第4話 誰といたのかな?

椅子に縛られて放置されたものの気持ちなど誰がそうなろうと大差ないだろう。


そう、ただ不自由で不安で不毛な時間が過ぎていくのを傍観するだけだ。


そして不安が的中した。

トイレに行きたい。

生理現象は人をやめたからといってなくなるものではなかった。


何かを食らい消化し生きている以上避けられない機能なのだと、こんな化け物の身になってしみじみ実感する。


俺の部屋には時計がない。

特に必要がなかったからだ。


テレビはある。

これから悠久の時を一人で過ごすかもしれないと思っていた俺にとってはテレビや漫画など一人で過ごすための道具は必須だ。

しかしネットを繋ぐまでは躊躇していたが、そのうち暇を持て余して回線を引いていただろう。


そんなことで気を紛らわせてもやはりトイレに行きたい。

トイレに…


「あー、トイレ行きたい!え、漏れるよ…これあと何時間放置なんだ…」


ちなみに不死身ではあるが別に腕を自由に切り離したりはできないし、力も人を殺すくらいの力はあっても岩を粉々にするほどではない…


そして俺は漏らした後のことを考えていた。


もちろん気持ち悪いだろうし恥ずかしい。

雪乃の反応もそれはそれで怖い。


しかしもっと恐ろしいのは、雪乃が帰ってこないことだ…

あいつならあり得る。

平気で数日間くらいは俺を放置して隠れて俺の様子を眺めて喜んでいる姿が目に浮かぶ…


そんな不安と漏らす不安を抱えていると、玄関が開き雪乃の姿が見えた。


「ただいま、せんぱい♪」

「雪乃!帰ってきてくれたんだ!」

「ふふ、私がせんぱいを置いてどこかに行くと思います?そんな酷いことをするのはせんぱいだけですよ?」

「ご、ごめん…それでさ、早くこのワイヤー解いてくれないか?もう漏れそうなんだ…」

「なぁんだ、まだ我慢してたんですね。じゃ、もうちょっとこのままで♪」

「な、何言ってるんだお前…」

「だーかーらー、せんぱいが漏らすまでこのままってことですよ!でもーあっという間ですよ?私なんて半年間も放置されたんですから、ね♪」


想像していたより最悪な結果だった。

雪乃が帰って来て気が緩んだ俺が限界に達するまでそう時間はかからなかった…


「ご、ごめん雪乃!お前に何も言わなかったことは謝るから!」

「えー、なにをですか?私は怒ってませんよ?」

「い、いや俺も雪乃が嫌いなわけじゃないんだ…」

「嫌いじゃない?それじゃ好きな人は別にいるんですね…誰ですか?」

「なんでそうなる…そんな子いないよ!頼む…も、漏れる……」

「じゃあせんぱい、私とちゃんとお付き合いしてるって認めてくれます?」

「も、もちろん…俺には雪乃しかいないから、だから…」

「ふふ、嬉しい♪今のムービーとりましたからね!必死な顔のせんぱいもかっこいい♥」


そして雪乃にキスをされたあと、手足のワイヤーを解いてもらった。

俺は半ベソをかきながら這うようにトイレに向かった。

致命傷にこそならなかったが、少しパンツが濡れていた…


この歳になって、いや人ですらなくなってからこんな醜態を元カノ、いやの前で晒してしまったことで心底死にたいと思ったが、今の自分ではそれすら許してくれないとは業腹である。


