第19話 予想外の再会2

 大音量で泣くノエルの声を聞き付けて、周囲に停泊中の船から今まで中で休んでいたのか船員がチラホラと姿を見せる。

 ずぶ濡れた俺たちを見て何事かと一瞬顔色を変えたけど「大丈夫ですから!」と慌てた俺が説明すれば、痴話喧嘩はもっと人目のある所で見せ付けるもんだとか何とか、助言のつもりなのか実に要らん台詞を各々口に船内に戻っていった。

 全くノエルは泣き声一つ取っても人騒がせな女だな。

 アイラ姫も最初大泣きしてたし、もしかして俺が知らないだけで、女子ってのはこうも騒々しい生き物なんだろうか。


「うわあああーんエイドの馬鹿馬鹿馬鹿あーッ!」

「何で助けて悪口言われなきゃならないんだよ。命の恩人に感謝しろ感謝。人間感謝の心は大事だぞ」

「そんなのどうでもいいわよ!」

「良くないだろ」

「何がやり手よ! あたしはッ……あたしは好きでもない男に嫁ぐなんて死んでも嫌なんだから。人の気持ちも知らないで貴族だからいい物件だとか生活に困らないとか勝手なこと言わないでよーッ」

「言ってねえだろ俺は」

「言ったもん~~~~ッ」


 はあ、言ってないって。

 おそらくは村長がそう言ったんだろうな。今はこいつも感情爆発に忙しく支離滅裂なだけだろう。

 こりゃそっとしておくかって思って静かに立ち上がろうとすれば、むんずと裾を掴まれ座り直させられる。

 チッ、放置トンズラルートは無理そうだ。


「エイドはどうしてこんなに酷い男なのよーッ、お父様もエイドも勧めて来る皆も大嫌いよーッ!!」


 うわーんうえーんとノエルは人目も憚らずっていうか人目なんてここにはもうほとんどないけど、ぺたんとへたり込んで泣きじゃくっている。

 え、でもちょっと嘘だろ?

 さっき前に何度か家出もしたって言ってたし、将来的に金持ちの貴族の夫人になれるのにそんなに嫌なのか?

 本気で嫌がってるのか?

 あのノエルが?

 あんの高慢ちきのノエル・エバーが?


「おい、そんなに泣くなよ」


 さすがにノエル相手でもこうも大っぴらに泣かれるとたじたじだ。


「相手はそんなにイケてない男なのか? 物凄く年上のじーさんとか? ハッまさか人じゃないのか? それか純金の像とか?」

「失礼ねっ爽やかイケメンな貴族令息よ! 年はあんたの一個上だし」


 え、イケメンなのに駄目なの?


 全然悪女の卵らしくないんだけどこの人。


 俺に手紙を出す以外に、一体こいつにこの三年何があったんだよ。誰か教えてくれ。


「単にタイプじゃなかったとか?」

「顔は凄く好みだったわよ。性格も穏やかで親切だし、財力も家柄も申し分なくて、平民のあたしを気に入ってくれて身分の違いなんて大した障害じゃないって言ってくれて、一生大事にしてくれるって約束もしてくれたわ!」


 え……? そいつのどこが駄目なの、ねえ? そしてませガキ共め。


「めちゃくちゃ良い奴じゃん。何で嫌なんだ? 誰もが羨む玉の輿だろうに」


 するとノエルは俺を信じ難い物でも見るような目で睨み付けてきた。


「――好きな人じゃないからに決まってるでしょっ!」

「…………は?」


 俺の聞き間違いじゃなければ、今こいつは好きな人って言ったよな。


 でも、いやでも、いやいやでもでも、ちょっと待て――好きな人おおおっ!?


 こいつに特定のそんな相手がいるってのか?

 うっそーん初耳だよ。しかも念願の玉の輿婚姻を蹴ってしまえる程の相手が?


「その相手ってもしかしてどっかの王子様か?」


 だったら納得だ。二度の逆行前の記憶を総動員して自国他国問わず思い浮かべると結構わらわらいるもんな、王子。

 二度目人生でアイラ姫と婚約したとか何とか風の噂に聞いた相手もその一人だし。


「……王子様じゃないけど、王子様みたいな人よ」

「王子様じゃない王子様みたいな男……?」


 なぞなぞかよ。

 何であれ、愕然とした。

 だってノエルは特定の男にそこまで惚れ込む女じゃない……はずだ。


 こいつ本当にあのノエル・エバーなのか?


