試行錯誤 まずは初仕事を成功させましょう 3

 リハーサルだけれど、既にフードコートの特設ステージには人がわんさかと詰めかけていた。食事する人たちはもちろんのことだけれど、並べられたパイプ椅子にはばっちりと人が並んでいる。

 なにがすごいって、既に【HINA祭り】のロゴの入ったタオルを持っている人たちが並んでいることだ。おろしたての服に汚れひとつない靴と、スーパー銭湯密着型アイドルのファンとしてのプライドが見えるのに、私は喉を鳴らす。

 ステージ裏には、私と同じくネームプレートを首にかけた【HINA祭り】のマネージャーさんが立ってハラハラしながらステージを見ている。

「すごいですね、まだ前座がいるにも関わらず、あんなに【HINA祭り】さんのファンが並んでて」

 私がマネージャーさんに声をかけると、マネージャーさんは笑顔を浮かべる。

「いえ。うちの子たちも負けず嫌いですから。今回は【HINA祭り】の独壇場にはなりそうもありませんし」

「ええ?」

 マネージャーさんが仰いだ先を見て、私は少しだけ驚く。

【HINA祭り】のファンはスーパー銭湯の常連の男性客やファミリー層だ。でもその中でぽつぽつと女の子のファンが座っているのが見える。

【GOO!!】がゲリラライブを行ったのは、ついこの間。たった一曲でファンが付いたとは思えないけれど、これって桜木のアカウントで呼びかけた客層ってことなのかな。

 マネージャーさんはにこにこ笑う。

「いつも響学院さんからやってくるアイドル勢は油断ができません。おまけに、本当に久し振りの男性ユニットだったんで、客層が違うと思って油断していましたが、こちらも気を引き締めてかからなければいけませんね」

「そんな……あいつらは、たしかに実力はありますが、知名度は【HINA祭り】さんには全然負けています」

「ほら、あなただってすっかり彼らのファンじゃないですか」

 そう言われて、私は「しまった」と口を塞いだ。

 ……あいつらは、実力はあるんだよ。本当に。ただこいつらは100%力を発揮するための環境がなかっただけで。

 たった一回の、それもスーパー銭湯のライブで、しかも前座で、なにが掴めるのかなんてわかりゃしないけど。でも。あいつらを見せびらかしたいじゃない。あいつらはアイドルなんだと。

 皆がステージに並ぶと、最初のリハーサル限定のMCがはじまった。

「学校の校則とかしゃべったり、誰かの悪口はNG。できれば場を借りているスーパー銭湯の宣伝をしてあげて」という打ち合わせで、いったいなにを話すんだろうと思っていたけれど、先に元気に柿沼はマイクを持った。

『皆さーん、こおーんにーちはー!!』

 普段の腹黒さを感じさせない、明るい声だ。ファミリー層の子供たちが早速「こおーんにーちはー!!」と挨拶を返す。

『まだまだ元気が足りないよ。こーんにちはー!!』

「こーんにちはー!!」

『うん、オッケー。まだライブははじまらないし、これからリハだけれど、オレたちの歌を聞いていってください! オレたち、【HINA祭り】さんの前座を務めますけれど、負けるつもりはありませんから』

 アホー!!

 私は頭を抱えて、にこにこ笑っているマネージャーさんをちらっと見ると、必死で謝る。

 なにいきなり喧嘩売ってんだ! だから、初ライブで早速【HINA祭り】に喧嘩を売るような真似をするのはやめろって言ったでしょうが! ネットで拡散されたら、こっちだって手の施しようがないんだってば……。

 私はこれをどうするどうすると思っていたところで、スパーンとスリッパの音が響いた。 って、スリッパ? ステージを見たら、思いっきり柿沼を林場がスリッパで殴っていた。途端にドカンドカンと笑いが広がっている。ええー……。

『やめろ馬鹿。【HINA祭り】さんに場所をお借りして歌を歌えるようになったのに、いきなり喧嘩を売るんじゃない』

『ネットは、怖いよ……?』

 林場だけでなく、桜木までツッコミを入れている。そして柿沼はオーバーリアクションで頭を抑え込んでいる。

 ……ああ、そうか。あれで頭のいい柿沼のことだ。自分が喧嘩を売るような真似をしたら、生真面目な林場だったら絶対にツッコミを入れるし、引っ込み思案の桜木だって止めに入るのを計算に入れた上で、MCで喧嘩を売ったんだ。

 これで、ボケ1:ツッコミ2のキャラがわかる。しかも林場が持ってきてるスリッパ、地味にここのスーパー温泉のものじゃない。これでスーパー温泉の宣伝までするつもりか。

 私が勝手に感心している間に、林場はMCを続けた。

『そして、俺たちは歌いに来たのであって、漫才をしに来た訳じゃない。お客様が俺たちのことをトリオ漫才師と思って帰ったらどうするんだ』

『ぼ、くたちは、【GOO!!】って言います。覚えて帰ってくださいね』

『【HINA祭り】さんに喧嘩を売った馬鹿集団って覚えてってくださいー!』

『だから、いちいち喧嘩を売るな!』

 またもドッカンドッカンと笑いを取っているので、私は頭を抱えてしまった。これで、歌を聞いてもらえるんだろうか。

 でも、MCが終わって、観客席もざわつきはじめ、BGMが流れはじめた途端に……皆の視線がステージに釘付けになった。

 ライトの位置、フードコート特有の空気、銭湯から出たばかりの人たちの熱気。

それらが一心に溶け込んだこの場所で、彼らのダンスと歌で、皆の視線を奪ったのだ。

 途端にどこからかタオルが振られる。銭湯のタオルだったり、ライブタオルだったり、それらが振られる中、私はステージ裏でむずむずと見ていた。

「よっす。はじまってるね」

「まだリハーサルだっていうのに、熱気がすごいね」

 ステージ裏には、ちょうど真咲と琴葉がやって来て、ステージのほうに視線を注いでいた。

 ふたりは【HINA祭り】さんのマネージャーさんにも挨拶を済ませると、ステージを見た。ふたりともステージで歌って踊っている【GOO!!】に、目が釘付けになっている。

「すごいね……しゃべってるときは、普通の高校生なのに。ライトを浴びてイントロが流れ出した途端にあんなに変わるんだ」

 琴葉のしみじみとした声に、私も頷いた。

 レッスンにも立ち会っているし、なんだったら衣装合わせのときだって、一対一でしゃべったことだってあるのに、それでもステージの上にいるのと普段だと、全然違う。

 真咲はステージを見ながら満足げに笑う。

「うん、これだったら咲子がのめり込む訳だ。恋のひとつもしないで学校卒業しそうだから心配してたけど、これだったら安心だ」

「……あのね、真咲。うちの学校はそもそも恋愛禁止」

「思うだけだったら、交際してないんだから自由だと思うけどねえ」

 なんで混ぜっ返すかな、この人は。

 私はそう思いながらも、歌を終えて、一旦ステージ裏に置いてあるタオルとドリンクボトルを飲みに来た皆に、それぞれ渡す。

 帰ってきた途端に、むせかえるような汗のにおいに、私はそれぞれの頭にタオルを被せてやる。

 一曲はたった五分だっていうのに、それでこの量の汗……。今まではあそこまで明るいライトの下で歌ったり踊ったりしたことないし、なによりもお客様の前でのライブは初めてだ。それですぐに消耗するんだったら、こっちもなにか考えないと駄目だな。

「あれ、まあちゃんだけでなく、こうちゃんも来てくれたんだ」

 柿沼はドリンクボトルを一気に飲み干すと、琴葉のほうに目を瞬かせる。それに、琴葉は小さく手を振る。

「うん、わたしのつくった衣装着た皆が見てみたかったし。あと【HINA祭り】さんの衣装も見てみたかったから」

 他社の縫製も見たいなんて、さすが琴葉。勉強に余念がない。

 林場や桜木もぺこっと頭を下げてから、「また行ってくる」とステージへと戻っていった。

 リハーサルだけで、これだけの熱量じゃ。本番はいったいどうなってしまうんだろう。

 次のバラードも滞りなく終わったところで、ようやくステージには【HINA祭り】さんたちが並んだ。

 彼女たちは控え室にいたときは、もっと普通の女の子たちだと思っていたけれど。ステージ裏にスタンバイした途端に雰囲気が変わった。

 再び戻ってきた【GOO!!】の皆は、バラードなだけあって、そこまで消耗せずに、ただ大人しくタオルを被って見守っている。

『皆さーん、こんにちはー!! 【HINA祭り】です!!』

 途端に、【GOO!!】が掴んでいた空気は、途端に拡散され、フードコート全体に拍手と歓声、熱気が膨らんでいった。

 すごい。たったひと言のMCで、ここまで空気が変わるなんて。

 そうか、ここは彼女たちのホーム。前座はいわばアウェイであり、ゲストだ。彼女たちが温かく迎えられるのを見て、私はただただ驚いてしまった。

 もっとショックを受けるのかな、こいつらも。私はちらっと座って見物している奴らを見るけれど。

 三人とも、目はキラキラしたままステージに釘付けになっている。

「すごいよねえ、ホームでこんなにお客様たちに迎えられるなんてさ」

「彼女たちはすごいな。いったいどれだけ足で稼いだんだ」

「うん……スーパー銭湯でのライブって、年々増えているから、全国行脚しているとはいっても、そこで営業してる人たちが頑張ってない訳がない。だから全国でトップでなくても、スーパー銭湯でトップになるっていうのだけでも、本当にすごいことだと思うよ」

 三人とも、早速歌って踊りはじめた【HINA祭り】の面子を褒めながらも、ずっと凝視している。

 彼女たちがお客様たちにマイクを向ける仕草、追っかけのファンたちがタオルをくるくると回す仕草、歓声……これはもう、ただ【HINA祭り】がすごいんじゃなくって、お客様たちと一緒にステージをつくろうとする歴戦の技だ。

