ、もはややるべきことは悉く終えて、何かに期待するという時代もとうに過ぎ去ってしまった。かつて、あの《神々の婚姻》と呼ばれる大事件が、期待できる最後の時間だった。あの時も、私は期待しかできず、そしてついには羨むことしかできなかった。どうして私はなのだろうと、どうして私はではないのだろうと、そればかり考える時間が百年ほどは続いていただろうか。


 今や何かしようという気も失せて、ただ時間が流れるままに任せていた。存在するだけだった。……いいや、本音を言えばそれすら……。


 私は、そこにいた。


 《大いなる輪》に神体が、聖都イムマリヤの信庁本殿、その奥部に義体が、ただ在るだけの私。


 かつてはこの義体を駆動させ、《人界》をよりよく導こうとしたことも、《人界》を混沌の坩堝に陥れようとしたことも、どちらもある。結果として《人界》は今日も恙なく回っていて、私は今日も何もなくここにいる。所詮私程度では、《人界》を溢れさせることなど出来はしなかった。器ではなかったのだ、と絶望することすら、もう遠い。


 義体はすっかりくたびれて、人形のガラクタのようになっている。人間的五感の大部分は損失し、本格的に駆動させれば、その内部に満ちる不協和音は魂まで届きそうな残骸。だから、私は基本的に《大いなる輪》にいた。他の多くの神も、そうだったはずだ。もはや私は興味もなかったから、知らないが。


 だから、その時、彼女に出会ったのは───偶然だった。


 ふと予感のようなものがして、意識を義体に移す。ちょうどその時、誰も入ってこれないようになっているはずの扉を開いて、まだ幼げの残る彼女が入ってきた。


「───こんな所があったなんて。でも、何のために……?」


「君は、誰だ」


 随分と放置していたから声が出ることに驚いたものだ。私の義体が置かれている部屋だと知らなかったらしい彼女は、それはもう驚愕していた。あれは───愉快な光景だったな。


「何者だ!」


「何者? 私は君たちが崇めるものだ。君たちが信じるものと言い換えてもいい」


「───小神、で、あらせられる……?」


 久しぶりの義体で頷くのは随分と苦労した。何せ関節が固まっていたからな、こればかりは寝たきりの老人と大差ない。全くこんなことならば点検でもさせておくんだった、などと考える自分自身の異常事態にはまだ気づかない。


 二度と使わないと思っていたから放置していたのに、どうしたわけだろう、彼女と出会ってあっさりと翻しているという異常事態。


「私は占神、シナンシスである。私の室へ許可なく立ち入る君は何者だ?」


 彼女もまさか本当に小神だとは思わなかったのだろう。震え上がって平伏し、赦しを希うが聞きたいのはそんな言葉ではない。


「面倒だからもう一度聞くぞ。君は誰だ。私はシナンシスだ」


「わッ……私は、ニーオリジェラ・シト・ウティナ、です」


「そうか。佳い名だ」


 後に敬語が面倒になって止めるよう言った途端、彼女は彼女らしいざっくばらんな口調になって戻ることはなかった。だから今にして思えばこれは随分貴重なニーオの敬語ということになるが、彼女にもそういう時代はあったのだ。


 そんなことを知る由もない私は、自分の言葉に自分で驚いていた。


 だと?


 すべて枯れて倦んだはずの、この私が、佳い名だなどと世迷言を吐いたのか?


 ───彼女に。


「ニーオリジェラ。少し、話をしよう」


 告白しよう。私はこの時点で、彼女に惹かれていた。正直なところ、小神であるはずの私が導かれたように出逢った瞬間、運命は決していたのかもしれない。

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