龍焔の機械神09 迷宮仕事人(ダンジョンワーカーズ)

ヤマギシミキヤ

序章

「ちょっと、話が違うじゃないの! 地下迷宮って言ったら宝箱がいっぱいある筈でしょ!」

 厳かな静謐に満たされていた空間が、その大音声で一気にぶち壊された。

「……」

 その声を聞き「その者」が身を動かす。久しぶりに現れた自分への挑戦者の声を聞き及び「その者」は眠りから目覚めた。連動した動きで瞼を開く。

「……?」

 覚醒した視界の先には戦士らしき女が一人立っていた。その女の嬌声……いや、叫声で目覚めさせられたらしい。一人。そう、たった一人。

 その事実に思わず「その者」は唖然としてしまう。最後の敵を前にしてたった一人のパーティーとは、一体どういうつもりなのだろう? 他の仲間はここに辿り着く前に心半ばにして死んでしまったのだろうか?

「それに、なんでこんなあっさりと親玉の部屋にこれちゃうのよ!? こんなの反則よ!」

 だが彼女の言葉から推察するに、どうもそのような雰囲気でもない。本当に始めからたった一人でこの迷宮ダンジョンに突入してきたらしい。

 黒曜石のように美しく澄んだ黒い髪の女。それを頭の後ろで縛っている。纏めた髪型で腰まで届くほどの長さがあるので、下に降ろせば脹脛まで届くだろう長髪。

 そして「その者」を睨みつける瞳も、髪と同じく黒色。頭髪以上に光り輝くその双眸は、意思の強さの現われだろう。顎の細い美しい顔立ちに切れ長の瞳が良く合っている。キツめの目元は、相手に恐さを与えるというよりも、内に秘めた高貴さが滲み出ているような印象を受けた。随分と育ちの良い娘らしい。どこかの国の姫だろうか? だったら何不自由なく安寧に暮らせるはずのプリンセスが、なぜこんなところに?

 不思議に思う「その者」が、更に観察するように彼女の装備に目を移す。鉄製の鎧に、右手には反りの強いバスタードソードという仕様。戦士らしい。しかし左手には盾はない。右手のソードだけで攻防を完結させるかた――それはこのダンジョンの上に栄える国に属する戦士の一般的戦闘スタイルだったなと思い出す。その国の下、地下数百メートルに広がるダンジョンの十階全てを占める大広間で、彼女と「その者」が対峙していた。

 広大な空間の最奥の壁面には、そこから突き出すように配置された鋼鉄で創られた巨人の頭部の彫像が生え、その前には睥睨するように鎮座する「その者」、赤鱗のドラゴン。

 ここは迷宮最下層、いわゆる迷宮支配者ダンジョンマスターの住まう最後の部屋。

 しかしそんな荘厳たる空間であることはお構いなしに、女戦士は声を張り上げ続ける。

「なによ、このフヌけた迷宮は!? 一階の隠し部屋にこの鎧の入った宝箱があった時は期待したのに、後はここに来るまで何もなし! お城にあった文献と全然違うじゃない!」

 自らの鎧の胸辺りに左の拳を当てながら女が叫ぶ。地下迷宮内の大広間に反響する彼女の声。その甲声かんごえは生まれながらに兼ね備えた彼女のあてやかさを見事にぶち壊しにしているが、本人はまったく気にしていない様子。

 迷宮の最深階で主である赤き龍と対峙しているという、普通の人間であれば竦み上がってしまいそうな極限の緊張状態を強いられる中にあって、これだけの熱弁を続けられるとは、この女剣士はどれだけ肝の太い女なのだろう? それだけ呆気なく冒険が終了してしまったこのダンジョンに憤慨しているということなのか。

「……む?」

 赤龍は女戦士が胸を叩いた時に、腰に下げた剣の鞘と同時にその上につけられた予備武装サブウェポンであろう小刀の鞘が小さく揺れるのを見とめていた。曲刃の主剣とは違い真っ直ぐに伸びた小剣。特徴的な作りの握り。その得意な造形を赤龍レッドドラゴンは忘れるはずがなかった。

