第三章 「舟出」の章

 


     1


 夏休みが、「25メートル・プール」の、向こうのかべにタッチして、新学期へむけておりかえそうと、がばっと、水しぶきを上げて水面から飛び上がったころ。

 僕たち、四年一組は、みんなで、「いるか神社」のけいだいに、集まっていた。

 いつも、みょうな夢を見たり、きぜつしたり、しびれたりして、きおくがあいまいな僕だけど、「その日」のことは、ちゃんと、覚えているんだ。

 「その日」ってのは、フジカタ先生と、「野球キャップ」―栄光の背番号64こと、土端選手―が、晴れて、「ごけっこん」された日のこと。

 いるか神社で、式をあげたときの、「しろむく」すがたのフジカタ先生は、「いるか神社」におまつりされている、「いるか姫」が、その「言い伝え」みたいに、あわだつ波の間から、太陽の光にてらされて、いるかをおともにのぼってきたみたいに、きれいだった。

 フジカタ先生のおじいさんの、「かんぬし様」は、白いおひげを、かすかにふるわせながら、「神だな」に向って、何度もおじぎをしたり、白い切り紙の付いた竹のぼうで、おはらいをしたり、すこししゃがれた、でも、よくひびく声で、「のりと」をとなえたりしていた。

 「かんぬし様」にしてみたら、お孫さんのフジカタ先生がおよめに行くのと、「けっこんしき」のいろんな「さほう」を正しくするのとで、うれしかったり、泣きたかったり、でも、ちゃんと「しき・しだい」を、進めなきゃいけなかったり、もう、「ばんかんのおもい」だったと思う。

 それに、遠くの神社へ、「しゅぎょうのたび」に出かけていた、フジカタ先生のお父さん、お母さんも、帰って来てて、左っかわの、ものすごく長い、つやつやした木の机の後ろで、背中をぴんとのばして、いすにすわっていた。妹のフジノさんは、おじいさんの「かんぬし様」の、名アシストとして、「おみき」をついだり、「まきもの」とか「おぜん」をもって、あの地面をすべるような動きで、静かに大かつやくをしていた。

 「けっこんしき」とかは、「ひゃくせんれんま」のはずの、「かんぬし様」の、白いおひげと共に、その、「白い着物」の上から見ても分かる、きんにくもりもりの肩が、わなわなとふるえていたのは、たぶん、土端選手が、なんども練習しているはずなのに、きんちょうのせいなのか、「さほう」をすっかりわすれてしまったらしく、全部、ワンテンポ早かったり、おそかったり、一、三るいをけいかいするように、右に向ったり、左に向かおうとしたりして、とうとう、見かねたフジカタ先生のお父さんとお母さんにつきそわれて、あやつり人形みたく、かっくんかっくん、動かされていたせいかもしれない。

 右っかわの机には、土端選手のご両親や、親せき一同。しきじょうを、「U」の字にとりまくようにして、机に座っているのは、テレビで見たことのある、「ドルフィン・スウィマーズ」の選手や、「いけめん・ピッチング・コーチ」として名高い、五反田コーチ、その物腰やわらかなせんりゃくで、たいせん相手チームにも親しみをもたれるという、「あなた様流・五百籏頭・さいはい」でいちやく有名になった、五百籏頭監督をはじめ、チームのひとたちが、ずらっとならんでいた。みんな、わざわざ、「いるか町」まで、えんろはるばる、お祝いに来てくれたみたい。

 野球はもちろん、サッカーやテニスや、卓球やバレーや、「きょうほ」や「つーる・ど・ふれんち」や、その他もろもろ、「いろんなスポーツ選手の、すごいひとたち」が、ずらずらずらーっと、座っていた。あの「野球キャップ」、もとい、土端選手に、そんなにたくさん、友達がいたのか! と、びっくりした僕だったが、「こうゆうはんい」は、ものすごく広いみたいだった。

スポーツにくわしい、ショウスケやリュウジ、どっちかというと小学四年生にしては、「まにあっくな、じゃんる」の気がするスポーツに、いがいにもくわしいヨウタに、「あの選手は、何のスポーツをやってる、何ていう名前の人」とかを教えてもらった。

いかんせん、「いるか神社」の「けっこんしき用の机と椅子」では、ぜんぜん足りず、「いるか公民館」の長いすでも、「ていいん・オーバー」だったので、僕たちが、「いるか小」から運んできた、「教室の机といす」に、座席から体がはみ出す感じで、座ってもらうことになった。

ごっつい大人のスポーツ選手のひとたちが、「かんぬし様」を先生に、「国語のじゅぎょう」をうけている感じで、僕らはくすくす笑っていたんだけど、それは、お祝いに来てくれたスポーツ選手の人たちも同じだったらしく、「先生に当てられたけど、ぼーっとしてて、教科書の何ページを読んだらいいのか分からず、まごまごする、生徒」のような、「野球キャップ」のうろたえぶりに、ひっしで笑いをこらえているみたいだった。

テレビとかラジオとか新聞とかの「しゅざいの人たち」も、「にしんの大漁」みたく、わんさか来てて、「テレビ・カメラ」とか、「いちがん・カメラ」とか、「しゃめ」とかで、そのようすを写していた。それも、でっかいりゆうだったと思う。だって、「いるか町」に住んでる僕らにしたら、テレビの中から、「あこがれのヒーロー」とか、「いっぺん、のって動かしてみたい、きょだいロボット」が、飛び出して来たみたいなものだったから。




 僕らは、「けっこんしき」が行われている、神社のけいだいをとりまく、ブナとかナラの木によじ登り、葉っぱの間から顔を出して、フジカタ先生―本当は、もう、「土端先生」なんだけど―の、「ごこうりんされた、めがみさま」みたく、「たおやかな、はなよめすがた」に、緑の木の葉が、わさわさゆれるくらい、ためいきをついていた。

そして、「もんつきはかま」すがたの、「野球キャップ」―本当は、さいしょっから、「土端選手」なんだけど―が、「さんさんくど」のときに、「さかづき」にそそがれた「おみき」を、かたかたふるえる手で、全部飲んじゃって、フジカタ先生にわたす分がなく、フジノさんが、また、そそそ、と「さかづき」についだのを、くいっ、と、一気に飲みほし、何があってもどうじない、フジノさんが、またそそぎ、という、「むげん・るーぷ・コント」をくりひろげそうになり、背伸びしたフジカタ先生のお父さんに、頭をはたかれ、宿題をわすれてしかられた小学生みたく、ごっつい体とぶっとい首をすくめる、なんてこうけいに、お腹をかかえて笑ったりしていた。

 神社に集まった、いろんな人たち、町の人も、そうでない人も、みんな、大笑いして、楽しそうだった。だから、本当は、神社の木に登っちゃいけないのも、おおめに見てもらったんだと思うけど、みんながみんな、すごく、「しあわせそう」だったんだ。

 そして、どどん、と、フジノさんが、たいこをたたき、「かんぬしさま」が、ぴかぴかにかがやく、「金色の丸いかがみ」の方におじぎをし、みんなもいっせいに立ち上がって、それにつづき、木の上の僕らもおじぎをして、「けっこんしき」は、おわった。


     2


「なあ、『オキアミ』小僧よお……」


 神社のとなりにある、フジカタ先生の家で、台所の流しの下の開き戸から持ってきたっぽい、空っぽの、「す」のびんを片手に、「野球キャップ」は、言った。

「みずくらげ」にやられた僕が、お風呂場にれんこうされて、「す」を頭からぶっかけられ、ビニール袋に入れた氷で、頭を冷やされ、水でぬらしたシーツで、全身ぐるぐるまきにされて、タイルの上に横たわっているときのことである。

こんな「あらりょうじ」で、ほんとに大丈夫なのか、僕、とか、この「あらりょうじ」の方が、しんどい感じがするんだが、それは、気のせいなのか、僕、とか、なんとなく、ぼうしをかぶったおじさんたちが「せり」に来る前の「うおがし」に、でーん、と投げおかれた「まぐろ」っぽいな、僕、とか、思っていたときのことである。 

「なんでしょうか、『スリー・ディー』?」

僕は、なぜ、こいつはこうも人をののしる「ぼきゃぶらりー」がほうふなのだろうか、と思いながら、まけじと、言い返した。しかも、ぜんぶ、「海・つながり」って、どういうかたよった「ぼきゃぶらりー」ですか。

「『スリー・ディー』? ……ああ、『3D』ね。オレの、ガキのころからの、あだなだな。それ知ってるってことは、お前、オレのファンだよな。よし、ちょっと待て。今、顔にサインしてやる」

「ごめんなさい。もう、いいません。すみません」

 僕は、「野球キャップ」が、「す」のびんをわきに置き、片手で持っててくれた「氷ぶくろ」は、そのままに、ズボンの後ろポケットから、ぼうみたいなのを取り出すのを見て、ぴくりとも動けないまま、はげしく、「プロ野球選手からの、サイン」に「きょひけん」をこうしした。

ちなみに、「3D」とは、土端選手の本名が、「土端・D・堂太郎」と、ぜんぶ、「D」ではじまることに、ゆらいするらしい。

「『3D』、またも逆転サヨナラ・バスター!!」などという、赤に黄色いふちどりの、目に優しくない文字がおどっている、「週刊・スポ・いる」のみだしを、とくいげにかざす、いがぐり頭のショウスケに、そう教えてもらった。

「じゃ~ん!」

そう言って、舌を出す、「3D」、もとい、「野球キャップ」、こと「土端選手」。僕の顔の前にかざして見せたのは、「マジックペン」ではなく、「すりこぎ」だった。……小学四年生をおびやかして、そんなに楽しいですか、こんにゃろうさま。やっぱり、こいつ、「野球キャップ」でいいや。あと、そのいつも持ち歩いてるっぽい「すりこぎ」って、いったい、なんなんだ!

