第35話 憐れな海龍1

「エイド!」


 剣から落ちた俺と宙に放り出された剣を師匠はすぐさま回収してくれた。荷物よろしく彼の小脇に抱えられて崖上の残った部分にゆっくりと下ろされる。

 辛うじて意識は保っていたけど、俺は立ってさえいられずにその場にへたり込んだ。後ろに両手を突いて仰のいているとやや不機嫌顔の師匠が上から覗き込んできた。


「全く……。気力体力が尽きる前にどこかに降りなさい」


 呆れ声の師匠のお叱りはもっともで、いくら想定外の状況に見舞われて仰天していたからって言っても、判断の甘さが浮き彫りだった。師匠がいなかったら俺確実に今頃海にドボンしてたもんな。


「……はい、以後気を付けます」


 でもさ、師匠はちゃんと俺を気に掛けてくれていたんだな。てっきり弟子にはしたけど名目だけで放置かと思っていたけど、三日師匠じゃなかった。がっかりしてごめんな師匠。

 師匠の顔見てたら安堵して少し気分が落ち着いてきたせいか、余計にマジで感動もひとしおだ。


「師匠、助けに来てくれて本当にありが――んぎゅっ」


 俺の口に、しゃがみ込んだ師匠が不意に何か水色の物体を押し込んできて、俺は少し噎せそうになりながら慌てて口元を押さえた。


 うっわ何だこれ? 甘ったるさだけをかき集めて作ったグミ?


 かつてないレベルでメッタメタのベッタベタに甘い。でもいつもなら反射的にペッと吐き出しているだろう強い甘さなのに、今は不思議と不味いとは思わない。まあ美味しくもない微妙な味だけど。


「よく疲れには甘い物が一番だと言うだろう? だからごりごりに甘いのを出してみたのだけれど、どうだろう? もしも吐き出したいならそうしてくれても構わないよ」

「な、何とか大丈夫、です」


 何だ、俺は普段だったら絶対に無理な究極の甘味も受け付けるくらいにお疲れモード全開なのか。

 師匠提供の甘味はじんわりと口の中から胃の中へと広がって、その甘さが胃から更に全身へと運ばれていくようだった。不思議にもそれは直接の癒しに繋がり、はたと我に返った時にはもう普通に立ち上がれるようになっていて、立ち上がった俺は、待っていたように師匠が差し出してきたマイ剣を受け取った。

 頭も気分一新とスッキリしていて精神的な疲労も回復している。

 今のって正真正銘の万能薬だったりして……?

 師匠がどこで手に入れてきた物かは知らないけど、こんなのもあるのかー。


「改めて、助けて頂いてありがとうございます師匠。ところで今のお菓子って万能薬の一つなんですか?」

「ああまあね。秘境の孤島のサトウキビ畑に棲息する世にも貴重な固有種スライムの残留物だよ」

「――――」

「糖分がスライムの中でスライム成分と合わさって凝縮されて発酵した物なんだけれど、これが残るのは本当に珍しいんだよ」


 発……酵?

 スライムって発酵「食」だったっけ……? 

 栄養学的にどうなのかは知らないけど、猛烈に吐き出したかった。

 不幸にも既に胃の中にゴックンした後で、しかもとっくに俺の体の隅々にまできれいさっぱり吸収されて癒しになっちゃってるから無理だけど。ああ、師匠からの予告なしな食べ物だって時点で吐き出せば良かった……。

 もう胃の中に存在しない異物で胃もたれしそうになっている俺の前で、師匠はいつもの読めない穏やかな笑みを唇に浮かべている。


「全疲労回復効果があると昔から言われていてねえ。けれど極限の疲れじゃないと食べても回復効果はなくてただ単に不味いだけだと現地の秘境民も言っていたから、効いてくれて良かった」


 ん~? この言い方だと師匠は食べた経験が、ない?

 ――人体実験。

 俺の脳裏にそら恐ろしい言葉が浮かんだ。この人ならトボケた笑顔でやりかねない。まあ、魔イカに齧りつくよりマシだったと思って強く生きていこう……。


「もう二度と食べませんよ?」

「幻の世界三大甘味って言われているくらいに貴重な物で、食べたくても普通は食べられない代物なんだよ?」

「だったら次は師匠ご自身でどうぞ。俺は至って平凡な人間なので食べ物もそこに準じたいです」


 すると師匠はちょっと愉快そうに口角を持ち上げた。


「平凡、ね」


 そう呟いて余所を向く。

 今の意味あり気な言い方は何でしょうかー?