 衝撃の大きさに理解が追い付いて行かない俺が言葉もないでいると、鼻を啜るノエルはまた地面に寝転がって「絶対帰らない。帰ったら無理やり嫁がされるもん!」と泣き喚きながら駄々っ子のように手足をバタバタさせた。

 湿って重くなったドレスの袖や裾がバッサバッサ言って俺にまで水滴を飛ばす中、スカートの中の湿って萎んだカボチャパンツがチラ見えしたけど、それがたとえセクシー下着でも俺はノエルのには興奮しない。

 逆にそんな物を見せられて我に返った俺は、溜息をついて体勢を変えてノエルの傍にしゃがみ込むと、仕方がないので腕を引っ張って上半身を起こしてやった。


「ノエル、もう泣くな。九歳にもなってみっともないぞ」

「なっ何よおっ。だって、だって好きじゃない相手にお嫁に行きたくないんだもん!」

「はいはいそれはわかったから」

「お父様から離れるのも嫌なのに……っ、お父様はあたしなんかきっといらないのよ!」


 まーた極端な論理で癇癪を起こしてるよ。


「あのなあ、お前の敬愛するそのお父様はきっと、お前の将来の安泰を考えて内心は泣く泣く決めたんだ。そうでなかったら嫁になんか行かせないって。そもそも婚約なんだし、すぐに家を出で結婚するわけじゃない。お前が年頃になるまで何年も先の話だろ?」

「年頃って何よ。年頃じゃなくても嫌なのっ。それにどうしてあんたがそんな風に言うの! やっぱりエイドは女心もわからない最低のクズ野郎よね!」


 膝に顔を伏せて一層激しく泣き出すノエルに困った俺は、傍にしゃがみ込んだまま散々悩んだ挙句、おずおずと手を伸ばして泣きやめと赤毛を軽く押さえた。

 その位置で手を離しては置いてを数度繰り返す。

 頭ぽんぽんってやつだ。……まあちょっと不恰好ではあったけど。


「いい加減もう泣きやめよ。俺も手伝うから。お前が望まない相手にお嫁に行かせたりしないから、な?」


 だからっつって望む相手に嫁がせてやれる保証はないけどな。


 ピタ、とノエルが泣き声を止めて盛大に泣き濡れていた顔を上げた。


「それ、ホント?」

「ああ。村長だって愛娘の気持ちが大事だろうし、そういう話を決めるにはお前もまだ小さいし、急ぐ必要はないだろ。素直に気持ちを話せばわかってくれるよ。それで相手の貴族が不服に思って何か仕掛けてくるなら、俺が村を護るから安心しろ」


 私怨で貴族が村一つを焼く話はこの時代のこの国でも決してないわけじゃない。


「護ってくれるの、あたしを……?」

「いやもっと包括的にだ」

「そっか、そうなのね、護ってくれるのね! ――エイドがあたしを!」

「人の話聞けーい」


 はあ、こう言う自分至上主義的に思い込みの激しい所は全く変わってないようだな。

 若干辟易となりながらも、もう本気で面倒臭いのでその話題は終了させた。


「ま、とりあえずはその追手たちと一旦村に戻って、村長を説得するのが第一歩だろ。濡れた服を着替えるのが、まず何よりも先だけどな」


 そう提案して頷いたノエルと共に立ち上がった所で俺の耳が近付く足音を捉えた。

 顔を向けると、視線の先にはちょうどこっちに駆けて来る追手たちの姿が入った。

 追手追手とは言ったけど、きっとノエルに付けられた護衛たちなんだろうな。

 皆大人かと思いきや、一人だけ小さいのがいる。ああ船から見えた二つの小さな人影のうちのもう片方か。

 片方はノエルだったけど、もう片方もどう見ても子供だ。おそらくは俺たちと同じくらいの。


「なあノエル、お前一人で出てきたんじゃないのか?」

「当然よ。レディの旅には下僕は不可欠でしょ?」

「…………」


 一ミリも不可欠じゃねえよッッ!