「ん? あ、これか? これはだな」

まるで、僕のこころを読みとったみたいに、「野球キャップ」は、「すりこぎ」をきように、くるっ、と片手で持ちかえ、

ころころころ、ぎゅいっぎゅいっぎゅいっ、

と、僕の手や足の上で転がしたり、おもちでもこねるみたいに押したりした。

「いててててててっ! 何すんだ!! ……って、あれ?」

僕は、全身をばたつかせていたがり、こうぎのしるしに、ふりかざした手を、まじまじと見る。つい、今の今まで、ぴくりとも動かなかった、手が、ふつうに動く。足もだ。

僕は、足の指をわきわきさせて、「どうさかくにん」すると、身をよじって、起き上ろうとした。が、「野球キャップ」に、きゅい、と、わきばらのあたりを「すりこぎ」でつっつかれて、しなしなと、元通りのいちに、正しく横たわった。

「ねとけ、『あめふらし』。わかったろ? これの使い方。スポーツ選手は、自分の体を、自分で『メンテナンス』するんだ。……まあ、この方法は、『とある、遠い国で活躍している、すごい選手』から、教わったんだけどな」

 そう言って、「野球キャップ」は、「すりこぎ」を自分のかたのあたりに押しあて、目を細めた。気持ちがいいのか、「遠い国」にいる、その選手のことを思い出しているのかは、分からなかったけど、たぶん、その両方なんだろう。

「お前、さっきよお、俺に、何か、しかけただろ。これ見てみな」

もう一本、「すりこぎ」を、おしりポケットから取り出す。その「すりこぎ」は、球の形に、丸くきれいにけずりとられた、たくさんの小さな穴と、その「小さな木の球」にけずった部分を、そのまま、表面にボンドでくっつけたみたいだった。

もう、「すりこぎ」って言うよりは、「せつぶんのときの、おにが持ってる『かなぼう』」か、「『陶器市』で買ってきた、新しいお湯のみを包む、『丸いぷちぷちのビニール』を、でたらめに凹凸を逆にして、すりこぎの表面にぐるぐる巻きにしました」という感じだった。

 それを見て、はっ、と、僕は、気付いた。浜辺で向かい合ったとき、僕が放った「水・ボール」、あれは、やっぱり、「きいて」いたんだ。それを、自分に向ってくるのだけ、「すりこぎ」で受け切ったこいつもすごいけど、もし、あのとき、もし、大きな波が「水・ボール」ごと、僕をふっとばしていなかったら、一体、どうなっていたんだろう。

「何やったのか、知らんが、お前、変な『業』持ってやがるな。言っとくけど、もう、人に向って使うのはこれっきりにしとけよ。俺も、ガキの頃、『いるか拳』使って、『3D』とか言って絡んでくるやつ相手に、よくケンカしてな。あんまりやんちゃするもんだから、フジコのやつに、『いるか落とし』くらって、一週間くらい、『クー』としか言えなかったことがある」

 …………。

 フジカタ先生に、「いるか落とし」くらった、「元カレ」って、あんただったのですか―――っ!

 じゃ、何ですか。もしかして、あの、「がけのうえの、げきとう」って、「ちわわ・げんか」みたいな、そんなのだったわけですか? にしては、えらく、「スリリング」だったのですが……。

「いっとくけどな、俺から手ェ出したことは、一度もないぜ。それに、ガキの頃にケンカしたやつも、今じゃあ、いろいろ働いてたり、家族持ちだったりするけど、みんな、ダチだしな。要は、使い道さえまちがえなけりゃ、いいってこと。ま、ガキの分際で、この俺に立ち向かってきたのだきゃ、ほめてやるよ……。おっ、これ、意外と気持ちいいじゃん! んん~、イイッ!! なんつったらいいのか、こう、『透明で無限な感じ』が、体にしみわたる気がするぜ、おいっ!!!」

 そう言って、ゆかいそうに、カラカラ笑いながら、「野球キャップ」は、「かなぼう・すりこぎ」の、小さいぷちぷちで、ぶっといくびすじやら、けっかんのうき出たうでのつけねやらを、もみほぐしたのだった。

 その後、僕は、小一時間ほどねむったらしく、気がつくと、自分ちのベッドの中だった。気分そうかいで、う~ん、とのびをして起き上った僕に、ベッドのそばでみていてくれたらしい、フジノさんが、「野球キャップ」が、車で家へ僕を運んでくれたことを教えてくれた。フジノさんは、母さんにあいさつしたあと、「これを、サキ君にって」と、僕に紙ぶくろをわたし、神社へ帰って行った。

 紙ぶくろを開けると、やはり、というか、あいつの「すりこぎ」だった。

「『しびれエイ』へ。一足先に、海の向こうで、待ってる。『栄光の64』より」

 ぐちゃぐちゃにからまった、「たこ糸」みたいなサインの下に、「すりこぎ」の丸い面の上にマジック・ペンで書いたのを差し引いたとしても、あまりある、へったくそな字で、そうしるされていた。

 僕は、「自分で、『栄光の64』とか、いうな」、とか、「『待ってる』って言ったって、野球選手になったり、海の向こうに行く予定なんてないんだけど」とか、「『しびれエイ』って、やっぱし、あいつ、僕の名前おぼえてないじゃん」とか、全サインの全文字に、つっこみながら、あいつが長いこと、「あいよう」していたのであろう、「すりこぎ」を手のひらに、にぎりこんでみた。

 あいつの、大きな手のひらの「熱」が、伝わってくる気がした。

 それは、まるで、むりやり手渡された、リレーのバトンみたいに見えた。 


     3


 夏休みが、大きな手を振りながら、あかね色の夕陽といっしょに、海の向こうへ、ざぶざぶと、帰って行き、二学期が、始まった。

 僕たち、四年一組は、いつものどおり、フジカタ先生の「けだるい、しゅっせき・かくにん」に、「はい・しゅさっ」と、へんじをしたり、勉強をしたり、してるふりをしたり、教科書をわすれて、ろうかに「どうぞう」のかっこうで固まったまま立たされたり、給食のデザートのあまりを、「こしたんたん」とねらったり、昼休みには、「回転・なし」の、ドッジ・ボールやサッカーをしたりと、じつに、小学四年生らしい毎日をおくっていた。

そして、学校が終わったら、ヨウタのおばあちゃんの畑仕事を手伝い、それが終わったら、おばあちゃんに教わった、「めんこ」やら、「ベーゴマ」やら「ゴム飛び」をして遊んだり、「森の中の、ひみつきち」をきょてんに、「いるか山・くえすと」にはげんだり、日がとっぷりくれるまで、あそびほうける日々を過ごしていた。

 ちなみに、フジカタ先生、もう、名前は、「土端フジコ先生」なんだけど、「いるか拳・十八代・でんしょうしゃ」なので、けっこんしたけど、「フジカタ先生」の名前も、元のまんま、とっておこう、ってことになったらしい。

だからなのか、フジカタ先生は、「りある・白馬の王子様、のろけ話」のときに、「野球キャップ」のことを、上の名前で、「ドバちゃん」と、よんでいる。「ドバちゃん」は、フジカタ先生を、「フジコ」、もしくは、「フジコさん」、「フジコさま」と、よんでいるらしい。だいたい、このよび方で、「二人の、ぱわー・ばらんす・かんけい」が、わかる気がする。


 ……それで、なんだけど。


 けっきょくのところ、僕たちの「ねがい」は、かなったのかな?


そこんとこを、算数のドリルをとくときみたいに、「15+7= 」という問題のこたえ、「22」を、ドリルのすみの白いとこに、「22-7=15」と、「ぎゃくさん」してみて、「うっしゃ、オッケ~!」てな感じに、たしかめるのって、けっこう、だいじかもって、思うんだ。

 だから、僕は、みんなから「いるかのぼり」のときに聞いた「ねがいごと」が、かなったのかどうかを、こっそり、「おおずもうの、ほしとりひょう」をつけるみたく、あれからずっと、かんさつしていたんだ。


 まずは、いちばん、すごい「おねがい」をしていた、フジカタ先生。

「『世界のセバ・カル』みたいな、『白馬の王子様』と結婚して、石油のじゃんじゃんわきだす、田んぼを、もらうこと」

 四年一組のみんなに、おもいっきり「ぶーいんぐ」され、「ひんしゅく」を買いまくった、このおねがい、ほんとにかなってしまった。「けっこんしき」まで、見ちゃったんだから、僕たち、四年一組や、「いるか町」のみんなが、その「しょうにん」なんだ。

 もちろん、けっこんのあいては、なぜか、サッカー選手である「セバ・カル」のぱちもんTシャツを着てた、「野球キャップ」こと、「土端・D・堂太郎選手」だったんだけど、「いるか町」でいっしょに育ち、学校に通ったり、「いるか拳」をともに習った、おさななじみの「元カレ」とけっこんした、ってのは、ひょっとしたら、すごいことなんじゃないだろうか。

 二人は、いるか神社での「けっこんしき」のあと、土端選手の名前の、まん中の「D」って名前のもとになってる、おじいさんとおばあさんのふるさと、「広いさばくのある、遠い国」へ、「さとがえり」をかねて、「はにー・むーん」に旅立った。

「はにー・むーん」ってのは、「しんこんりょこう」のことらしいんだけど、みんなに、いるか町の田んぼや、だんだん畑でとれた、お米とか、そばとか、あわ、ひえの実のシャワーをあびせられて、「ぴぷし」とか、「まんてん・びゅー」とかの、あきかんをひもで引っぱって、からんからん、そうぞうしい音を立てながら、小さくなっていく、ジャンプしてる馬のマークがついた、白い外国の車を、みんなと木の上で見送りながら、僕は、「白馬の王子様」って、あれ、ほんとだったんだ、って思った。

 どうでもいいけど、「さんさんくど」のあとに、お米を投げてもらったり、車にあきかんつけて、「しんこんりょこう」に出かけるのって、いろいろまざりまくってる気がするのは、僕だけでしょうか。あと、フジカタ先生が、前に僕たちを教室から追い出したときに読んでた、『ぶるる・ハワイ三泊四日の旅』って、いったい、どういう「ふぇいんと」ですか。

 それは、ともかく。

 フジカタ先生から、あとで、その「はにー・むーん」の「ぼうけん話」を、「こうれいぎょうじ」である、朝のあいさつの前に、もう、これでもかってくらい、たくさん聞かされた。