「エイドくーーーーんっ!」


 と、その方向からアイラ姫が息せき切ってこっちに走ってくる。

 もちろん彼女の後ろには護衛ズが。無表情ってか目に殺気しかない様子でタッタッタッと足取りも淡々と軽やかに駆けてくる。かえってその軽快さが怖い。

 俺は防衛本能から師匠の陰に身を半分隠すようにして見ていたけど、アイラ姫は師匠に目もくれず突撃隊長宜しく真っ直ぐ俺を狙ってきた。ああいやそれだと語弊が……向かってきた、だ。


「エイド君良かったです本当の本当に生きていて下さって良かったですーーーーッッ!」

「うおっうわわっ危ないですって!」


 師匠をわざわざ回り込んできた彼女から遠慮もへったくれもなく飛び付かれ、手にマイ剣を握っていた俺はうっかり彼女を傷付けたりないように慌てて片手を大きく上げて遠ざけた。そのせいで力を上手く受け止められずに倒れ込む。三巡目の人生じゃ、アイラ姫とは毎度こんな風になっている気がするよ……。


「あっごごご御免なさいエイド君。おおお押し倒すなどという破廉恥な真似をするつもりはありませんでしたのに……!」


 俺の上に座り込んであたふたとして俺を見下ろすエメラルド色の双眸は涙目だ。

 心配してくれたり無事を喜んでくれるのは大いに結構だ。有難いよ。

 たださ、俺に死んでほしくないならお宅の護衛さんたちの気持ちももっと酌んであげてくれ。だって気付けば彼女の護衛たちは無言で俺たちの左右に佇んで見下ろしている。昼間でもないのに顔部分が謎の逆光効果でどす黒く沈んで、眼光の鋭さだけがギラリと際立っている。愚民が姫様に触れるな浄化の炎で燃やしてやろうかとか思われていそうな目付きだ。限界値の怒りのオーラをひしひしと感じるよ。

 けどさ、ニールたちもニールたちだよな。そんなに怒るなら抱き上げていたアイラ姫を下ろさなきゃ良かったのに。

 俺は溜息を堪えてアイラ姫を物言いたげに見据えながら、彼女に上から退くよう促してゆっくりと立ち上がった。

 そう言えばアイラ姫は変なことを口走っていたっけ。


 俺が死ぬとシオンも死ぬとか、そんな趣旨の言葉を……。


 あの時は真偽を考えている余裕もなくて鵜呑みにしたままそれはいかんうおおおおシオンーッて突っ走っちゃったけど、今振り返ってみると不可解極まりない。

 どうして俺の生死に連動するみたいにシオンが関わってくるんだ?

 何で彼女はそんな関連性を主張し、さも確実に起こり得るかのように言ったんだ?

 これはきちんと訊いておかないと。

 そう思った所で俺とバッチリ目が合っていたアイラ姫がその視線を少しだけ伏せた。


「あ、あのエイド君、ずっとこちらをご覧になられてどうされたのですか?」

「……ん? ――あ! ああいや大丈夫っアイラ様は綺麗だからっ」

[ふえっ!?]


 思考に没頭していたら彼女を意味なく凝視しちゃってたよ。

 二度目人生じゃ、エルシオンから大衆レストランに呼び出されて彼からノエルを恋人だって紹介された時についついマジでこいつなのかよって凝視したら、


『何よ、あんたあたしに気があるの?』

『いや全く』

『失礼ね! じゃあどこか汚れでも付いてるの?』

『いや全然』

『だったらいやらしい目でこっち見てこないでよ。色々減るわ。慰謝料寄越しなさいよ』


 ってノエルからしこたま睨まれたもんだった。もちろん俺は頭にきた。


『はあ!? 何でいきなり慰謝料って話になんだよ!?』

『まあまあそう怒るなってエイド、ノエルのいつもの冗談だから。昔からそうだっただろう?』

『はああああああ!?』


 あの時はノエル以上に「恋は盲目」を地で行く男程面倒なものはないって思ったっけ。

 まあ何であれ、カノジョでもない女子を無意味に見つめたりしたら駄目だよなって俺なりに教訓を得た出来事だった。

 あーほらーアイラ姫ってばこの通りもじもじして赤くなって変な顔しちゃってるし~。自分のどこかに汚れでもくっ付いているのかしらって不安に思ったんだろうなあ。悪いことした。