「娘、その小刀は解錠ノ剣キークリフか?」

 赤龍の言葉を聞いた女戦士は、小刀を左手で器用に抜き放ち、相手に見せつけるように翳した。

「そうよ、内府が封じた開封の力秘めし妖刀、鍵の形の剣、村正ムラマサよ」

 片刃の刀身の刃。その反対側は、乱杭歯のような所々抉れたり尖ったりと不可思議な形状をしている。まるで錠前を開く鍵のような。

(ムラマサか――確かにこの方舟艦では扉を開けし剣はその名で呼ばれている艦もある)

 赤龍はその小刀を見て、彼女がこの地下迷宮となった祠を攻略する正当な権利を持った者であることを認識する。

 最初の方舟艦竣工後、分かたれた機械神と呼ばわれる機動兵器を封じる為の祠がこの一番艦である首都艦甲板下に作られた。そしてこの赤龍がその中の一つを守る主に選ばれ、彼の指示のもとに祠作りが始まった。外の地に設けられた他の目的の祠に習い、要害として内部は多段階層の迷路のような構造にし、更に侵入者を拒むトラップを設置。そして各地に散らばる祠の鍵と同じ規格の錠前を入口に設けた。

 これで開錠に必要な解錠ノ剣キークリフを一つ手に入れることができれば、中に封印された機械神の下へ行くことができる。内部の審判の為の障害を突破できればという条件がつくが。

 しかしこの迷宮を作る時に赤龍はこう思ったのだ。

『ただ分かたれた機械神を封じているだけの祠ではつまらぬ』と。

 そして一つの考えに至った。

『英雄譚に出てくる地下迷宮のようなものでも作ろうか』

 水災を逃れた地上に残る物語の中には、地下に造られし迷宮が舞台のものも数多くある。迷宮の奥底に潜む悪者を退治するために勇者がそこに入り、中に潜む魔物を倒し、様々な罠を抜け、中に設置された宝箱から貴重な道具を発見し、色々と経験を積んだうえで最後の敵を倒す。地下の迷宮を舞台とした物語では大抵そうなっている。

 せっかく要害としての迷宮的な祠を作っているのだから本当にそんな物語に出てくる地下迷宮――ダンジョンにしてしまおうかと、赤龍は思いついたのだ。

 魔物と罠は当然設置する予定であり、最後の敵という存在も、機械神の使用の審判を下す自分自身がそれになる。分かたれた大いなる存在を本当に必要とする者を選定する為に自分はいるのだ。だから後は宝箱を置くだけで事足りる。

 罠も張り巡らせ出来上がった迷宮に、一階から九階まで魔物を満遍なく配置した。そして最後に宝箱を配置していく。計画は順調に行くかに思われた。

 しかしこのように巧妙で魅力的な計画も、ある一つの要素で頓挫してしまう。

 彼は――飽きっぽい性格だったのだ。

 地下一階だけしっかりとした地下迷宮の作りをしただけで満足してしまい、迷宮造りはそこで終わってしまったのだった。それだけやって存分に堪能した赤龍は眠りについてしまった。ドラゴンである彼にとっては、疲れたので一休みするか、程度の睡眠だったのかも知れない。だがその為、二階から九階までは罠と魔物だけのただの障害が残る。分かたれた機械神を封じている祠としてはそれで良かったのだが、ここで一つの問題が残置する。

 一階にヘタに宝箱を設置したものだから、運良く中に侵入できた冒険者が、中は全て財宝で埋まっていると勘違いしてしまい、更にそのような間違った情報が他の冒険者にも流布されて、様々な憶測や想像を加味されて伝えられ、最終的な結果として文献にも残された。だからこの迷宮を著した書物の多くには、まだ攻略の済んでいない下層には多くの金銀財宝が眠っているとの憶測が記載されている――困ったことに。

 だから彼女もそんな文献の一つを信じて、ここまでやって来たのだった。

(確か巧妙な作りの隠し部屋を一つ設けた時点で飽きてしまったのだったな。その部屋に鎧を一つ入れたから、彼女の着ているものはその部屋にあったものなのだろう……彼女自身がそう言っていたか)

