第十四話 日帰りで帰省
数日後、私はこのボードゥローから高速バスで一時間のところにある実家を日帰りで訪ねることにしました。その日はマテオが一日中仕事で、私の相手が出来ないと言っていたからです。
「マテオ、今日は朝から一日出かけます。夕食の時間には戻るけれど、私を待たずに食事は済ませてね」
「ああ、分かった。あまり遅くなるようだったら携帯に電話してくれ」
「はい。行ってきます」
前回帰省したのは昨年末でした。その時の私は副業としてカフェで働いていて、そのせいであまり長居できず、二泊しただけでした。中々ゆっくり帰省することもなく、親不孝を重ねているなとは日頃から苦々しく思っていました。
高速バスで実家のある小さな町、サンバジルに着くと、そこから町外れの実家まで約三キロの道のりを歩きました。
両親は農業を営む傍ら、父は町の消防署で母は市場で働いています。四歳上の兄も同じ町に住み、自動車修理屋を経営し、農繁期には実家の手伝いもしています。デシャン家は典型的な田舎の一家なのです。
お昼前に着いた私を母と兄のリックが暖かく出迎えてくれました。
「キャス、迎えに行けなくて悪かったな」
「いいのよ、リック。急に来た私がいけないのだから」
「お父さんも昼過ぎには帰ってくるからね。今回は一泊もできないの?」
「ええ、ボードゥローには夏の間の仕事で来ているから……」
堅実に生きている家族の顔を見ると私が借金のかたにマテオのコンパニオンをしている、という事実が苦く重く心にのしかかってきます。それは実家を訪れる前から重々承知していました。
家族には本当のことを知られるわけにはいかないので仕事と言いましたが、私はマテオと過ごしながら労働らしいことは何もしていないのです。私はそんな考えを払いのけて家族との昼食を楽しむことにしました。母の作った素朴な料理に舌鼓を打っている時に父も帰宅しました。
「キャス、良く帰って来たな。元気にしていたか? マルタンとスザンヌも変わりないのだろう?」
「ええ、皆元気よ」
私はロリミエで叔父夫婦の家にお世話になっているのです。
「ねえ、キャスはしばらく見ないうちに綺麗になったわね。おしゃれな服を着ているわけでも、化粧が違うというわけではないのに、やっぱり都会で生活しているからかしら」
「恋人でもできたか?」
「そんなこと全然ないわよ。私、勉強とアルバイトで忙しくて、そっちは全く……」
マテオのことが一瞬頭をよぎりましたが、彼は恋人ではありません。
家族の楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。いつも帰省する度に野菜や果物を沢山持たされるのですが、ボードゥローのホテルに滞在中の今回は何も持って帰れません。
帰りは兄が町のバス停まで車で送ってくれました。私が車を降りる直前に何と彼からお札を何枚か握らされました。
「キャス、お前も大都会で生活するのは苦しいんだろう、美味しいものでも食べに行く足しにしろ」
マテオは素敵な洋服や靴などを買ってくれましたが、後ろめたくて家族の前にはとても着て行けませんでした。
彼はショーウィンドウで何か目に留まる度に、キャスに良く似合うと思う、試着だけでもしてみてくれ、と私を店内に連れて行くのです。一度店に入るとマテオはまずお金を使わずに去ることはありません。ためらいながら試着して、俺の見立てに狂いはなかったと嬉しそうな彼を前にすると私は何も言えないのです。
「そんな、とんでもないわ、リック。このお金は子供たちのために使って。じゃないと私シンシアにも顔向けできないもの。それに私、好きで苦学生しているのだから」
兄夫婦だって地道に働いていて、余裕があるわけではありません。それに小さな子供が二人居て、三人目も来年には生まれるのです。勉強が好きで、周りより少しだけ成績が良かった私を上京させてくれただけで、家族には感謝してもしきれません。
「シンシアには何も言わなければいいさ。お前、また痩せただろ」
