【2分小説】つまみ小説

湾野

不在証明

 彼女が死ぬ代わりに縮み始めて十年になる。メッシュで口を覆った牛乳瓶をのぞき込んでさがすと、彼女は体と同じくらいの大きさの金平糖をかじっていた。わたしが見ていることに気づくと、両手を大きく広げてぴょんぴょんその場で飛び跳ねる。小さすぎて表情は見えないけれど、元気だと訴えてくれているらしい。

 不思議なことに、身長が五十センチを切ったときくらいから、彼女は背が縮むにつれて元気になっていった。あれほど白かった顔は血色をとりもどし、弱々しかった声には張りが戻って、それは単に骨格的な問題だったのかもしれないけれど、とにかく健康面では問題ありませんと医者に見送られながら、わたしは彼女を腕に抱いて帰った。

 背丈が十センチを切ったとき、床を横断中の彼女をあやうく掃除機で吸い込みそうになって、わたしたちは同じスペースで暮らすことを諦めた。熱帯魚用の水槽、金魚鉢、二リットルのペットボトルときて、今の住処は四か所目だ。小さすぎる彼女の声はもう届かないので、いつしかジェスチャーがわたしたちの言葉になった。わたしは瓶から数歩はなれて、左手に持ったマグカップを振る。彼女は両手で丸をつくる。冷蔵庫から冷たいミルクを取り出して、先の細いスポイトで少しだけ吸って、人形用のちいさなカップの中に満たした。彼女はその自分の上半身くらいあるそのカップに駆け寄ると、子猫みたいに顔をつっこんでぺろりと舐めた。

 彼女を見失う日は、それからすぐにやってきた。虫眼鏡でどこを探しても、彼女は見つからなかった。もしかしたら下に敷いた脱脂綿のすき間に落ちてしまったのかもしれない。あるいは、メッシュのすき間から忍び込んだ羽虫に食べられてしまったのかもしれない。わたしは日に何度も空っぽに見える瓶の中をのぞきこんだ。せめて彼女の一部でも見つかればあきらめがついたのに、まるで気体にでもなったかのように、彼女はどこにも見当たらなかった。 

 わたしは瓶をそっと抱えて、病院に持っていった。事情を話して最新の顕微鏡でのぞき込むと、脱脂綿の糸の格子部分で、大の字になっている彼女らしき影が見えた。こちらがのぞき込んでいる子に気づかない彼女は、よく見慣れた寝姿のまま動かなかった。帰り道、道端のたんぽぽから真っ赤なテントウムシが飛び去った。わたしは群れて咲くたんぽぽをじっくりと眺め、虫のいない、綿毛のきれいな一輪を摘んだ。家につくと、メッシュをはずした瓶の中に摘んできたたんぽぽをそっと挿す。やがて風が吹いて、こぼれた綿毛が窓の外に飛んでいった。夕焼けのなかをふらふら漂う、きっと彼女が掴まっているはずの白い綿毛は、やがて点になって空に消える。すべての綿毛が飛んでいくのを見届けると、わたしは立ち上がり、裸になったたんぽぽの茎を折って瓶の中に詰めると、ぱっくり開いたゴミ箱のなかに押し込んだ。

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