「……」

 先程から納得のいかない光線をあたりに照射しまくっている彼女を睨めるように赤龍の双眸が動く。鱗と同じ真紅の瞳が、相手の身につける板金鎧を再び見やる。この迷宮の上に位置する地上の国では、彼女が持つ得物、曲刃のバスタードソードと共に、鎧も独自の発展を遂げていた筈だ。細かい鉄片を幾重にも紐で繋ぎ合わせ、防御力よりも運動性を重要視した作りの装備が一般的の筈。しかし彼女が身につけるのは、滑らかな表面をした、手足のパーツが一体成形のものを組み合わせた鎧。彼女の言うとおり、あれはこの迷宮に配置してあったものだ。使い魔に大陸の西端から持って越させた覚えがある。

(あれは確かアイテム名称「鋼の鎧」だったか? 二個ばかり設置しておいたのだったな。もう一つは冒険者が外に持ち出して、どこぞの武将に謙譲したとかいう話を使い魔から聞いていたが……確か二百か三百年ほど昔の話だったか? 半分寝ながら聞いていたので余り覚えてはいないが――いや、そんな話はどうでもいい)

「お前、どうやってここまで辿り着いた?」

 赤龍が問う。ここはダンジョン最下層の地下一〇階。一階から九階まで合わせれば、大小あわせて五百体以上の魔物を放ってある難攻不落の地下迷宮だ。

 攻略は容易ではない。いや簡単に突破されるようであれば迷宮の意味がない。

「魔物を叩き切ってきたに決まってるじゃない」

 鍵剣を鞘に戻しつつ女戦士は答えた。彼女は、この迷宮の存在理由をいとも容易くぶち壊しにしてくれる台詞をいってくれた。

「本当か?」

 赤龍の口から再び問いかけが漏れる。風穴ふうけつから流れ出す重くねっとりとした風のような、暗く怜悧な声。相手の心臓を鷲掴みにするような重量感のある響き。

「嘘ついてどうするのよ?」

 しかしそんな重々しい響きの声を聞いても、女戦士は眉一つ変えず、歌うようにさらりと言い返してきた。

 この女、やはり只者ではないな――と、その豪胆さに赤龍は内心舌を巻いていた。どこぞの姫君という可能性は高いらしい。彼女のような女性に大きな仕事など任せてみたい、そんな魅力をかもし出す胆力を感じさせる。

 しかしこの階の上には赤龍自身がわざわざ魔界から呼び寄せた上級魔族グレーターデーモンもいた筈だ。そんなものまでこの女戦士は右手に握り締めた太刀一本で切り伏せてきたのか?

「お前、ここの上層階にいた悪魔どもはどうしたのだ?」

「もちろん倒してきたわよ」

 赤龍の問いに再びあっさりと答える彼女。

「ただ、さすがに得物だけじゃどうにもならなかったから、魔法でふっ飛ばして来たけど」

「魔法? お前、魔法まで使えるのか?」

「ええ、そうよ」

 再び彼女が即答する。しかしその答えがとんでもない事実を証明しているということを、彼女は理解しているのだろうか? 現在の地上に生きる者は精霊の種別を間違えて認識しているために、魔法の習得が一切不可能と赤龍は認知している。しかしこの時代になって真実の魔法の使用方法を解明できた者が、遂に現れたということなのか。

「でも、せっかく苦労して身につけた魔法も、あんな一回だけの出番じゃまったくの無駄じゃない、もうちょっと数がいないと張り合いがないわよ!」

 そんなこの時代の数少ない魔術の使い手であろう彼女が、再び憤慨する。この鼻っ柱の強い女戦士――いや女魔法戦士にとっては、希少なる技である魔法であっても、ただの障害突破用の手段の一つに過ぎないのかも知れない。そして赤龍は、そんな彼女の台詞から一つの疑問を読みとった。

 ――一回だけの出番じゃ――

 それはどういうことだ? この迷宮には先の通り五百体以上の魔物を放ってある。その中を潜り抜けてこの最後の間に辿り着くのに一回しか魔法の行使をしていないというのは、どういうことだ? それだけ、魔物が、減少、してい、る……?