「先生、さばくにすんでいらっしゃる、『ドバちゃん』のご実家の、おじい様、おばあ様に、ごあいさつするまでは、『油田』って、田んぼから、温泉みたいに、石油がわき出してくるものだと、思っていたのです。でも、ちがいました。だから、『油田』は、『一反・二反』とは、かぞえないのです」

 クラス全員のじょうはんしんが、いっしゅん、右ななめへ30度ほど、がくっ、と、かたむき、次のしゅんかん、ぜんいんがノートをめくると、一学期に、「ゆでん→いったん」と書いた文字を、けむりが立つほど、消しゴムをはげしくおうふくさせて、ノートから、「とうろく・まっしょう」した。

「それにです!」

 ばん、と、こうふんぎみに、「先生の机」をたたいて、フジカタ先生は、話を続けた。

「ご実家の『油田』って、さばくの砂の底の、それはそれは、深~いとこにあって、そこから出る石油の多さより、掘る方が、ずっと大変だから、じゃんじゃんは、とれないらしいの。先生、かなしくなって、朝早く、らくだにまたがって、ちょっとおくれぎみの『まりっじ・ぶるー』な感じで、さばくを散歩しにいきました。らくだも、ちょっと、『まりっじ・ぶるー』な感じで、うなだれながら、走っていました」

僕たちも、少しかなしい気持ちになって、うなだれた。もちろん、朝早くに、たたき起されて、どっか遠い国からやってきて、いきなり、先生のきまぐれに付き合わされた、らくだの身になってである。

「そしたら、テントみたいなのが見えて、近よって行ったら、とつぜん、早起きの『とうぞく団』の人たちが、大きな三日月形の刀を持って、飛び出してきたのです! まだ、眠そうで、あくびをしている人もいたので、とりあえず、ぽいぽいって、やっつけました。すると、『とうぞく団』の、いちばん、えらいひとが、きれいな宝石を、せんせいに、プレゼントしてくれて、友達になったのです。これが、そのときの、『ゆうじょうの、あかし』です」

 それ、どっちかって言ったら、先生の方が、「とうぞく団」じゃないのだろうか、と僕は思ったけど、そんなこと、おかまいなしに、フジカタ先生は、左手の薬指に光る銀色のゆびわについた、「マルカウオ」の目みたいに、きらーん、と、赤くかがやく、でっかい「ルビー」を、見せてくれたのだった。

 女子ぜんいんが、「キャァァァァァァ―――――!!!」と、机から身を乗り出して、胸の前で手をもみながらさけんだのは、言うまでもない。男子どもは、たぶん、「ああ、あれで、『ウルトラ・ボール』してみたい」とか、「なんで、女子は、きらきら光るものが、あんなに好きなんだろう」とか、「光りものなら、『あじ』とか、『いわし』じゃ、だめなんだろうか」とか、思ってただろうけど。

 というわけで、フジカタ先生の「おねがい」は、ひつよういじょうに、かなった。それはいいけど、たのみますから、ほかの国の人とか、らくだにまで、そのおそるべき「きまぐれ」を、ばらまかないで下さい、先生。

 ついでに、フジカタ先生と「けっこん」して、「だんなさん」になるという、「月面・きょうこうちゃくりく」をやってのけた、「白馬の王子様」こと、「野球キャップ」こと、「ドルフィン・スウィマーズの、じしょう・栄光の64」こと、「3D」こと、「土端・D・堂太郎」選手。

あだなが、やたら多くて、すごくまぎらわしいので、いっそのこと、「すりこぎ・やろう」とでもよびたいんだけど、とにかく、土端選手の、今シーズンの「せいせき」は、「ぼうぎょりつ・0.21」という、「あんた、ほんとに、にんげんですか?」と、ききたくなるような、おそるべき、記録をのこした。

 あ、言いわすれてたけど、土端選手の「ぽじしょん」は、「ピッチャー」である。ショウスケによると、「ドルフィン・スウィマーズ」の、しょぞくする、「ウ・リーグ」は、「でぃー・えっちせい」という、ちょっと、顔を赤らめたくなるような名前の、他の選手が代わりに打ってくれる、そんなしくみがなくって、ピッチャーでも、9番とかで、「バッター・ぼっくす」に入らないといけないらしい。それで、前のランナーを、二るいに進めるために、いっつもバントばっかりさせられるのがいやで、「バスター」をするようになったのが、「2000バスター・きろく」の、さいしょらしい。

 そのあとも、ピッチャーで出てないときに、代打とかで「バスター」しまくり、今年で、「ぜんじん・みとう」の「11年れんぞく・100バスター」を「まーく」した。「ぎねす・ぶっく」の人たちも、これを、本にのせていいものかどうか、あたまをかかえて困っているらしい。

 でも、土端選手、そんなことには、まったくおかまいなしに、自分で三振の山や畑や田んぼをきずき、9回うらに、「サヨナラ・バスター・ホームラン」をきめて、チームメイトに、「ひまわりのたね」とか、「紙コップ」とか、「7回うらの、おうえんがっせんのあとに落ちてた、しぼんだふうせん」とかを投げつけられるという、「てあらいしゅくふく」を受けたあげくに、うっかり「ぎゃくじょう」して、チームメイトを、「すりこぎ」をふりかざして、追いかけ回し、その「しーん」を、ばっちり、写真にとられて、「『3D』、またも、『バスター・ホームラン』!! にげろ、五反田・ピッチング・コーチ!!!」などと、赤に黄色のけばけばしい文字で、「週刊・スポ・いる」にでっかく「けいさい」され、その記事を読んだ僕に、「あんた、『使い道をまちがえるな』とかって言っといて、ぜんぜん、『せっとくりょく』、ないじゃん」とか、つっこまれたりしたのだった。

 ちなみに、「ウ・リーグ」とは、「えいご」だと、「ゆにばーさる・りーぐ」って言うらしく、「たいへいよう・りーぐ」と、「まんなか・りーぐ」の二つだけでは、なんか、バランスよくないかも、ということを理由に「ほっそく」した、「うちゅうに面していて、野球が好きで、野球選手とか、ファンの人とか、ホーム・ベースとか、その他もろもろを、大事にする国なら、どこでも参加していい、りーぐ」のことだって、父さんから聞いたことがある。

「ウ・リーグ」の、「すぽんさーの、会社」は、いろんな国の、「海や川や土やなんかをきれいにする、会社」とか、「海水から水をつくる会社」とか、「水から電気をつくる会社」とかが、さんかしており、選手たちや監督さんも、いろんな国から来てて、いろんな言葉がとびかい、いろんな「ふうしゅう」があるんだけど、ただ、一点、「みんな、野球好き」だってことだけは、まちがいない。

 じつは、四年一組のクラス委員長であるユウキの、ラムネびんの底みたいなメガネをかけた父ちゃんは、この「水から電気をつくる会社」をはじめた人で、『水・パソコン』を発明した人、ついでにいえば、「ドルフィン・スウィマーズ」の、「かくれ・おーなー」でもあるのだ。つまり、たまにわらうと、笑顔があんまりそっくりなので、ユウキのあだなの元になっている「分厚いメガネをかけた、社長さん」とは、ユウキの父ちゃんのことである。ほんとは、「いるか町」だけの、ないしょだけど。

 なので、今は、「ハンバーグをこねること」にむちゅうの、ユウキだが、いつか「にだいめ・おーなー」として、ぶいぶい、いわせることになると思うので、今のうちから、この「おんぞうし」に、消しゴムをかしたり、なぜか、三日に一回は、メガネを落として探してるのをひろってやったり、そのメガネのレンズに、「赤色・セロハン」をはって、「夕方になったから、帰ろう」と思わせたりと、さりげなく、おんきせがましいことをして、いつか、こいつが、本当の「しゃちょうさん」になったら、「ドルフィン・ドーム」の「ライト・スタンド」で、「ポップコーン、食べほうだい」をたのんでみよう、という、「やぼう」へ向けての、「ふせき」に、よねんのない、僕がいたりする。

 今シーズン、「ドルフィン・スウィマーズ」は、最下位だったけど、その二年後、僕たちが六年生のとき、ついに「『こう・だ』が、かみあった」おかげなのか、「ひがんの、はつゆうしょう」をかざった。そして、「すりこぎ」サインの、せんげん通り、土端選手は、僕たちが「いるか小」を卒業すると同時に、「じしょう・いるか小・十四年生」の、フジカタ先生をつれて、「海の向こうの、遠い国」へ、わたって行った。

土端選手の、「その国にある、『すごい野球・りーぐ』で、そんけいする、『すごい野球選手』といっしょのチームで、ピッチャーとしてゆうしょうしたいから」、という、わりかし、まっとうな理由に、僕や、「元・四年一組のみんな」、というか、一学年・一クラスしかないので、全員もちあがりの「六年一組のみんな」、それに「いるか町」の人や、「ウ・リーグ」のみならず、「野球界」、もしかすると、「地球界」ぜんぶの、ぜんいんが、びっくりした。

 ただ、この二人、「はにー・むーん」のときも、そうだったんだけど、「飛行機」にのったことがなく、「自分で操縦するんじゃないと、ひとまかせなんて、いやだ」と、とても大人げなく、だだをこねてこわがったため、「いるか町」の港からしゅっこうする、「かつお船」にのって、海の向こうへ旅立ったのだった。

 僕たちは、「しんてんち」へ向かう、二人の「かどで」を、ていぼうがきれるところまで、みんなで走って見送った。なぜか、土端選手とフジカタ先生は、二人して「たいりょうばた」を船の上から振っており、「いるか町」のみんなは、「紙テープ」を、おもうぞんぶん、二人へ投げつけたのだった。もちろん、ぜんぶ、大笑いする土端選手に、「たいりょうばた・バスター」で打ち返されたんだけど。

 海の向こうへ、どんどん小さくなっていく船の上の二人を見ながら、僕は、「いるかのぼり」の夜に、空へ舞い上がって行った、「かもつせん」のことを、思い出していた。

 そして、きっと、二人の、「いるか町」での「ぼうけんのたび」は終わって、新しい「ぼうけん」に向って行ったんだ、と、僕は、あいつのくれた「すりこぎ」を手に、そう思った。


