私の全てが書かれたノート

俺の全てが書かれたノート

 小さくて丸いちゃぶ台の上に、一冊のノートがあった。

 真っ白い表紙には何も書かれていない。ノートを手にとってめくってみると、顔写真が目に入る。

 前髪をあげた茶髪、髭はきれいに剃ってあって、鼻にはニキビがある。

 その下には『河内江西かわうちこうせい』と書かれている。


 俺だ。


 もう一枚ページをめくる。

『2000年9月13日』

『河内豊と河内清子の間に生まれる』

『2001年6月2日』

『ハイハイする』

『2002年11月20日』

『手足口病になる』

『2002年12月……………


 俺は夢中で読み耽った。覚えている懐かしいエピソードから、全く覚えていない事柄まで、俺自身のプロフィールが詳細に綴られていた。

 それは生まれた時から、大学に入学したことや彼女ができたこと、デートの内容、初めてした日のことまで、俺しか知らない内容がずらりと並べてある。

 そして彼女の美也が失踪し、居ても立ってもいられなくなった俺が、こうして美也の部屋に立ち寄ったことまで書かれている。

『2020年12月18日』

『美也の部屋を尋ねる』

 今日の日付と行動が書かれてるページを見つけ、ぞっとして俺はノートを壁に投げつける。

 美也はミニマリストだった。余計なものは何一つ持っていなかったし、この部屋もベッドと丸いちゃぶ台が置いてあるだけで、美也の荷物はアパートの小さなクローゼットに納まるくらいだった。

 その部屋のなかで、このノートだけが異質だ。

 俺の全てが書かれたノート。

 どうしてそんなものを彼女が持っている?


 美也が俺をストーキングしていたとは思えない。

 どっちかといえば、俺が美也にぞっこんだった。

 講義で初めて見たときに一目惚れして、美也が映画好きって言ったから俺も映画を見始めた。美也はドンパチするアクション映画が好きだった。それに合わせていたら、俺も好きになった。

 付き合ってからも、デートはもっぱら映画館で、その後にどちらかの家で話していることの方が多かった。

 俺には美也が必要だったけど、美也は俺が居ても居なくても、どっちでも構わないみたいだった。その強いところが好きだった。好きだったのに、


 美也の様子がおかしくなったのは一週間前のことだ。

 珍しく彼女が俺に電話をかけてきて、一晩中話をしていた。そこで美也が言った一言が印象に残っている。

「今日、私とあった?」

 もちろん会ってなかったから、美也が冗談を言ったのだと思っていたけれど、それから会うたびにビクビクしていたり、目の隈が濃くなっていって、二日前に連絡が取れなくなった。