「ふふ、早く着替えてきてくださいね、せんぱい♪」


少し漏らしてオロオロする元人間を満面の笑みで見下す彼女こそもはやこの世のものとは思えない。


そんなから逃げるようにして着替えを出した。

この家には風呂場はないのでとりあえずキッチンでタオルを濡らして拭いていると、俺の座っていた椅子を嬉しそうに掃除する雪乃がこう言った。


「せんぱいの恥ずかしいところ、見ちゃった♪うふふ、他の女の人は知らないせんぱいを知るたびに私たちの絆が強くなりますね♪」


雪乃は付き合い出した頃から狂っていた。

俺が他の女子と目が合うだけで身体に傷を刻まれて、クラスの女子の名前を知っていただけでその子が誰なのかを念仏のように質問され…


彼女の何がここまで執着させるのだろうか…

しかしスッキリして冷静になった今残る問題は、また雪乃の復縁してしまったという現実である…



「ふふ、せんぱい♪」

「な、なんだよ…」

「呼んでみたかったんです!私のせんぱい♪」

「雪乃…あ、それで用事は済んだのか?」

「今話逸らしましたよね?何か都合の悪いことありました?」

「な、ないない!ただ学校がどうのって話してたから…」

「あ、その件ならもうバッチリです!来週から私の通う学校に転校してもらうことになりましたので♪」

「え、いや何したんだ?」

「な・い・しょ!でもせんぱいとまた学校に通えるなんて夢のようです♪」


そうだ夢であってくれたらいいなと言いそうになって思いとどまった…


しかし中学の時、学校で散々な目にあったことが走馬灯のように蘇ってくる…

共学の学校であれば半分は女子だ。

接点がなければ別に構わないのだが、こちらから全ての女子を無視するようなことは実際難しい。

それでも雪乃のためと頑張った結果、誤解を招きいじめられたということもあった…


「あのさ雪乃、学校に行くのはわかったけど、頼むから他の女の人話したりするくらいで怒ったり悲しんだりしないでくれよ…俺はお前のことが好きなんだから信用してくれ…」 

「ふーん、まだ学校に行く前から女の子の心配なんて、やっぱりせんぱいは反省が足りないんですね?」


雪乃の笑顔がまた一段と可愛さを増した。

そして台所の包丁を手に取ろうとするのが見えた。


「ま、待て!俺はお前一筋だ、雪乃を愛してる、信じてくれ!」

「半年も放置してたくせに?」

「そ、それは…」


すごい笑顔だ。

でもなぜか瞳孔が開いているように見える…

そして上目遣いの三白眼で覗き込むように俺を見る雪乃は俺の下半身に包丁を当て、その後耳元で囁いた。


「一生許しませんから」


その言葉はいつもの雪乃より重く沈むような声で俺に届いた。

別にこんな言葉は普通の痴話喧嘩でもよく使う類である。

「一生許さないんだからね!」みたいなセリフはツンデレなキャラでよく見かけたりもする。


しかし雪乃の放つこの言葉は重い。

本当に一生かけて仕返しされるのではと思わざるを得ないこの言葉に俺は心の髄から冷えていた…

しかし何故か雪乃は自らの言葉に酔って…いや、照れていた。


「キャッ、一生とか言っちゃった♪」

「一生…」

「あれーせんぱい、また怖い顔してますよ?」

「い、いやまぁ…」

「それよりお腹すきましたね、何か買いに行きましょう♪」


何もなかったかのように包丁を台所にポイっと置いてから雪乃は外に行こうと言い出した。


もちろん逆らう理由もそんな度胸もないので一緒に家を出てコンビニに向かった。

そして外で雪乃がまた上目遣いで俺に尋ねてくる。

しかし今度は鬼気迫る目ではなく、恥ずかしさを隠しきれない女の子の目だった。


「せんぱい、手を繋ぎたいな…」

「え、うん…いいよ?」

「えへへ、優しいせんぱい大好き♪」


なんでそんなことを聞く必要があるのか俺には意味がわからなかった。

散々好きにしてるんだから勝手に繋げばいいじゃないか、なんていうのは乙女心を理解していない証拠なのだろうか…

しかし雪乃の心情など理解できる方が常軌を逸していると思う…


嬉しそうに俺の手を握る雪乃と並んでそのままコンビニに入った。