     4


僕が班長をつとめる、四年一組「い」班の、めんめんの「おねがい」は、どうだったのだろう。

 じつをいうと、僕が知ってるのは、「い」班のみんなの「おねがい」くらいで、ほかの、「る」班や、「か」班や、「み」班、「せ」班の、みんなが、何をたんざくに書いてねがったのかは、すでに、「ねがい」のかなった、ヨウタなんかをのぞいて、よく知らないのだ。知っているのは、ミオくらいなものだろう。

 あと、どうでもいいけど、このきみょうな「班分け」、フジカタ先生の、「先生、いるかの中では、『セミイルカ』が、いちばん、好きなの」という、例によって、例の通りの気まぐれにより、てきとうに名付けられたものである。

 で、そのフジカタ先生が「はにー・むーん」の後に見せた、「ゆびわ・きらーん」に、はんのうした、「い」班、女子軍団のなかでも、ひときわ、「きゃー」声のでかかったのは、やはりというか、「にんげん・スピーカー」のいみょうをとるユカと、しょうらいの「トップ・プラモデル」をめざすサヤの、「凹凸」、もとい、「凸凹コンビ」だった。


 ユカは、持ち前の「どこまでも飛んでく、ちょうおんぱ声」を、いかんなくはっきし、「昼休みの音楽」とか、「本のろうどく」なんかを流している、「いるか小・放送クラブ」の「ぶちょうさん」になり、「小学生・全国ろうどく大会」の、「おおごえ部門」で、国語の教科書のだいざいである、『詩をよむ・アブのように』をぜっきょうし、「全・しんさいん」の人たちの耳を、「アブ」のうなり声でふさがせて、みごと、全国ゆうしょうをかざった。

 その、ずーっと、後のことなんだけど、ユカは、町役場のとなりにある「いるか・放送」の、「はながた・あなうんさー」になった。

 「いるか放送の、あなうんさー」とは、いるか町の、あちこちに、ぽつんぽつんと立ってる、運動場の「のぼりぼう」みたいな鉄の柱の先っちょについた「スピーカー」とか、家の台所とかに、取りつけてある、「ゆうせん・ほうそう」から、「今日のお天気」や、「いるか町・ニュース」や、「全国ニュース・いいとこどり・だいじぇすと」などを、おとどけする、海や山にかこまれた、いるか町にとっては、かかせない、だいじなお仕事なのである。

 たぶん、ユカの声なら、いるか山の上から、さけべばいいだけで、ほんとの「スピーカー」は、いらない気がするけど、とにかく、いるか町の、「はながた・女子アナ」に、なってしまったのである。


 サヤは、年がら年中、「私は、みらいの、トップ・プラモデル!」、と言っていたので、よく教室に持ってきて、うっとりながめている、「本のモデルさん」みたいになるのかな、と、みんな、思っていたんだけど、ちょっと、ちがってた。

 フジカタ先生が、けっこんしきをあげた、いるか神社。そこに「ほうのう」される、「いるか舞い」の、「舞い姫」に、六年生のときに選ばれたのが、十月にある「学芸会」で「いるか姫」役をえんじた、サヤだった。

そのとき、いるか町にきた「写真をうつす人」の一人が、サヤに「あらけずりだが、きらりと光る、なにか」を見出したらしく、その人の「たってのねがい」で、全国の人が読む本に、「ししまい」みたく、「てづくり・布いるか」を、みにまとった写真が、でかでかと、のったのだった。

 こうして、サヤは、「いるか町・ますこっと・がーる」として、いろんなとこに出かけ、「いるか姫」として、いるかのきぐるみを着こみ、いろんなポーズの写真をとり、「さややん」とよばれるようになった。全国各地の「つり大会」や、「うおいちば」、「うみびらき」などで、「いるか姫」なのに、「ひっぱりだこ」になり、ついに、「すいぞくかん・でびゅー」をはたした。さらには、「海かんけい」の、すごいざっしである、『げっかん・いるか人』とか、『イルカよ!』とか、『いるか・夏冬』の、「読者アンケートの、ひっと・ちゃーと」を、やっぱり「いるか姫」なのに、「うなぎのぼり」でかけのぼりまくった。

そして、とうとう、いろんな部品をくっつけて、がったい・へんけいする、「十分の一・『いるか姫・さややん』・組み立て式・ふぃぎゅあ」が、「ぴぷし」ペットボトルのふたのとこに、おまけでくっついたり、「がちゃ・ぽん」の、プラスチックの玉に入っていたりして、ふつうの「じどうはんばいき」をおしのけんばかりのいきおいで、いちやく大人気となった。「ざいしつ」が、「プラスチック」か、「ゴム」か、というちがいはあるけど、「トップ・プラモデル」の「おねがい」、あれよあれよという間に、かなっちゃったのである。

 それで、サヤが、大喜びしたかと思いきや……。

「私ってさあ、ちっちゃいとこで、オッケー、って、感じじゃないのよね。やっぱり、『オーク・トチュール』とか、『プトラ・ポテル』みたいな、『バリ・コレ』じゃないと。でも、私、あちこちいってみたけど、ここが住みやすいから、ここにいるわ。これからは、『ドーモ』よ、『ドーモ』!」

 うれいをおびた、「かくうの・カメラ・めせん」で、サヤはそう言って、その後、あっさり、「トップ・プラ・モデル」をいんたいし、「いるか・ようさい店」のあとをついだ。

 はっきし言って、それを聞いた、ぜんいんが、ぜっくした。

 まず、「その、『ベギラズン』みたいな、まほうのじゅもんは、何だ!」というとこから始まり、「ちっちゃいとこでオッケーじゃないけど、『いるか町』は住みやすいのでオッケー、ってのは、どういうりくつだ」、とか、「『ドーモ』とやらを、するのに、なんで『いるかようさい店』なのだ」とか、何もかもが、「つっこみどころ、まんさい」なのだが、たいがいの男子には、「チャンス、とうらい!」みたいな感じで、こういてきに受け入れられた。あと、女子たちも、サヤが作る、「自然と野性味と、トップ・プラモデルと、『ドーモ・ふうみ』」が、みごとにゆうごうした服に、うっとりし、じだんだをふんで、親に買ってくれるよう、ねだりまくるに至った。

「元・さややん」こと、サヤの作った服が、「ばり・これ」の、モデルさんたちのよそおいとして、世界中に知れわたるようになったのは、その数年後のことである。


「弟やら妹が、自分でかたづけしますように」

 この、「しんぷる」かつ、「せいかつかん」あふれる、きわめてそぼくな「おねがい」をしたのは、クマ族アカネである。

二年おきに、弟やら妹やらがいるので、六年生になったときには、六・四・二・幼稚園の小さい組・三歳・一歳と、六人きょうだいの「長女」になった。さらに、その後も、アカマツ家では、赤ちゃんが、ハムスターのごとく、次々と生まれ、ついには、アカネは九人きょうだいにくんりんする、「姉王様」となった。

 いくら、「さんせだい・かぞく」が当たり前で、きょうだいが多い「おおじょたい」の家もめずらしくはない、「いるか町」とはいえ、この調子でふえていけば、いずれ、「いるか小」は、アカネのクマ族に、せんりょうされてしまうのではないか、と、あやぶむこえもあったが、自然のおきてっぽい、何かの「止まれ」信号が出たのか、九人でうちどめとなった。

でも、このアカネの八人のきょうだいたち、そろいもそろって、れいぎただしい、ちゃんと、「シャツや、ふとんをたたむ子」であり、ぜんいんを横にならべると、「にんげんの、しんかのかてい」とか、「ピアノのけんばん」とか、「ドレミファソラシド」みたいに、美しい「きょうだい・はーもにー」をかなでる感じである。そうしてみると、このアカネの「おねがい」、じつに「せんけんのめい」があったことになる。


 クマ族アカネの、きょうだいに入れてもいいんじゃないかってくらい、いつもいっしょの、リス的ユマ。

 仲がいいと、考えることもにてくるのか、ユマの「おねがい」は、「ハムスターが、たくさん赤ちゃんをうむこと」。文字どおり、「ねずみ算」しきに、ユマのかっている「ハムスター」は、赤ちゃんを生みまくり、どんどん、「げーじ」を大きくしていき、とうとう、ユマの部屋をせんりょうするほどになって、ユマが「ハムスター」をかってるのか、「ハムスター」にかわれてるのか、わかんなくなってしまい、町の「けいじばん」に、写真入りの、おしらせの紙をはって、引き取ってくれる人を、さがすことになった。

 すると、人づてにしらせを聞きつけ、この「お知らせの紙」を見た、「動物の学者さん」が、「白いかっぽう着」のような、ものものしい、いで立ちでやってきた。学者さんが、ユマの家をたずねて、調べたけっか、ユマが森でけがしてるのを見つけて手当てをし、「ハムスター」と思いこんでかっていた、この小さい、ふさふさした、リスっぽい、つがいの生き物、じつは「ヤマネ」という、この国にしかいない、「もしかすると、本当にいなくなってしまうかもしれない、めずらしいいきもの」であることが、はんめいした。

そこで、学者さんの「あどばいす」にしたがって、あちこちの、「山や、森にくわしい人」にあずかってもらい、「ハムスター・あらため・ヤマネ」を、自然にかえすことになったのだった。

 こうして、「ヤマネ・とっぷ・ぶりーだー」として、学者さんの書いた「むずかしい本」にまでしょうかいされ、いちやく、名をはせたユマ、「こんどは、『モモンガ』を、育てる!」と、いきごみもあらたに、「じゅういさん」になった。


 「い」班、女子軍団、「おねがい」、星四つ。


     5 

 それでもって、男子やろうどもの、先頭バッターは、やはり、「いるか小・ソフトボール・チームの、名ショートのほけつ」である、いがぐり頭のショウスケ。

 その「おねがい」は、「PS5の新作ゲーム」。わりかし、小学四年生としては、ありがちな、この願い、「いるか・ショッピング・センターの、福引で当った」というのは、はっきし言って、ショウスケの父ちゃん、母ちゃんの、ウソだった!