 美也のSOSを俺は聞き逃したのだ。

 きっと、一週間前にこのノートが彼女の下に届いたのだ。

 俺のことが書かれたノートを見て電話をかけてきたけど、俺が何も知らないようだったから、心配かけまいと黙っていたのだ。

 そして、美也が消えた。

 きっと、このノートの持ち主が消したのだ。


「クソ、なんで……、なんで美也なんだよ!」

 消えた彼女の部屋の真ん中で、俺は泣いた。涙が止まる頃には、日が暮れていた。

 電気もつけずに洗面所へ向かう。そこには、歯ブラシが二本あった。

 美也と俺の分。ミニマリストの彼女が、部屋に置いてくれていた俺の物。

 また涙がこぼれそうだったので、冷たい水で顔を洗う。

 少しすっきりして、涙は引っ込んだ。

「よし。探そう。絶対、探そう」

 俺は玄関の鍵を開けて外に出る。冬のカラッとした空の中を、走って家に向かった。




 俺の部屋に誰かいる。

 空き巣かと思ったけれど、電気がついている。

 合鍵は誰にも渡していないはずだ。美也にだって渡していない。美也は線引きをしっかりするタイプだったから、美也も鍵をくれなかった。

 だけれども、俺の心にむくむくと希望が湧き上がってきた。

 きっと美也だ。俺の下に帰ってきた。

 部屋の鍵は大家に頼めば開けてもらえる。きっとそうしてもらったのだ。

 窓の格子の裏に隠した鍵を取り、我が家のドアを開ける。

「美也!」


 美也とは正反対の、ごちゃついた部屋。美也が来るときは、嫌われないように片付けていた。片付けておけばよかったと後悔したけれど、無駄だった。

 俺の部屋にいたのは、飯を頬張る男だった。

 前髪を上げた茶髪、髭は剃ってなくて、鼻にはニキビがある。


 俺だ。


 部屋には俺がいた。

「な、なななんだ!?」

「な、なななんだ!?」

 口から食べかけのパスタをポロポロと溢している間抜け面があった。

 俺が、俺の部屋で晩飯を食べている。何ら不思議なことはないはずなのに、これほど恐ろしいのはなぜだろう。

 俺は一つの都市伝説を思い出した。

 ドッペルゲンガー。

 自分とそっくりの分身であり、死の使者。出会ってしまえば殺されてしまうという都市伝説。

 ドッペンルゲンガーが、俺の目の前に現れた。

 だとしたら、待ち受けるのは。死。


 俺は逃げた。

 足が自然と向いたのは、高校からの友人である、宗治の家だ。

 インターホンを連打していると、間延びした声が帰ってきた。

「はーい。……はい? ちょっと待って!」

 どたどたと騒がしい足音が聞こえてきたと思ったら、ドアが勢いよく開いた。スウェットにメガネの高身長の男が現れる。

 その手には、携帯電話が握られていた。そのスピーカーから音が漏れる。

『おい、どうした? 宗治!』

 宗治からひったくるように携帯電話を奪うと、俺の声が聞こえる通話を無理やり切る。

 事態についていけていない宗治に言う。

「俺が本物で、そいつは偽物だ」


「なるほど。僕のところにかかってきた電話は、なんだっけ、そのドンペリゲンガーだってわけか」

「ドッペルだが。まあ、そういうことだ」

 晩飯時のわりにすっからかんなラーメン屋で二人、麺をすすりながら話した。

 ずるずると麺をすすってから、宗治は言う。

「そのドッペル江西が自分のことを書いたノートを送りつけて、美也さんを殺したってのか?」

「美也はきっと死んでねえ。多分あのパチモンが監禁してんだ。ていうより、宗治、俺の話信じてねえな」

 一大事だと言うのに、宗治は箸を止めずにラーメンの合間で喋る。

「まあ、面白い話だとは思うよ。でも、もっと気になることがあって」

「なんだよ」

「明日って日曜じゃん。精神病院やってんのかな」

「ラリってるわけじゃねえよ」

 そう宗治には言うものの、未だに自分の置かれている状況が信じられないのは俺も同じだ。

「とりあえず、もう一度美也の部屋に行ってみる。帰ってるかもしれねえし、ノートのことが気になる」

「今日二回目だろ? ストーカーかよ」

 ラーメン代を奢ってくれた宗治は、別れ際に携帯で調べた日曜でもやってる精神病院の場所のメモを俺に渡して、汁の飛んだスウェットのまま家に帰って行った。

 信じてくれないどころか馬鹿にしてくる宗治に怒りを感じたが、ラーメン代分くらいは感謝しておいた。


 膨れた腹が心地よく馴染んできた頃、美也のアパートについた。

 錆びた階段を上がって二階、奥から二番目の美也の部屋の扉が、開いていた。

 嫌な予感がした俺は靴を脱ぐことも忘れて部屋の中に入る。部屋は荒らされた様子はない。ベットの上には俺が投げたノートが今も転がっている。それを拾い上げ中を見ようとした時、カタンと何かが鳴った。音がしたのは、洗面所の方だ。

