第3話 王女様はスカウトマン

 おいおい侍女さんたちよ、真面目に早くこの子どうにかしてくれよって思っていた俺の思考を的確に読んだわけじゃないだろうけど、アイラ姫の侍女二人はハッと我に返って駆け寄ってきた。


「さあさあお立ちになって下さいな姫様、馬車まで戻りましょう」

「そうですよ姫様、いつまでもそのようにされていては、この坊やは裸で歩かないといけなくなりますよ」

「はっ裸ですか!?」


 アイラ姫はパッと顔を上げると恥じらうように困った顔で俺を見る。

 ええーまだ六歳七歳の幼児同士だろ俺たち。

 まさか王女様は情操教育が早いのか?


「ででっ、で、ですがどうして裸になど!?」

「姫様の玉水の賜です」


 いやいやその言い方!

 玉水って何だよ。高貴なアイラ姫の体は玉体だとは思うけど、さすがに俺だって他人の鼻水をそんな風には思えない。

 とは言え、侍女の言葉に俺はへらりとした愛想笑いを貼り付けて、前の濡れた自分のシャツを抓んでみせた。


「あっ……ももも申し訳ありません」


 慌てて身を離し立ち上がったアイラ姫はすこぶるバツの悪そうな顔で、追って立ち上がった俺をチラチラと見てくる。


「あはは、何のこれしき。気にしないで下さい。馬車がお近くにあるのでしたら戻ってなるべく早く大きな道に出た方がいいですよ。縄張りの主を押さえている今なら他の魔物もいないでしょうしね。それじゃあ通りすがりの俺はこれで~」


 さあ立ち去ろうとした矢先、むんずと背中の裾部分を掴まれた。


「待って下さい!」


 どこか必死そうなアイラ姫に。

 うおっ引っ張られたせいでピッタリと濡れた服が前にくっ付いて冷てえっ。


「ええと何か?」


 肩越しに顧みる俺が不思議そうにすると、アイラ姫は自分でも思わず掴んだらしくちょっとビックリした顔をして、でも手は服から離さずにパチパチと何度も瞬いた。


「あ、あの……」

「はい?」

「そ、その黒々とした御髪おぐし、綺麗ですね! わたしのとは正反対って感じで釣り合いも取れますし!」

「ど、どうも……」


 おぐし? おぐし、ね。

 突飛に何だろうなこの子は。俺の髪をわざわざ「おぐし」って。こんなどこの馬の骨……って俺、庶民の星エイド・ワーナーだけどッ、下々の男の髪一つに丁寧な言い方なんてしちゃってさ、王女教育どうなってるんだよ。まあ庶民など蟻んこですわとか言って高飛車な笑いをされても嫌だけど。

 どんな身分であれ相手を軽視しないって姿勢なのか?

 だとしたらこの年でそれを実行できているってめちゃ偉いな。


「そ、それに、そのブラックアイも素敵です。闇をも呑み込むような純黒は見ていると吸い込まれそうで……」


 たぶん泣き過ぎたせいだろう、アイラ姫は何だか急にボーっとしたようになって言葉を途切れさせた。


「アイラ様……?」


 裾からようやく手を離してもらえて正面に向き直った俺が、疲れて眠くなったなら侍女におんぶでもしてもらってくれと思いつつ、怪訝さ半分気遣い半分で覗き込めば、彼女は夢から醒めたようにハッと息を呑んだ。


「あっ、すすっすみません。ええと黒は超絶素敵って事です」

「はあ、どうも……」


 彼女の称賛の基準は暗色系なのか? 一度目のアイラ姫は明るい淡い色を好んで着ていたけどな。好みも大きくなるにつれて変わったのかもしれない。

 何故か髪や目を褒めてくれて有難いけど何だかどうにも落ち着かない子だな。

 良い子ではあるんだろうけど。

 まあファーストライフでも、一緒に過ごしたアイラ姫は物凄く良い子だった。


 ……けどここまで挙動不審に変じゃなかったよ。


 それとも子供の頃は実はこんなで、大人になるにつれて自己修正していったってわけだったのか?