 ったく、こいつはとことん腐ってる我が儘お嬢だな。

 ピーピー感情豊かに泣いている様が子供らしくて可愛いと思って損した。

 こいつに付き合わされた下ぼ……いやいや憐れな村の子への同情も露わに突っ立って待っていると、暫しして全員が俺とノエルの前に立った。

 全力で走って来たのか全員が全員両手を膝に突いて肩で大きく深呼吸を繰り返している。

 ノエルお嬢様に振り回されてご苦労なこっで。


「ノ、ノエル様、良かったですご無事で! そこの少年もお嬢様を助けてくれた恩は忘れない」

「フッ、実は拙者たちは全員カナヅチでな……! 本当に感謝する少年よ!」


 うん、あのさ、それ胸張って言う台詞じゃないからな。

 一人も泳げないとか護衛としてまずいだろ。

 追手やら護衛やらの定番なのか、黒服黒眼鏡の男たちが男泣きをしながら訴えかけてくる。普通に眼鏡は高価な品だし、もしかして村長じゃなくダーリング侯爵家が寄越した人員なのかもしれない。

 アイラ姫の護衛は鎧も着ていて見るからに戦士って感じの出で立ちだったけど、こっちは密かに陰ながら要人警護をする者たちって感じだ。まあどっちも護衛専門には変わりない。


「――僕も飛び込むのは無理だったから、エイド君が助けてくれて良かったよ」


 ん? 今俺をエイドって呼んだ?


 俺は訝しく思って追手たちと一緒に走ってきた少年を見つめた。


 因みにゼーハー言ってここに一番最後に辿り着いたのが彼だ。

 どこにでも居る灰色のザンバラな髪を寝癖なのか何か所も跳ねさせて、灰紫色の瞳をした少年だ。

 俺とノエルと同世代だろう彼は大事そうに両腕で一冊の分厚い書物を抱えている。


 なになに、薬草毒草大辞典?


 ほー、最近の子はこれまた難しい本を読むんだな。少なくとも学校で習う範疇を超えている。毒草なんて特に。

 そういや俺もかつて必要だからって読破したっけなあその手の本。

 俺が一人で感心していると、そのどこか顔色も悪く具合の悪そうな少年は深々と頭を下げた。


「本当にノエル様を助けてくれてどうもありがとう」


 まあその体調じゃ海で他者を助けるのはまず無理だろうからな。ミイラ取りだよ。


「俺が助けられる状況だったから助けただけだし、そんなに気にしないでくれ。まあこいつ悪運強いからな」

「ちょっとどういう意味よ!」


 ノエルが眉を吊り上げた。


「あはは、そっか。僕はどうしてもこの本を濡らすわけにいかなかったから、あのままエイド君が来てくれなかったらどうなっていたか……」


 少年が小さく微笑む。

 え……ええと?

 何だか背筋が薄ら寒くなった。


 ノエルの命より本が大事って聞こえたんだけど?


 何となくその問いを声には出せなくて、俺はちょっと目を泳がせて愛想笑いを返した。

 だけど、あれ……?


 不健康そのものではあるけど、この少年の優しげな笑顔はどこかで見た覚えがあるような……?


 俺の名を知っていたのも解せない。


「因みにええと、お宅どちら様?」

「僕? シオンだけど?」

「シオン?」

「あ、正確にはエルシオン」


 ああ、エルシオンか。


 エルシオンってあれだろ?


 一度目人生でも二度目人生でも俺の親友で、その片方で俺を刺し殺すなんていうやらかしはしたものの、もう片方じゃ自らの出世にだって影響するかもしれない思いやりを見せてくれた、あのエルシオン・ゴールデン。


「マ、マジで?」

「そうだけど」

「はあああ!? お前エルシオンンンンン!? うそだろおおおーーーー!?」

「嘘って?」


 エルシオンだと名乗る少年は心底キョトンとした面持ちで俺を見つめてくる。

 確かにその灰紫の瞳の色はエルシオンと同じだし、灰色の髪だってそうだ。

 でも、どうして、こんな風に?