「最近暑かったもの、ただの夏バテだってば。とにかくこれは受け取れないから。ここまで送ってくれてありがとう、リック。皆によろしくね」
マテオとボードゥローに出てきてからというもの、贅沢な時間を過ごしている私は兄の気持ちが心に痛く刺さりました。私は兄のお金を助手席に置いたまま、後ろを振り向かずにバス停に駆けていきました。これ以上兄の日焼けした顔を見ていたら泣いてしまいそうだったのです。
しばらくしてから来た高速バスに乗り込み、私は考え事に
結局一時間の道のりに二時間近くもかかってボードゥローのバスターミナルに着いた時はもう真っ暗になっていました。路線バス代を浮かせるため、私は歩いてホテルに帰りました。しかも道を間違え、余計に時間がかかりました。
ホテルにやっと辿り着いた時も私は家族のこと、マテオとの不純な関係のことを延々と考えていました。家族に会えて嬉しかったのに、精神的にどっと疲れた帰省でした。
ですから部屋に入った時、私に詰め寄って来るマテオが何をまくし立てているのか最初は理解できませんでした。
「ディオ ミオ! キャス、真っ暗になるまで一体どこをほっつき歩いていたんだ、心配したじゃないか!」
「あ、マテオ、帰りました……」
「遅くなるんだったら携帯に電話一本も入れろって言っただろ、それなのに……大体君は携帯を持っていないし、こっちから連絡出来ないし」
マテオに両肩を掴まれて、彼のその剣幕に驚いてしまいました。
「ごめんなさい。確かに少し遅くなったけれど、まだ夜九時じゃない」
「もう九時だ、何か事件にでも巻き込まれたとか、それとも君が……いや、最悪の事態まで考えた」
彼がそこまで大袈裟に取り乱しているということに、正直戸惑いを覚えます。私が借金を踏み倒して逃げたとマテオは思ったにしても大袈裟すぎます。
私が温室の修理代としてマテオに支払わないといけない額など、彼とっては些細なものです。このホテルや私に買ってくれた衣服、食事のための出費の方が既にそれを上回っているに違いありません。
「バスを降りて公衆電話を探すより、すぐに帰った方がいいかと思ったの。そこまで心配してくれてありがとう、マテオ」
「確かに俺も怒鳴って悪かった……」
そこで彼にギュッと抱きしめられました。私たちが本当の恋人同士であるかのような抱擁でした。今朝からの良心の呵責が何故か少しだけ和らぎました。こうして彼の温もりに包まれ、腕の中で優しく背中を撫でられていることにとても安心します。私たちはそうしてしばらくの間無言で二人抱き合っていました。
「マテオ、えっと、その……」
それでもマテオの鼻や唇が私のうなじにあたると、暑い中一日外出していた私は汗の匂いが気になってきました。
「ああ、すまん」
そこでやっとマテオに解放された私は彼がまだシャツとスラックス姿なのに初めて気付きました。普段マテオはホテルに戻って来るとすぐにTシャツに着替えるのです。
「もしかして着替えずに私の帰りを待って下さっていたの? 本当にごめんなさい。貴方もシャワーを浴びて休んで下さい」
私は彼にぺこりと頭を下げて浴室に向かおうとしました。ところがマテオは私の手を掴み、後ろから再び抱き締めてきます。
「悪いと思っているのなら、一緒に風呂に入ろうか」
「えっ、ちょっと、マテオ?」
その夜は結局恥ずかしがる私をマテオは無理矢理浴槽に入れ、体中を洗ってくれました。その後は二人とも熱いお風呂に少々のぼせてしまい、そのまま一緒にベッドに倒れ込んでしまいました。
行為を伴わないのに彼と一緒に朝まで寝たのは初めてでした。マテオより早く目覚めても、彼の温もりに包まれていることに満足と安心を覚え、ベッドから出るのがもったいない気がしました。マテオが起きるまでその厚い胸板にそっと耳を寄せて、彼の心臓の鼓動を聞いていました。
***今話の一言***
ディオ ミオ!
オーマイゴッド!
カサンドラの家族は普通の善良な田舎暮らしの人々です。
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