第18話 予想外の再会1
絵本や何かによく描かれるように魔女の馬が空飛ぶ箒なら、俺の馬はこの魔法剣だ。
今は足元にある透き通るような青い剣、光の加減によっちゃ青銀色とも言える剣を一瞥する。
ああ、英雄時代は体に染みついていたこの感覚だけど、久しぶり過ぎて逆に新鮮だ。
やっぱり使うならこれだよ。
魔法武器は一も二もなくとにかく良い。
敵の駆逐速度だって格段に上がるだろうな。
メイヤーさん作のような上等な普通武器も確かに使い勝手は悪くないけど、そこはどこまで行っても結局の所普通武器なんだよな。
はあ、本当に彼が魔法剣を造れないのが惜しい。
どこかに普通剣を魔法剣に昇華させられる方法はないものか。
磁石に鉄をくっ付ければ鉄は磁石化するけど、鉄の剣に魔法を掛けて魔法剣化させるなんて芸当は出来ないもんなあ。
ただ、一時的に魔法を帯びさせるだけならできるから、空を飛ぶだけなら普通剣に飛行魔法を掛ける方法も取れないわけでもなかったりする。
でもそれだと、ぶっちゃけ絨毯を使ったって同じだ。むしろそっちの方が座れるから姿勢は安定するだろう。
だけど、しかし、魔法剣のように人馬一体と動かすのは難しい。
一般的に魔法剣を含む魔法武器に魔力を費やすのと普通武器に費やすのとじゃ、魔力消費は倍どころか下手をすれば十倍二十倍は違う。
自分の魔力を媒体に感覚的に動かせる魔法武器とは違って、細かなコントロールだって面倒だし、そもそも魔法耐性がないだろうから魔法を掛けた時点で壊れる物がほとんどだ。最初のうちは耐えられたとしても、時間経過と共に急速に物質の劣化が進んで最後には壊れるって結末に見舞われる。
疲れる上に制御しにくく、いつ壊れるかヒヤヒヤしながら飛ぶなんて俺は御免だ。
実際、そんな使い勝手の悪い方法を好んで飛行する武人は見たためしがない。俺だって三度目人生じゃ今まで一度もそんな無謀はやってない。英雄人生でやむを得ず普通剣を使ってみた経験はあるけどな。泥船宜しく終いには湖に落ちたりして散々だった。
そんな魔法と普通物質の関係性もあって、魔法を使える者は魔法武器の類を求めるのが常なんだ。
俺もその例に漏れない。
だーけーど、他者から善意だろうとは言え押し付けられるってのは、何とも微妙な気持ちだよ。
まあ、こいつに非はないし、魔法剣はあったらあったで便利だし、今は師匠との少しの時間ロスで救助に向かうのには時間短縮が必要不可欠だったし、一番はもう俺にしか扱えないもんになっちゃったから使うしかない。
「こうなったのは予想外だったけど、よろしくな、ニュー相棒」
知らず口角を上げ小さく呟くと、俺の言葉を理解しているのかそれとも剣に回している俺の魔力の中から友好的な気配を感じ取ったのか、海由来の魔法剣は主人の俺の足裏に小さな振動を与えて寄越した。
宜しくって挨拶を返してきたのかもしれない。
剣先を前に向け俺を乗せた新相棒剣は、海面スレスレから高度を上げて空気を切るようにして高速飛行している。高度が低いと遠目じゃ目的地が見えにくいから見易いように上がったんだ。
今更だけど、攻撃するって用途以外にも魔法武器にはこんな芸当だってできるんだよな。
これが仮に魔法槍だったら、俺は今頃剣身じゃなくより細い槍の柄にでも乗ってただろう。さすがに体幹鍛えてないとバランス取るのも難しそうだし、槍に乗る奴は曲芸の域だよなあって見掛ける度にいつも思ってたっけ。