 早い話が、「ソフト・ボールと、ゲームばっかりやってて、ぜんっぜん、勉強しないので、いっそのこと、ゲームで勉強させたら」というもくろみのもと、「算数問題ソフト」や、「ことわざ・クロスワード」や、「レッツ・スタディ・昔のくらし」なんかの、「学習ソフト」を、100本くらい、多分、だれかがやってしまったか、あきて売ってしまったのを、安売り店でかき集めてきて、プレゼントしたというのが、じったいである。いるか神社の「よりあい」のさいに、いるか小のお母さんたちが、「みつだん」をおこなっているのを、ついつい、立ち聞きしてしまったので、まちがいない。

 なのだが。

 ショウスケ、ゲームにはまりまくり、めきめきとせいせきをあげ、ちゃんと、「九九」が言えるようになり、「かけざん」、「わりざん」へと、ひやくてきな、「しんか」をとげた。それは、まるで、野生の生き物が、二足歩行し、ついには、天井につるしたバナナを、「台と棒と輪っか」から、「ひっかけ」にかからず、「台」を選んで、バナナをゲットし、ついには、「でんたくで、食べたバナナの、かけいぼをつける」ようになるほどの、「しんか」ぐあいだった。

「学習ソフト」100本を、「こんぷりーと」したショウスケは、「ソフト・ボールに、せんねんしたい」と、僕に、ゲーム機や、ゲーム・ソフト100本をゆずってくれそうになったのだが、そっこうで、じたいした。

ちなみに、六年生になったショウスケは、ソフト・チームのエース・ピッチャーとして、「算数」ではなく、本当に9回、0点、つまり、ノーヒット・ノーランを、たっせいした。のちに、ソフトから野球へと、てんこうしたショウスケ、二軍チーム「ドルフィン・ファイターズ」に入団し、こしたんたんと、「ぽすと・土端選手」を目指して、「バスター」の練習によねんがない。


 ついで、「だれも見たことない、でんせつのレア・カード『サイバー・クワガタ・ポチョムキン』がほしい」と、「お願い」した、ぎざぎざ髪のリュウジ。

 「いるか酒店」で買ったという、アイスのおまけのカード、しぶるリュウジをせっついて、みんなで、輪になってのぞいて見た。さすがに、「だれもみたことがない、伝説の」という言葉通り、だれも、「はさみが上下左右で四つある、クワガタ」なんて、見たことがなかった。うらがえしてみると、「メイド・イン・ジパング」と、カタカナで、書いてあった。たぶん、どこか、遠い東の海の向こうにあるという、黄金の国で作られた、大流行のカードなのであろう。

 ちなみに、このカード、最強すぎて、使いようがないため、ふだんは、ケースの中に、げんじゅうにしまっといて、「カード・バトル」でもめたとき、リュウジが、このカードを出して、「ジャッジ」を下す、という、やくわりに落ちついた。

 リュウジ、サッカーの選手としては、あんまりかつやくの場がなかったけど、いつもボールと友達であり、球ひろいをし、だれよりも、全体をよく見ていたため、こうへいなプレイをうながす、「しんぱん」として、とうかくをあらわし、「らいんずまん」から、「副しんぱん」へと、「しゅっせうお」のように、めきめき成長をとげ、ついには、「サッカーの国際大会」などでかつやくする「名・れふぇりー」にまでなった。

どんな、ごっついあらくれ選手も、「リュウジが、ジャッジするのなら」と、いろんな国の言葉で言ったあと、肩をたたいて笑顔でプレイにもどり、どんなに、きんぱくした「ふぁうる」の場面でも、おおしけのように、あれまくったゲームでも、アジの三枚おろしみたく、「ふぇあ」にさばいて、選手もファンもかんどうする「ゲーム・コントロール」を行ったという。


「ばあちゃんの、ぎっくりごしが、なおった」

そう言っていた、「しゃちょうさん」こと、ユウキ。しょうらい、ほんとうに「しゃちょうさん」になるのかも、と、ひそかに、みんなの期待をせおいつつ、「一人暮らしの、おじいちゃん、おばあちゃんたちの家に、ごはんをとどけたり、いろんなお世話をする、おしごと」についた。

メガネをかけたまま、メガネをさがしてした、あの、たよりなげなクラス委員長、ユウキも、「メガネをかけた、ほうきにのって飛ぶ少年」、さらに、「メガネをかけた、冬にマフラーのよくにあう青年」へと、成長し、おじいちゃん、おばあちゃんたちからは、孫のようにかわいがられている。

おじいちゃんたちからは、「はらはらどきどきの、きわどい勝負をくりひろげる『しょうぎ・あいて』」として、「えんがわ・りゅうおうせん」に対戦指名され、ユウキがどくじにかいりょうをかさねた、「豆乳・ハンバーグ」をぜっさんされるなど、一目も二目もおかれている。おばあちゃん達からは、小学生の家庭科の時間いらい、ハンバーグをこねまくることでつちかった、「ぷらちな・ふぃんがー」からくりだされる、「肩もみ・てくにっく」と、さわやかなメガネ・マフラーすがたに、「ユ・様」とよばれて、あついしせんを送られる日々。


 「『ぜんこく・まんじゅう・詰め合わせセット』大当たり~!!」と、からかわれていた、タイチ。何を「おねがい」したかは、いわずもがなである。

 ただ、この、「ぜんこく・まんじゅう・ふきゅう・きょうかい」の、「もにたー」に、おうぼして当っちゃった、「ぜんこく・まんじゅう・詰め合わせセット」、ただものではなかったのである。

文字通り、本当に、「ぜんこくにそんざいする、ありとあらゆるしゅるいの、まんじゅう」が、「しんくう・ぱっく」されて、段ボール何十箱、山積みのじょうたいで、送られてきたのだ。

 「ぜんこく・食べ歩きのたび」をしなくても、いながらにして、ぜんこくのまんじゅうが、食べられる、と、さいしょは喜んでいたタイチだったが、しだいに、「しょうそうのいろ」が見え始め、段ボールの山が半分になるころには、「肩のはり」をうったえ、最後の一個を、いぶくろに収めきったとき、その場で、「ぜんこくのまんじゅうを、食べつくした四年生」の「れきしてきしゅんかん」を、かたずを飲んで見守っていた僕たちに、「まんじゅう、こわい!!!」と、「らくごの、おち」みたいな「れきしにのこる、めいげん」をさけんで、ぶったおれたのだった。

 こうして「まんじゅう」を、ぶじ、そつぎょうしたタイチだったが、また、しょうこりもなく、今度は「お茶」にめざめ、「お茶が、こわい!!!」とか、また「らくごの、おち」みたいな「めいげん」をさけんで、ぶったおれたのち、それで何かふっきれたのか、その後、りっぱに、「いるか寺」のあとをつぎ、お寺をおとずれる人々に、「ぴんぽいんとで、めいげんてきな、『あどばいす』をしてくれる、おしょうさん」として、したわれるようになった。

 タイチ、お前は、かけがえのない、親友だ。今も、そして、これからも。たぶん、あさってか、しあさってくらいまでは、かくじつに。あと、あの「ぜんこく・まんじゅう・こんぷりーと」、じつは、僕が、こっそり「はたか・まんじゅう・ぴよこ」を食べちゃったので、「こんぷりーと」ではないのだ。そんな僕を、ゆるしてくれ。

ついでに、いつか、、タイチに、「ぜんこく・わさび・せっと」をおくったら、今度は、どんな「めいげん」を残してくれるのか、楽しみにしている。


 そんなわけで、「い」班、男子やろうども、「おねがい」星四つ。


     6


 もちろん、ラストをかざるのは、この僕、サキカワ・サキである。

 なのだが……。

 はっきしいって、僕の「お願い」は、多すぎた。

 あの「いるかのぼり」の夜、「じょうきせん・ユーフォー」を走って追いかけながら、たんざくに、これでもかとばかりに、書きまくったけっか、こうなったわけなんだけど、これって、いったい、どうなるんだろう。

 いるか浜に干してある「いるか・てんぐさ」からつくられた、「いるか・かんてん」みたいなのうみその、はしっこで、いつも、そう思いながら、僕は、「いるか小」での、のこり三年間をすごした。そして、おおむね、つぎのような、「けつろん」に、いたったのである。

「全部、願いはかなう。ただし、いつどこで、どんなふうにとか、自分が思っているとおりとは、かぎらない。」

 いっこいっこ、「けんしょう」してみると、「お願い」は、二十個くらいあった。そして、その全部が、かなってしまった。なので、先に言っとくと、「星・二十個」。

 どんな風に、かなったか。


 こんな風に、かないました。


1 「足が速くなりますように」


体育の時間の、「体力そくてい・50メートル走」ではかったら、四年生のときより、六年生のときの方が、一秒くらい、速くなってた。でも、四年生のときの、「い」班のみんなとくらべたら、一位・ショウスケ、二位・リュウジ・三位・僕、四位・タイチ、五位・ユウキ、と、そのままぜんいん、学年があがるごとに、足の速さも同じように速くなったので、順位は変わんなかった。でも、三年間で、一秒速くなったわけだから、このままいけば、大人になったら、もう、「体力そくてい・50メートル走」のときは、「しゅんかんいどう」しちゃって、ゴールの白い線のとこで、みんなの分のお茶をいれてるかもしんない。


2 「あたまがよくなりますように」


四年生のときより、六年生のときの方が、ふくざつな計算ができたり、ふくざつな漢字が書けたり、「たてぶえ」で、ふくざつな音をだせるようになった。なので、たぶん、よくなったんじゃないかって気がする。

「つうしんぼ」を見せあいっこしている、「い」班男子の「1~5」を、さりげなくのぞきこんだけっか、「そうごう・らんきんぐ」では、一位・ユウキ、二位・タイチ、三位・僕、四位・リュウジ、五位・ショウスケ、と、「体力そくてい」とは、せいはんたいの「とうけい」がでた。しかも、みんなそろって、学年があがっても、順番は変わらないのである。

それにしても、「あたま・あし」、どっちをとっても、「ちょうど、まんなかあたり」につけている僕、「ナイス・ポジション」である。


3 「『えらいひとの本』みたいに、しょうらい、えらいひとになれますように」


「しょうらい」って、いつの事なのか、分かんないけど、フジカタ先生が、僕たちの持ちあがりの先生でいる間はずっと、「教科書わすれたうえに、宿題もわすれ、ひとの給食のデザートをぶんどり、体育着もわすれる」というような、「ろうぜき」をはたらいたさいには、だれでも、びょうどうに、「まきをせおったまま、本を読んで勉強する少年の、ぞう」のかっこうに固まったまま、ろうかに立たされていたので、みんな、すでに、「えらいひとの、そしつ」じゅうぶんだと思う。なので、みんな、「えらいひと」に、なるんじゃないかな。


4 「おこづかい、もっともらえますように」


なぜか、四年生、五年生、六年生、とあがるごとに、毎月の「おこづかい」が、二十円ずつ、あがっていった。

これは、あれだろうか。大人の人が、長くお仕事するほど、「おきゅうりょう」もあがるとかいう「ふうしゅう」に、のっとった、しくみなのだろうか。それとも、「なんとか・すらいど」という、だがし屋さんで売ってる「かじりぼう」みたく、びみょうに、長さをちょうせつする、みたいな感じなのだろうか。

ちなみに、サキカワ家の、「一か月・おこづかい・きほん・きゅうりょう」の、ねだんは、百円である。つまり、四年生から五年生に上がるとき、百二十円になったわけで、少しばかし「あたまのよくなった」僕の、ふくざつな計算を「くし」したところによれば、1.2倍に、おこづかいがふえたのでる。やった―――――っ!


