第4話 半裸覆面の守護者

 自分より大きな魔狼を肩に担いだまま、俺は敢えて苦難に挑むかのように茂みの中に突っ込んで突っ切って、腕や顔に小さな擦過傷を作りながら走った。あたかも蟻が蝶を担ぐように、きっと絵的には逆雪だるまみたいな可笑しな有り様になっている。

 助言もしたし王女様一行はさっさと大きな道に出るよな。

 こいつは俺がこうして押さえているから、周辺の他の魔物が縄張りの変化の兆しを感じ取ってふらっとやってきたりはしないはずだ。

 安全なはずだ。


 大丈夫なはずだ。


 平気なはず……だ?


「~~~~~~ッ、だああもうっ」


 結局心配になった俺は足を止め、そして引き返していた。


「万一って可能性もあるし、森を抜けて安全な場所に入るまでだ。こっそりと見送ればいい」


 自分にそう言い聞かせ、途中で目を覚ましそうになった魔狼を「寝とけっ」と鼻面チョップで再び昏倒させもして、先程の場所まで戻って何とか彼女たちの馬車を見つけた。

 誰が乗っているかは見えないけど、この辺りに停めてあったんだし間違いないだろ。

 ちょうど森の細道を走り出した所だったから良かった。でなきゃ右に行ったのか左に行ったのかわからなかっただろう。


 馬車の行くこの土の道は地形に合わせて随分と蛇行を繰り返すから、俺は森の中を直進して難なく先回りができたのも幸いだった。鍛錬如何じゃそこらの馬車にも負けない走りにだって到達が可能だけど、まだ俺はそこまでじゃない。


「あと少しで大きな街道に出るな」


 そこまで出られれば往来も多くなって、そういう場所には野生の魔物も不用意には姿を現さないから概ね安全だ。

 そんな時、本当にもう少しって所で、どうしてか馬車が止まった。


 用足しか、なんてデリカシーのないことを考えつつ枝葉の重なる木の陰から馬車を見守る。


 だけど、想定外にも馬車を降りてきたのは何と――屈強そうな中年の男だった。


 ま、まさかあれが真のアイラ姫? ……なんてバカを考えつつ目を凝らす。


「馬車違いしたとか?」


 無精髭を生やした人相はどう見ても堅気じゃない。

 格好も追い剥ぎとか山賊とかそっち系だ。

 しかも何とその片腕には、荷物宜しくアイラ姫を抱えているではあーりませんか。


 ……どういうことだよ?


 俺の離れた短い間に一体全体何が起きたんだ?


 でも見たとこ一人だから一匹狼タイプの賊みたいだな。

 男に続いて侍女二人も蒼白な顔で馬車を降りてくるのが見えた。

 お嬢様を放せとか何とか懇願している声が切れ切れに聞こえてくる。

 咄嗟の機転か「姫様」呼びを止めたのは大正解だな。

 一国の王女様とどこかのご令嬢じゃ人質の価値も変わってくる。

 なんて悠長な分析をしてる場合じゃないか。

 男はナイフを持っているし、どう見ても金銭目的だろ。金目の物や旅路の資金はきっともう全額渡してしまったに違いない。

 その上で男は無事に逃げおおせるようにって、御しやすい小さな女の子を人質にと考えたんだろう。


 予想されるこの後の展開としては、おそらく馬車から馬だけを失敬してそれに乗って逃げようとするんじゃないか?


 案の定、粗野な男は顎で使うようにナイフの先で侍女二人を使って、馬車の装具から馬を外させた。因みに馬車に馬は一頭だけ。逃げた男を追いかけようとしても鍛えてもない女性の足じゃ無理だろう。

 アイラ姫は可哀想に恐怖に凍り付いている。


 でもきっと馬に乗って逃げる際に解放はしてもらえるだろうけど……と俺はのんきにも高を括っていた。


「ひゃっは~じゃあこのお嬢ちゃんも頂いて行くぜ~!」

「お嬢様あああっ!」

「お嬢様を放しなさいっ!」


 な……っっ、何てこったあああ!


 馬に跨って前にアイラ姫を乗せて「後でおじさんがたっぷり可愛がってあげまちゅからねー」なんて舌なめずりしている。


 そいつが彼女の髪の毛の匂いを嗅いだ辺りで俺の中でブチッと音がした……気がした。


 手綱を握った男が馬の腹を蹴った。


 ――アイラ様!


