近所のお姉さんに監禁されてから10年経った

とおさー

砂糖蜜葉

 ——甘い。甘い毒が俺の身体を蝕んでいく。

 それは長い時間をかけて、ゆっくりと溶け込んでいった。


「夢斗くん、はいあーん」

「………………」

「ダメだよぉ食べないとぉ。お姉ちゃん悲しいなぁ…………」

「………………」

「やったぁ、ようやく食べてくれた。お姉ちゃんが作った食べ物が夢斗くんの体を形成してる。それだけでお姉ちゃんは幸せだよぉ。ゆめとくんだーいすき。大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き」

「あっ、ああっ……」

「夢斗くんどうしたの? あーあ漏らしちゃったんだぁ。お姉ちゃんの許可なしに漏らしちゃったんだ。いけないんだぁ……これはお仕置きを与えないとね」

「うっうっううう」

「震えなくても大丈夫だよ。お姉ちゃんは優しいから大丈夫。だからそんな顔しないでよ? ねぇ? そんな顔しないでそんな顔しないでそんな顔しないでそんな顔しないでそんな顔しないでそんな顔しないで………………よかった。元の顔に戻ったね。お姉ちゃんは君のそんな表情が好きだよ。だからいつまでも一緒にいようね」



「うわぁぁぁぁ!」

 飛び起きる。全身から汗を吹き出している俺は必死に深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

「大丈夫だ。大丈夫」

 言葉にしないと不安に押し潰される。だから俺は大声で言った。

「自由だ!」

 本当は分かっている。解放された今でも心の奥底には彼女が住み着いていることに。

 でも認めるわけにはいかなかった。認めてしまったら自分がいなくなってしまう。そんな風にしか思えなかったから。

 擦るように顔を洗うと、俺は当てもなく家を出た。

「さむっ……」

 3月下旬にもかかわらず、気温は一向に上がらなかった。雪でも降りそうなくらい寒い。

 上着のポケットに手を突っ込むと、白い息を吐きながら住宅街を歩く。

 あれから3ヶ月が経過した。初めは歩くことすらままならなかったが、病院でリハビリを続け、ようやく一人で歩けるようになった。だからといって何もできないことには変わりないが。

 学生は春休みということもあり、住宅街に制服姿の人はほとんど見当たらなかった。そのおかげでなんとか精神を保ちつつ歩けている。

 しばらくすると公園が見えてきた。ベンチしかない小さな公園。

「………………」

 俺はいつものようにベンチに腰掛けた。それからぼうっと空を見上げる。

 これから俺はどうやって生きていけばいいのだろうか。

 そんな漠然としたことを考える。

 答えなんて出るはずがない。そんなことは分かっている。でもこのままでいることが何よりも恐ろしかった。


 だって俺は10歳の頃から10年間監禁されていたのだから。

 思い出したくもない日々。

 それは些細なことから始まった。


※ ※ ※


 小学2年生の夏頃。

 近所に高校生のお姉さんが引っ越してきた。名前は砂糖蜜葉(さとうみつは)。お姉さんは家庭環境が悪く、家出という形で引っ越しきたらしい。初めは挨拶をする程度だったが、気を利かせた両親がたびたびお姉さんを家に招き、その影響で仲良くなった。お姉さんには俺と年の近い兄弟がいるらしく、慣れた様子で俺と遊んでくれた。実の弟のように可愛がってくれたため、俺はお姉さんのことが大好きになった。初恋の相手だ。

