森羅万象 問題児たちのマネージャーになりました 2
マネージメントコースの授業は、普通コースや特進コースと並んで、通常授業のカリキュラムに加え、スケジュール管理や芸能人のプロモーション戦略の座学に、ビジネスマナーや交渉術、企画立案など、芸能界に入らずとも社会人として必要そうなスキルを万遍なく学べる。
それらと並列して、お金のトラブルに巻き込まれないように簿記などの資格取得も推奨されているから、私もそれらの資格勉強をしているのだ。だから在学中は、ただで受けられる資格試験は大量に受けるつもりだ。
私は簿記の参考書を読みながら、ぶつぶつと呟いているとき。
渡り廊下の向こうに位置する音楽室のドアが、薄く開いていることに気が付いた。ちょうどそちらは芸能コースの校舎だった。
基本的に防音処置が施されている音楽室は、隙間が空いてなかったら音漏れはしない。
マネージメントコースの校舎は基本的に他のコースの校舎の中央に存在し、渡り廊下で繋げられている。
普通コースや特進コースの生徒が芸能コースの生徒に近付き過ぎて問題にならないよう、マネージメントコースの生徒が企画立案の際に他のコースの生徒と交渉しやすいようにと、こんな形になったそうだ。
そのままスルーしようとしたけれど、そこから流れてくる歌声に、私は耳を塞ぐことができなかった。
明るくハスキーな歌声。アップテンポでリズミカルな足音。
音楽自体は流れていないにも関わらず、そのキラキラした音をスルーすることができなかった。
私はまるで、操られるかのように、渡り廊下を歩いて行った。
試験。資格。受験までひと月。自分の中で制止をかけるものをできる限り羅列したけれど、それでも足は止まらなかった。
気付けば、音楽室のドアの隙間に目を凝らしていたのだ。
中には音楽家の肖像画がかけられ、机も椅子も奥まで下げられていた。その中で、モップを持ったまま、歌って踊っている姿。それは、昼休みに私に声をかけてきた、柿沼だった。
芸能人のサラブレッドが、私に声をかけてきて、しつこく食い下がってきて何様なんだろうと思っていたけれど、この光景は圧巻だった。
スポットライトなんてない。あるのはカーテンから漏れる日差しだけ。なのに。
何故か彼だけ輝いて見えるんだ。
やがて、クルッとターンをして、歌は終わる。ポーズ。
気付けば私は、参考書をぽろっと落としていた。
そのパサリという音で、ようやく彼はこちらを見た。
「あれ、特待生。なんでここにいるの」
「あ……あんたこそ。音楽室から歌声が聞こえるから……もう放課後なのに、なんで」
「掃除当番だったからだけど」
「ひとりで?」
たしかに芸能コースは、クラスの人数は他のコースよりも少ない分、音楽室も他のコースのものよりもこじんまりとしているけど。それでもひとりで掃除しろってひどすぎやしないかと思う。
でも柿沼は淡々として答える。
「だって。他の奴らはさっさとマネージメント契約済ませて、マネージャーと一緒にレッスンが入っちゃったから、掃除は免除されちゃったの。オレは免除されないから、ひとりで掃除。まあどうせ誰もいいからいっかと思って歌の練習してたけど。まさかあんたが見てるなんて思わなかった」
あっけらかんと嫌みを言ってくるのに、私はムカムカムカッとしたものの、とりあえず参考書を拾い上げて鞄に突っ込み、音楽室に入る。