乗る魔法具と言えば、話はちょっと逸れるけど、魔法の箒は魔法具製作専用の職人に造らせた立派な魔法具だ。
話を戻すと、俺の飛行魔法を難なく受け止めてくれているこの魔法剣には、魔法剣であるが故に剣特有の魔法もある。
かつて、元相棒剣を携えていた頃は強敵を相手に剣の魔法が重宝する場面が多々あったな。
勿論俺の魔法だけを乗せた攻撃もできたけど、二重魔法は破格の一言に尽きた。
だけどまだこの青の剣についてはどんな能力が秘められているのかはわからない。
今日のごたごたが一段落したら追々調べるつもりだ。
溺れている相手は両手をバタつかせて白い飛沫を立てていたけど、それもとうとう見えなくなった。
「まずい、力尽きたみたいだな」
早く。急げ。もっと。
これでも重心を低くして空気抵抗を抑えて限界ギリギリの速度を出していたつもりだったけど、俺の焦りを感じたのか魔法剣は更に速くなった気がした。
「行ってくれ相棒おおおっ!」
俺の訴えは馬に鞭をくれるが如く。剣はぐんぐん岸へと近付いた。
「エイド君頑張って下さーいっ」
とうとう甲板に上がったんだろう、微かに聞こえた……聞き知ったあの高貴なおなごの声が。
はーい後方からの声には耳を傾けてはなりません。振り返ってはいけません。さもないと冥界から妻を連れて帰れませ……じゃなくて、この緊急事態に悠長に相手にしていたらタイムオーバーで海に落ちた誰かは冗談抜きに海の藻屑になっちゃうよ。悪いが無視させてもらう。
そんなわけで俺は程なく岸壁近くまで到達すると、飛沫が消えた辺りの海中を覗き下ろそうとした……んだけど、
「は? うわっ、わあああああっ!」
俺の助けたいって強い意思を思った以上に酌んだのか、剣の進行方向が直角に曲がった。
つまりは海面とこんにちはだ。
嘘だろーおいっ。海中に飛び込まないといけないとは思ってはいたけどさ、俺のペースでの心の準備ってあるだろ。それなのにいきなりの急転直下。何とまあ剣ごと海面に突っ込む羽目になった。
飛び込んだ、じゃなく突っ込んだ、な。
くっそ~! 何勝手にダイブしてんだよこの剣は。
こいつかなり性質ってか性格乱暴だな。
足裏から離れた暴走気味の剣に置いていかれないよう、今度は柄の部分を右手でしっかりと掴む。
内心で文句をぶつけつつも優先すべきはやっぱり人命救助の俺は、視界に入った相手の姿を追って剣を推進力かつ先導役に一気に海中での距離を詰めた。
相手のスカートが水の動きに合わせてクラゲのようにふわふわと裾を揺らめかせている。海藻みたいに広がる長い髪の毛に隠れて顔はよく見えないけど、背格好からして小柄な女性だろう。
もしかしたら俺とそう歳も変わらない少女かもしれない。
沈みゆく相手は既に意識を手放したようで、俺は難なく相手の腰を脇に抱えると剣の推進力だけで海面に向かった。
「ぷはあっ」
海面に顔を出して大きく一呼吸。
直後に休んでいる暇はないと剣に命じて海面下の両足の下から体を持ち上げてもらった。そのままふわりと海上に浮かんで岸壁に降り立つ。
相手が落水した地点からは結構横に流されていたようで、彼女の仲間か敵かは知らないけど人影たちは遠かった。
「おい、目を覚ませ!」
助けた相手を仰向けに寝かせ頬を軽く叩いて刺激を与えつつ、濡れて顔に張り付いた長い赤髪を親切心から避けてやる。
だって萎れたイソギンチャクみたいにしておくのは何か気の毒だろ。
赤い髪って言えばノエルを思い出すなあ。
ん? しかもこの子、俺の良く知る厄介な誰かさんにちょっと似てねえ?
