流転の化者

蒸し芋

第1話

 一九三〇年代の一時、煌びやかに映える光が上海の街を彩る。その中でヨーロッパ系の顔立ちに緑色の長髪をした少女が一人、ある場所を求めて彷徨っていた。手元にある情報は、人づての口伝と余りにも頼りないもの。だが、本人は自身の経験から養われてきた鋭い勘で、だんだんと目的地を手繰り寄せていく。

 この場所が魔都と呼ばれる周囲の環境は、お世辞にも倫理が伴っているなどとは言いがたい。春を売る女、荷物を運ぶ奴隷、それを監視している商人。酒瓶を振り回して騒ぐ軍兵士の一団が、大仰に通りを跋扈ばっこしている。脇の路地裏へと目を向けてみれば、明らかに堅気かたぎではない肩身の狭そうな者がたむろしている。阿片アヘンの薬に溺れ、横たわる中毒者も確認できた。

 悪臭放たれる細い道を意に介さず、どんどん奥へと足を踏み入れていく。貧民街のような簡素な造りの家々をさらに抜けたところだった。歩く少女よりも背丈の低いストリートチルドレンの子供達が、周囲に人懐っこく群がってくる。

「お姉ちゃん、なんかちょうだい?」

「なんでも良いよ、お腹が空いてしょうがないの」

「お金が欲しいな。お菓子でもいいから」

 どこの国も似たように貧しく飢えているのかと、一つ溜息を吐いてしまう。鞄から数枚の紙幣を取り出し、中国語を喋る子供達に手渡した。彼らは一頻り喜ぶと、ありがとうと告げてその場を去っていく。様子を見守って、姿が見えなくなるまでその場に留まった。

 再び目的の場所を探し始めて歩き出す。裏通りに出て川が流れているのを発見し、目的地の場所がそう遠くないことを理解した。

 そのまま細い路地のいくつかを曲がり、風変わりな堤燈ちょうちんをぶら下げている小さな民家が視界に納まる。隙間風すきまかぜの差し込みそうな木製のドアの前に到着すると、結んでいた口を数時間振りにほどいていく。

「ごめんなさいね。こちらに天眼てんげんの方がいると伺ったのだけど、ご在宅かしら?」

 続けざまに小さなノックを数回。返ってくるのは、年季のある女性のしゃがれた声が一つ。

「開いているよ。お客さんなら、入ってきておくれ。私は既に、体へガタがきていてね」

「失礼するわね?」

 ドアを開ければ、錆びつく蝶番が軋んだ音を立てた。中には簡素な造りの生活空間が広がり、初老の女性が布団をかぶり横になっている。部屋は薄暗く、多少の埃が鼻につく。寝たきりのように見える肌は、血色のおだやかな表情をみせていた。

「おやまあ、西の人が訊ねてくるとは珍しい。随分と流暢に喋るもんだから、てっきり同郷の人間かと思ったわ。いやはや、それにしても小さい娘さんというのもまた」

「発音を褒めてくれてありがとう。人づてを頼りにここまで来たのだけど、貴方は人探しが得意だと聞いたわ。ぜひ、私の探し人がどこにいるのか、占ってくれないかしら?」

「そうさね。それなら、空いてる椅子に座ってくれるかい? 私のやり方には、少しくせがあるんだよ」

「わかったわ、よろしくお願いするわね」

 少女は部屋の中にあった椅子の一つに座ると、自分の鞄から財布を取り出す。女性は少し笑うと、上半身を起して少女の全体を見回した。そして、柔和だった目元が締まるように力を増す。多少丸まっているが、若年は切れ長の端正な顔立ちを連想させる。

「お代は貴方が満足した分だけで良い。私のこれは、商売ではありませんからね」

 口調が変わり、少女は少し不思議な顔をしだす。なにかに気づいたらしい女性は、態度を改めてかしこまる。

「どうしたの、私の言葉がおかしかったのかしら?」

「いえいえ、貴方はどうやら私より長く生きておいでのようだ。失礼致しました」

「よくわかったわね。それも、天眼のなせる技なのかしら?」

 少女が二度ほど天眼という言葉を使う。これは人知を超えた能力を持つ人間を指し示す名である。天からの眼、即ち天から力を授けられた者を指して呼ばれる総称だった。しかし、世間からは普段の人とは外れた忌避される者を指している。