「というより、聞いてておかしいと思ったんだけどいい? あなたのご両親の力があったら、もっと早く事務所と契約できたと思うんだけど」
芸能コースのことは一応聞いている。
一年以内に成果を見せろって曖昧なことを言っているものの、特例だって存在していたはずなのだ。
その特例とは、さっさと事務所と契約をして、プロのマネージメントを受けること。
その場合はマネージメントコースの生徒を巻き込まなくってもいいし、プロの適格なマネージメントが受けられるし、なによりも退学しなくてもいい。
もちろん事務所だって、いくら響学院の生徒だからといって、そんなホイホイとは入所許可は卸さないけれど、少なくとも、うちの学院枠の入所試験は受けられたはずなんだ。
なによりもサラブレッドだったら、誰も放ってはおかないはずなんだけど。
それに柿沼は「うーん」と間延びした声を上げる。
「だってそんなの、ちっとも面白くないじゃん。うちの親のコネを使って芸能界デビュー決めたところで、オレは親の七光りって汚名は免れないしさ」
今、さらっと面白くないと言ったぞコイツ。
……それはさておいて、親の七光りは嫌なんだな。芸能人に疎い私ですら知ってるような知名度だったら、利用しない手はないと思ったんだけど。
でも余計に謎だ。彼だったらひとりで芸能界デビューしてもおかしくないのに、わざわざユニットつくってデビューなんて。
私が探るように柿沼を見ていると、彼はモップを片付けて、机を押してくる。
「話はそれだけ? ねえねえ、あんた以外に空いてるマネージメントコースの生徒いないの? 皆早いよねえ。オレたちも遅かった訳じゃないのにさあ」
あれだけ人懐っこい感じだったのが一転、今はすっかりと淡泊だ。私が断ったから、もう赤の他人ということなんだろうか。つまりは、あれは営業用と。
ここは素直に空いてるクラスメイトをピックアップして、私はさっさと帰ればいいだけの話なんだけれど。
……聞いてしまった歌が、頭にこびりついて離れない。
いくら営業用スマイルとはいえど、歌に営業もコビもないだろう。
私は一緒になって机を元に戻すと、柿沼はきょとんとした顔で「いいのに」と言う。
「よくない。なんかムカつくと思っただけ。あんたなんでさっさとマネージャー見つけられなかったの?」
「んー……一応声かけられたのはあったんだよ。マネージメントコースからの売り込み。でもさ、オレの父さんと母さんの話を聞いた途端黄色い声上げるし、サインもらってこいとか言うし」
柿沼は淡々と言う。
あれか、みっちゃんの言っていた「マネージメントコースの質が落ちた」という苦言はここからか。
……それにしても、あれだけ人を引きつける歌を歌っていたとは思えないほどに、その態度は本当にすげない。
「それがオレも普通コースの生徒だったり特進コースの生徒だったりだったら、別にどうぞって感じなんだけど。一応マネージメントコースなんだよ? 特待生みたいな奴もいるけど、表向きは芸能界入りするのに、そんなプロ意識ない奴に、オレたちのスケジュールなんて任せられないよ」
「ふうん。そう。でも、私に声をかけるのは粘ったけど、それはなんで?」
「だってさあ。芸能人に疎いっていうのもそうだけど、オレ。一応そこそこイケてる顔だと思うんだけど。それで迫って無視して断るから、なんでだろうって思ったんだ」
……さっきから薄々思ってたけど、柿沼は一見人懐っこく見えても、ものすっごく性格悪くないか?