5 「まんが、よんでもしかられませんように」


妹のやつだけが、読んでも何にも言われないのに、僕だけしかられるのは、「ふこうへい」だ、と思っていたのだが、妹の読み終わった「少女まんが」の表紙の「カバー」だけを、タイチ達から借りた、「カバー」にさしかえて、読んでみたところ、何も、言われなかった。ようするに、僕の読んでいた「まんが」の表紙が、父さん、母さんには、「絵とか色のどぎつい、きけんな、本」と思われていたらしい。

なので、この方法をあみだしてからは、しかられなくなった。ただ、だんだんに、表紙の「カバー」を、「絵とか色のどぎつい、まんが」のものに変えていって、目をごまかそうか、とも思ったけど、いちいち「カバー」を変えてまで読むのが、めんどくさくなってきたので、まんがは、友達の家で読むようにした。


6 「ドルフィン・ファイターズ、ゆうしょうできますように」


あまりにもあわてて、こう書いたため、土端選手のいる「ドルフィン・スウィマーズ」ではなく、その二軍チームの、「ドルフィン・ファイターズ」が、その年に、優勝してしまった。

 その二年後の、「ドルフィン・スウィマーズ」の初優勝は、この「ドルフィン・ファイターズ」にいた、若手の選手たちが、一軍に上がって来て、これまで、「せんぱつ・投手」として、投げては相手バッターを、ほぼ0点におさえ、打っては、「バスター」で得点するという、「一人・野球」もしくは、「こぐん・ふんとう」しまくってた、土端選手を、「とう・だ」で、支えたというのが、大きな理由らしいと、ショウスケが言っていた。

つまり、僕や父さん、いるか町のみんな、「野球キャップ」こと、土端選手、みんなの願いが、かなったのである。

 しかし、野球にきょうみのない、母さんや妹、女子軍団は、「ふ~ん、そう」という、「学校の運動場に生えてる、いちょうの木から、「ぎんなん」が、いっこ、おちました」くらいの、はんのうしか、しめさなかった。

むしろ、そのあとの、「ドルフィン・スウィマーズ」の初優勝をお祝いする、「いるか・スーパー・大やすうり」の方に、「ぎんなんから、とつぜん芽が出て、運動場が、いちょうの木でうめつくされました」くらいの、ものすごいはんのうがあった。「いるか・スーパー」は、「今まで、どこにかくれてたんだ、この人たち」と、あきれるほどの「いるか町・女性ぐんだん」が、「優勝、おめでとう」の、のぼりばたをへし折らんばかりのいきおいで押し寄せてきて、うめつくされてしまうという、「いれいの、じたい」に、うれしいひめいを、あげていた。

 あと、「優勝・がいせん・ぱれーど」は、一軍チームも二軍チームも、「いるか町へは、交通のべんがよくないから」というので、こなかった。ユウキの父ちゃんという、「かくれ・オーナー」が住んでいるというのに、まったくもって、かげのうすい「オーナー」である。


7 「タイチが、食べすぎて、これいじょう太りませんように」


タイチが、「げき・やせ」した。「おまえ、だれ?」ってくらいに、「げき・やせ」した。

げんいんは、夏休みに、「まんじゅうつめあわせ・セット」のみならず、スイカや、とうもろこしや、その他もろもろ、食べすぎて、だうんしたのが、げんいんである。が、二学期になって、給食を食べ出したとたん、元にもどっていった。いるか小の給食には、何か、「にんげんの体をふくげんする、びみょうな、げんそ」とか、入っているのだろうか。

なので、タイチは、食べすぎも、食べなさすぎもせず、あの、スイカにスイカを乗っけたような、「スイカ・だるま」みたいな感じで、元気に、どすどすどす、と走り回っている。


8 「ヨウタのやつを、こらしめてやれますように」


そもそも、僕に、「こらしめたい」気がなくなっちゃったので、このおねがい、どうでもよくなった。まあ、「輪ゴム・ボール」でえがいた、「みすてりー・さーくる・『㐂』」が、そうといえばそうかもだけど、ヨウタも、あれ、けっこう気に入ってたみたいなので、「けっか・おーらい」ってことに、しておこう。


9 「先生に、ぼくのいたずらが、ばれませんように」


無理でした。ぜんぶ、ばれました。そもそも、フジカタ先生の目をぬすんで、いたずらしよう、などという、「おねがい」そのものが、まちがっていました。すみません。もうしませんので、「かんがえないひと」とか、「たいようの、たわー」とか、「ひとつぶ、100万メートル」とかのかっこうで、ろうかに固まらせるのは、かんべんして……。

 でも、音楽とか、図画工作とか、他の先生には、ばれなかった。たとえば、「たてぶえ」のあなに「ねんど」をつめて、「ふき矢」にしたり、リュウジの、絵の具の入っている箱の、「チューブの色」の順番を変えたり、ショウスケの絵の具の「チューブの色と、その中身」をこっそり入れかえたりしても、「また、お前のしわざかーっ」、と、まっ先に、なぜか僕がうたがわれるので、やるだけ、牛にあめ玉をなめさせようとして、首をふっていやがられるくらい、「ふも~」な感じだったので、「いたずら」じたい、しなくなった。

 そもそも、「いたずら」は、ばれるか、ばれないか、その、「ぎりぎりの、スリリング」な感じが、楽しいのであって、最初っからばれてたらつまんないし、まったくばれずに、そのひとが、何にも知らないでいるのを見ると、なんだか、かわいそうな気分になるので、もう、やめることにしたのだった。

ちなみに、「もう、いたずらしない」せんげんをしたところ、「い」班、ぜんいんに「メ――――ンチ!!」を、くらった。ふとくの、いたすところです、と、のびきったほっぺたをさすりながら、そう思った。


10 「妹に、僕のおやつがとられませんように」


学年が上がるにつれ、僕のおやつと、妹のおやつの好みに、じゃっかんの「ずれ」がしょうじていった。

僕が六年生、妹が四年生になるころには、僕は、いたってふつうに、「十円ガム」とか、「チューイン・ガム」とか、「風船ガム」などの、「ガム系」が好きだったのだけど、妹は、父さんのえいきょうなのか、「するめ」とか、「すこんぶ」とか、「うめこんぶ」といた、「しぶい系」のおやつを好むようになり、その、「おやつ・ほうこうせいのちがい」による、「すみわけ」が、かのうとなった。

なので、おやつをとられる心配が起きることもなく、サキカワ家は、長い「おやつ・せんごくじだい」に、まくをおろしたのだった。

ついでに言えば、僕ら兄妹、ひじょうに、「エコ・おやつ」であり、ひそかに、母さんの「かけい」を助けているのである。そして、母さんは、ひそかに、その分、「ミーシュカ・パン」の、新発売、「ドルフィン・マフィン」などという、「ごーじゃす」なおやつを、食べていたりするのである。次の日に、「ミーシュカ・パン」のかんばんむすめ、銀色の髪のミーシャから、「きのう、サキ君のお母さんが、新発売のマフィンを買って、笑顔でスキップしながら、帰って行ったよ」と、聞いたので、まちがいない。


11 「かくしたテストが、母さんにみつかりませんように」


かくすのが、めんどくさくなったので、かくさないようにした。せいせいどうどうと、「国語・7点」のテストを、胸をそらせて、母さんに見せ、せいせいどうどうと、母さん作の、「新聞からてきとうにひろってきた漢字・書きとり・ドリル」を、こなしまくった。

そのおかげで、こうした、ふつうなら、小学生にはむずかしいかもしれない文章も、すらすらと、あやしげな文字の使い方で、書けるのである。母さん、ありがとう。

でも、たのみますから、小学生に、「次世代燃料審議会」とか、「ダスナック市場・最高値を更新」とか、「君色にそめろ、グローバリゼーション!」とか、いみわかんないこと、書かせんで下さい。テストにかぎってだったら、むしろ、ぎゃくこうかのような、気がします。


12 「PS5とゲームが100こもらえますように」


ショウスケがかなえた「お願い」が、そのまま、こっちに向ってきた感じなのだが、ていねいに、おことわりした。なんで、学校で勉強したあとに、ゲームでも、勉強せんといけないのですか。


13 「おかねが、10おく万円、もらえますように」


「とにかく、たくさん」って意味で、「10おく万円」という言葉を使ったのだが、そんなにたくさんは、ふつうのとこにはおいてないらしく、少し、しょっくだった。

しかし、なのである。

四年一組「い」班、ユマの「誕生日会」にお呼ばれして、みんなで、「すごろく」によくにた「ボード・ゲーム」、「てんせい・ゲーム」をしよう、ということになり、そのゲームのこまを、さいころをふって動かしたり、もどったり、一回休みしたりしているうちに、このゲームの「おかね・たんい」である、「10おく万円」が、転がり込んできた。人数が多かったので、じゃんけんをして外れ、「お助けやく」になった、ミオをのぞく、みんなが、「おおおおー」と、かんたんの声を上げ、僕は、少しうちょうてんな気分だった。