「そうなりますね。なにより貴方は、見た目の割に落ち着きすぎていますから」

 ククッと、少女が小さく笑いながら手を口元に当てだす。

「それはよく言われるわ。私が他より老けてる証拠ね。さて、探して欲しい人物がこの世にいるかどうかから聞きたいのだけど。良いかしら?」

「ええ、わかりました。しかし私めにも準備がございます。それには一つ、貴方に手伝って頂かなければならないことがあるのです」

「なにを手伝えば良いのかしら?」

「それは貴方のこれまでの生立ちを私が知ることです。特に会いたい者のことを細かく教えて下さい」

 コクリと一つ頷いてから、両手を組んで女性を見る。これから相手へと伝える語り。それは一匹のサカと言われる化物の、泥のような生き様でもあった。独白のように話し始める。

「私の名前は、ミレア=ブーランジェ・イバ。遠い昔に世界のどこかで厄災を振りまいた一匹の獣よ。私は全てを失ってから生れ落ちて、今はこの場所で占術師せんじゅつしを頼ってきたわ」

 一旦、話を区切って口を閉じた。周りに喧騒はなく、少しの静寂が場を支配していく。ミレアの中で一人の青年が思い浮かぶ。おのが身をがすほどに求めて止まない存在、遠い過去にもう一度会おうと約束した相手。心の中で、今も只ひたすらに手を伸ばし続けている。

「昔のすたれた話しよ。私は、一国の王とめかけの間に一度目の生を受けた人間だった」

 長い長い、御伽噺おとぎばなしのような昔話が始まった。


     ◇


 今とは違い、甲冑を纏った騎士が争っていた時代のこと。ある国に一人の王がいた。彼の周りには正室の王妃、側室の女、そして一番の寵愛ちょうあいを受けていた妾の女がいた。

 妾は城の離れに素朴な一室が与えられており、彼女の元々の身分は侍女じじょの一人である。王が見初みそめると、侍女はいきなり王族が一歩手前の状態まで一族の仲間入りを果たす。しかし卑しい身分の人間だと揶揄され、王は体裁を整えるために今の部屋を与えたのだった。

 不自由さと自由さを兼ねた部屋の中で、一組の母と子が嬉しそうに話をしている。子供が窓の外を指差すと、母親であるデジレがそれに答えるため視線を動かす。

「お母様、あれはなんです?」

「あれは駒鳥よ。可愛いでしょう、ミレア?」

「はいっ! お母様、あの鳥さんたちも、お空を羽ばたいてどこかに行くのですか?」

「ええそうよ。もう少ししたら、冬を越す為に遠くへ飛んでいくわ」

 六歳になったばかりのミレアが興奮したように鳥を観察し続ける。椅子の上で足をパタパタと揺らしながら外を見ている様子は、好奇心の塊のような年相応さを感じさせた。愛情を育み中睦まじくしていると、不意にノック音が響きだす。

「失礼致します」

 デジレにとって、かつての仕事仲間だった侍女が頭を下げながら入室してくる。後ろには何人かの連なる者、そしてミレアにとっての父親である王が顔を覗かせた。

「お父様!?」

「ミレアよ、元気そうだな?」

 ミレアがデジレの元から離れ、嬉しそうに王へと近づいていく。父親である王も、それに答えて溺愛する愛娘を抱擁した。

「調子は変わりないか、デジレ?」

「ありがたきお言葉、感謝致します。私もミレアも、健やかに過ごさせて頂いております」

 王がミレアを抱えながら、デジレの畏まる姿を見つめる。

「ふむ、そうか。ミレア、今から城内の庭を散策に行くのだが、一緒に行くか?」

「はい、お父様っ!!」

 デジレが二人の様子を微笑ましく眺めながら他へと顔を映す。すると、いつものように王に連なっている者達から様々な視線が飛び交ってきた。嫌悪、憎悪、嫉妬のような圧迫感がデジレの心を抉る。彼女はそれに対し、感情を隠すように笑顔を作り続けた。王とミレアが部屋から出ると、続いて王に連なる者達も後に続く。一番最後にデジレが部屋を退出した。