 風呂場のドアを開けると、美也が湯船に浸かっていた。

 俺は電気をつける。

 血の湯船に沈んだ美也の隣には、血塗られた包丁を持ったもう一人の俺がいた。

「お前がッ!」

 言葉と拳、どちらが先に出たのかわからない。俺は俺の顔面を殴り飛ばして、壁に頭を打ち付ける偽物の俺に蹴りを放った。

 俺は言葉を発せないようだった。ハッとして俺は湯船に寄り、沈む美也の頬に手を触れせた。美也は冷たくなっていた。

 美也は死んでいた。

 ドン、と衝撃がくる。横を向けば倒れていた偽物の俺が起き上がっていて、手に持っていた美也を殺した包丁を、俺の脇腹に突き刺していた。

 さらに俺を湯船に突き落とし、顔を歪ませて逃げていく。

 不思議と痛みはなかった。熱くもない。あるのは、心の底からふつふつと湧き上がる怒りの感情だけだった。

 血に満ちた冷たい湯船から這い上がり、沈んだ美也にキスをして、ずぶ濡れのまま外に出た。

 冬の夜が襲う。俺は見当たらない。

 凍えた手が、持っていたものを地面に落とした。白い表紙のノートは、俺と一緒に湯船に落ちたにもかかわらず、少しも濡れた様子などなかった。寒さで血が凍ってしまった手で、震えながページをめくると、新たな記述が増えていた。

『2020年12月18日』

『自分の部屋に戻る』

 きっと、この不思議なノートは、ドッペルゲンガーの行動が自動で書かれるノートなのだ。

 偽物の俺は自分の部屋に向かっている。

 俺はゆっくりと歩いて帰った。


 鍵を開けて部屋に入る。

 電気はついていない。真っ暗な部屋だが、角に隠れた偽物の俺が椅子を振りおろしてくるのを簡単に避け、腹を蹴る。

 待ち伏せしているのはノートに書かれていた。わかっているのなら、避けることなど造作もない。

 俺の脇腹に刺さったままだった包丁を引き抜き、床で蹲っている偽物の俺に突き刺した。何度も、何度も。

 俺と全く同じ顔も。腕も。腹も。俺が俺だとわからなくなるくらいに。


 息が切れていた。

 俺はやり切った。美也を殺したドッペルゲンガーの俺を倒した。

 電気をつけ、台所に向いコップを取って水道水を注ぐ。ぐっと飲むと、血の味がした。

 そして確証を得るために真っ白い表紙のノートを開き、最後のページを見る。

『2020年12月18日』

『河内江西、殺害される』

 全ては終わった。

 台所に力なく座り込む。今更、刺された脇腹が痛み出して、両腕も凍傷で真っ赤なのか返り血なのかわからなくなっていた。

 それでも、やりきったのだ。美也の復讐を、遂げることができた。

 満たされていた俺に、インターホンが鳴る。真っ直ぐにならない膝を叩いて、よろよろと立ち上がり確認すると、インターホン越しに宗治が立っていた。

『ほら、やっぱ心配だからさ。電話にも出ねーし』

「大丈夫。俺は大丈夫」

 今、部屋に入れる訳にはいかない。ドッペルゲンガーといえど、俺は人を一人殺したのだ。

『そうかい? だったらいいんだけど。まあ、怖かったら電話しろよ』

「ああ。サンキュー」

 どう片付けようか考えながら、俺は台所に戻った。

 ぐらりと、めまいがした。




『2020年12月18日』

『美也のアパートを尋ねる』

『美也とインターホン越しに会話し、家に帰る』

『■■と会う』

『宗治に電話するが切られる』

『宗治の家を尋ねるが、会うことができず、美也のアパートへ向かう』

『美也の部屋に入り、美也の死体を発見する』

『■■と出会い、戦闘する』

『自分の部屋に戻る』

『■■を待ち伏せする』

『河内構成、殺害される』




『Delete』




 血のついた台所に、一冊のノートがあった。

 真っ白い表紙には何も書かれていない。ノートを手にとってめくってみると、顔写真が目に入る。

 ボサボサの黒髪、垂れ目で、大きくて丸いメガネをかけている。

 その下には『花岡宗治』と書かれている。


 僕だ。

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