 ところが、なのである。

この「おもちゃの・トピー社」せいの、ボード・ゲーム、よく出来てて、「こっち」と「あっち」の半分ずつに分かれており、それぞれの「ルール」がちがうので、「こっち」かわで、「10おく万円」もらったからといって、「うちょうてん」ってわけにもいかないのである。

例えて言えば、雨の日の昼休み時間に、教室で「しょうぎ」をやっていて、休み時間の半分がたったら、「しょうぎの、ばん」を、くるっ、と、180度、回転させる。そんな感じの「ルール」が、このゲームにはあるのだ。

僕も、じょばんは、「10おく万円」で、「でっかいお城」を買ったり、「ベーゴマ市場」をどくせんしたり、それを「もとで」にして、「世界中を、こうしゅう・わーぷ・ぼっくす」でつなぐ、なんてこともやってみた。

だけど、ボードのもう半分の「あっち」かわには、「10おく万円」も、「でっかいお城」も、「ベーゴマ市場」も、「わーぷ・ぼっくす」も、持ってけない。なので、このゲームをやりこんでるっぽい、持ち主のユマと、「お助けやく」のミオの「あどばいす」をもとに、「ちきゅう・へいわ・るーと」をせんたくし、「いっかなかよく・楽しくくらす」もーどへと、こまを進め、「10おく万円」は、「しょうがくきん・はつめい・ざいだん」を作って、「こっち」かわは、それで1000年くらい、くらすことにして、だいたい、「あっち」かわで、だいかつやくした。

 このゲーム、とくに、一位、二位とかはないんだけど、僕の見た感じでは、誕生日の主役である、ユマが、やりこんでるだけあって、ふだんはリス的ユマが、「あっち」でも「こっち」でも、みごとな「せんたくりょく」をはっきして、優勝。あとは、だいたい、みんな、とんとん。

ミオは、僕たちが、みょうな「せんたく」をするたびに、さりげなく「あどばいす」していた。

「まんじゅう市場」を、何としても「どくせん」したがるタイチをなだめたり、「かぞく」を、ばんばんふやして、「とのさま」、「しょうぐん」、「ちょう・とくだいとうりょう」とかに、にんめいしようとする、クマ族アカネに、「かぞく・けいかく」とかいうものを、耳元でささやいたり、このゲームの「ルール」では、「あっち」かわでものすごい「ぱわー」をはっきするという、「はーと」とは、なにか、が、よく分かんなくてこまってる僕に、いろいろ、ヒントをくれたりしたのだった。

おかげで、誕生日会も、そのあとのゲームも、ものすごく楽しくて、ユマは、自分の誕生日だっていうのに、何だか、なみだぐんでいた。つまり、みんなが、大まんぞくしたってことなんだ。だから、あの、みんなの笑顔と、ユマのなみだが、「10おく万円」ってことにする。そう、「せんたく」することにしたんだ。


14 「なまこみたいに、いっしょう、らくして、あそんでくらせますように」


とっさの思い付きで書いちゃったんだけど、たのまない方がいい、「おねがい」ってのも、あるのね、と気付いた、「お願い」。

いるか小では、「学芸会」ってのが、十月ころにあって、そのときの「い」班の出しものが、「えんげき・いるか姫」だった。

まあ、「いるか町」に伝わる、「うらしまたろう」によくにた感じのお話しなんだけど、主役の「いるか姫」は、もちろん、「トップ・プラモデル」のサヤで、「うらしまたろう」では「心優しい漁師のわかもの」にあたる、「ぼうけんやろう・五反田」役が、リュウジ。「なれーたー」が、にんげんスピーカーのサヤ、「こどもA・B」が、ユウキと、ユマ、「その母」が、アカネ。タイチと、ショウスケは、「うちあげられたいるかを、持って帰ろうとする、漁師A・B」役。ミオは、さいしょに浜辺にうちあげられる、「いるか城」の、いるか役。

 そして、なにをかくそう、このえんげきの、「きゃく本・えんしゅつ」は僕で、「げんさくしゃ」は、不明(たぶん、昔の人)。好きな役を、みんながどんどん「りっこうほ」して、とってっちゃったので、することのなくなった僕は、とりあえず、きゃく本に、むりやり、「なまこ」役をどうにゅうし、「テレビで見たことのある、外国のえいがの、サングラスをかけた、かっこいいヒーロー」っぽく、いろいろ、だいかつやくさせようともくろんだのだが、「なまこが、背泳ぎのかっこうで、てっぽうの玉をよけたりするのは、おかしい」などと、みんなのきょうこうな反対にあい、げきの間中、ひたすら、浜辺で、でろーん、と寝てるという役になってしまったのだった。

 げきの本番、「こどもA・B」に、つっつかれている、「いるか」を、「漁師A・B」が見つけ、「五反田」が止めに入り、お礼にいるかに乗って、「いるか城」へ向い、「いるか姫」にひとめぼれし、どんちゃんさわぎをし、元のくらしがなつかしくなって、帰る日が来て、「海と陸では、いつも会えないので、一年に一度、この浜辺で会いましょう」と二人が約束して別れるという、「いるかのぼりの日」ができるまでの、そうだいな「すぺくたくる」がてんかいされている間中、僕はといえば、ず―――――――っ、と、「なまこ」役として、ひたすら、砂浜の上に寝っ転がって、文字どおり、「砂をかんで」いた。

 まだ、身も心も、「なまこ」になりきれていなかったな、と、自分のえんぎをはんせいしつつ、「いっしょう、なまこみたく、楽して遊んでくらす」のって、つまんない、つまんないったら、つまんない! と、あらためて、思ったのだった。だから、「おねがい」は、みょうな感じでかなったけど、もう、この「おねがい」、なしで、いいです。


15 「ミコのお父さんやお母さん、家族の人たちが、みんな元気で、しあわせにくらせますように」


僕には、どうじに、二つの「きおく」が、ある。「いるかのぼり」の夜、「星のひと」たちといっしょに、遠くへ帰って行ってしまった「ミコ」と、今、いっしょに学校に通っている「ミオ」。二人は、なんからかんから、全部そっくり、というか、同じにしか見えない。僕だけじゃなく、クラスのみんなも、何にも思ってないので、たぶん、まちがいないはず。で、ちがう場所に、同じひとがいるはずがないんだから、どっちかが「夢」で、どっちかが、「ほんとう」なのかもしれない。

 けど、僕は、こんな風にも、思うんだ。

「野球キャップ」に「顔・サイン」され、いるか神社で、「さんめんきょう」の鏡を見たとき、自分が、三人うつってるのに、気がついた。で、その鏡と鏡の「はんしゃ」には、むすうの、「僕」が、いた。だから、あの「ミコ」も、今の「ミオ」も、「そのほんたい」が、たくさんの鏡にうつったうちの、一人なんじゃないかって。

もしかすると、僕が「輪ゴム・ボール」を回転させたときの、「鏡がわれるような、ぱきーん音」ってのは、僕の「とうめいで、むげんな、ほんたい」が、「鏡の、はんしゃ」を使わずに、そのまま出てくるときの音なのかもしれない。

そうなのかどうか、ミオに聞いてみたい気もするけど、きっと、「いつか、わかるよ」とだけ言って、にっこりほほえむんだろうなって思う。だから、聞いてたしかめたことはないんだけど、今いるミオの家族の人たちは、みんな元気で幸せにくらしてる。それだけは、たしかだ。


16 「ミコや、ミコの友達や、星のひとたちと、もっとなかよくなれますように」


これも、やっぱり、思うんだけど、ほんとうは、もう、すでに「友達」で、「なかよし」なんじゃ、ないのかな? 僕たちが、気付いていないか、忘れちゃってるだけで。僕が、あの夜のことを、「夢」みたいに感じてるみたいに。何のしょうこもないけど、いつか、僕たちは、みんな、そのことを思い出す気がするんだ。そのとき、ほんとうに、僕たちは、自分がほんとうは、だれだったのか、分かるんじゃないかって。


17 「僕の家族が、仲良く元気にくらしていけますように」


じゅうぶんすぎるくらい、ぱわふる、かつ、なかよく、元気です。自然と野性味あふれる「いるか町」で、ご先祖代々、きたえられてきた、サキカワ家は、もう、うちゅう一くらい、なかよく、元気にくらしています。そのおかげで、いろんな「すったもんだ」があるけど、それも、「家族」だからだよね、ってことに、しときます。


18 「僕も『ユーフォーにのった、うちゅうじん』に、あえますように」


フジカタ先生により、「輪ゴム・ボール、および、その他にふずいする、『回転・速度・無限』を使っていいのは、『いるかのぼりの日』だけ」、という「学級・とくべつルール」が、「一人・きょうこうさいけつ」されたあとも、僕は、こっそり、竹林の中なんかで、「カ」とか、「あぶ」とか、「ブヨのむれ」をあいてに、「輪ゴム・ボール」の練習を、じみちに、つみかさねていたのである。

 なので、夏休みさいしょの日に、海でユウキがピンチになったとき、「海パン・ゴム」を使った、「回転・スイカ・ボール」で、その場をしのげたり、「野球キャップ」とたいせんしたりしたわけなんだけど、「ユーフォーにのった、うちゅうじん」、せいかくには「星のひと」には、あれから、一度もあっていない。「地球に住んでる、うちゅうじん」には、家とか学校で、毎日会ってるけど。

 でも、僕が、ふっと、何かのけはいを感じて、空を見ると、「光る点」が、じぐざぐに動いたり、消えたり、また現れたりしながら、「ヤア」とか、「ゲンキ?」とか、「はーと・まーく」とか、「にこにこ・まーく」なんかの、文字や、絵文字や、顔文字なんかを、空に描いてくれるのだ。

そんなとき、僕も、心の中で、「ちっす」とか、「おかげさまで」とか、「ここは、あえて、『すぺーど・まーく』」とか、「『親指立てて、ぐっじょぶ!』の、まーく」とかを、思い描いて、こっそり返事をしている。今では、僕だけじゃなく、「いるか町」のみんなも、道をすれちがってあいさつするとき、「あ、今日は『ゆーふぉー・びより』ね」、なんて感じで、ときどき、空を見上げてる。

