第15話 知らぬが仏と隠蔽されたある事実

 は!?


 俺はそんな心の声を高らかに上げ、目を丸くしての絶句。

 メイヤーさんも呆気として俺と同じような表情になっている。


「ああ心配しなくても、きちんと支払いが済んだら君にあげるって意味だから」


 いやいやいやそうじゃなくて。一体どこの世界に見ず知らずの子供に二千万で買ったばかりのもんくれる奴がいるんだよ! ホントこの人はいきなり何言い出すんだ。

 師匠は興味のないものや不要なものには一切手を出さない。

 必要だから落札したんだろうに何がしたいんだよ。


「お、おいおいお宅どちらさんだか知らないが、悪い冗談はよしてくれ。うちのエイドを揶揄からかわないでくれないか」


 メイヤーさんは僅かに戸惑いを浮かべて椅子から立ち上がると、俺を庇うように立って師匠を見下ろした。


 メイヤーさん……。


 俺はちょっと感動していた。

 戦いに優れていても俺は世間一般的にはまだまだ子供で、大人に護られるべき年齢だ。彼は俺を単なる顧客としてだけじゃなく、この街の一人の子供として大事に思ってくれてるんだな。しかも親しみの表れか「うちのエイド」なんて言ってくれちゃってさ。

 師匠は長身だけどメイヤーさんは更に頭半分上を行く。

 普通だったら心理的に威圧されたかもしれない。

 話は逸れるけど、メイヤーさんの打った武器が他の大半の鍛冶職人の物よりも良質なのは、必要に応じて人よりも力強く尚且つ繊細にも金槌を振るえる彼の恵まれた体格にもよるんだろう。

 だけど現在の相手は御するに慣れた錬鉄じゃなく俺の記憶じゃ魔物相手にも百戦錬磨の師匠だ。思った通り師匠は全く意にも介してねえなこりゃって様子だし。まあけどいいか、どうせメイヤーさんにもそんなつもりはないだろう。


 師匠の「あげる」発言は本気だ。


 彼はたまにさらっとトンデモ発言をするけど、こんな嘘はつかない。

 だけど二千万ファンって尋常じゃなく高額な物を、子供に駄菓子をあげるような気安さで扱うから他の人には本気さがイマイチ伝わらないんだよなー。

 こういう庶民感覚からズレてる自覚のない所が、師匠が浮世離れした人物たり得るゆえんの一つだ。

 随分苦労したよなあ俺……。


 そういや「託す」とも言っていた。


 おそらく彼はあれが何か知っている。


「冗談? どうして私が? あげたいからあげるんだよ?」


 案の定不思議そうに返す師匠の態度を俺たちを侮ってまだおちょくっていると受け取ったのか、メイヤーさんの顔に険しいものが滲んだ。そりゃ傍から聞けばいい大人が競りの敗者たる子供を小馬鹿にしているようにしか思えないしなあ。

 彼の性格からして、このふざけた奴に年長者として一度説教するかって使命感に駆られたんだろう。メイヤーさんはぐっと顎を引いて何かを言おうとした。

 けど意外にも、その前に別方向から声が掛かった。


「おいおい子供相手に馬鹿言うなよー。可哀想だろ?」


 見れば声の主はまだ二十代と思しき若い男性だ。

 顔に見覚えがある。地元シーハイの商人だ。

 確か……かなり前に一度だけ入った薬店の若店主だったっけ。腰を痛めた父親から家業を継いだばかりだとか当時はそんな時期だったせいか、接客に変に力が入り過ぎていてしかも利益の出そうな客を優先していたきらいもあって、子供の俺はお呼びじゃなかった。商売の邪魔をするなって店から追い出されたっけなーあははは。俺が単なる子供の好奇心でやってきたと思ったんだろうよ、へっ。

 相手の外見だけで簡単に判断しちまうような商人は商人としてまだまだだ。

 ……まあメイヤーさんも最初は俺が剣を振るうなんて危ないと思って売るのを渋っていたけど、それは客の身の安全を配慮したからだし、素振りを見せたら見た目通りの子供じゃないってのをちゃんと理解して、今では俺の掛かり付け医ならぬ掛かり付け武器商人だ。

 その薬屋の若店主は安易な客の選り好みをし過ぎて一定数の顧客たちに嫌われたのか、客離れが起きてその後の経営は余り芳しくないらしい。

 そんな話を街の子供ネットワークの場で聞いたな。へっ因果応報ってやつだよ。

 ってなわけで、俺のそいつへの心証は頗る悪い。うちの薬草パンの材料を調達するに当たっては、祖母ちゃんもそいつの店とは取引していないみたいだから、そこはやっぱ邪険に扱われた身としては安心した。