「今日は先輩の入学祝いのケーキがいりますね♪あ、これもおいしそう!」

「そういえば雪乃はコンビニスイーツ好きだったよな?」

「え、覚えててくれたんですかせんぱい?」

「も、もちろんだよ。ほら、これなんか新作でおいしかったぞ?」


俺にとっては雪乃の存在自体がトラウマだ。

頭から消したくても脳の奥までこびりついているから忘れようもない。

しかしおかげで雪乃の機嫌をとれた、と思っていたのだがなぜか雪乃の表情が暗い…


「せんぱい、そんなに甘いもの食べませんでしたよね?なんで新作のデザートの味なんか知ってるのかな?」

「え、いやそれはたまたまこの前買っただけで…」

「誰と?」

「へ…?」

「一人じゃないですよね?あのケーキ二つ入ってるし、女の子と買ったの?」

「ち、違う本当にたまたま…」

「ま、その辺は帰ってからじっくり聞きますね。だってこれからずっと一緒ですもんね、せんぱい♪」

「だ、だから…」

「なにか?」

「い、いや…」


あらぬ容疑をかけられた俺は雪乃との過ごし方で絶対にしてはならないことを思いだした。

それは絶対に冤罪を認めてはならないことだ。

「すまん」とか「俺が悪かったから」などと口にすればそれは罪を認めたとなり、火に油どころの騒ぎではなくなる。


必死で抵抗しながらなんとかコンビニで買い物を終えて、また帰り道は手を繋いできた。機嫌が直った…なんて安易に考えることはできないが、ニコニコと笑う彼女の顔が崩れないことをただ祈っていた…


そして家につくとすぐに雪乃がケーキを食べたいと言い出した。


「さ、食べましょうせんぱい!あ、ろうそく忘れちゃった…」

「いや、誕生日じゃないんだしこのままでいいじゃん…」

「えー、お祝いのケーキにはろうそくはセットですよー。あ、そうだ!」


急に何かを思い出したように雪乃は自分の荷物が入ったカバンを漁りだした。

そして「じゃじゃーん」といって取り出したのはガスバーナーだった…


「な、なんでそんなもん持ってんだ?」

「ふふ、こんなことがあろうかと思って持ってきて正解でした♪」


どんなことを想定したら女子の荷物にガスバーナーが入るんだ…

そして何度か試すように火を出しながら雪乃が好奇心たっぷりの目を俺に向けてきた。


「せんぱいって、燃えたらどうなるんですか?ろうそくみたいに溶けちゃうんですか?」

「な、何を考えてるんだよ!火は、火は苦手なんだ!」


そう、自分で色々試した時もっとも痛く苦しいと思ったのが火だった。

なぜかはわからないが熱さはこの体でもとても苦痛なのだ…


「だってせんぱい、私という彼女がいながら他の人とケーキ食べてたんですから何されても文句言えないですよね?」

「だから誤解だって!俺が甘いもの食べるようになったのだって雪乃の影響なんだぞ?だからケーキ食べてる時だってお前のこと思い出して…」

「うれしい♪そんなに私のことずっと考えてくれてたなんて、やっぱりせんぱい大好き♥」


そういって今度は急に雪乃が抱きついてきた。

よかった…そう安堵した瞬間に耳元で雪乃が呟いた。


「今回だけですよ」


その一言に指先まで冷え切った俺だったが、すぐに腕に熱さが伝わった…


「あっち!」


ガスバーナーの火で焦げた腕は焦げ臭いにおいを放ちながらもすぐに綺麗に戻った。


「ふふ、せんぱいは素直だからこれくらいで許してあげます♪じゃ、ケーキ食べましょ?」

「え、ああ…」

「せんぱいもしかして怒ってます?怒ってるわけないですよね?それとも怒るようなことありました?」

「あ、あるわけないよ!さ、ケーキ食べよう…」

「へへ、入学おめでとう、せんぱい♥」


雪乃は優しくキスをしてくれた。

俺は彼女の右手に持たれたガスバーナーを見つめながらそれを受け入れた。


そしてケーキを食べる時もずっとそばに置かれたそれを気にしながら、俺の入学祝いは終始笑顔で執り行われた…




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