…………。
「――って本人かよっ!」
そう、溺れていたのは正真正銘同郷の顔見知り。一度目二度目の人生ともに悪女だった女。
ノエル・エバー村長令嬢だった。
「何っっっでお前なんだーーーーッッ! しかもどうっして何で息をしてないんだあああっ!」
ここで見殺しにしたら絶対村長に逆恨みされて殺される……ッ!
焦りに焦った俺はこう言う時は定番のアレだ、と思い立ち意を決した。
「悪い。でも俺を恨むなよ?」
ゴクリと唾を飲み込みやや身を屈め、男だ決めろといざ一発!
「おりゃあッ」
死なない程度に加減をして、鳩尾辺りを掌底で打ってやった。
直後、幸いにも盛大に咳き込んで水を吐き出し意識を取り戻したノエルは、無事の生還を果たした。
「うっ、げはっ、ゴホゴホ、苦し……ッ、ゴホゴホ」
生理的な涙と共にしばらくその場で一人のたうち回るように咳き込んでようやく楽になった頃、ノエルはすぐ傍に座り込んだ俺の存在に気付いた。
溺れて体力を消費したんだろう体をゆっくりと半分起こして大きく青緑色の目を見開いた。
「エ、エイド……よね? 何で、あんたが?」
心底不思議そうな顔をして俺を見つめていたノエルは、ややあって何を思ったのか見る間に怒り出した。
「何でここに居るのよ! 居るなら居るって言っておきなさいよ!」
「お前相っ変わらず酷いな。俺だって好きでここにいるわけじゃねえよ。誰かが岸壁から落ちたのが見えたから急いで助けに来たんだよ。それがまさかお前だなんて思わなかったけど」
「え? じゃああんたが助けてくれたの?」
「そうだよ」
「そう、なの……」
ノエルの奴が急に黙り込んだから、ポタポタポタと互いの髪から海水の滴が落ちるだけが続いた。
何だどうした? 下僕たる俺に助けられて心底不服ってんならもっかい海に飛び込んでくれて構わないぞ。言ってくれれば放り込んでやるし。それで俺はさっさと失敬する。俺も無意味にいつまでもこいつの相手をしていられる程暇じゃないんでな。
沖を見ればオークション船は陸地にだいぶ近くなっている。
船が港入りしてアイラ姫に追い付かれる前に身を隠す……のは店を知られているから無理だろうから、面と向かう前にガチガチに心の武装する必要があるんだよ。だから時間が本当に惜しいんだ。
「お前こそ、どうしてこんな所にいるんだよ? ああもしや落ちたんじゃなくて海に飛び込んだ口か? まだ泳げる時期だもんな」
「ばっかじゃないの違うわよ! 水着も着てないのにそんな趣味はないわ。慌ててたら足が滑ったの。それにどうしてここにいるんだって言うけど……つい最近の手紙に書いたじゃない。近いうち遊びに行くって」
「え……?」
「日にちは決めてなかったけど、そう書いたでしょ。だから来たの!」
「あー、マジ? へえ」
今まで一通たりともこいつからの手紙の封を切ったためしはない。
そう、ないんだよ。だから直近の封書もこれまでの手紙の束と一緒に放置されているから、何が書かれているかなんて俺が知るはずもない。大体日にち決めてないって何だよそれ、きちんと予定も立てないで来たのかよ。なのに何でこっちが責められるんだかな。理不尽……。
「その反応、もしかして読んでないの?」
「あー、えーっと、最近忙しかったから後で纏めて読もうと思ってたんだよ。ほら俺祖母ちゃんのパン屋の店番してるからさ。近頃はよく繁盛してて」
「そうなの? なら仕方がないわね」
ふう、危ない危ない。
きっとノエルはここん所の二通三通分をだと思ってるんだろうけど、実質は三年分を読んでいない。そして読む気もない。
「まあ百歩譲って遊びに来たのはいいけど、どうして波止場にいるんだよ?」
「あの女がシーハイに向かうつもりだって聞いて、じゃああたしも来ようって来たら彼女船に乗ったって聞いたの。だからここまで見に来たのよ」
あの女?