 そんなこんなでお姉さんと幸せな毎日を送っていたある日。転機が起きた。

 クラスの女子にラブレターを貰ったのだ。初めての経験で困惑した俺はお姉さんに相談した。するとお姉さんは言ったのだ。

「断って!」

 今までの優しい声音とは異なって、鬼のように激しく叫んだ。

 それからお姉さんは豹変した。

 他の女性から俺を遠ざけて、クラスの女子と関わることを禁止された。少しでも会話をすると激しく怒鳴られた。

 夏休みに入ると、毎日家に押しかけてくるようになって、今度は外出を禁止された。外で遊びたいと言っても頑なに断られる。

 そんな状況に嫌気がさした俺はお姉さんがトイレに行っている隙に家を出た。特に当てはなかったけど限界まで走って逃げた。

 しかしお姉さんは俺の位置を完璧に把握していて、逃げても逃げてもすぐに追っかけられた。挙げ句の果てに捕まってしまい、お姉さんは微笑を浮かべながら言った。

「みーつけた。お姉ちゃんとかくれんぼしたかったのかな? でも……ダメだよ。二度とお姉ちゃんの前からいなくなったらダメだからね」


 それからの記憶はない。

 気がついたら窓のない部屋にいて、10年間そこで生活をすることになったのだ。


※ ※ ※


「もう昼か」

 呆然と空を見上げていたら、盛大にお腹が鳴った。朝ごはんを食べていないため、さすがにお腹が減ってしまったようだ。

「はぁ……」

 しかし立ち上がる気にはなれなかった。

 家に帰ってご飯を作る。

 そんな気力はなかったのだ。それどころか何もかもが面倒くさい。

 俺はベンチに寝転がった。寝転がってただ空を見る。

「………………」

 こんな生活を続けていて本当に生きていると言えるのだろうか?

 そんな疑問を毎日のように考える。

 今の俺はただ呼吸をしているだけだ。呼吸をしてただ時間が過ぎるのを待っている。到底生きているとは言い難かった。それならまだお姉さんに監禁されていた頃の方がまし。皮肉にもそう思えてしまうほどの空虚な毎日を送っている。

 しかし現状を変えようという気概はなかった。

 俺は子供のまま成長したただのガキだから。

「………………」

 相変わらず寝転がっていると、ジャリジャリと砂を踏む音が聞こえてきた。誰か来たのだろうか。

 足音はどんどん近づいてくる。視界に映ってしまったら嫌なので、俺は目元を手で覆う。

 早くいなくなってくれないかな。

 一向に気配が消えないのでそんなことを思っていると、

「あのー、隣いいですか?」

 声をかけられた。

「………………」

「聞いてますか? もしかして寝てる?」

 ふわりと甘い香りが漂ってきた。声の高さからも間違いなく女性だろう。しかもそれなりに若い女性。

「…………」

 手がブルブルと震えるのを自覚しながらも、無言で寝たふりを貫き通すことにする。

「震えてる……大丈夫ですか⁉︎」

 そう言いながら俺の体を揺すってきた。

「ひっ——」

 我慢できなくなった俺は女性の手を振り払うと、這いつくばりながらベンチから離れた。

「ちょっと待ってください! 大丈夫なんですか!」

 女性は俺の方へ近づいてくる。そこで初めて彼女の姿が視界に入った。

 ボブカットですらりとした体型。特徴的な大きな瞳から朗らかな印象を受ける。制服に身を包んだ彼女は心配そうに見つめてくる。

「だ、だいじょうぶだから……」

 綺麗な少女だと思った。客観的に見てとても整った顔立ちをしている。しかしたとえ綺麗であってもそんなことは関係なかった。

 ——10代の女性。

 俺は無条件で彼女らのことが恐ろしかった。見ているだけでお姉さんのことを思い出してしまうから。だから俺は10代の女性、特に女子高生のことが恐ろしい。震えが止まらなくなってしまう。