「お前、ここへ辿り着くのに、一体どれだけの魔物を倒してきたのだ?」

 赤龍は自分に改めて問い掛けるような口調でそう言った。内心とんでもないことが起こっている予感があったが、そんなことは億尾にも出さず、なんとか平静を保って口にする。

「だからさっき言ったじゃない、フ抜けた迷宮だって。それは魔物の数だってそうよ。一つの階にだいたい一匹ずつくらいしかいなかったわよ?」

 彼女の答え。どうやら本当にとんでもないことが起こっている様子。

 そして、彼女がこの迷宮の現状を説明してくれた。

「ついさっきやっつけた、その悪魔ってやつを入れても十数体ほどだったわよ」

「十数体!?」

 この地下迷宮を支配する赤龍は、迷宮支配者の威厳を取り繕う声も忘れて、思わず素直に問い返してしまった。

「なにそんなにびっくりしてるのよ? あんたの迷宮なんだから、なんでも知ってるんじゃないの?」

 しかし赤龍には彼女のその言葉は耳に入らず、わなわなと震え出す自分の体を抑えるのに精一杯だった。

(そ、そんなにも減っていたのか!?)

 改めて事の重大さを認識した赤龍は、自分が眠っていた時間をざっと計算してみた。

 最後に使い魔の報告を受けたのが二一一年前。此処とは違う場所のダンジョンに収容されている「分たれた機械神の右手」が、この迷宮の上に増えすぎた街を一旦焼き払ったと報告を受けて以来、後は目の前の彼女に起こされるまで眠っていた。それから三百年近い時を経て、この迷宮の魔物はその殆どが消滅してしまったらしい。

 逃げ出したのか? いや、中の魔物が容易に外に出られないように作ってあるのが地下迷宮というものだ。下層の魔物は上層の魔物を退けなければ上の階に昇れないし、一層下の強い魔物であっても、その上層階の魔物は早々やられたりはしない。それに出口近くの階の魔物は、地上に出たら其処に暮らす動物に簡単に食われてしまうような弱い魔物が多く、更に夜行性のものを多く選んで配置しているので、あまり地上に出たがらない。つまりその緻密に計算された上下階の連鎖により、迷宮に押し込められた魔物は迷宮から脱出するのは困難なのだ。

 ならば魔物同士で共食いでもしたか? 食物連鎖の崩壊? 冒険者に倒され尽くした? 九階の強力な魔物どもを倒せる人間がそんなにいるとは思えないが、可能性はある。そして他にもまだまだ可能性はある。

 実は少数の下層階の魔物は迷宮外に逃げ出すことに成功し、地上の国で妖怪変化の類になっていたりするのだが、それは赤龍の知り得ない話である。

 しかし理由はどうあれ、魔物がこの迷宮からいなくなってしまっている事態は、揺るがない現実。さすがに二百年ちょっとほったらかしにしておいたのはまずかったらしい。ドラゴンにとっては二百年という時間は多少長く眠っていたくらいの時間だが、外の世界ではこの迷宮を風化させるのには充分な時間だったということだ。

「……」

 赤龍が口元を歪ませる。ノコギリのような鋭利な刃が何本も覗く長い口角の形状は、どうやら笑っている形らしい。この迷宮ができた当初から己はこの主として任に就いてきたが、長寿のため生来のんびりと生きて行く種族であるドラゴンの自分には、迷宮支配者なんていう細々(こまごま)とした雑事を多くこなさねばならない役を引き受けたのは、少し荷が重かったのかと苦笑する。九階の奥のほうで魔物の一体として、滅多に来ない冒険者を待ちわびつつのほほんと寝ていた方が良かったのだろう。

「で、あんたはどうなのよ? あたしとヤるの? それともおとなしく降参して財宝を差し出してくれるの? 桃の剣士は有無をいわさず鬼どもを皆殺しにしたけど、あたしは一応交渉には応じるわよ?」

 相手を強襲する直前の凄絶な笑みとしか見えない龍の苦笑を見ても、魔法戦士の態度は一向に変わらなかった。誰が相手であろうとあくまでも自分の意志を押し通す女のようだ。

「……大変申しわけないが、お前の力では我は倒せん。お前の持っている剣はどう見ても普通の剣だ。並みの剣では我の鱗を貫けぬし、お前が我を倒せるほどの呪文を詠唱できたとしても、その行使の途中で我の火炎ブレスがお前を焼き尽くすだろう。だからお前と戦うことも、お前の交渉に応じることも、審判を下す者として、できん」