 ふと俺はエルシオン(仮)が大事そうに抱える書物に目を止める。


「なあそれ、勉強中なんだよな?」

「ああ、うん」

「何でそんな熱心に薬草の勉強なんてしてるんだ?」


 一度目でも二度目でも、十歳の頃のエルシオンは剣の練習に明け暮れていたはずだ。


「だって僕がもっと薬草に詳しくなれば、エイド君は遊んでくれるかなと思ってさ」

「……って、僕ううう!? お前どうしたんだよ、一人称は昔から一貫して俺じゃなかったっけ!?」

「え? どういう意味? 僕はずっと僕だよ?」


 小脇に分厚い薬草毒草学の本を抱え直し、どう見ても根暗ガリ勉小僧にしか見えない姿で元親友は小さく首を傾けた。

 そ、そうなのか? そういえば三度目人生じゃこいつとろくに関わらなかったから、こいつが自分の事を「エルシオンは、エルシオンは」って名前で呼んでいた頃しか知らないな。


 でも本名はエルシオンなのにどうしてシオンなんだ?


 ああ長いから略したとか、愛称ってやつか?


 ふと、三度目人生で目覚めて間もない頃の記憶が甦ってきた。


 まだ完全にエルシオンとは距離は置かず、村の安全な森でブチブチ薬草を抜きながら適当に相手をしてやっていた数少ない日々のやり取りが。

 あの日は黙々と薬草を探して採取していた俺へと、俺を真似てか雑草を引っこ抜いていたエルシオンが意を決したように話しかけてきたんだよな。


『ねえエイドくん、エイドとエルシオンって、同じだね』


 一瞬脈絡がなさ過ぎて何を言われたのか理解できなかったっけ。子供の発言はハッとさせられるものもあるけど、あの時のエルシオンのはよくわからなかった。


『どこが? 全然違うだろ』

『だって、どっちもエから始まる名前だよ』

『ははっそれだけじゃん。俺は三文字だけどそっちは五文字で全然違うし』


 そうしたら何故か酷くショックを受けた顔をしていたっけ。

 ちょっと涙目になって何を思ったのかは知らない。突然すっくと立ち上がると、


『じゃあ今日からエルシオンはシオンになる! これで三文字だから一緒だよ!』

『エは同じじゃなくてもいいんだ?』


 失念していたんだろう、エルシオンは虚を突かれた顔になって絶望を纏わせた。

 俺はその時何か悪いことを言ったかなって内心首を傾げたけど、結局エルシオンが何を言いたかったのかわからなかったし、その日はやっぱりほとんど会話もしないままに草取りをして夕方近くにそれぞれ帰宅して終わったから気にも留めなかった。向こうだってその件で何かを言い加えてはこなかったしな。

 その後は鍛錬に夢中で彼とは距離を置くようになったから、あの日のやり取りなんて今の今まで記憶の彼方に飛んでいた。


 まあでも、あの時の宣言通り「シオン」で通してるのか。ふーん。


 そんで以て何でだかは知らないけど「僕」呼びになったのか。ふーん。


 まあ優しい男の一人称としては僕の方が合ってるかもなあ。

 そもそもこいつはいつだって優しい奴だったっけ。……一部例外は除く。

 そして真面目だった。

 ただしそれはガリ勉とはタイプが真逆の真面目君で、運動神経に優れ頭も良くて品行方正な人間って感じの真面目さだった。


 一度目でも二度目でも嫌ってくらいに爽やか君だった。


 決して不健康に色白でヒョロガリで目の下にクマ作って根暗そうで、あたかも本が魂の一部ですみたいな奴じゃなかった。


 人の命より本を優先するような歪んだ野郎じゃなかった。


 なあおい、ノエルも戸惑うレベルでこいつノエルかって思うけど、お前は最早別人じゃねーか!


 現に最初誰だか気付かなかったしな。

 エルシオンを前に、俺は初めて見るそいつの変わりように頭痛がして、額を押さえ目の焦点が合っていない深刻な面持ちでよろりと一歩ふらついた。


「だ、大丈夫? エイド君?」

「エルシオン……いやシオンお前、お前……――どうしてそうなったあああッッ!」


 叫んでいた。

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