 師匠の外見年齢もまた二十歳前後。


 資金繰りに苦しい薬屋の男は、同年代だろう師匠が二千万ファンもの大金を簡単に出した事にちょっとした妬み感情を抱いているようだった。

 師匠が貴族的な雰囲気を醸しているのも反感を煽られる理由の一つかもしれない。世の中には偉そうにして商人を虐げる貴族もいて、人によっちゃ貴族への印象が物凄く悪かったりするからな。

 まっ、こいつの動機はどうせ金銭的な妬みだろうけどー。


「大体あんた、二千万であんなわけのわからないもん買うなら、海龍の瞳の競りに参加した方が良かったんじゃないか? どう見たってあれよりはいい物だ。黒い物体の価値らしい価値と言ったら精々含有魔力分くらいだろう?」


 うわー明らかに、嫌味。全く誰が何を幾らで買おうと勝手だろ、この暇人め。さっさと下船しろっつの。


「そう思うかい?」


 師匠は前髪の下で男にすっと流し目を送って朗らかな声を出す。


「ああ。商売柄沢山の薬の原料や材料を目にしてきたが、仮に魔法素材だとして、その観点から見ても他のどの魔法素材にも劣るだろう。反対に海龍の瞳の方は魔力こそ有していないようだが、そっちは普通素材と仮定してもきっと有用な普通素材だ。あの不思議で美しい光沢と透明感は他に類を見ないだろうぜ。あんた残念だったな」


 勝手な分析を披露する若店主に視線だけを向けていた師匠は、どこかやれやれとした雰囲気を醸して男の方に体ごと向き直った。


「言っておくと、私はあんな物にはびた一文払わないよ」


 彼は薄く微笑んで、宣言にも似てきっぱりとそう言った。

 にこやかな顔をしてはいるけど、俺にはわかる。

 師匠はどこか憐れんでいる。この目の前の男を。

 俺としてはそこは全くどうでもいいけど、内心の意外感を押し殺し、師匠がびた一文払わないとそう言う理由があるのだろうと確信していた。


「あんな物をこぞって競り落とそうとする皆の気が知れないね。そう思わないかい?」

「何だと……?」


 同意を求められ、この反応からおそらくは最初の競りに参加していたんだろう男は、あからさまな嫌味を言われたと思ったらしい。小物っぽい顔を歪めて敵意を剥き出しにしようとした。

 しかしここは沢山の同業者たちの目がある場。半分以上はもう帰っているとは言え人の目は多い。

 今ここで喧嘩をしても、競り最中のヒートアップ時とは周囲の受け取り方も違って冷ややかだろう。

 低く呻いて何とか憤懣を呑み込んだようだった。


「はっこれだから無知な金持ちボンボンは嫌になるぜ。そこの子供にやるとか言ったのも慈善行為のつもりか? そうやって精々善人気取ってろっての!」


 言い捨てて、ドスドスと足音も荒く去っていく。

 男が振り返りもせず更には会場からも姿を消した所で、ようやく俺もメイヤーさんも煩わしさから解放された心地でホッと一息ついた。


「一体何をしたかったんだろうね、彼は」

「ハハ……さあ……」


 いちゃもん付けたかった以外にないだろ。

 師匠くらいになると、余りにも低俗なものには逆に理解が及ばないのかもしれない。

 俺が苦笑いを浮かべると、彼はとうに人生を達観した者らしく実に落ち着いた風情で微笑を返してきた。

 ああ、実力もそうだけど、最強ってこういう人を言うんだろうな。

 ほんのちょこ~っとだけ俺はアイラ姫も同類かもしれないと、そう思った。


「なあところで、さっきの言いようだと、お宅は海龍の瞳が何か知っているのか?」


 メイヤーさんの質問はもっともだ。

 俺も早く正体を知りたい。

 師匠はキノコ型のふわふわした白髪を揺らして品の良い愉快そうな笑声を立てる。とても人ん家の台所ではぐはぐ盗み食いしていた人物と同一とは思えない。

 彼は薄い唇の両端を綺麗に吊り上げ弧を描いた。


「最初に言っておくと、残念ながらあれが海龍の瞳ではないのは確かだよ。そもそも掌に収まるくらい小さくはないし、瞳が残留物になったって話は今までまだ聞いたためしもないしね」