 中庭に出ると、ミレアが嬉しそうにはしゃいで庭を駆け回る。途中で危なしげになり転びもするが、まるでお構い無しにしていた。娘の無垢な姿を王とデジレがとても愛しむように見続ける。

「あ、鳥さん!?」

 一頻り遊び疲れたミレアが声を上げて、子供特有の無尽蔵な精神力を発揮した。座っている姿勢から立ち上がると、すぐさまに鳥へ向かって走り出す。そのまま走っていくと、あるところで王たちとは別に他からやって来た一行がミレアを止めた。

「ミレア様、走れば転んでしまいます。余り、粗相はなさりませぬよう」

「はしたない。きちんと教育係を設けぬから、このように品の無い見てくれになってしまうのか」

 ミレアが足を止めてみると、女王の一行が全員ミレアのことを見ていた。恐怖心からビクリとしてしまい、大人たちの顔色を窺う。女王の視線が王とデジレの方へ向く。

「デジレ、貴方が任せて欲しいと仰るから、教育係をミレアに付けずにいるのですよ? 余り見苦しい様を私に見せないで欲しいわね」

「申し訳ありません、女王陛下様。私の不徳の致すところであります」

「まあ良いではないか。ミレアはまだ六つなのだ、そこまで焦る必要も無い。ましてや継承権を持たぬ身なれば、さほど問題にもなるまいて」

 王が自分の正式な妻である女王に、構う必要が無いといった態度を示す。ミレアは会話のやりとりについて行けず、走ってデジレの後ろに隠れた。デジレはなにもせず、じっと王と女王のやり取りを見守るしかない。

「王である貴方は宜しいでしょう。ですが、周りへの体裁というものがあるのもまた事実です。子は親の鏡なのです、教育を施さねば後々の家名に傷を付けかねません」

「ふむ、確かに。しかしだな、親が子を見守ることも大切だと私は思うが? となれば、教育係はデジレが必要だと考えた際につけるべきだ。これに、お前が口を出す必要はあるまい」

「わかりました」

 女王は王の意見に渋々といったていで、取りあえずの納得をする。デジレは王に守られたことに内心でほっとした。デジレは女王からの要望で、ミレアに教育係をつけることを拒んでいる。それは教育係を通し、女王にミレアの詳細なことが伝わるのを危惧したからだった。

 女王には自身の子として、三人の息子がいる。デジレにとって、ミレアが頭の良い子なのかは判別できない。だが、自身の子が優秀であった場合は状況が違ってきてしまう。周りの人間がミレアに対しての扱いを変えてくる、これは明白だった。

 出来損ないは相手にもされないが、優秀であったとしても周りから嫉妬される可能性が高い。ましてや、元は侍女という身分がそれに拍車をかける。

 女王の子より頭が良いと噂された日には、きっとデジレもミレアもどんな目に会うかわからない。そのためデジレが望むのは唯一つ、娘に対して周りの目が行き届きにくい環境を作ること。彼女はミレアにとって不自由のない静かな生活だけを望んでいた。

 女王は上顎を持ち上げて扇子を広げると、ねめつけるようにしてデジレへと声をかける。

「デジレ?」

「はい、女王様」

「自分で言い切ったのですから、責任を持ちなさない。私は家名に泥を塗るようなことを許す気はありません」

「畏まりました。身勝手な言葉にお許しを頂き、感謝をお申し上げます」

 デジレが深々と一礼したことを確認し、女王一行は場を去っていった。


     ◇


 人が寝静まるような夜更け、まだ霧立つ朝には遠い時間に廊下でノック音が響く。平均よりやや小柄で腹の肥えた男、端正な髭を撫でつけながら合図を待つ。

「よい、入れ」

「失礼致します」

 女性の声に恭しく応えると、男は片目だけを開けるようにして入室していく。彫の深い豪奢な扉を閉めきると、目の前で女王がワインを飲みながら苛立ちを見せていた。揺らめく蝋燭は皴を際立たせている。男は深々と一礼して、女王の様子を窺う。

