最終話 君に出逢ってから
― 西暦2013年 初夏
― 大都市ロリミエ
再び季節は巡り、ヴェルテュイユの国では短い夏が始まりました。気持ち良い初夏の風が吹く今日という日を私たち二人は遂に迎えることができました。
私は叔父夫婦の家で支度を済ませ、大学生の時から使っていた部屋で出発の時間を待っています。緊張を紛らわすために母と義姉シンシアと三人で他愛ないお喋りをしているところでした。
「このドレスを着たままどうやって車に乗ればいいのかしら?」
「スカートの上に座らないようにすればいいのよ」
「後部座席に入りきらないのじゃない?」
「なんとかなるわよ」
そして叔母が私たちを呼びに来ました。
「そろそろ行きましょうか。それにしても、私たちの家からキャスを送り出すことになるなんて感慨深いわ」
そう、今日はこれから私の旦那さまになる人が待っている聖堂に家族で向かうのです。
昨年のマテオの誕生日にイタリアで私は求婚され、晴れて彼の婚約者となりました。旅行からロリミエに帰ったその足で、フォルリーニ家にも二人で報告に寄りました。ご家族の皆さんにも将来のマテオの妻として正式に迎え入れられました。
「それで貴女、イタリア語はいつ話せるようになるの、カサンドラ」
お母さまのその言葉に私は一瞬返答に詰まってしまいました。
「キャス、心配するな。フォルリーニ家にようこそという意味だ」
「私も婚姻届を出すまでには何とか会話が出来るようになりたいです」
「で、式はいつ挙げるつもりなんだ?」
「来年の春か初夏にしたいと思っています」
「まあそれなら準備の時間も十分あるわね」
「えっ、そんなに早くだと私、イタリア語を習得できないわ……」
「君が伊語を流暢に話せるようになるまで俺は待てる訳ないだろ」
「じゃあキャス、俺が個人授業でみっちり教えてやるよ、任せろ」
「ドメニコ、お前は罵り言葉と放送禁止用語以外教えられないだろーが。俺の可愛いキャスに汚い言葉を吹き込んでみろ、ぶっ殺す」
「おお、コワっ!」
「ふふふ、悪い言葉はマテオ自身が使っているから私も既に少し知っているの」
「全くもう、貴方たちは……」
結婚式の準備は正に混沌を極めました。マテオのお母さまにナンシー、私の叔母も加わって、マテオに言わせると『正にこれが船頭多くして船山に上る状態だ』そうです。
女性だけであまりにも意見が衝突して迷走してしまうとマテオが出てきて上手く収拾してくれるのです。マテオのお父さまは我関せずと逃げ出すのに対し、ドメニコさんは面白がって下手に意見をし、余計事態をややこしくしていました。
私とマテオは今まで以上に喧嘩も沢山しました。
「結婚式の準備がこんなに大変なものだとは思っていなかったわ」
「いや、それは夫婦によると思う。うちは式奉行が多すぎるからだ」
「そうね。リックの時は割と簡単に済んでいたもの。とにかく、もうこんな骨折りは二度としたくないわ」
「何を言っている、当たり前だ。結婚式は一度に決まっているだろ」
私がうっかり口を滑らせてしまったため、マテオが機嫌を悪くしそうでした。
「ええ、もちろんよ。でもスーもナンシーも私のドレスや小物選びで大いにはしゃいで『もう一度私もウエディングドレスが着たいわ』なんて言っているのよ」
「なんだそれは……」
「女性は幾つになってもドレスやアクセサリーが好きだということよ」
私は昨年九月に予定通り就職、仕事も順調でした。しかも、一年という短期の契約だったのが、契約が終わっても同じクリニックで非常勤として働き続けられることになりました。
学生の頃よりは時間に余裕が出来たので、多忙なマテオの代わりに主に私が結婚式の準備に東奔西走していました。
そして今日、私たちはこの良き日を迎えました。もう私は夫婦の新居となるマテオのマンションに住んでいますが、式当日は叔父夫婦の家からロリミエの聖堂に向かいました。
花嫁衣裳を着るのも一仕事なので、前日からそこに泊まって母や義姉に支度を手伝ってもらったのです。おかげで式前夜には家族でゆっくりと過ごせました。
私は父と腕を組んで聖堂の中に入って行きます。そして私の愛しい男性の元へゆっくりと向かいました。
「ああ、俺の花嫁は言葉に出来ないくらい綺麗だ」
「貴方もため息が出るほど素敵よ、旦那さま」
厳かな雰囲気のもとに式が執り行われました。私たちは祭壇前でそれぞれ誓いの言葉を言いました。マテオが両手で私の顔の前のベールを上げ、私たちはお互いの手を取り、しばらく見つめ合っていました。
「ラ ミア メタ ミリオーレ……」
マテオの口付けを待っていた私は代わりに彼の口から紡がれる美しい愛の言葉を聞いていました。最前列の家族にも聞こえていたようでした。冷やかしの口笛を吹いたドメニコさんはご両親にたしなめられていたそうです。
「モリエールの言語でも繰り返そうか?」
「いいえ、半分くらいは分かったから、後でお願いね。それよりも早くキスして欲しいの」
私のイタリア語も少しは上達していました。
「シ シニョーラ・フォルリーニ」
私たちの唇が重なると同時に、聖堂内には割れるような拍手が響き渡っていました。
『私の最高の配偶者よ、貴女は得難い宝であり、私の強みであり、そして最大の弱点でもあります。私の心臓は貴女のためにだけ鼓動しています。私の心を貴女に捧げましょう』
――― 完 ―――
***今話の二言***
ラ ミア メタ ミリオーレ
私の最高の配偶者
シ シニョーラ・フォルリーニ
はい、フォルリーニ夫人
最終話までお読みいただきありがとうございました。この後、番外編が続きます。
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