 即座に飛び出そうとした俺はしかし、すぐに動きを止めた。

 このまま出て行けば俺が尾行していたのがバレる、確実に。そしてアイラ姫とのより濃い面識ができる。それはご勘弁願いたい。

 よって俺が取れた行動はたった一つだ。


「お嬢さ――姫様あああ!」


 とうとう姫様って叫んだ侍女の声に反応した男が、走行中の馬上から「うっそマジ!?」ってな顔で背後を振り返った刹那。


「ぅおりゃあああああああああああああーーーーッッ!!」


 俺の渾身の投擲とうてき物が物凄い勢いで空気を切り裂き、見事にそいつの顔面を直撃した。

 ドゴッだかゴグッだか知らないが、エグい音を立てるくらいに俺は気絶魔狼を正確無比にぶち当ててやった。

 手加減はしなかった。

 正直男がどうなろうが構わなかったからだ。

 仮に死んだとしても……ってああ思考がブラック過ぎるな、何だ、俺は久々にここまで怒っているのか。何だ…………くそ、感情が儘ならない。ここのアイラ姫とは距離を置くって決めているのに。

 男は不意の衝撃に「ぉがっ!」と顎でも外れた様な声を上げて白目を剥いて馬上から切り離された。


 一緒に、アイラ姫も。


「「姫様あああっ!」」


 彼女の心底驚く顔が俺の黒瞳に大きく映る。

 男と魔狼はそのまま土の地面に乱暴に落下し、魔狼を投げた直後に木の陰から飛び出していた俺は最後の跳躍と同時に両腕を突き出した。

 降って来たアイラ姫をキャッチするやダンッと地面を靴底の形にめり込ませて着地する。

 ハアァ~、今生で今日ほど鍛えといて良かったって思った時はないよ。


「ふー、ふー、ふー、ふうううー」


 肩で息を切らせる俺は、次にはもうアイラ姫を地面に下ろしてさっさと森の中に退散した。

 通りすがりの野人が気まぐれに助けたとでも思ってくれればいい。


 きっと正体はバレなかったはずだ。


 だって今の俺は――覆面男。


「い、今の上半身裸の覆面人は何だったのかしら?」

「助けてくれたようだけど……誰かしらね、あの裸んぼは。心なし子供みたいな体の大きさだった気もするけれど、動きが早くてハッキリとは確認する暇もなかったわ」


 そう、そして――体の上半分が裸だ!


 目の部分に小さく穴を開けた覆面に半裸。そして気迫の雄叫び。


 俺、おれ…………変態でしかねえよッ。


 さっき俺は後先考えずに飛び出そうとして、しかし正体を知られたくなくて躊躇した。でも助けないといけないから物凄いスピードで思考した結果、一秒後には顔を隠せばいいって結論に至った。安直にも。

 だってまだ気配殺しとか姿消しのスキルや魔法を身に付けてないもんで。

 だけど手持ちのいい布がなかったから、恥を忍んでシャツを脱いで即席覆面にしたってわけだった。

 無論アイラ姫の玉水で湿った部分はなるべく顔に当たらないようにはした。

 そして救出に成功したわけだけど、半裸の変態覆面の正体が俺だって真実は絶対に知られてはいけない。沽券に関わる。ついでに言えば穴の開いたシャツで帰れば母さんにも叱られる……。

 まあ諸々の心配事はあるけどとりあえず今は気を取り直した。賊の男がちゃんと失神したかって確認のためにそっと木陰から顔を覗かせたら、アイラ姫が的確にくるりとこっちに顔を向けてきた。


 むぅおっ!?


 思わず叫びそうになった口元を両手で押さえ、勘が鋭いらしい彼女の視界に入らないように俺は咄嗟に地べたに這いつくばった。草で隠れて見えないはずだ。

 しかも必死過ぎて、おおう……土の味がするぜ。


 っつーかあっぶねーーーーッ!


 危うくまだ居るって気付かれる所だったーーーーッ!


 俺は覆面の下でフーフー息を繰り返しつつやや離れた道端の動きを、息を殺して探り続けた。

 因みに魔狼はとっくに塵になって昇天しているはずだ。

 男への衝突は魔狼に相当のダメージを与えたし、念のための証拠隠滅措置としてここに飛び込む際に目にも止まらぬ早業で木剣を木っ端になる強さでぶつけてもおいた。

 魔狼を男に投げた時だって、ボールの縫い目が高速回転で見えなくなるのと同じで魔狼自体が回っていたから常人の目には何の物体かも判別できなかっただろう。

 動体視力が超人なら別だけど。

 きっと彼女たちの誰も気付かなかったと思う。


 でないと魔狼が証拠となって俺が変態覆面だって悟られるかもしれないから、本当にどうか気付いていませんよ・う・に!