 そういって赤い鱗のドラゴンは肩をすくめる仕草をした。背の翼が仰々しく動く。

 なんだろう、この不可思議な会話は。堂々たる態度で自分の意見を言い散らすたった一人の冒険者と、そんな相手に心底申し訳なさそうな態度の迷宮支配者。確かにこの迷宮に施された魔法過負荷吸収力ギリギリくらいの強魔法でもなければ、ドラゴンを傷つけることは難しい。しかしそんなものを使わずとも、彼女の弁舌は確実にドラゴンに損害ダメージを与えていた。

「だからフ抜けた迷宮だって言ってるのよ! 迷宮って言ったら上のほうには弱い魔物がいてそいつらをぶっ倒して経験値を上げて、その途中で宝箱をたくさん見つけて、下に降りつつ少しずつ自分を強化して、そして最後の親玉と戦う。文献だって一般に出回ってる物語や御伽噺(おとぎばなし)だって大概そうなってるわよ。しかしこの迷宮はなによ! 殆どなにもなくって、二日くらい歩いただけでいきなり親玉(あんた)の前に放り出されるなんて、サギよサギ! あんたなんて迷宮支配者失格よ!」

 赤龍相手に一気にたたみ掛ける。

「あたしが迷宮を作るんだったら、こんなマヌケな迷宮になんかしないわ。もっと罠も宝箱もいっぱいのわくわくどきどきの素敵な迷宮にするわよ!」

 一気にまくし立てた彼女が、疲れたように吐き捨てる。そして突然がくっとうなだれるように肩を落とすと、小さく呟いた。

「まったく、奉還のせいでお城も無くなっちゃって、この迷宮の宝にちょっとくらいは期待してたのに……まったく」

 そういいながら、力なく剣を鞘に収める。戦いを放棄したというよりも、この場にいる自分自身に空しさを感じたような彼女の姿。いきなりさっきまでの威勢の良さが一気に消し飛んでしまったその姿を見て、迷宮支配者たる赤龍は考えた。

 つい思いつきで宝箱など設置せず、そのまま普通の祠であったならば、機械神を安置するという本来の機能を、あと千年は維持できただろう。大量の冒険者を呼び込むことも無く、本当に機械神チカラを必要とする一握りの者たちの為に、本来この場所はある。だが祠ではなくダンジョンとしてしまったこの迷宮は、もうその機能を維持できなくなっている。

 ほぼ丸裸の地下迷宮。今となってはこの地下迷宮を守るのは迷宮支配者たる赤龍ただ一体だけ、そう考えたほうが良いだろう。これではいつこの迷宮が攻略され「分かたれた機械神の安置」という本来の目的が維持できなくなるか判らない。迷宮最下層が資格無き者に暴かれ、更に機械神を手に入れ動かしたなら、想像を絶する災厄が発生する。

 地下迷宮は生き物だ。しかし魔物がいなければただの風化した洞窟でしかない。そんな迷宮では機械神を安置するという本来の目的が達せられないではないか。やはりダンジョンを活性化する要素――冒険者が必要なのだろう。冒険者などは迷宮を荒らすだけの存在だと思っていたが、やはり膿んだ体質を入れ替えるにはそのような強心剤が必要なのかもしれない。そして冒険者自身が自然と魔物を呼び寄せる餌ともなる。古来より魔物は冒険者を襲う習性がある。そして冒険者えさを求めた魔物がこの迷宮に再び住み着き、地下迷宮は再び要害として機能する。

 そのためには冒険者にとって攻略しがいのある地下迷宮にしなければなるまい。そして、かつてこの迷宮に侵入した冒険者が持ち出した宝箱の道具や解除してしまった罠も元に戻す必要もある。二階から九階もちゃんと迷宮として整備しなおさなければならない。

