第2話


 とある屋敷の一室。

 一番広い部屋、そこに置かれた大きなベッドの周囲に数人の人物が集まっている。

 先ほどまでは夫人の苦しむ声が聞こえていたが、今はそれも落ち着いていた。


「──おぎゃあおぎゃあ!」

 その中で元気な泣き声と一緒に生まれたのはこの屋敷の第一子だった。

 赤ん坊の特権ということで、泣きじゃくることをとがめるものはもちろんいない。


(と、止まらない! 泣くつもりじゃなくて泣くのってすごい疲れる!)

 先ほどこの世界に産声をあげた赤ん坊、それが山田幸作の転生した姿だった。

 彼は赤ん坊の姿だったが、過去の記憶を持ったまま生を受けていた。


「ふ、ふわ、ふわあ」

 鳴き声が徐々に収まっていく。

 それが彼の自制心によるものなのか、自然に収まったのかはわからない。


「おぉ、元気な男の子だ! よくやったぞ!」

 へその緒が切られ、お湯で洗われ、布で拭かれた彼(幸作転生体)を男性が抱きかかえた。


 男性の名前はニコラス。

 金髪で整った顔立ち、年齢は三十の少し手前といったところで、ガッシリとした肉体をしている。

 燃えるような赤い眼は、火系統の魔眼であることを示していた。


 そして腕の中の我が子を愛おしそうに見つめる表情は彼が父親であることを物語っている。

 反して生まれたばかりの幸作はまだ目がよく見えておらず、ニコラスの顔を確認できずにいる。

 しかし、父の腕の中は落ち着くのか表情は穏やかなように見える。


「ふふっ、目鼻立ちがあなたによく似ていますね」

 そう穏やかに声をかけた女性の髪の色は濃い青色でストレートの髪を下ろしている。

 地球で街を歩いていたら、十人中十人が振り返りそうなほどの美人である。

 恐らく彼女が赤ん坊の母親である。

 彼女の眼は透き通るような緑色をしており、こちらは風の属性の魔眼だった。


「口元はルイザ、お前にそっくりだ。こいつは将来男前になるぞ!」

「きゃっきゃっ」

 いわゆる親バカの類だが、その声が聞こえている赤ん坊(幸作転生体)は嬉しい気持ちになり、自然と笑顔になっていた。


「あなた、もう名前は決めたのですか?」

 ルイザと呼ばれた女性は聖母のような笑みを浮かべてニコラスに問いかける。

 こちらの世界では古い習慣で、男親が子どもの名前を決めるという習わしがあった。


(名前……なんだか、緊張するな)

 新しい名前。幸作がこの世界で生きていくうえで、共に生きていくことになる名前。


 それが今から発表されるとあって、緊張が高まっている。

 赤ん坊であるというのに緊張した表情になっているのは違和感がある。

 しかし、部屋にいる全員が名前に注目しているため、彼の表情の変化は気にもとめていない。


「あぁ、もちろんだ! もう決めているぞ……」

 ニコラスはそう口にすると一瞬タメを作る。


「──我が家の大事な長男、お前の名前はアレクシスだ!」

 幸作のこの世界での名前が高らかに宣言される。


「まあ、とてもいい名前ね。うふふっ、アレクシス。元気な子になりそうだわ」

「きゃっきゃっ」

(アレクシス……アレクシスか。うん、なかなか格好いい名前だ!)

 当の本人も気に入り、自然と笑顔になっていた。


 その後もしばらく両親に名前を呼ばれ、笑顔で反応をするアレクシスというやりとりが繰り返される。


 初めての子どもを持つことになったニコラスとルイザ。

 そして、優しそうな両親に名前を呼ばれるアレクシス。

 どちらもが幸せを実感していた。


 そんな団らんの様子を見ながら、申し訳なさそうな表情で老婆が声をかける。


「旦那様、奥様、お楽しみのところ申し訳ありませんが、アレクシス様の魔眼の鑑定を行ってもよろしいでしょうか?」

 遠慮がちに声をかけてきたのは、アレクシスをとりあげた産婆であった。

 この世界での産婆の仕事は赤ん坊のとりあげだけに終わらず、最後に魔眼の鑑定を魔道具によって行うことで完了する。


「ふむ、まだしばらく抱いていたいが仕方あるまい。しきたりに従おう」

 名残惜しそうにしながらも、ニコラスはアレクシスを産婆へと渡す。


 老婆の眼は青色をしており、彼女も水の属性の魔眼を所有していた。


(それにしても、なんか違和感が……俺の左目……見えなくないか? いや、明るさくらいはわかるけど、俺の視界……右だけ!?)

 産婆の魔眼の鑑定という言葉を聞いて、改めて自分の目のことを意識したアレクシス。

 彼は自らの右目に起きている異常事態に気づいて動揺していた。


 泣きそうになるアレクシスに構わず、魔眼の鑑定作業は粛々と行われていく。

 大きな虫眼鏡のような魔道具で産婆がアレクシスの眼を確認する。


「…………」

 最初に確認したのは右の眼だったが、この時点で老婆の表情は固くなっている。

 無言のままの産婆にニコラスとルイザ、そしてアレクシスも不安になっていた。


 産婆はそれでもなんとか気を取り直して左の眼を確認していく。


「……こ、これは!?」

 しかし、今度は声を抑えきれずに大きな声を出してしまった。


「ふ、ふわ……」

(なんだ? なにかまずいことでも?)