「大丈夫そうには見えないんですけど?」

「だ、だいじょうぶ。いつもこんな感じだから」

「それって全然大丈夫じゃないのでは?」

 彼女は心配そうな声音で聞いてくる。その仕草の一つ一つがお姉さんを連想させて、滝のように汗が出る。寒さなんて一瞬で消し飛んだ。

「すごい汗……もしかして熱でもあるんじゃないですか?」

「だ、だとしても大丈夫。ここから家まで近いから」

「そうですか」 

 とにかく、今すぐ俺の近くから離れてほしい。心からそれを願った。

 でも彼女は側から離れようとしない。このままでは埒があかないと思った俺は震えながらベンチに腰掛けた。

「隣失礼しますね」

「…………」

 するとつかさず彼女が座ってきた。俺はベンチの端によって最大限距離を取る。

 それに気づいたのか彼女が苦笑いをした。

「もしかして私嫌われちゃいました? すみませんだる絡みしちゃって……」

「そ、そうじゃないんだ。お、俺はその……女性恐怖症だから」

 彼女は何も悪いことをしていない。だから正直に話した。

 すると彼女は目を見開いて、

「女性恐怖症⁉︎ すいません。もう少し距離を取りますね!」

 そう言ってベンチの端っこに移った。

「………………」

「………………」

 それぞれがベンチの両端に座るという異常な光景の中、彼女が再び声をかけてくる。

「一つ質問してもいいですか?」

「うん」

「お兄さんはいつまでここにいる予定ですか?」

「日が暮れるまで」

「そうですか。ずっとここにいるって言われたらどうしようかと思いましたよ。ふふっ」

 明るく笑った。静かな公園に彼女の笑い声が響き渡る。

 これで会話が終わる。そう思ったのになぜか俺は口を開いていた。

「毎日ここにいるけどね」

「毎日⁉︎」

「一昨日も昨日も今日も明日も明後日も。毎日公園のベンチでぼうっとしてる。それが俺だよ」

「いわゆるニートというやつですか?」

「そうかもな。いや、それ以下か」

「つまり誰かのヒモと?」

「ヒモか。たしかにその方が似合うな」

 現在俺は、お姉さんの家族から貰った多額の慰謝料を使って生活している。そういう意味ではヒモかもしれない。お姉さんという呪縛から解放なんてされていないのだ。

「ちなみに年齢は?」

「20歳」

「えー、同い年くらいかと思ってましたよ」

「精神年齢は俺の方が下だよ。クソガキだ」

「ふむふむ。つまりコナン君みたいなものですね?」

「コナン君……? なんだそれ?」

「ええええええ。コナン君知らないんですか⁉︎ あの有名なマンガですよ!」

「俺マンガはあまり詳しくないんだ。ヒモだから」

「別にヒモかどうかは全然関係ないと思うんですけど⁉︎ というかヒモですら知ってると思いますよ。有名ですし」

「すまん。世間のことには疎いんだ。世の中の出来事はほとんど知らない。なにせ毎日公園でぼうっとしてるからな」

「それ設定じゃなくて本当だったんですね」

 彼女は呆れたようにそう言った。

 監禁されていた時は全ての情報をシャットアウトされていた。当然、テレビやラジオは存在しなかった。部屋にあったのはお姉さんがお気に入りだった小説だけ。だから俺は小説の知識しか持ち合わせていない。そういう意味でもやはりガキなのだ。

「………………」

 しばらく会話がないまま時間が過ぎていく。

 ベンチの端っこだからか、先ほどから震えは止まっていた。落ち着いていつも通り空を見上げる。

「………………」

 日が沈みかけていた。もう少しで夜になる。そろそろ帰ろうと思い、立ち上がった。

 すると彼女が声をかけてくる。

「帰るんですか?」

「うん」

「そうですか。私はずっとここにいる予定なのでまた機会があれば是非」

「ああ」

 ずっとここにいるという言葉が気になったが、冷静に考えて女子高生が公園で野宿をすることなどありえない。

 きっと日が沈んだらすぐに帰るだろう。そう思い、そのまま公園を立ち去った。


※ ※ ※


 ——次の日。

 再び公園に足を運ぶと、ベンチに人の姿を発見した。凝視するとそれは制服を着ていて、昨日の彼女だということに気づいた。

 彼女は俺の姿を大きな瞳で捉えると、微笑みながら口を開いた。

「おはようございまーす」

「お、おはよう」

「今日も公園でぼうっとするんですか?」

「うん」

「そうですか。私もご一緒してもいいですか?」

「端っこに座ってくれるなら」

「分かりました」

 そう言って彼女はちょこんと端っこに移動する。

「へくしゅん」

 彼女はとても寒そうにしていて、思いっきりくしゃみをした。俺はポケットティッシュを取り出して、彼女に投げる。本来であれば手渡しの方がいいのだろうが、そんな恐ろしいことは俺にはできない。