 俺は失態を犯したような気まずさを誤魔化すようにそっぽを向くと、ちょっと正直忘れかけていた土龍を見やる。

 優先度の高い物事がまだ未処理だったよ。彼女への問いは後回しにしよう。


 その土龍はと言うと、あらあら~未だ見事に意識が撃沈中。


 意識の底を突き破って冥界とかに行っちゃってるんじゃね?。

 師匠の踵落としの瞬間は奴の脳天が凹んで、引ん剥いた左右の目ん玉が飛び出しそうになっていたもんなあ。ここから見ただけじゃわからないけど真面目に虫の息かもしれない……って言うか、むしろあの攻撃を食らってまだ生きているのが信じられない。普通の魔物ならとっくに塵だよ塵。

 まっ、こいつには物理攻撃耐性があるから死なずに済んだんだろうけど……って、そうだよ効いてるよ物理攻撃!


 あ、まさか実は魔法じゃなくとも常識を激しく逸脱する物理攻撃は魔法に匹敵するってわけで通用するとか?


 耐性って盾さえ粉微塵に砕いて無効化し得る?


 検証したわけじゃないとは言えそれ以外の答えはないって思う。

 ……まあ師匠レベルじゃないと到底成し得ない荒業だろうけど。

 雷みたいな激烈な自然現象も稀に空気中の魔素を活性化させて魔法に似た効果を引き起こすって聞いたこともあるし、同じような理屈なのかもな。この世界は奥が深い。

 土龍の奴もこりゃしばらくは起きないだろう。

 ただもしも突然起き上がって襲い掛かってきたら危険だから、アイラ姫の身柄はすぐに護衛たちに任せた方がいいな。


「アイラ様、まだ敵は生きてますし、ここで護衛たちから離れずにいて下さいね」


 俺はそう言い置くと、返答を待たずにくるりと師匠へ向き直る。


「この後あいつをどうするつもりですか? トドメは刺さないんですか?」


 俺の大真面目な問いに、だけど師匠は予想に反して不思議そうに首を傾げた。


「トドメ? あはは殺したりはしないよ。あの子はギリギリまだ大丈夫だからね」

「はい?」


 あの子? まだ大丈夫?

 一体全体どう言う意味?


「も、もしかして師匠はあいつを知ってたり……?」

「まあちょっとした縁で」


 ピンときて問えば、ビンゴだった。マジかよ!

 彼は物知りだし色んな場所に行っているみたいだからそこはおかしくはないけど、それにしてはどう聞いても年長者の物言いにしか聞こえなかったのは何でだろう。


 ……年長者って、えーははは、冗談だろー?


 元々あの土龍がどこから来たのか知らないけど、死龍荒地は少なくとも百年以上、おそらく数百年は死の大地だったはずだ。あいつの瘴気のせいで徐々に徐々にじわじわと確実に健全だった大地が荒野に変容していった年数も考慮に入れると、五百年は下らないんじゃないか?

 加えて、少なくともあの龍は五百歳は生きているだろうから、単純に足しても千歳だ。でも、え、千年……?


 師匠が長生きなのは知っているけど、本当に何歳?


「師匠って一体……」


 何者なのか。


 言葉には出さなかったけど、俺の眼差しに過ぎったその驚きの疑問を読んだように師匠は「企業秘密」とにこりとした。ああこれはかつてと同じくさらさら答える気がないな。まあいいか、何歳で何者でもさ。

 それにこの場には俺以外の人間もいるから素性に関する話は余計にしたくないのかもしれない。


「師匠は謎多き男なんですね」


 あっさりと詮索を放棄し感心を示す俺の顔を、師匠は白い前髪の奥から暗くても微かに底光るような金瞳でじーっと見つめてきた。

 え、俺何か変な態度取ったかな?

 かつての人生で慣れた相手だからこそ、馴れ馴れしくならないよう節度を持って接していたつもりだけど。


「……エイドは、知りたくはないのかい?」

「そりゃ好奇心がないとは言いませんけど、無理に踏み込む気はないですし、たとえ何であれ師匠が俺の無二の師匠なのさえ変わらなければ別にいいかなーと」


 苦笑交じりにそう返したら、師匠は前髪の奥で丸くした目をパチパチと瞬いて嬉しそうに口元を緩めた。


「そこそこ長く生きてはいるけれど、エイドのようなズレた弟子は初めてだねえ。しかもこんなにも慕われて、師匠冥利に尽きるなあ」

「俺ズレてますかね?」

「自覚ないのかい?」


 な……くもないけど、あなたに言われたかないですよ。何気にひでえ師匠だなホント。本人の了承なくスライム残留物も食わせる鬼だしね!