 まあ海龍の瞳ってのは便宜上付けられた名称だし、明日にはもう別の正式名が冠されているかもしれない。

 でもさっすが師匠は物知りだよなあ。達観しているのも当然だし。

 伊達に長生きしてないって感じ。


 ――百歳は優に超しているもんな。


 修行して人間ある一定の境界を超すと、身体能力も極まるだとかで不老になったり寿命が長くなると言われている。

 或いは、特定の種族だったりその種族の血が流れていても長命になるらしい。

 師匠が若々しい見た目なのは修行の賜かはたまた種族的なものかは俺にはわからない。そこまでは話してくれなかった。

 加えて言えば、英雄だった頃の俺でさえそこまでの境地には至っていない。

 そんな思索に耽る時、この世界は何て広くそして深遠だなあと思う。


「けれど海龍という所までは実はいい線行っているんだよねえ。最初呼称を耳にして正直ちょっとビックリしたんだよ」

「え、じゃああの大きな真珠みたいな物は本当に海龍関連なんですか?」

「そうだよ。けれどあれは残留物は残留物でもね……」


 次なる師匠の言葉にごくりと唾を呑みこむ。

 俺も、きっとメイヤーさんも、この後一体何が語られるのかってドキドキしていた。


「――海龍の腸の内容物の……つまりはうんこの残留物なんだ」


 一瞬、場の空気が師匠の髪みたいに真っ白くなった気がした。





「……はい? 海龍のフン、ですか?」


 あの丸くて美しい不思議な物体が?


「そう。だから何の役にも立たないよ。まあ人間や動物の排泄物とは全く組成が異なるから、臭いとか汚いとかそういう心配はないけどね」


 いやいや師匠、それでも当初の綺麗だな~って好印象は地に落ちたよ!


 球形のうんこ、か。


 俺の脳裏に兎と鹿が可愛らしくポンッとコロコロしたフンをする光景が浮かんで、その横に何故か動物たちと同じサイズの想像の海龍が並んで、尾ひれの付け根の尻らしき部分から例の球体をポンと出した。

 ……自分の想像力の逞しさに泣ける。

 ハハハ、世界は本ッッッ当に奥深い。

 アイラ姫たちには悪いけど、この情報を漏洩させはすまい。人間知らぬが仏って言うもんな。


「まあ状態は良さそうだけれどね」

「いや排泄物に状態が良いもクソもないですよ……」

「あははこりゃ一本取られたよ」


 思わず突っ込めば、師匠はにこりとした。

 そんなつもりはなかったよ……。


「そうそう、私たちの会話の続きをしようか」


 男の絡みなんて文字通り歯牙にも掛けていなかった師匠が、あっけらかんとして話を振ってくる。


「私がどちらさんだって点だけれどね、私に名前はないよ。放浪も長かったし、久しく使っていなかったから忘れてしまったんだ」


 かつても師匠はそう言った。


 そして俺は彼の名さえ知らないままに死んだ。

 まあ師匠には師匠って呼称があって不便がなかったから無理に聞き出そうとも思わなかったんだよな。魔物の討伐と修行修行の連続でそれどころじゃなかったし。

 とは言え、ここではそうもいかない。

 お気楽口調で自分の名前を忘れただなんて、お前らに名乗るつもりはないって強硬な姿勢で拒否するのと同じように礼儀に欠ける。

 うおーい師匠、知り合ってものの何分の相手に超ミラクルスーパーマイペースを発揮するのはやめてもらえませんかー?

 ああほらちょっと機嫌を直しかけていたメイヤーさんがまたぐぐっと眉をひそめてるじゃねえか!

 ここで不要な喧嘩が勃発してもあれなので、俺は慌てて椅子から立って二人の間に割って入った。


「へええ~ッうわ~ッ名もなき放浪者かあ~ッ! かっこいいなあそういうの! ですよねメイヤーさん! そう思いますよね!」

「は? あ? う、うーん? まあ……そう言われてみれば……?」

「でしょうでしょ~う!」


 俺のゴリ押しに彼は大いに当惑しながらも毒気も抜けたのか、上がっていた憤りの熱を平常に戻した。彼が扱う鉄と同じく熱しやすく冷めやすい気質で良かった……。

 何とか派手にこじれずに済んだ関係にも安堵する。


「あ、そうだ師しょぅ……じゃなかった名もなき放浪者さん」


 いけねーいけねー。また癖でついうっかり出そうになった。

 師匠なんて呼べないよな。不審がられる。あーほらちょっと不思議そうに目を見開いてるし!

 俺は何かを突っ込まれる前にと無理やり取り繕った笑みを浮かべ「名もなき放浪者さん」ともう一度強調した。

 大きく息を吸い込む。


「無償譲渡はお断りします」

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