第14話 林檎の木

僕はそれ以上高くは飛べなかった。

 天を覆う枝に触れた。此処まで高いところに来れば僕の声も届くだろう。


「――君に会いに来たんだ」

「モスタルだね、いつもコトルが君のことを話していた」木は思ったよりも落ち着いていた。

 僕は指で枝の一つをなぞった。小鳥が挨拶をするみたいに。

「コトルの頼みで、来たんだ。君のもとに」

「――コトルは戻ってきた? ずっと守っていたんだ、あの子が空に奪われないために」

「あのこはもうここには戻ってこない」

 自分の言葉だとは思いたくなかった。

 生きることは、死と向き合わなければならない。この世界を造ったやつの言葉が偉そうに僕の頭で反芻する。――煩い、黙れ。僕だってそんなこと。


「コトルは、死んだよ」

 木が「死」の意味を理解したかは分からない。ただ地面に張り付き、風が彼の心をざわつかせているかのように、震え、葉や枝を揺らした。


 天を呪うように、その濃い緑の葉で空を覆いつくした。実がぽたぽた、と地面に落ちる。僕の全身がしびれた。


「コトルを失うことが怖い。……朝なんて来させない。あの子の魂をこの世界にとどめておくんだ」

 木の上で雷鳴が轟くのが聞こえる。


「君が空を覆い隠しても、明日は来てしまうよ」

「それでも私は、コトルを奪った空を許せない」

「僕だって、陽は嫌いだ。僕たちの命には強すぎるから。でも、コトルを奪ったのは、空じゃない」

「ではお前の後ろにいる影か?」

 言葉だけの意味は虚しい。

 木々や風の言葉を知っていたなら……、僕は泣くばかりだ。泣くことが僕の歌のよう。

「影でもないよ。それがコトルの道だったんだ。あのね、コトルは、太陽の光が好きなんだ。君が知っているとおりね」


「もう、居ないのか」

 消え入りそうな声で木は僕に聞くとも認めるとも言えない声で言った。


「……僕たちは、失うことが怖いね」

「君があまりに彼女にそっくりだから、そっくりなのに同じところは一つもないから、それが余計に私を苦しめる」


「でも君は、あったことをその身体に、一層一層に正確に刻むことができる。僕はきっとこれからだんだん忘れていく。それがとても寂しくて怖いんだ」

「忘れていくことは、美しい思い出に塗り替えられるということだ。君の一部分となって。だれも責めまい」

 僕は、ありったけの力で木にしがみついた。

 太くて僕の腕では抱きしめるのに足りなかったけれど。そしてそっとおでこを当て、木の中に流れる水の音を聞いた。そして頬を摺り寄せ、そっと唇で触れた。


 枝の隙間から光が差し込んで、平たい大地、どこまでも続くコトルのいない世界を照らした。熱い泪が零れたのは、影を恨んでいるからじゃなかった。


 この世界には期待してはいない。

 もし確かに何かがあるとしたら、きっとそれは……。


 そしてこんなに全てが美しいのは、哀しみがあるからだ。

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