「本当にあの土龍を生かしておいて平気なんですか? 動き出したらまた俺の剣を狙ってくるでしょうし、今度こそ下手したら街の一つや二つ潰しかねませんよ」

「土龍?」


 キョトンとする師匠は土龍を見やって「ああ、思い切り干からびてたからねえ」なんて合点した風な独り言を口にする。師匠がどう考えていようと、逆行前の王国の惨状を思い出せば早急に手を打つべきだって思う。それも土龍に対処できる者がいる今が好機だ。ここで決着つけとかないと後々の憂いを招きかねない。


「言っときますけど、あれは凶悪な魔物ですよ」

「――あの子は海龍だよ、エイド」

「だから早くどうにか……って、え? はい? 海龍? 突然何を言い出すんですか。そいつが海龍って言うならサラマンダーだって火龍になっちゃいま――あああ~」


 すよ、と続けるはずだった語尾はびっくりと困惑の「あああ~」に変じた。

 師匠が大きく跳躍ってかもう飛行も然りに跳んで、土龍のすぐ傍に降り立ったからだ。

 俺の二の腕を引っ張って一緒にね。心臓に悪いったらない。


「ほらエイド、よ~く見てみなさい。この子は海龍だよ、海龍」

「え、は? ――のわっ!」


 突如の移動に混乱しかけの俺の目の前で、師匠は造作もなく場の瘴気を浄化しながら片手でひょいっと地面にめり込み昏倒中の土龍の前脚を持ち上げてみせた。

 いやいやいや人間の手で軽々と持ち上げるの不可能なレベルですよそれ!

 太くてでっかいしそもそも埋まってたし結構かなり重量あると思うんですけどー。手に強力な吸盤でもあるんですかあなた? 彼は俺の驚愕を意にも介していないご様子。もうこの超人に何を言えばいいんだよ……。


「ここに水掻きがあるだろう?」

「吸盤じゃなく?」

「吸盤?」

「ああいえ、でも水掻き……? あ、確かに指と指の間にそれっぽい膜が……」


 いやだけどさ、水掻きがあるとか伝説の海龍が現存しているとかそれ以前に、もしもこいつが海龍だとすれば、姿形が伝承上のそれとは似ても似つかない。

 龍には大きく分けて二種類の体の型があって、海龍は体長が蛇みたいに長く後ろ脚は前脚同様に短めだ。体表面に鱗と頭に角があるのはどの龍にも共通しているけど、もう一つの型のトカゲに似ていて後ろ脚が太くどっしりした龍たちとは見るからに異なる。

 因みに土龍は後者のトカゲ似の型に分類されているから、実際目で見る機会があったとしていくら何でも海龍と間違ったりはしないだろう。


「ですけど師匠、海龍は伝説じゃその名の通り海に居る龍でしょう? なのにこいつは長年陸に居ましたよ。表皮だって土色で乾燥まっしぐらですし、とても鱗が美しいって言われていた海龍には見えません」

「この子は、長い間陸地に留まるうちに望まずも表面が乾き切って、更には土がこびり付いてこんな姿になってしまったんだよ。古代龍種なのにこんな寸胴なナリなのは水分不足で体がすっかり縮んでしまったのもあるだろうね」


 師匠の見立ては納得できる部分もあるけど、俺はまだ半信半疑だった。


「でも師匠、尾だって長くない……というかむしろないですし、本当にこいつが海龍だと断言できますか?」

「ああそれね、尾がないのは切れているからだよ」


 ……はい?

 一瞬さらっとし過ぎていて師匠の言葉を呑み込めなかった。


「いやええとトカゲのしっぽ切りじゃあるまいし……。因みに一度切れた尾は生えてきたりは?」

「私の知る限りはないねえ。治癒魔法を使えば何とか修復も可能かもしれないけれど、古代龍種に効く治癒魔法なんて私でも三日は寝込むくらい疲れるから、もしも頼み込まれてもやらないよねー」

「さいですか……」


 だからこいつの尾は無いまんまなのか?


「でもどうして尾が切れるなんて気の毒な身の上になったんでしょう……」


 死に掛けでも強いこいつを害せるなんて、余程の実力者だろ。

 横で師匠は困ったような苦笑を浮かべた。


「――私が切った」

「はい~~~~?」


 今度こそ半信半疑いや全疑って感じで俺は師匠の横顔を見つめる。

 龍の尾を切るって状況に想像と理解が追い付かない。


 その時、傍での話し声に覚醒を促されたのか、死に掛け龍が呻き声を上げて頭を擡げた。

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