「大臣、こちらへ来て座れ」

「はい」

 大臣は短く息をいて言われた通りに従い、深く沈むソファーに腰かける。一度髭を撫でつけると、柔和な笑みを浮かべていく。

「火急の用とお聞きしておりますが。一体、どのようなご用件でしょうか?」

「フン、なんの冗談を言っている? 解っているくせに内容を聞いてくるとは、随分と意地が悪い」

「いえいえ、滅相もございません。私のような愚者には到底、女王様の考えを読めるような、賢人の知恵はありませぬゆえ」

「キレ者のお前がよくも言うものだ、まあいい。お前もわかっていると思うが一人、――いや、二人だな。城から消して欲しい存在がいる」

 グラスの中にある紫色の液体が波紋を作り出す。手に力を加えられたのが、一目で確認できた。

 大臣は、やはりといったように目を細める。女王の向いている先を考えれば、だいたいの予想が彼の中でついていた。対象は女と子供の二人のみ、案外と簡単な仕事で済みそうだと心の中で安堵する。

「デジレとその娘のミレアだ。あれを内々に始末して欲しい」

「ふむ、穏やかではありませぬな。内容によっては、中々に骨が折れそうです。あれは卑しくも王の目が行き届いていますゆえ。決行は可能でしょうが、一つ理由をお聞かせ願いませぬでしょうか?」

「皆知っていることだ、もちろん私もお前もな。我が夫はあれにご執心でな、他のことに見向きもしなくなったっ!!」

 女王が持っていたワイングラスを投げ捨てる。赤を基調とした金のラインが走るヴェネツィアン・グラスが粉々に砕け散った。肩を上下させ烈火の興奮を落ち着かせたあと、再び口を開く。

「わかるか? 私にとって、最早あれは邪魔以外の何者でもないのだ。子が男児でないことには安心したがな。もしそうだった場合は、どこかの馬鹿貴族が担ぎ上げる可能性はあった。しかしだ、我が夫が忌々しいデジレに寵愛を向けている限り、次の子を孕む危険性がある。それはなんとしてでも阻止しなければならない」

 デジレの存在自体が気に入らなかったが、それ以上に第二子で男児を生む可能性がある。女王は、自分が生んだ子達の地盤が揺らぐことを一番に危惧していた。

「大臣、あの汚らわしい盗人の女をどうにかできぬものだろうか?」

「そうですな。ふむ、では一考致してみましょう。――例えばのお話になりますが、最近の地方では賊に関する問題が頻発していると聞いています。囚人の一人を賊に仕立て上げ、城に放置いたしましょう。どうせ吐き捨てても、湧き水のように溢れ続ける連中です。後は賊の仲間が妾と子を奪って上手く逃げおおせたことにすれば、誰にも解りますまい」

 大臣が顎に手を当てて、何気なく思いついたことを話す。女王は笑いを堪える為、手を口元に当てた。

「ほう、中々に良い手を思いつく。して、見張りの兵はどうする?」

「それは酒を差し入れるか直に金を持たすか、私の息が掛かった者を当日の担当にでもすれば宜しいでしょう。あとは城外の北の方には茂った森が在りますので。そこいらで首でも落とせば、女王様のご満足いただける結果に、なられるやもしれません」

 女王は少しの間だけ思考に耽ってみた。大臣の案がまともな意見だと思い、他の問題点を提示していく。

「しかし、我が夫は直ぐにあの盗人の女を探し始めるぞ?」

「そこはまあ、死人に口無ということでしょう。死者は蘇ることがありません、女王様のお立場は安泰かと存じます。万が一、我が王が女王様を疑うことがありましても、証拠が出なければそれまでのことです」

「采配は任す、近いうちに決行せよ」

「御意に」

 女王が嗤い大臣が畏まる。窓の外の闇は深く、夜が明けることもない。


     ◇


 その日、ミレアとデジレはいつもの様に部屋で仲睦まじくしていた。暖炉で焚かれている火は暖かく、漏れる橙色は二人を囲むように全体を照らす。本を読んでいたはずのミレアが、いつの間にか窓へと張り付いている。

「どうしたのミレア?」

「お母様、お外がうるさいのです。なにかあったのでしょうか?」

 ミレアが窓から外を覗くように、母親であるデジレも後に続く。丸い窪みのあるガラスに手をかければ、一瞬の凍えるような冷たさから慣れるまでに数秒を要す。中広場を見下ろしてみれば、平民の格好にぼろ布のマントを上から羽織った不審者が場内を走り回っていた。さらに、衛兵が追いかけるように通路の奥から現れる。両手に持たれているハルバートの刃が反射光によって光り、これからの光景に予測が先立つ。