 産婆の反応を見てアレクシスは不安になり、今にも泣きそうになっている。


「ど、どうした? 何があったか言ってみなさい」

「何か良くないことがあったの?」

 ニコラスは険しい表情で、ルイザは不安そうな表情で尋ねる。

 二人ともアレクシス同様、産婆の反応に大きな不安を覚えていた。


「その、申し上げづらいのですが……」

 言いよどんだ産婆の言葉にごくりと息を呑む三人。


「お坊ちゃま、アレクシス様の右目は通常の目です」

 その言葉の意味がわからないアレクシスは反応できなかったが、一方で両親は驚いて目を見開いている。 

「ひ、左の眼はどうなんだ? 左は魔眼なのだろう?」

 ニコラスが慌てて質問する。

 この世界では片方の眼が普通で、もう一方が魔眼という例も稀ではあるがあるにはある。


 しかし、両眼ともに通常の眼という者はこの世界にほとんど存在しない。

 それでもいないことはないからこそ、不安に駆られながらその質問を口にしていた


「あの、左目は確かに魔眼です。魔眼なのですが……」

 そこまで口にしながらも、続きを口ごもる産婆。それほどまでに言いづらいことを抱えている様子が見て取れた。


「っ……早く言わないか!」

 思わず大きな声を出してしまうニコラス。

 普段であればルイザが咎めるところであるが、彼女も不安そうな表情のまま産婆の言葉を待っている。


「そのお坊ちゃまの左目は……白紙の魔眼なのです……」

(白紙の魔眼……。それが神様のくれた特別な魔眼か。どんな力があるのかな? いや、この話の流れだと、もしかしてあんまりよくない……?)

 産婆の言葉を聞いてのんきにそんなことを考えているアレクシスだったが、部屋の空気が重くなっているのも同時に感じていた。


「……ご存知だと思いますが、白紙の魔眼は通常の魔眼とは異なっていて、なんといいますか……目が著しく見えづらく、特別な力は何もないという……」

 産婆の言葉に肩を震わせるニコラス。肩を落とすルイザ。

 そして、言葉の意味を理解して驚愕の表情になるアレクシス。


「そ、その、ニコラス様。アレクシス様をどうぞ。私はこれで失礼させて頂きます」

 産婆は二人の様子にいたたまれず、アクレシスをニコラスに押し付けるようにして手渡すと、一礼してからそそくさと部屋を出て行った。


「そんな……白紙の魔眼だなんて……」

「なんで、うちの子がこんな目に!」

 ニコラスとルイザは二人とも目に涙をためて、今にも泣き出しそうになっている。


「だあだあ、ばあぶう(二人とも、悲しまないで)」

 悲しむ二人の顔を見たくないと思ったアレクシスは手を伸ばしながらニコラスの腕の中で声を出す。


「……ふ、ふふっ」

「……は、はははっ」

 その思いは二人に伝わる。アレクシスの言葉にならない声は、ニコラスとルイザに笑顔をもたらした。


「ルイザ、アレクシスが元気づけてくれているぞ」

「ふふっ、優しい子ね……うん、そうよね。私たちは悲しんでなんていられないわ。この先、アレクシスが辛い目にあった時に守ってあげる強さを持たないと!」

 元気を取り戻した二人は涙をぬぐい、気丈な笑顔でアレクシスの顔を見つめている。


(神様がくれた特別な魔眼だ。きっと何か色々秘密があるはずだ。それを探っていかないと)

 先ほどの産婆の言葉は確かにショッキングなことだったが、アレクシスの考えは既に切り替わっている。


「ふふふっ、それにしてもビックリしたわ。白紙の魔眼だなんて本でしか聞いたことがないもの」

「あぁ、私も見たことがない。やっぱりうちの子は特別な存在なんだ。右の黒目、左の白紙の魔眼……オッドアイというやつか。なあに、格好いいじゃないか」

 男前な笑みを見せたニコラスは抱きかかえているアレクシスの頭を優しくなでる。


「ばあぶう(よかったあ)」

「ルイザ、この子の魔眼は特別だ。そのせいでこの先、苦労することもあるだろう。だがきっと大丈夫だ。何せ、この爆炎の騎士ニコラスと暴風の魔女ルイザの息子だからな!」

 ニッと歯を見せたニコラスは自分たちの二つ名を口にし、その二人の子であるアレクシスの強さを信じることにする。


(ちょっと待った、なんかカッコイイ二つ名が聞こえたような気が!)


「えぇ、きっと大丈夫よ。でも、辛い時や苦しい時は私たちが力になりましょう。可愛い可愛いアレクシス。私たち二人はずっとずっとあなたの味方よ」

 優しい表情で言うルイザにアレクシスも安らいだ気持ちになっていく。


 しかし、話が落ち着いたところで急にアレクシスが泣き出した。


「おぎゃああ、おぎゃあああ!」

(くそ、理性で抑えられない。これが赤ん坊の欲求というものなのか! 腹が減ったああああああ!!)


「お、おぉう、ど、どうしたんだ? 急に泣き出したぞ?」

 ニコラスは慌ててアレクシスを軽く揺すりながら声をかけるが、理由がわからないため、部屋の中をウロウロする。


「おんぎゃあああああ! おんぎゃああああああ!」

 なんとかなだめようと歩き回るニコラスだったが、アレクシスの泣き声は強くなる一方である。


「っ……あなた! こっちに、アレクシスを私のほうへ!」

「わ、わかった! ほ、ほらアレクシスお母さんだよぅ。おーよしよし」

 ルイザはアレクシスが泣いている理由を感じ取り、ニコラスからアレクシスを受け取った。


「ほら、アレクシス。おっぱいですよう。もう、あなたは見ないで下さい!」

「わ、わかった!」

 こちらの世界でも母は強く、男は尻に敷かれている。

 アレクシスは食事にありつけた喜びと、楽しい両親のもとに生まれた喜びで涙が止まっていた。





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