わらしべ庶民
もう我慢ならん。庶民たちの怒りは爆発した。お偉い方の不正、腐敗、湯水のように注がれる利権団体への裏金と、どんどん上がる意味不明な税金たち。ひとびとの怒りはやがて、ひとつの突飛な発想に結びついた。「俺たちの通貨をつくろう」政治家たちがどれだけ金を巻き上げようが、その使い道をなくしてしまえばいいのだと。そんなウワサが流れたとき、俺は激怒した。狭くて古くて汚い部屋で、五年間必死で修業して、ようやく満足にニセ札がつくれるようになってぼろ儲けってときに、なんだって?
俺の怒りをよそに、人々は新しい通貨を探し始めた。電子通貨? 年寄りと子どもに優しくない。宝石? おまえはガラスとダイヤの区別がつくのか? やっぱり金属? 入手と加工が難しい。俺はひやひやしながら状況を見守った。「手先が器用だから、きっとみんなを幸せにする細工職人になれるね」とほめてくれたばあちゃんを裏切って、悪事に手を染めた矢先にこれだ。ばあちゃんの呪いかもしれない。
最終的に試験運用が始まったのは、貝殻だった。軽くて、形が変わらなくて、穴を通せばもち運びだってしやすい。おまけに、はるか昔に使われていた実績もある。表面に複雑な意匠を彫り込んだ貝殻を、人は通貨の代わりに使い始めた。まずは近所の八百屋、それから地元の商店街、それからリベラルな企業が賛同をしめして、一気に使える幅が広がった。青色の釣銭トレイにシジミの貝殻が並ぶようになり、ハマグリの殻でアイスコーヒーを手に入れ、ホタテの殻はキレイな柄のスカートに代わった。冷笑していた政治家の顔色を変えたのは、農家だった。肉も魚も果物も、支払いは貝殻しか受け付けないという声明が出たことで、形勢が変わった。お気に入りの料亭がことごとく閉まって初めて、彼らは事の重大さに気づいた。
驚くべきことに、新しい通貨は「ニセ」という概念がなかった。味噌汁の具材だった殻を洗って、自分で決められた意匠を彫ることができれば、それは通貨として認められた。といっても、親指ほどの貝殻に彫るのは至難の業だったし、意匠のうつくしさで価値が変動したから、多くの人は貝殻を貯めては職人のところへ持っていった。俺はいつの間にか、非合法の罪人から、正規の職人になっていた。金はいくらでも作れるから、依頼料は現物で要求した。俺は持ち込まれた米や服や靴と引き換えに、貝の金を作った。俺の作った貝の金は芸術的価値が付加されるとかで、人気になった。職人の中には宝石でしか請け負わないだとか、桁違いの現物を要求し豪邸を築く輩もいたけれど、俺はどんな相手からも一日分の食糧で請け負う代わりに、どんな奴も優先しなかった。黒塗りの車でやってきてずっしり重たい「心づけ」を渡そうとする相手を待たせて、先に来た子どもから、同じだけの仕事を魚の干物一枚で受けた。物置にも財布にも、相変わらず金はなかったけれど、ありがとうと言われることが増えた。別に仏の心とかじゃない。単純に依頼が来なかったときのくせが定着してしまっただけだ。
ひとかけらのパンとあどけない笑みの引き換えに、今日も俺は金を作っては手放し続ける。あいかわらず部屋は狭いし汚いけれど、写真立ての中のばあちゃんの笑みは、心なしか深くなった気がしている。
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