 デジレは咄嗟にミレアを窓から離し、両耳を塞ぐようにする。

「ミレア、これ以上は窓の外を覗いては駄目よ」

「どうしてですか、お母様?」

 ミレアが小首をかしげ、言葉の意味するところが解らずに聞き返す。あとは一秒とかからずに答えが出てしまう。

「ギャァアアアアアアアアアアッ!!」

 男性特有の太い断末魔が聞こえ、ミレアがデジレの服を強く掴む。デジレは軽くまぶたを伏せて、外で切り殺されたであろう男が天国へ行けるように心の中で祈った。包んでいた場所から小さく震える声が聞こえてくる。

「お母様、こわいです……」

「大丈夫よミレア、なにも怖くないわ」

 王が用意してくれた部屋は手厚く守られている。何も心配はいらない、安全だ。そんな安心感も呆気なく消え去る。

 バンッ!!

 いきなり部屋の扉が開け放たれ、五人ほどの覆面をした人間が乗り込んでくる。デジレは自分たちがいる場所には、なにも被害が及ばないと過信していた。とっさに起こった余りの出来事に悲鳴をあげる暇すらない。一瞬で二人の口元が塞がれる。もともと用意されていたであろう布が強引に口元へと巻かれていく。

 母娘が揃って猿轡さるぐつわを噛まされた状態になり、さらに一人がすっぽり入りそうな麻で出来た袋に一人ずつ押し込まれる。二人とも激しく抵抗をしようと暴れたが、簡単に肩に担がれてしまった。

「撤収だ」

「ああ、了解だ」

 見知らぬ人間が乗り込んでから部屋にいた時間はたったの二分もなく、誰もいなくなった部屋は何の証拠も残さないままに放置された。部屋を出て袋を担いだ二人だけが階段を駆け下りていく。裏門へ急ぐと途中で衛兵に止められた。男二人は慌てずに対応し、衛兵が一人へと耳打ちする。

「左の通路は、今回の一件で息が掛かっていない連中が待機している。行くなら右から抜けていけ」

「ああ、わかった」

 全てが段取りに則られた計画だった。

 衛兵は男たちを通して何事も無かったように警備をし、袋の中にいたデジレとミレアがもがいて再度の抵抗を試みる。だが、男たちはそれを意にも介さずに裏門へ急ぐ。目的の場所へ到着すると、用意された馬車の中で袋から出される。デジレとミレアが閉められる粗末な馬車の扉を見た瞬間、明日へと続く道が閉まった感覚に陥った。

 喋ろうにも猿轡を噛まされ、上手く喋れない。ウーッと、唸り声をあげるだけ。いつの間に縛られたのか、両の手には縄が巻かれて取り外すことも出来なかった。


     ◇


「お母様。私たちは、どこに連れて行かれるのでしょうか?」

「大丈夫よ、貴方は安心していなさい。私と一緒にいれば大丈夫だから」

 ミレアが縋るようにデジレへ抱きつく。母親は不安を必死に抑え込みながら笑顔を絶やさずにいる。デジレは侍女の時に培った持ち前の器用さで、自身とミレアの猿轡になっている布だけは何とか取り外すことに成功した。しかし、縛られている両の手の縄を外すことは、余りの頑丈さ故に叶わなかった。

 簡素な造りでできた馬車の荷台は荒い振動を伝え、時折に衝撃を起こして揺れながら森の中へと入っていく。ミレアは泣きそうになりながら、馬車の揺れとは違うリズムを肌で感じ取る。

 デジレの腕が小刻みに震えていた。恐怖にかられた拒否反応が体に現れた状態なのだと、ミレアは子供ながらに気づく。自身が恐くてしょうがないが、それはデジレも同じことだった。先ほどまでは、確かに自分たちは暖かい温もりのある城内にいたのだ。