自分が顔がいいのをわかっているし、それをアピールしてくるって、あんた。
イケメンを見て、芸能人が好きだったら黄色い声を上げるのはわからなくもない。私だってそんな頃はあったから。今はそんな気分になれないだけでさ。
私は最後の机を押しながら言う。
「……お金が必要なの。どうしても。だから、私はここをきっちり卒業しないといけないし、卒業と同時に就職を決めないといけない。博打なんて打つ余裕はないんだよ」
「ふうん。どれくらい?」
「……それ言っても、お金に困ってない人に言ってわかるの?」
私はじろっと睨むけれど、柿沼は怯まない。
……さすがに柿沼に八つ当たりしてもしょうがないか。私は少しだけ俯いてから、最後の机の椅子を元に戻した。
「ごめん……私そろそろ帰る」
「うん。お金があったら、マネージメント契約してくれるの?」
「……はあ?」
そのまま帰ろうとしていた足を止めて、もう一度柿沼を見る。
柿沼は奥に置いてあった自分の鞄を開くと、なにかを取り出した。小さなスチール製の箱のように見えるそれを開いたとき、私は言葉を失った。
札束。それが何個も重なっていたのだ。
「ななななななななななな………………っ」
「あ、盗んだとかじゃないから気にしなくっていいよ。これ、オレが個人の仕事でもらったお金だから。前までは通帳に振り込んでもらったんだけどさ、銀行に行っている暇がなかなかないし、クレジット契約するのもいろいろ面倒臭いから、かえって現金でもらったほうが便利だから、そうしてるだけ」
「ななななななななななな………………っ」
「はい、どれだけ? 100万? 200万? 君の人生を買わないといけないから、お金はそこそこ積むけど」
意味がわからない。
マネージメント契約する際に、お金払って契約しようとするとか、意味がわからない。芸能人のハイブリッドとの遭遇といい、さっきの歌といい、積まれた札束といい、これは私がお金に困り過ぎて見ている夢じゃないか?
ああ、そうだ。これは夢だ。いくらなんでもこれが現実なんてありえない。そうだ。うん……寝よう。
私はそのままドタッと倒れてしまった。
起きたら、多分いつもの日常が待っているはずだ。うん。
****
「……まさか札束見ただけで倒れるとか、ちょっとからかい過ぎたかなあ。お金に弱いってのだけはわかってたから、それで揺すぶりをかけるだけだったのに」
銭ゲバなんだったら、お金を積めば言うことを聞くだろう。
おべんちゃらを言ってくる人間は、大体されるほうには弱い。
もう一般人の行動パターンなんて、こっちが笑ってしまうくらいにワンパターンだから、いくらでも読めるって思ってたのに、まさか札束見て気絶するなんて大袈裟なことしてくるとは思わなかった。
オレもまだまだだ。
「まあ、いっか。このままあとは口説き落とせば、マネージメント契約は達成するだろうし」
「……おい、涼。またマネージメントコースの生徒を弄んで……なんだ、これ」
どうやって特待生を起こそうか考えていたところで、みっちゃんとゆうちゃんがやってきた。
みっちゃんはあからさまに顔をしかめて特待生を見下ろしている。ゆうちゃんはおずおずと特待生を覗き見ている。
「あ、あの……この人が……特待生? し、死んで……?」
「違う違う、札束積んだら気絶しちゃった」
「さ、さつた……」
「当たり前だろ!? お前はいつもいつも人をおちょくり過ぎなんだ……!」
スパーンとみっちゃんにスリッパで殴られる。痛い。なんでみっちゃんはツッコミ用のスリッパなんて常備してるんだろうね。
ゆうちゃんはオロオロしてオレとみっちゃんを見比べている。
「あ、あの……これだから、僕たちマネージャーが……」
「えー……だってさ、いらなくない? 使えないマネージャーだったら。だったらさっさと転校するよう仕向けるのが優しさじゃない?」
「それで、とうとう五人目のマネージャーが特待生と。まあ、彼女は他とは違うから、そう簡単に転校するような真似はないとは思うが」
うん。使えないマネージャーはいらない。
本気で芸能界目指してないような、上っ面しか見てないようなのは特に。
だからオレたちのマネージャーにして、さんざん弄んで、「もうやだ……」って言わせたところで、転校手続きしてあげるように甘い言葉を吹き込んだら、簡単に転校してしまう。
バイバイ、次はもう芸能界目指そうなんて思わないでね。と。
特待生は本当にお金のためにしかこの学校にはいないみたいだし、ただ芸能人見てキャーキャー言いたいのとは違うみたいだけれど、この学校にずっといたら、いずれは染まってしまう。
染まりきってしまう前に、バイバイしようか。
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