「わざわざこの街まで来て船に乗り込むだなんて、もしかしてあんたも船にいるのかもって思ったの」
「うん? は? 何でその誰だか知らないけどその女がいると俺までいるって思うんだよ?」
「だってあんた可愛い子狙いの変態ストーカーじゃない」
「えーまだそれ言うかお前。言いがかりも甚だしいなおい。俺は別に誰のスト―キングもしねえよ。そんな暇もないし」
「最低、暇があったらするのね?」
「するかッ!」
はー、こいつと話すとやっぱり疲れる。
こういう折り合いの悪い部分はずっと昔から変わらないな俺たち。
まあ英雄の時だとこいつ猫被ってぶりっ子してたから、そこまで険悪な空気にはならなかったけど。
「とにかく、あの女――アイラって子は理由もなく動かないもの」
案の定か。こいつの言うあの女が誰かって考えて、実は俺が思い当たる人物は一人しかいなかった。
「来てみたら船がもう沖にあるし、一足遅くて悔しく思ったわ。しかも勝手に家を出てきたから追手を差し向けられて見つかって追い詰められて、結果足を滑らせて海に落っこちたの」
「追手? やっぱりお前会わないうちに沢山の人間から恨み買って暗殺依頼されたんだな」
「ちょっと物騒かつ失礼なこと言わないで頂戴! そんなわけないでしょ。これでも慎ましやかに村で暮らしていたわよ。だけどお父様があたしに婚約者を宛がおうとしてきたから、嫌で度々家出してたのよ。だから今回もそれだと思われて追われたの」
「婚約者だあ? 因みにどこの家の男だよ?」
「貴族のダーリング家」
な……。
「ダーリング家だって!? 侯爵位の!?」
「伯爵様だか侯爵様だか知らないけど、そうみたいね」
おいおい俺みたいな庶民中のド庶民からするとどっちもすんごいお家柄ですこと~ってなるけど、個々の財力とか功績とか細々としたものを抜きに普通に考えて、少なくともこの国じゃ伯爵と侯爵じゃリスペクトされ方が全然違うだろ。侯爵位は基本王家と血縁がない貴族の中での最上位だもんな。これが侯爵位よりもう一つ上の位の公爵位になると王家と縁続きって考えていい。
俺の良く知る悪女ノエルは爵位一つにさえこだわったのに、このノエルはまだ子供だからピンと来ないのか、大して興味もなさそうだ。
「まあでも良かったな、大貴族の一つじゃん。マジで村長やり手だな」
「何よ、それ……」
「何って……?」
手紙は好きかって食えない笑みで訊いてくるあの娘命の村長のどや顔を思い浮かべ、純粋にその手腕に感心してノエルを見やると、さぞかし鼻高々で喜んでいるだろうと思っていた彼女は両目一杯に涙を浮かべていた。
「ど、どこか痛くしたのか?」
鳩尾を強く殴り過ぎたのかもしれないとちょっと不安になりながらも、俺はノエルが泣きそうなのに驚いていた。
彼女は違うと頭をブンブンと横に振ったから、その点は安心した。
「あ、そうかそりゃあ怖かったよな」
見栄を張ったのか憎まれ口を叩かれてすっかり忘れてたけど、そういえばこいつもまだ子供なんだった。溺れて死にそうになって平気なはずがない。きっとそれが時間差でじわじわきたんだろう。
将来が悪い女だろうと何であろうと、俺だって別に女子供を虐げる趣味はないから普通に気遣ってやるか。
「ええと何だ、もう大丈夫だからな」
声を掛けて顔を覗き込んだ途端、
「――うわああああーーーーんんん!!」
シーハイの港にノエルの一際大きな泣き声が上がった。
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