27.片桐さんと仕事の話
翌日の月曜日、ルミエールは平穏な日常を取り戻していた。
石川様以外のお二人、長谷川様と田村様は夫々、夕食を外出先で取られたので、従業員は皆、早々に全ての業務を終わらせることができた。
悠馬さんには、私が片桐さんと仕事後に話をする予定であることを伝えていたので、彼は石川様と連れ立って食堂を去っていった。
私が食堂のテーブルに座って片桐さんを待っていると、暫くして彼はコックコートを脱ぎながら厨房から出てきた。
「すみません、お待たせしました」
片桐さんは緊張した様子もなく、いつも通り柔和な笑みを浮かべていた。
「お疲れ様です。せっかく、お仕事早く終わったのにすみません」
「いえいえ、翠川さんこそいいんですか? たまには、のんびりしたいでしょう?」
「そうですね、でも今日は……あ、あの、片桐さん……」
「はい」
私の話に真剣に耳を傾けようと、片桐さんは椅子を引き、座り直した。
いざとなると、何と話を切り出していいか分からなくなり、二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「あの……翠川さん、もしかしたら何ですけど……」
尻込みしている私を慮ってくれたのか、片桐さんがゆっくりと話し始める。
「一昨日、仕事が終わった後に田村さんが食堂の前にいたでしょ……あの日、お二人で話したことと、翠川さんが今、話そうとしていること、何か関係があるんじゃないですか?」
(あの時の私と田村様、やっぱり不自然に見えてたんだ……)
「……はい。あの日、田村様が本当にお話ししようとされていたお相手は、片桐さんだったんです」
「やっぱり……本当にすみません」
「いえ、私が田村様に片桐さんの仕事後に、いつも何を話されているのか詰め寄ってしまったので……」
「え⁉ 翠川さんが?」
「はい、大人気なかったと反省しています……」
「いえ、そんな……あの時、僕がお二人に配慮すべきでした」
片桐さんは、そう言って私に頭を下げた。
「片桐さんは何も悪くありません……あの、今日、片桐さんにお話ししたかったのは……」
私は、ひと呼吸置いてから言葉を継いだ。
「田村様がフランスでオープンする和食店のシェフに、片桐さんをお誘いしていると聞いたんです……」
片桐さんは暫く俯いて口を噤んでいた。
私は両手で椅子の縁を掴み、この場から逃げ出したい気持ちを必死に堪える。
「すみません……僕が彼女からその話を持ち掛けられた時、翠川さんやオーナーに、すぐに相談すべきでした」
「……正直、少しだけショックでした。片桐さんみたいな、しっかりした人からすれば、私なんて相談相手にはならないのかなって……」
「翠川さん、それは違います……僕は翠川さんを仕事仲間として、とても信頼しています。僕は料理人としての勤務経験は長いかもしれないけど、そんな強靭な人間じゃないですから……」
今まで見たこともないような勢いで片桐さんは話し続ける。
「田村さんから聞いているかもしれませんが、僕は彼女の引き抜きの誘いを断っています……ですが、彼女がどうしても日本人とフランス人の味覚、どちらも理解している料理人が必要だと言って譲らないんです。彼女は日本人でありながら、遠い異国で長年戦ってきました……だから、人一倍、自分の店を守りたい、成功させたいという気持ちが強いのかもしれません」
フランスにいた頃、彼らは励まし合い、幾度も苦難を乗り越えてきたのだろう。
私と田村様とでは、片桐さんと一緒に過ごした時間の長さや取り巻いていた環境に、あまりにも違いがあった。
「田村様、本当に凄い方ですね……契約終了になっていなかったら、私は今も派遣の仕事を惰性で続けていたと思います。明確な目標を持って仕事をしたことがなくて……私と田村様みたいな方とでは雲泥の差ですよね」
思わず自嘲的に言ってしまった。
「確かに彼女は精神力もあるし、優秀な人だと思いますが、初めからそうだった訳ではありません……泣いている彼女の姿も沢山見ました。僕も彼女には、よく愚痴を聞いてもらったりしてたんですよ」
「え!? 片桐さんがですか?」
「……ええ、僕の情けないところを散々、彼女には見られてしまってます」
そう言って片桐さんは昔を懐かしむように目を細めた。
「意外です。片桐さんは完璧で優等生なイメージしか……」
「フフ、あまり嬉しくないイメージですね。なんかつまらない人間って言われてるような気がしちゃいますよ」
「すっ、すみません! そんな意味じゃ……」
「冗談です……オーナーにも近いうちにお話ししますが、私は田村さんにこれから何を言われても、ルミエールで働き続けたいという気持ちは絶対に変わりません」
片桐さんは私をじっと見据えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます