森羅万象 問題児たちのマネージャーになりました 3

「……んー」

 喉を鳴らす。イガイガするのは、埃でも吸ったせいだろうか。

 変な夢を見たような気がした。いきなりサラブレッドの芸能人二世に札束を積まれるなんていう、シュールにも程がある夢。

 それにしても。さっきからアルコールの匂いがするし、今横たわっているシーツも布団も、うちよりもいいもの使ってるな……洗濯しすぎて薄くなったシーツにぺったんこの煎餅布団を思いながらふと目を開くとき、マスクの男子がこちらをじぃーっと見ていることに気付き、ぎょっとする。

「ぎゃっ……」

「ご、ごめんなさい……っ」

 そのマスクの男子に間髪入れずに謝られてしまった。

 髪は綺麗にオレンジ色に染まっている。そのオレンジ色の髪をひとつに括っていた。

 ……誰?

 マスクで出歩くの自体は、芸能コースではあまり珍しくない。特に声優志望や歌手志望の場合は、喉を守るために常日頃からマスクで出歩いて、喉飴や喉に優しいドリンクを常備している姿はよく見かける。

 マスクの男子はあわあわと言葉を続けた。

「あ……ごめん。倒れてたから、保健室に、運んだんだよ……おぶったのは、柿沼くんで……」

「柿沼……あ」

 途端に私は、通りかかったときに耳にした、甘い歌声が脳裏に閃いた。そして、札束。

 ……夢じゃなかった。あのシュールな出来事は。私はガバッと起き上がる。

「あなた誰!? 柿沼は!? あいつ、非常識にも程があるでしょ。あんな大金で自分の人生買うような真似はしちゃ駄目だよ。お金は超貴重なんだから!」

「え、ええっと……そうだよね、ごめん……」

 マスクの男子はおろおろしたように、仰け反りながらも頷いてくれた。

 しかし、芸能コースは誰もかれもが押しがずいぶん強いのに……そうじゃなかったら、芸能界で生き残れないっていうのが、芸能コースに足を踏み入れた以上わかっているんだろう……彼は妙に控えめな性格で、珍しいなと思ってしまう。

「あ、ごめんね……名前言うの忘れてた……僕は桜木優斗さくらぎゆうと……柿沼くんと林場はやしばくんと一緒に、最近ユニットを結成したばかりの……」

 彼はごにょごにょと自己紹介するのを、私は目をぱちくりさせながら聞いていた。

 なんというか……どもりまくってるなあ。たしかにアイドルだったら、歌以外でだったらちょっと抜けているほうが可愛げがあるんだろうけど。それにしても、歌手や声優だったらいざ知らず、アイドル目指しているんだったら、顔を出さなくっていいんだろうか。とずっとマスクを付けたままでおどおどしている桜木を見て思ってしまった。

 柿沼はわかる。林場っていうのは、柿沼が「みっちゃん」と呼んでたあのクールなイケメンのことか。

 私は桜木のことをじっと見た。

「まあ、あんたのことはわかったけど……それで、柿沼は?」

「しょ、るいを、取りに行ってる……林場くんと……マネージメント契約のための」

「はあ……!? あいつ、まだ諦めてなかった訳!?」

 なんでだ。二回もきっぱりと断ってるじゃないか。なんで私をわざわざ巻き込もうとするんだ。頼むから余所行ってくれ、余所に。

 私が目を吊り上げている間に、おどおどと桜木は言葉を続ける。

「は、林場くんもお金で買収するような真似はしないほうがいいって反対してるし、僕もなんだけど……でも、柿沼くん。言ってることが無茶苦茶だし、やってることも、滅茶苦茶だけど……ご、かいだけは、しないでね。彼……本気で芸能界目指してて……自分のことを、真剣にマネージメントしてくれてる人、探してるだけだから……」

 私はたどたどしくも、必死でしゃべっている桜木のことを、ただ凝視した。

 うん。たしかに柿沼は、いろんなものが圧倒的に噛み合っていないんだ。

 マネージメント契約する人を探しているけど、彼が芸能人二世のせいで、それ扱いする人が多過ぎるのに辟易している。まあ、たしかに既に売れている親の名前を使ったほうが、楽に名前を覚えてもらえるんだ。

 今は娯楽飽和時代なんだから、名前を一発で覚えてもらうとなったら、既に覚えてもらっている名前を使ったほうが圧倒的に楽だ。マネージメント契約結びたい子たちが、柿沼の親にキャーキャー言うのはもちろんのこと、親の名前を使ったら売り込みやすいって計算が入っているのは多いと思う。

 でも。柿沼はそれを本気で嫌がってるんだな。

 あいつは図太い言動ばかりが目立つけれど、割と神経質だ。それが原因でマネージメントコースの子と喧嘩もしているのかもしれない。

 ただ、いちから新人アイドルを売り込むとなったら……それは茨の道だ。

 大手事務所と契約する、大きな仕事で名前を上げる、地道に草の根活動で宣伝する……新人アイドルの知名度を上げる方法はいくらでもあるけど、卒業するまでに成果を上げられるのかというと、それは未知数だ。楽をしたいって子たちの気持ちもわからないでもない。

 でも。私が耳にした柿沼の歌声を思う。

 彼の父は俳優で、歌は歌ったことがなかったはず。母はアイドルだったけれど女性だから、男性特有の甘い歌声は出せない。彼の歌声だけは、間違いなく彼のオリジナルのものだ。

 もし売り込むとなったら、あの歌唱力だろうか……。

 でも林場は? あいつはたしかに顔がいいものの、なにに長けているのかを今日会ったばかりの私は知らない。

 そして桜木は? そもそもマスクを取ってもらわないことには、どんな戦略を立てればいいのかなんてわかったもんじゃない。

 ……そこまで考えて、私ははっとした。

 なんで、私がこいつらを売り込む方向で話が進んでいるの……!

 だから嫌なんだってば。私は普通に高校卒業しないといけないし、就職決めないといけないの! あいつの事情に同情せんこともないけれど、私にだって余裕はないんだから!

 桜木は私の百面相を困ったように眺めていたところで、ベッドを区切っていたカーテンがシャッと音を立てて開いた。

 満面の笑みの柿沼と、呆れた顔をしている林場だ。

「お待たせー! 特待生、書類もらってきた! マネージメント契約の!」

「だから、あんたは、なんで私をそこまでマネージャーにしたがるの!? 巻き込まないでって何度も何度も言ったよね!?」

「だってさあ……」

 そう言うと、柿沼はこちらに顔をそっと寄せてくる。

 だから、顔がいい男がそんなことしちゃいけない。私は仰け反って「アイドル目指してるのがそんなことしていいの!?」と悲鳴を上げる。

 それに林場も桜木も「あー……」と声を上げる。なんで。

 私が訳がわからないまま柿沼とふたりを見比べていたら、柿沼がふたりに「ねー」と声を上げる。だから三人だけでわかり合うな、説明しろよ。

 そう思っていたら、柿沼はこちらに振り返る。

「やっぱり。君だったら大丈夫だ」

「はあ? だからなにが」

「君だったら、問題が起こりようがない。いるんだよね、芸能人に近付きたいからって理由でマネージャーになりたがるのも、芸能コースの校舎に堂々出入りできるからって理由だけでマネージメントコースに入る奴も」

 あれか。芸能コースの生徒に近付いて玉の輿や青田買いを狙っているような、失礼なマネージメントコースの女子でもいたのか。

 うちの学校、そもそも男女交際禁止でしょうが。

 そういえば。

 男子の芸能コース生徒とマネージメントコースでつるんで、女子アイドルグループのオフショットを撮りまくって退学になった生徒がいたっていうのは、入学式のときにマネージメントコースの諸注意で言っていたことだ。

 芸能コースとマネージメントコースがマネージメント契約を結んでしまったら、一蓮托生。どちらかが問題を起こせば、どちらも一斉に退学だ。

 男子同士でも問題を起こす奴は問題を起こす。

 女子同士でも問題が起きたら退学。

 ……逆を言ってしまえば、男女関係なく、問題起こさない人間は問題を起こさない。

 私に声をかけたのはあれか。学校を辞められない理由があって、問題を起こせないからか。

 柿沼はにっこりとした顔で言う。

「もしお金が必要だって言うんだったらあげる」

 正直、欲しい。むっちゃ欲しい……いやいや、駄目だろ。いきなり札束積まれたら、こっちの心臓が持たない。

「君の予定を優先していい。オレたちのマネージメントをきちんとしてくれるなら」

 無茶言うなよ。私も資格試験とか資格試験とか資格試験とかで忙しいのに、その上でマネージメントしろだなんて。

「君のアイドルに、オレはなるから」

 だから、困るんだってば。

 堂々巡りをしている中、林場は溜息をつくと、何故か懐からスリッパを取り出して、それでスパーンと小気味いい音を立てて、柿沼の頭を叩いた。

 って、え────っ?

 私はいきなりの行動に唖然、としていたら、林場が頭を下げた。

「……すまん。本当におかしなことを言い出して。ただ、そろそろマネージメント契約が進んでしまい、空いているマネージメントコースの生徒たちもそろそろいなくなりそうなのは事実だ」

「はあ……」

 私が資格勉強している間に、クラスメイトはやることやってるんだなあと感心する。わざわざサバイバルに参加するなんて、思っている以上にクラスメイトは貪欲だ。

 黄色い声を上げていた子たちは、何人かいたような気がするけど、あの子たちもちゃんと契約できたのかなと暢気に思う。

 林場は続ける。

「正直、今年はあまりマネージメントコースの質がよくない。だから、お前がもしなってくれたら心強い……特待生だから、成績優秀者だからじゃない。お前が、いいんだ」

 ……資格試験、一週間前なんだけど。

 こちらをおろおろした様子で見ている桜木に少しだけ会釈をしてから、ふたりに向き直る。

「……言っておくけど、私。授業でマネージメントを習っているからって、プロみたいな行動を期待されたら困る。既に柿沼なんかはプロの仕事を知ってるだろうから、それは先に謝っとく」

「知ってるよ。特待生にそこまでの活躍は期待してないし」

 柿沼はあっさりと言ってのける。

 こいつ本当に性格悪いな。

 私のツッコミはさておいて、林場に向き直る。

「来週、資格試験なの。それが終わってからで大丈夫? もし明日からって言われたら、ものすごーく困ります」

「……マネージメント契約をしてくれるんだったら、俺は別にそれでかまわない」

「そっか。それじゃあ」

 最後に、三人全員を見回す。

 柿沼は正統派アイドルフェイス、林場はクールイケメン、桜木はマスク取ってくれないと判断できないけれど不思議ちゃん系か。

 この三人をマネージメントって、いったいどう調理すればいいのか。

 教科書や参考書の内容を頭にグルングルンと回しながら、頭を下げる。

「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 こいつら、本当になんとかなるんだろうか。こいつらと一蓮托生になって大丈夫なんだろうか。

 私は三人の署名の入ったマネージメント契約の書類を見ると、それらの諸注意をざっと読んでから、それに署名を済ませたのだ。

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