「ありがとうございます。へくしゅん!」

 やはり寒そうだった。

 本当は会話などしたくなかったが、どうしても気になったので質問する。

「ここで野宿してたの?」

「はい。とても寒かったです」

 彼女は平然と答える。一瞬耳を疑った。

「ほんとにその格好で?」

「はい。寒すぎて全然眠れませんでしたよー」

 えへへと笑うその姿は嘘をついているようには思えなかった。

 女子高生が一人で公園で野宿……一般常識を知らない俺でもおかしいことは分かる。

「君はホームレスなのか」

「そうですね。家出したので今はホームレスです」

「家出か」

 そのような小説を読んだことがある。当時は外に出られるだけ幸せだろと思っていたが、これはこれで大変なのだと気づいた。

 ずっと同じ部屋に閉じ込められていた俺と、自ら家を出た少女。全く正反対だなと思った。そんな正反対な俺たちが公園のベンチで話をしている。不思議な状況だ。

「よいしょっと」

「帰るのか?」

「いえ。盛大に家出してきたのに、たったの一日で帰るわけにはいきません。でもここは寒いのでショッピングモールで温まってきます」

「そうか」

「お兄さんも行きますか?」

「いやいい。人が多い場所は苦手なんだ」

「ですよね。では!」

 そう言って彼女は公園から去っていった。本当に不思議な人間だ。

 彼女がいなくなるのを確認すると、俺は深いため息をついた。

「はぁ……」

 そしていつも通り空を見上げる。

 曇っていた。午後には雨が降るかもしれない。

 俺は立ち上がると傘を取りに家へ戻った。


※ ※ ※


 傘を持って戻ってくると、ベンチに座ってぼうっとする。

 お姉さんの家族から貰った慰謝料のおかげで貯金はそれなりにある。このままの生活水準であれば少なくとも30年は生活できるだろう。だから今すぐ就職する必要はない。とはいえ、このまま一生無職であると考えると怖かった。社会に参加していないという孤独感が心を蝕む。皮肉にもお姉さんがいたらと考えてしまうほど。

 もし隣にお姉さんがいたら、どんな言葉をかけてくれるだろうか。どんな表情で、どんな声音で、暖かく包みこんでくれるのだろうか。

「夢斗くん大丈夫だよ。夢斗くんは何もしなくてもいいの。お姉ちゃんが何もかもやってあげるから。ご飯を作るのもお風呂に入るのもトイレに行くのも、全部全部全部全部全部全部。だからお姉ちゃんの側にいて。お姉ちゃんの側から離れないで。絶対に……」





「うっっっっ…………はぁはぁはぁはぁ」

「お兄さん大丈夫?」

 嫌なことを思い出してしまい頭を抱えていると、誰かに背中をさすられた。

「うわああああああああああああ」

「私だよ。ほら私。あーそういえば名前を名乗ってなかったっけ。あ・お・ば。私は青葉」

「お、お姉さん?」

「あなたのお姉さんじゃないよ。青葉。都立南総合高校2年1組、出席番号17番です」

「しゅっせき……ばんごう? なんだそれ?」

「まさかそれも知らないの?」

「ああ。俺、小学校も卒業してないから」

「いやいやいやそんなことありえないよ。もしそうだとしたら最後に卒業したのは幼稚園ってことになっちゃうよ?」

「そうだな。俺は幼卒だ」

「幼卒ってなに⁉︎」

 彼女は……青葉は盛大に突っ込んだ。意図したのかは分からないが、おかげで少し落ち着いてきた。

「ふぅー、ありがとう」

「よかった。もう怖くない?」

「いや君のことは普通に怖いよ」

「あ・お・ば・で・す」

「青葉のことは普通に怖いよ」

「よし……ってよくない! 私怖がられてるじゃん……」

 落ち込んだような表情をする。落ち着きのない人だと思った。まあある意味俺の方が落ち着きがないか。ふとした時にトラウマを思い出して発狂する。情緒不安定以外の何者でもない。