 通常魔物が死ぬと核の石――魔核が残るけど、今回はそれは捨て置こう。


 心力を修練するには大いに役に立つ……が、取りに戻ったらアウトだ。

 もう大きな街道の近くだったおかげか、騒動というか侍女たちの悲鳴や野人かって叫びや物凄い激突音を聞き付けた旅人や冒険者だろう通行人たちがこっちの道に入ってくる。

 良かったこれでもう安心だ。

 そんなわけで遠目に鼻血塗れの賊が縛られるのを見届けてから、俺はこっそりその場を後にした。


「――……さっき飛んできたあの魔狼って……」


 涙を流して侍女二人から無事を喜ばれるアイラ姫が、粉々に砕けて土と混じっているそこらの石くれも同然の魔核をじっと見つめ、ポツリと呟きを漏らした。

 稀に、消滅の際に受けた衝撃が強烈過ぎると魔核すら砕けるに至るのだ。


「姫様、飛んできた魔狼とは? 何かが飛んできたのは見えましたけれど、まさか魔狼が飛んで来るなんてあり得ませんよ」

「そうですよ。ハッキリとは見えませんでしたけど、わたくしもそう思います。ですが一体何が飛んできたのでしょう。それらしき物は何も見当たりませんし」

「……。……ふふっ、そうですね。守護神様が見護ってくれていたのです、きっと」

「守護神様?」

「そう、守護神様です」

「あらあら、姫様にならきっと付いておりますわね。幸福を運んで下さる破格な守護神様が」

「ええ。もしも本当にそうなら、わたしもとっても嬉しいです」


 侍女たちは冗談めかしていたが、満面で微笑むアイラ姫の目に冗談の色は見当たらない。しかし侍女たちはそこには気付いていないようだった。


 ――そんなやり取りを当然俺は知る由もなかったけど。


 まあその日は他の魔物を退治して、鍛練修練して夕方近くに帰路に就いた。

 今日も手土産に木の実とか貴重な薬草を携えて。

 両親は喜ぶだろうしと、意気揚々と村まで戻った俺だったけど、村の入口付近まで来た所で急ブレーキを掛けた。大いに靴底がすり減ったに違いない。


 だって、どうして、村への入口に停まる馬車の横でアイラ姫たちが村人と談笑してるんですかーい?


 時間的に考えて、まさかこの村にご宿泊ですか~あ?


 王女様が来るって事前の告知も一切なかったし、これは王女様の独断行動なんだろう。侍女二人しか連れてないっていう心許ない三人旅がもう既にその気配を濃厚にしている。

 まあ素性は明かしていないのかもしれないけど、ここからだと会話が聞こえないから実際どうなのかは判然としない。


 ここ――ロクナ村を訪れた目的も知れない。


 何故なら、この村は奥まった場所にあるから、知っている人間じゃなければ村に通じる獣道同然の細道をわざわざ曲がっては来ないし、近隣にはここよりインフラの整ったもっと大きな村や街があるので、宿を探す旅人は皆そっちに行く。


 よし、もう少し近寄って情報収集してみるか。


「お嬢様はお疲れでして、どこかいい宿を……」


 近付いて聞こえてきたのはお嬢様呼び。

 侍女の会話から到着して間もないのもわかった。

 そして素性は明かしていないらしい。まあ……だよな、ろくな護衛もいない中不用意に高貴な身分を口にすれば、さっき以上に危険な目に遭うかもしれない。

 まあ全員顔見知りのこの村にそんな下衆な人間はいないと思うけど。

 喋っている村のじいさんは、にこにことして世にも可愛いアイラ姫に「孫の嫁にどうじゃ」とか命知らずな話を持ち掛けている。

 侍女たちは年寄りの戯言と大目に見ているようだけど目が笑っていない。ああ知らないって恐ろしい。


 知っている俺は、気付かれる前に、ハイ回れ右~。


 そういうわけで、俺はこの日何食わぬ顔で回り道をしてこっそり家に戻ると、両親に晴れやかな顔でこう言った。


「俺、明日からしばらくシーハイの祖母ちゃんの所に行くよ」


 そうして翌日早朝、俺は村長宅に滞在した王女様ご一行と鉢合わせしないように慎重に慎重を重ねて村を出て、しめしめこれで神経すり減らす状況から解放されるぜうへへへって浮き浮きとした足取りで村の森を抜けていた。


 だけど途中腰痛に効く薬草でも手土産にするかと思って寄った穴場の薬草群生地で、これまた意外な人物に出くわした俺は、内心不運な自分を呪った。


 そこには、一度目人生でも二度目人生でも心証最悪だった女――まだ今は立派な女児だけど――が一人でしゃがみ込んでいた。

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