 ただ踊りと歌だけを完璧にしても、こんなアットホームなステージはつくれない。

 それをただ、貪欲に吸収しようとしている皆に、私は感心してしまった。

「……敵わないなあ」

 MCを挟んで、二曲目に入り、今度はお客様と一緒に手拍子をはじめた【HINA祭り】のステージを見ながら、私はぽつりと呟く。

 それに真咲は眉を持ち上げる。

「そりゃあっちはスーパー温泉での営業活動五年のベテラン勢だろ。いくら有名芸術学校の生徒だからって、経験が足りないのに勝てる訳ないだろ」

「もちろん【HINA祭り】はすごいよ。そうじゃなくって、あっち。あいつら」

 私はできる限り声を小さくして、ライブを見ている三人をちらっと見た。

 柿沼は観客席に視線を向けているし、林場はステージの上で飛び跳ねている【HINA祭り】に目が釘付けだ。桜木はずっとスピーカーを気にしているのは、曲の流れ方を考えているのかも知れない。

「あいつらは才能があるから、人の才能に嫉妬をしない。むしろ、どうやってそれを吸収するかって、そればっかり考えてる。すごいよ。あいつらは本当に」

「ベタ惚れなんだねえ……あんたも」

「変な言い方やめてってば」

「いや? 単純に、本当にほっとしただけだよ。咲子があいつらにベタ惚れなおかげで、あんたは義務以外もできるみたいでさ」

 真咲のひと言に、琴葉は見かねて「しぃー! まあちゃんそれ以上は駄目」と言う。

 心配させてるんだなあ、本当に。私は琴葉にも。真咲にも。でも。

 私はこの生き方以外ができないし、捨てる気もないから。あいつらに才能があると思えば思うほど、早く解放しなくてはって思えてくる。

 私みたいな人間じゃなくって、もっとまともなマネージメントを受けられるように。いい事務所に入れるように。全力で売り込まないといけない。

 それが、きっとあいつらにとっても幸せなことだから。


****


「あの、すみません。ここのスピーカーなんですけれど。二曲目のとき、もうちょっと右側のスピーカーの音を小さくして、左側のスピーカーの音を大きくできませんか?」

 リハーサルが終わり、三十分の休憩を挟んでいよいよ本番になるんだけれど。

【HINA祭り】はご丁寧に、リハーサル衣装と本番衣装とが違うため、本番用浴衣に着替えに行っている。その間に食事休憩なんだけれど、桜木は音響さんに交渉に出かけている。

 私ではよくわからなかった音のことを、普段から曲をつくっている桜木はなにかしら思うところがあったのかもしれない。

 帰ってきた桜木に「どういうこと?」と聞きに行ったら、いつものように薄く笑って教えてくれた。

「左側はお年寄りが多くて、右側は小さい子が多かったから。僕たち全体的に声が高いから、お年寄りの耳には聞こえにくいかもしれないって思ったんだ……【HINA祭り】さんのリハを見学してたら、やっぱり聞こえにくいらしくって、反応が遅れてたから」

 ああ……お年寄りは高音が聞き取りにくくって、低音は拾えると聞いていたけれど。わざわざ【HINA祭り】のために調整してたんだ。

 一方MCの内容を林場と柿沼は相談している。

「やはり俺たちが北川に買ってきてもらったフードコートの食事のことは話すべきか……」

「もう喧嘩を売るネタはリハで使っちゃったからできないしねえ。だったら次はテロ宣言? あ、駄目だ。ネタが被ってる」

「もっと穏便なネタを使え。掴みはよかったけど、これ以上やったら【HINA祭り】のファンを刺激しかねない」

 わいわいとやっているのを見ながら、私は「とりあえず、全員食べながらでいいから聞いて」と言う。

 三人の視線が集中するのを感じながら、私は続ける。

「さっきのを見てて、よくわかった。あんたたちは、ちゃんと自分のできることをやれるし、貪欲に吸収しようとしているから。だから、もうMCに指示は入れない。……まあ、あんまりやり過ぎると、私も事務所からものすっごく怒られるし、そのぶんだけ仕事探しも遅れます」

 それに、この間の突発ライブのことを思い出したのか、三人とも視線が泳いだ。こら、泳ぐな、こっち見ろ。

「でも」と私は続ける。

「責任は取るから、好きにやりなさい。ただ、無謀な真似はすんな」

「おう!!」

 ライブ前って、こんなもんだったっけ。

 全員がサンドイッチに紅茶、唐揚げを食べ終えたのを確認して、それぞれのゴミを回収したところで「円陣組もう!」と呼ばれる。

 私は無理矢理、柿沼と林場の間に入れられ、額をごちんと桜木とぶつける。痛い。

「初ライブ、成功させるぞぉー!!」

「おうっ!!」

 ばっかみたい。こいつらがこうなのか、それとも男がこうなのかは知らないけれど。

 なにもはじまってない。初ライブで、前座で、これが次の仕事に繋がるのかさえわからない。でも。

 何故かそれがくすぐったくて仕方がなかった。

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