 しばらくすると、ようやく震えが止まった。

「あったまるー」

 気がついたら彼女はベンチに座って肉まんを食べていた。幸せそうな表情をしている。

 それを見ていると恥ずかしいことにお腹がぐぅと鳴ってしまった。俺は咳払いをして誤魔化す。

「もしかしてお腹すいたの?」

 誤魔化せていなかった。彼女はニコニコしながらこちらを見てくる。

「朝から何も食べていないんだ。食べる気分じゃなかっただけだけど」

「分かるー。私も朝はあんまり食べられないんだー。でもお昼は食べないとだよ」

「そうだな。帰ったら食べる」

「いつ帰るの?」

「日が沈んだら」

「もうそれ夕食じゃん! 健康に悪いよ」

 確かにそうだが人間など一日一食でもなんとかなる。10年監禁された俺が言うんだから間違いない。

「もう、見てられないよ」

 青葉はやけくそ気味に肉まんをちぎった。そして俺に差し出してくる。

「あげる!」

「いらない」

「なんでよ!」

「知らない人から貰った食べ物は食べちゃいけないから」

「それ小学校の先生が言うやつじゃん」

 呆れた様子で言った。

 心遣いは非常にありがたいが、睡眠薬が入っているかもしれない。どうしてもそう考えてしまうので恐ろしくて受け取れない。

 俺は頑なに断った。

「ごめん……怖いんだ」

「そんな表情で言われたら何も言えなくなっちゃうじゃん」

 彼女は少し不満げな表情で肉まんにかじりつく。その様子が子どもっぽくて思わず表情が緩んでしまった。

「笑うなんてひどーい! お兄さん最低だよー」

「ごめん……でも……ふっ、ふふふふ」

 止まらなかった。笑いがこみ上げてくる。それはまるで10年間溜め込んだものが爆発したようで、自分の意思では到底抑えきれない。

「もう! お兄さん嫌い!」

 不貞腐れたように呟く。

 好きという言葉は数えきれないほど言われたが、嫌いと言われるのは初めてだった。だからだろうか。とても新鮮な感覚だ。本来なら罵倒されているはずなのに、なぜかそうは聞こえない。 

 俺の頭がおかしくなってしまったのか? 

 ……分からない。分からないが、言われて悪い気はしなかった。むしろ嬉しいとさえ思える。


 ——本当に不思議だ。

 

※ ※ ※

 

「今日もここで野宿をするのか?」

「うん! 寒いけど頑張るよ!」

 笑顔でそう答える青葉。

 少し心配だったが、だからといって家に入れるなんて恐ろしいことはできないので普通に別れた。

 家に戻るとお湯を沸かしてカップラーメンを食べる。

「…………」

 ふと肉まんを食べる彼女の姿が頭をよぎった。どうしてだろうか。

「…………」

 俺は別のことを考えるべく窓の外を見る。するとぽつぽつと雨が降っていることに気づいた。

 そういえば青葉は傘を持っているのだろうか。

 一瞬そんなことが頭をよぎったが俺には関係のない話だ。

 カップラーメンを食べ終えると、風呂に入って入念に体を洗う。風呂から上がると、髪が乾く前に布団に入った。




「夢斗くんどうしたの? はっ、すごい熱がある⁉︎」

「うぅっ……」

「ごめんね。お姉ちゃんのせいだね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。すぐに薬をもらってくるから」

「………………」

「薬をもらってきたよ。おかゆも作ったから食べてね。はい、あーん」

「ゲホゲホゲホッ」

「私のせいだ。私がこんな狭い部屋に閉じ込めちゃったから免疫力が低下しちゃったんだよね。もっと広い部屋に引っ越さないと」




「はっ……」

 目が覚めた。途中で覚めたからかいつものように汗はかいていない。ザーザーと音が聞こえたので窓の外を見ると、案の定土砂降りだった。こんな雨の中、野宿などできるのだろうか。

 そんなことが頭をよぎる。

「ダメだ。考えるな」

 念じるように呟くと、思いっきり布団をかぶった。


※ ※ ※


「はぁ……」

 気になって結局寝つけなかった。

 仕方なく傘をさして公園に向かう。雨が強すぎて普通に濡れるがそんなことはどうでもよかった。

 何をやっているんだと自問自答しながらも公園に到着すると、ベンチには彼女の姿があった。

 青葉はどこから持ってきたのか、ダンボールをかぶっている。

 近づくと俺の存在に気づいた彼女は呟いた。

「えへへ、ダンボールがあれば何とかなると思ってたけど無理だった。考えが甘かったなぁ。おかげでびしょ濡れだよ」

「どうして? …………どうして家に帰らないんだよ?」

 今まではどうでもよかった。彼女の事情なんて俺には関係ない。そう思っていた。だから何も聞かなかった。なのに…………気になって仕方がない。

 青葉は起き上がると俺が渡した傘を受け取った。震えながら傘を広げる。その姿はいつもより少し弱って見えて、心臓がズキリと痛んだ。

 彼女は俺の目を見て口を開く。

「えーと、そうだなー……簡単に言うと親の干渉が酷いんだ。友達とご飯を食べに行くだけでも許可を取らないと怒られるし、門限は20時だし、勉強も無理やりさせられる。春休みなのに今制服を着てるのだって補習に参加させられたからだしね。進学先だって勝手に決められたんだよ。この高校以外には金を出さないって脅されて。だからもう限界だったの。こんな家にはいられないと思って」