 たった瞬きをする時間で、罪人のような扱いに様変わりしていた。

「ミレア、しっかりと私に掴まっていなさい。直ぐにお父様が助けに来てくれるわ」

「……はい」

 子を持つ親の責任感からか、デジレがミレアを励まし続ける。どこまで馬車は揺れていくのだろうか。ミレアは今にも泣きだしそうになりながら考えた。終点が寂しい場所だと気づいたのは、それからほどなく経った頃だった。深く人が立ち入らないような場所で、男の一人が馬車の鍵を解錠して扉を開けだす。

「出な。早くしてくれないと、俺らの仕事が増えるんだよ」

「私と娘をどうするつもり!?」

 デジレが窮した声で威嚇するが、全く効果がない。男は肩を竦めると首を軽く鳴らす。

「どうするも、こうするも。あんたらに外へ出てもらわないと、こっちが困るんでな」

「いやっ! 離して!?」

「お母様ぁ!!」

 男が馬車に乗り込んで、デジレを引きずり出した。ミレアが必死にデジレのドレスへとしがみ付く。抵抗も虚しく、なすがままにされてしまう。一人の男が実に辛気臭い顔でぼやく。

「あ~あ、もったいねぇ。奴隷にして売り飛ばすなり、犯すなり好きにさせてくれりゃ良いのにな。わざわざ殺す必要もないだろうよ」

「仕事主は大臣様だ。俺たちは色を出さないで、堅実に命令を実行すりゃ良いんだよ。証拠として母親の首を持ち帰る以外は、放置して良いらしいからな。こんな深い森の中だ、動物の餌になって跡形も残らねえだろうよ」

「違いねえ」

 この時、二人の男が言った台詞でデジレは自分とミレアがどのような結末になるのかを悟った。母親としての防衛本能があらん力の限りを振り絞り、懸命に娘の命請いを始める。

「やめてっ!! ミレアだけは、子供だけは殺さないでっ!!」

「あんたには恨みが無いけどな、こちとらこれが仕事なんでね」

 気軽に声をかけてくる男の言葉は呑気そのものだ。片手間の作業かのように、ミレアの髪の毛を鷲掴みにして引きずっていく。

「お母様ああぁああっ!!」

 男の携えている斧の刃が、月明りに照らされ鈍い光を盛大に放つ。ミレアの視界に収まった反射する光、それは何にも代え難いほどの恐怖の象徴として映った。

「やめてぇぇええっ!!」

 デジレは半狂乱になって叫び、男が切り株の上に華奢なミレアの体を乗せる。片足をその上から乗せて、完全に体を抑え付けた。木こりの切り倒した場所で、二度目の切り倒しが始まる。

「カハッ」

 ミレアはか細い呻き声と共に、肺が圧迫されて呼吸が困難になる。男はそのまま構わずに斧を振り上げ、落下寸前のギロチンのように振り下ろす準備をしていく。仕事として犯す殺人に、容赦は一片たりとも存在しない。

「まあ、恨むんなら大本の雇い主の女王を恨むんだな」

「いやぁぁぁあぁああああああああああああああっ!!」

 デジレの叫び声が深い深い森中に木霊す。ミレアが最後に見たもの、それは顔中が歪んで泣き叫び続けるデジレの顔と、自身を抑え付ける男の姿だった。

 ズグッと、肉に刃がめり込む鈍い音がした。振り下ろした斧で首の骨ごと真っ二つに、ミレアの頭部と胴体が分離しだす。目が開いたままの頭部がゴロリと転がり、切断面からは大量の鮮血が噴水のように溢れ出していく。

「ああああぁあぁぁぁぁああああっ!!」

「騒ぐなよ。どうせ、今からあんたも同じ目にあうんだからな」

 男が泣き別れしたミレアの胴体を足で蹴飛ばし、切り株から退ける。最早叫び声をあげ続ける半狂乱のデジレが、ミレアの亡骸に近付こうとしていく。行為もむなしく容赦ない男の力が体の自由を奪う。

 問答無用でミレアと同じように、体が切り株の上に乗せられる。再度、先ほどと同じように上から抑え付けられた。

「じゃあな、天国へ行ければ良いけどな。人の旦那を奪った惨めな末路だ、行くのは地獄の門だろうさ。審判を下す奴に会ったら、宜しく言っといてくれや」

「あああぁああぁああああああああああ――

 男が斧を振りかぶり、そのまま勢いよく振り下ろす。泣き叫ぶデジレの頭部と胴体が、ミレアと同じように分離した。

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