第2話
メモを回収して、バイト先に病欠の連絡を入れると「年末年始は覚悟してくれ」と、ありがたく釘を刺される程度で済んだ。
とりあえず、加奈子さんの話を聞こうと、久しぶりに506号室のインターフォンを押して様子を伺う。
「あら、克弥くん。久しぶりねぇ」
「どうも。お久しぶりです」
担任とは違い歓迎ムード全開の加奈子さんは、ふくふくのおかめ顔に笑みを貼り付けて部屋に入るように促した。
寒いのに露出の高い服をだらしなく着崩して、ぱさついた茶色の髪がほつれた糸のように乱れている。
なれなれしくオレ肩に抱きつく体。もちっとした白い二の腕の感触が、生々しいおぞましさをオレに伝えている。
「入って入って、寒いでしょう~」
リビングに通されてテーブルに腰を下ろすと、千紗の部屋の方に視線を向けた。
同じマンションの同じ間取り同じ配置の部屋。最後にこの部屋を訪れたのはいつだったのだろう。
テーブルに置かれた新聞紙のゴミ箱とみかんの山が積まれたカゴ。詰まれたみかんの頂に、幼いオレが手を伸ばしている姿が見えた気がした。
「あの聞こえてしまったんですけど。千紗は学校に行ってないんですか?」
少しでも拾える情報を求めて視線を彷徨わせる。
「あぁ、やっぱり聞こえてたのね。びっくりしたでしょー。あの担任、本当にうざいのよ。あ、牛乳とオレンジジュース、どっちがいい?」
「じゃあ、オレンジジュースで」
みかんの山を見つめながら、オレは答えた。コップに注がれたオレンジジュースとみかんのオレンジ具合を見比べて、なるべく加奈子さんと目をあわせないようにする。
「珍しいわね。いつもなら牛乳じゃない」
ニヤニヤと神経に絡みつく声音に、微かにカチンとくる。
「いやぁ、そのいつものって、いつの話でしたっけ?」
確かにオレは一時期、貪欲に牛乳を飲んだ。はやく千紗を守れる大人になりたかったから。
「まぁいいわ。ちょっと困ったことなんだけどねぇ」
あっけらかんと笑う加奈子さんは、オレの反応を楽しむように薄ら笑う。
「学校には家に引きこもって、登校拒否ってことにしたんだけどねー。実は千紗、今月に入ってから家出しちゃって、どこにいるのか分からないのよ」
どうしましょう。と、まるで大したことでもなく言う幼馴染の母親に愕然とした。
「え? なんで、そんな」
(やっぱり、あり得ない)
切実に自立を目標に掲げていた彼女が、家出なんて無謀な手段をとるなんて考えられない。
「んー? なんでだと思う? せめて高校だけは出て欲しいんだけどね」
「ちょっと待てよ、なんだよそれっ。心配じゃないのかよ」
加奈子さんは、こんなキャラだっただろうか。それとも、オレが知らなかっただけなのか。
「もう、そんな大声出さないで。あの子も、もう16よ。家出の一つや二つするわよ」
「っていうか、なんで。理由は?」
「さあ。克弥くんは知らない?」
疑問形で返す加奈子さんは、身を乗り出して胸の谷間を見せつけてきた。白く揺れる肉の塊に、生理的に吐き気がこみあげてくる。
「克弥くん、しばらく見ない間に良い男になったわねぇ。ねぇ、千紗のことなんか放っておいて、私と遊ばない?」
「――失礼します」
(ヤバイ)
反射的に腰を浮かせて逃げ体勢をとった。
「あぁ、そうなの。残念」
「加奈子さん。加奈子さんは千紗が心配じゃないんですか?」
たまらずに声を上げるが、彼女は動じることなく笑顔を崩さない。
「なんで? だって、克弥くんが見つけに来てくれるんでしょう」
「分からないじゃないですか。今からでも警察にいって捜索願を出さないと」
「寒いから、いーやっ! そんなに言うなら、あなたがなんとかしてよ」
「なんとかって」
「決定ね。千紗を見つけてくれたら伝えてくれないかしら。いい加減素直になりなさい。どーせ、私の言う通りになるんだからって」
その言葉は、まとわりつくような響きを帯びて、オレの全身に鳥肌を立たせた。
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