「それで家出したと」

「うん。だからもう帰れないんだ。帰ったら何されるか分からない。最悪家に閉じ込められるかもしれない」

「閉じ込められるって……」

「私の両親だったらやりかねないよ。そういう人たちだから……」

 悲しげにそう言う彼女。本当は自分の両親を貶したくないはずだ。なのにそう言わざるを得ない環境。そんな環境で彼女は育った。

 それは俺とは全く異なっている。でも少しだけ似ている部分はあった。

 俺も彼女も縛られているのだ。彼女は両親に、俺はお姉さんに、ずっと縛られて生活してきた。だからこそ自由になりたいと願ったのだ。

「なあ青葉」

 俺は覚悟を決める。拒否されるかもしれない。嫌いだと罵られるかもしれない。でも、それでも、堂々と言った。


「俺の家に来ないか?」



※ ※ ※


「夢斗さん、ご飯できたよー」

「ありがとう。……って、近い!」

「まだ怖いんですか? もう二週間も一緒に住んでるのに」

 エプロン姿の青葉は不満げにそう言った。

「たったの一週間で恐怖がなくなるわけないだろ」

「ひどーい。女の子にそんなこと言ったら嫌われちゃいますよ」

「好かれる方が恐ろしいわ」

「夢斗さんはほんとに変わりものですね」

 お皿を持って彼女がやってくる。今日の朝食は食パンとオムレツだ。

 彼女が家にやってきて以来、俺は毎日朝食を食べるようになった。

 今日もいつものように二人で食卓を囲む。

「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」

 じっと見つめられていたので思わず聞いた。すると青葉はふふっと笑って、

「なんか感慨深いなと思って。ほら、夢斗さん最初は私の作った料理を吐き出してたじゃないですか。それが今ではこんなに美味しそうに食べてくれる。それが本当に嬉しいんですよ」

 たしかに言われてみればそうだ。なぜ食べられるようになったのかは俺にもよく分からないが。

「夢斗さん、目を瞑っててくださいね。絶対ですよ」

「言われなくても見ないよ。恐ろしい」

 朝食を食べ終えると、青葉が制服に着替え始める。もう新学期なのだ。彼女曰く学校には行きたいらしく、普通にここから通うようだ。家出した人間が堂々と学校に通うのもどうかと思ったが、学校とはそういうものなのだろう。俺にはよく分からない。

「では、行ってきます!」

「いってらっしゃい」

 カバンを持って家を出ていく。それを見守った後、静かになった部屋の中で俺は求人募集のチラシを読んでいた。

「力仕事は無理だからな……だからといって事務作業なんてできないし」

 小学校すら卒業していない俺にとって仕事を探すことは至難の業だった。できそうなものが見つからない。本来なら力仕事しかないだろうが、10年間の監禁によって俺の体力は著しく低下していた。そのためある程度は鍛えないと話にならない。

「はぁ……」

 行き詰まり、布団に突っ伏す俺。

 どうすればいいのだろうか。

「ん?」

 悩んでいると机の下に何かが落ちていることに気づいた。手を伸ばして取ってみる。

「これは……青葉の生徒手帳か」

 新学期だというのに早速忘れ物をしてしまうとは。実に青葉らしい。

 生徒手帳というものがどれくらい価値のあるものなのか俺には分からないが、もしかしたら忘れたらまずいものなのかもしれない。

「はぁ……仕方がないな」

 そう思った俺は彼女に届けることにした。走れば何とか間に合うかもしれない。

 適当にコートを羽織ると、大急ぎで家を出た。

「…………」

 満開の桜が咲く住宅街を足早に歩く。暖かい風に照らされ、とても気分がよかった。当てもなく歩いていた道を目的を持って歩けるようになった。その違いがあるだけで全く違う。

 それも全て彼女のおかげだ。全部全部青葉のおかげ。

「そういえば青葉の名字ってなんだ?」

 今まで全く疑問に思わなかったが、考えてみれば一回も名乗ってなかった気がする。

気になった俺はちょうどコートのポケットにあった彼女の生徒手帳を取り出した。

 個人情報だが、俺たちは同棲しているんだ。それくらいはいいだろう。そう思い生徒手帳を広げると、正面にはまず彼女の写真が出てきた。その隣には当然名前があって、

「えっ…………」

 そこには『砂糖青葉』と書かれていた。

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近所のお姉さんに監禁されてから10年経った とおさー @susanoo0517

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