 もはや迷宮ではなく、本来の祠としての機能を優先させて作り直すことも考えられるが、やはりそれでは面白くない。久しぶりに目覚めたのだ、何か面白いことでもして暇を潰そう。そして今度は自分が飽きる前に全ての計画を完了せなばならない。多分それが最重要な項目のような気もする。そのためには――

「お前、迷宮仕事人ダンジョンワーカーズになってみる気はないか?」

 迷宮支配者ダンジョンマスターたる赤龍レッドドラゴンはうなだれたままの女魔法戦士に問い掛けた。

「だんじょんわーかーず?」

 聞き慣れない音律の言葉を聞き、俯いていた彼女が顔を上げた。

「あたしメリケン語は得意じゃないんだけど……ダンジョンワーカーズってなに?」

 今まで消沈していた雰囲気はどこへやら、興味を得たように赤龍の方を見る彼女。

 そう、これだ。臆することなく興味のあることにどっぷり足を突っ込もうとするこの度胸。この者ならば任せられる。彼女の態度に満足したように赤龍は続ける。

「宝箱も無く、罠も簡単に解け、魔物も殆ど消え失せたこの迷宮を、お前は不満に思ったのだろう。だったらお前が望むような迷宮に仕立ててみる気はないかと、訊いている。必要なものは全部我が用意する。報酬も充分なものを提供しよう。どうだ?」

 赤龍の交渉。それはなんだか非常に手前勝手な頼みのような気もする。

 しかし女魔法戦士はその提案を聞いて、ギラリと黒瞳を光らせた。

「それって、ちゃんとした迷宮が出来上がったら、まず最初にあたしに冒険させてくれるってことよね?」

 返ってきたその言葉に赤龍は苦笑した。それはなんとも彼女らしい要求だった。

「宝箱や罠も自分で仕掛けたものだから場所は全て判っている筈だ。だから面白さも半減だとは思うが、良いのか? ついでにいえば自分が取った宝物も後に自分で戻さねばならぬし、自分が倒した魔物も代わりのものを配置し直さなければならない。解除したトラップも同様だ。それで構わぬなら、彷徨うのは自由だ」

 それを聞き、彼女はぽんっと両の手の平を合わせた。

「よし、じゃあ契約成立よ!」

 どうやら彼女はそれで満足したらしい。よっぽど簡単に終了してしまったこの迷宮に腹を立てていたのだろう。そして契約の血判書でも書こうかと、再び太刀を少し抜いて親指の腹を刃の上にかざした彼女を制しつつ、赤龍は最後に一つ問うた。

「頼んでおいてなんだが、先程奉還がどうとか言っていたがそっちの方は良いのか?」

 彼女は太刀を戻しつつ「ん?」という表情をした後、こう答えた。

「ああそれね、イイのイイの。お城は無くなっちゃったけど、父上も兄上たちも政府の要職に内定が決まってるからさ、そっちは良いの。だけど女のあたし一人だけ浮いた形になっちゃってさ――でも、なし崩し的に結婚するのも悔しかったし。それで前から気になってたこの迷宮に挑戦にきたってワケ。宝物を見つけてそれを元手になにかやろうかなって。だから就職先が決まるんだったらそれに越したことはないのよ。あんたは知らないだろけど、地上うえの世界じゃ女が一人で職に就くのって結構大変なのよ」

 そうあっけらかんと答える彼女。どうやら一国の姫であるという予想は当たっていたらしい。元王女であった彼女もまた何かを背負い、何かから逃げるために此処ダンジョンへ来たのだろう。かつて数多く存在した冒険者のように。

 しかし、以前は重要だった筈のことも今となっては何でもないことのように、彼女は笑う。切れ長の瞳の目じりが少し下がり、それが非常に美しくそして可愛い。姫として普通に生きていたならば臣下や民に慕われた良い姫になったであろう。赤龍の前に始めて見せた微笑みは、そんなことを想像させるに足る綺麗な笑顔だった。

 笑顔と共に彼女の二つの瞳が再び煌めく。今度は「ギラリ」ではなく「キラキラ」とだ。

 そして彼女は右の拳を握って上に突き上げると、高らかに宣言した。

「よぉうっし、あたしがあたしのための最高の地下迷宮を作ってあげるわ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る