 過去世でもそこまで突っ込んだ話はしなかったし、まあいいかと俺は一つ溜息をついて侍女の一人へと声を掛ける。


「この魔狼は俺が処理しますので、皆さんはどうぞお早く出発して下さい」

「ええ。ありがとう坊や。ところであなたはどこの子なの? 名前は?」

「名乗る程の者ではございませんので。とにかく王女様がご無事で何よりでした」


 彼女たちがどこに行くのかどうしてここに居るのかは詮索せず、急いで行くように促せば、侍女たちは感謝に頷いてアイラ姫を連れようとした。

 だけど予想に反し、アイラ姫は踏ん張るようにして俺の前から動くのを拒んだ。


「エ、エ、エ……ええと、あなたはその歳でもう冒険者なのですか?」


 緊張しているのか話し始めが必要以上に「え」が多かった。

 それでも意を決したように話しかけてきた辺り、自分と変わらない年頃の子供があっさり魔狼を倒したから興味を持ったのかもしれない。


「いや、正確にはまだ違うけど、ゆくゆくは冒険者になろうかと…」

「――駄目です! 冒険者は絶対駄目です!」


 俺も侍女たちも突然叫ばれて呆気とした。


「え、何で…」

「危険です!」

「危険は承知ですよ。だって冒険者なんですし」

「それでも駄目です。お願いですから冒険者だけにはならないで下さい」


 えー、何だよその勝手なお願いは。

 でも下々の者が王女様のご意向に逆らえるわけがない。

 下手に刃向かって不敬罪で処刑とか笑えないし、仕方がない、冒険者は諦めるか。

 人生他にも生き方ってあるしな。俺だって別に冒険者にこだわっているわけじゃない。


「わかりました。それじゃあ将来は王国軍人でも目指し…」

「それも駄目えーっ! 軍人なんてもってのほかです。断じて駄目です向いていません!」

「ええー……。じゃあアイラ様的に、俺は何に向いていると思うんですか?」


 会ったばっかりの相手に一体俺は何を訊いているのかと思いつつ、反対に彼女の方こそ俺の何を知っているのかとも思いつつ、俺は答えを待った。

 予想外にも彼女はその瞬間生き生きとした星みたいに煌めく目で見つめてきたかと思えば、まるで前々から答えを用意していたかのように即答&断言した。


「――わたしの護衛です!」


「…………はい?」

「わたしの護衛、です」


 いや聞き取れなくて訊き返したわけじゃないよ。

 まだ俺の名前すら知らないうちからどこがどうなってその断言が来るんだよって話だよ。俺の本気の困惑を感じ取ったのか、彼女は俯きがちになって取り繕いだした。


「そのあの、魔狼を簡単に倒してしまってとってもお強いですし、わたしと歳も近いようなので話も合うかと。それにきちんと命を救って頂いたお礼を致しませんと! わたしの護衛でいれば生涯安泰です!」


 彼女にそんなつもりは微塵もなかっただろうけど、暗に話が合わないとの世代間ギャップを訴えられたも同然だ。姫様第一の侍女二人はあからさまに切なそうな顔になって、その逆恨みの矛先を俺に向けてくる。

 俺のせいなの? ねえ?


「い、いやー俺は強いとは言ってもまだまだ子供ですし、貴人の警護には全然能力不足だと思いますけど」


 英雄だった頃の実力を頂上とすれば今はまだ鍛錬は麓から二合目くらいで思い切り途中だし、猛者相手じゃ事実太刀打ちできないだろう。護衛として護衛の役目を果たせるのか自分でも甚だ疑問だよ。

 同じ子供を護衛にだなんて、余程このアイラ姫は友達が少ないのかもな。まあ現在村の誰とも遊ばない俺が人のことを言えた義理じゃないけど。


「そんなに気負わなくても大丈夫です! 護衛はあなた一人ではありませんし、のちのちの有能な人間を育てるという意味と捉えて下されば宜しいかと」


 人材育成、か。

 一理ある。それに待遇は破格だろう。

 でも、よりにもよってアイラ姫の護衛か。

 常にずっと傍にいないといけないだろ。いつまでなのかは知らないけど、それはちょっとしんどい……。

 初恋が疼く……。

 今だって正直やっぱ可愛いよなって思っちゃうから、同一人物とはいえ一度目の彼女に対して浮気しているみたいで何か嫌だ。


「ね、ですからどうでしょう。お給金は出しますし、個別のお部屋もご用意致します。保護者の方にもご挨拶させて頂きますし、冒険者でも王国軍人でもなく、わたしの専属護衛になって頂けませんか?」


 宝石かってくらいにキラキラした期待に満ちたお目目が俺を見つめてくる。

 侍女さんたちはいきなり人材ハントを始めたアイラ姫に明らかに戸惑っていた。


「今日はやけに積極的にお話しになりますね」

「いつもは同世代の殿方を避けていますのに」


 なんて会話も聞こえてくる。

 へーそうなのか。じゃあ何で俺に? ああもしかして助けたのを本気で心から恩に感じて、命の恩人には相応の見返りで義理を尽くす気なのか。ホント小さいのにしっかりしてるよ。

 感心しつつ、俺は彼女に答えた。


「――お断りしまっす!」


「え……」


 我が国の王女様はハの字眉になってまるで時間が止まったように表情ごと固まった。


「それじゃ俺はこれで! アイラ様もお二方もどうかご達者で~~っ!」


 泣かせるかもって罪悪感は湧いたものの意志の力でそれをねじ伏せて、俺はそそくさとその場を後にする。

 当然ながら魔狼を引き取って、獣臭いってかまんま獣を肩に担いですたこら全力で退散した。魔狼には適当な頃合いを見てトドメを刺せば問題ないだろ。


 こっちの素性はバレていないはずだし、注意していればもう会う心配もないはずだ。


 一抹の寂しさを感じないと言ったら嘘だけど、一歩一歩ごとにその未練を置いてくるような気持ちで脱兎の如く森の中を駆けた。

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