 むこうが、いつ来てくれるのか、分かんないけど、こっちから会いたいな、と思ったときの、キーワードは、「いるかのぼり」だ。僕の場合、これをとなえると、「ユーフォー」が、だいたい、来てくれる。

でも、あんまし用もなくよんじゃ、いけないよな、って思うので、ふだんは、よばない。みんなが、なくしものしたり、下級生の子が、何かで泣いてるときとか、ヨウタのおばあちゃんのこしがいたいときとか、そんなときに、こっそり、おせっかいにならないていどに、よぶと、なくしものがひょいと見つかったり、空の「ひとふでがき・コックさん」を見て、下級生が泣きやんだり、おばあちゃんのこしが、ぽかぽかあったまって楽になったりする。

 そもそも、なんで、僕のところに、「ユーフォー」が、わざわざ来てくれたのかは、分からない。「いん石が、おちてきました」みたいな、「たまたま」のことだったのかも。でも、「いん石」だって、いっつも、地球のどっかこっかには落ちているはずだから、僕が「たまたま」それに気付いただけなのかもしれない。

さすがに、もう、「お皿」や、「蛍光灯の輪っか」や、「じょうきせん」なんかのすがたで、出現することはなかったけど、いつか、僕も、あの船に乗って、「星のなかまたち」といっしょに、「無限のたび」にでかけられたら、いいなって思ってる。


19 「このほしのひとたちが、みんな、えがおで、なかよく、しあわせにくらせますように」


「無限・回転・速度」を、竹林の中で、じみ~な感じで、「カ」や「あぶ」や「ブヨのむれ」に追いかけられつつ、練習しているうちに、ふと、思ったんだけど、あの、「鏡のわれる音」、あれを、僕だけじゃなくって、地球のひとみんな、っていうか、「地球・ボールで、いっせ~の、って、やったら、どうなるんだろう? 

「ミコ」で「ミオ」の女の子、僕とかが、「無限で透明なほんたいの、鏡にうつったすがた」なんだったら、この世界も、「無限で透明なほんたいの、鏡にうつったすがた」じゃないのかな。

 だとしたら、そんな世界は、もう、すでに、あるはずなんだ。「もう、すでに」、なんだ。「すでに、かなってる、おねがい」を、「思い出す」。そんだけ。もんのすごく、みょうな言い方だけど、僕は、この「おねがい」、僕らが気付いてないだけで、ほんとうはかなっているんじゃないかって、そんな気がする。


⑳「ミコに、いますぐ、あいたいです」


今、僕のとなりに、ミオが、いる。いるか浜の砂地に、ハマリンドウの青い花がゆれていて、二人でそこに座ってる。ミオの天使の輪が光る、黒くて長い髪が、潮風にゆれて、ミオは、オルゴールの針みたいに、ぴん、とした、まつげの、アーモンドみたいな目をまばたきしながら、遠く銀色に光る、水平線をながめている。

 僕は、父さんの仕事の都合で、小学校を卒業するのと同時に、生まれ育った「いるか町」をはなれて、遠い、都会の町に行くことになった。そこで、いったいどんな転校生活や、大ぼうけんが待ち構えているのか、僕は知らない。

 ミオも、家族で、外国の人たちに呼ばれて、遠い国へ行くことになった。

ミコが、「いるかのぼり」の夜、「ミコ」が、「おねがい」をよこどりしちゃった僕に、「わたしが、いなくなっても、みんなが、しあわせでありますように」という「おねがい」を、たんざくに書くよう、僕にたのんだことを、思い出す。「ミコ」が、「ミオ」として、もどってきてくれても、やっぱり、出会ったり、分かれていったり、そういうのは、変えらんないらしい。もし、それができるのなら、ずっと、ここに、こうしていたいのだけど。

僕の胸は、「かじやさん」が使う、でっかいペンチみたいな「やっとこ」で、ぎゅいぎゅい、しめつけられる感じがした。こんな風に、鉄をとかして、なんども重ねてたたいて、ひっくり返して、水ぶっかけて、みたいなことしないと、「はーと」って、強くならないものなんだろうか。

 すると、ミオは、僕の想いを読みとったように、大きな深い湖のような瞳を向けて言った。

「そんなこと、ないよ。サキ君は、もう、じゅうぶん、『はーと』があるよ。強くて、柔らかくて、優しくかがやいてる、『はーと』。だから、いつか、いっしょに、あの『船』に、のろうね」

 そうして、ミオは、おきあいの船の方に、目を向けた。ヨウタの父ちゃんが案内する、「観光船」。ときおり、水しぶきを上げてジャンプする、いるかたちにとりまかれている。豆粒みたいに小さく見える、お客さんたちがあげる歓声が、ここまで風に運ばれて、聞こえてくる。

「今日は、いるかたちも、ごきげんだね」ほほ笑む、ミオ。

「う、うん……」やっとこさ、それだけを返して、うつむく僕。

 ミオはこのでっかい宇宙の、ちっちゃい星の、ちっちゃい町に、少しの間だけ、立ち寄ってくれた、空から降りてきた「女神様」みたいだった。

 いつか、僕のとこにも、あの「絵ハガキ・チケット」が、とどくのだろう。そうしたら、今度は、「無限のたび」のことを、どこかの町の、小学四年生の誰かに教えて、ミオといっしょに、未知の世界のぼうけんへ、旅立って行くんだ。

 僕は、がばっ、と、顔を上げた。

「あ、あの、ミオ。『おねがい』が、あるんだけど、さ……」

「なに?」

「ちゅー、して、ちゅー!」

 僕は、「むーど」もへったくれもなく、口をタコみたくつき出し、みもふたもない、「たんとうちょくにゅう」な、「おねがい」をしていた。

ふつうなら、「ばちーん」とか、ほっぺたはたかれて、さいなら~、なのかもだけど、僕は、「むーど」なんてしらないし、明日がどうなるかなんて、だれにも分かりっこないんだ。だから、もう、なるように、なれ、みたいな感じで、思いきって言ってみたわけなんだけど……。

「いいよっ!」

 にっこり笑って、髪をかきあげる、ミオに、「は?」と、僕の方がおどろいた。これ、夢ではないですよね。「女神様」に、「ちゅー」してもらえる、そったら、「きせき」があっても、いいものでしょうか。ええ、いいのです。というか……。

いやっほ―――――――――い!!!

 二人の間が近づき、ミオの体温が伝わって来て、僕は、目を閉じ、心臓が「36びーと」くらいで、打ち鳴らされ、そして……。

「ぎゅーっ!!!」

 僕は、ミオに、思いっきり、だきしめられていた。

 その「ぎゅー」度は、これまでたいけんした、どんな「ぎゅー」とも、ちがっていた。「みそだる」を、かかえて運んだときの「ぎゅー」とも、タイチ相手に「水中・バック・ドロップ」を決めたときの「ぎゅー」とも、小さいころ、いるか山に家族で出かけて、池にてんらくし、すくい上げてもらった母さんにされたときの、「ぎゅー」とも、ちがっていた。

 「透明・無限・はーと」の、「ぎゅー」。あたま、まっ白、ぜんしん、光一色でみたされる、「ぎゅー」。

 ほかに、いいようがないです。


 「ぱっぱー」、と、車のクラクションが鳴り、僕は、「しふくの、きょうち」から、放り出された。

 また、母さんか? 尻たたかれて、鼻つままれて、耳引っ張られて、車のこうぶざせきに、放り込まれるのか?!

 そう思ったら、ミオの家族だった。ミオのお父さんが、運転席からこちらへ向けて笑顔で手を振り、助手席のお母さんが、身を乗り出して、にっこりほほ笑みながら、えしゃくをしている。そのそばに、見送りに来たひとが三人ほど。

「じゃ、いかなきゃ。またね、サキ君!」

 そう言って、ミオは立ち上がり、風のように走り去って行った。

 曲がりくねった道の遠くに小さくなり、やがて森の中に消えていく車を、僕は追いかけなかった。

 いつか、また会えることは、知っていたから。

 それに、ちがうとこにいても、いつも、いっしょだと、分かっていたから。

 沖合で、一頭のいるかが、ひときわ高くジャンプして、そうだいな水柱と共に、宙に舞った。


……………………。


 え? なに? 父さん、今、すっごい、いいところなんだよ! なんていうか、こう、「透明で、無限で、あまずっぱい」、「かんどうのしーん」のよいんに、ひたっているんだよ!! たのむから、そっとしといてよ!!!

 ほんと?! 「おこづかい・ボーナス・50円?!」 しかたないなあ……。

 僕とミオが、いいふんいきで浜辺にすわってる間中、ミオのお父さん、お母さんと話していた、僕の父さん、母さんと妹が、僕の代わりに車を走って追いかけ、全速力でもどってきて、肩をゆすったため、仕方なく、ぱんぱん、とズボンの砂を払って立ち上がり、「いるか町役場」の「かんこうか」ではたらく、父さんの代わりに、だれにともなく、さけんでみることにした。

「輪ゴム・ボール!」

 ひさびさの、「無限・回転・速度」。ポケットから取り出した、輪ゴムが、指先で、ばちばちと、黄金の球になってかがやく。

 僕は、むねいっぱいに、大きく潮風をすいこみ、その全てを、「無限・回転・速度」にのせて、一気にほうしゅつした。

「『いるか町』、『そうじんこう・8903人、やせいどうぶつを、ふくむ』、『めんせき・52平方キロメートル、そのうち、だいたいが、山か、畑か、田んぼ』! 『町の木・ミカンザクラ』、『町の花・サルノボラズ』、『町の鳥・キジモドキ』、『町の魚・カツオ、マグロ、あと、魚じゃないけど、いるか』、『名物は、いるかまんじゅう、あと、ミーシュカ・パンの、イルカ・ロール』、『でんとうぎょうじは、いるかのぼり』、いるかと、ゆーふぉー、あったかいひとたちの、まごころこもった、おもてなしが待ってます。いちど、『いるか町』へ、来てみませんか!!!」 

 僕は、海と空と大地と、この丸い星に住むみんなへ向けて、そうさけぶと、尻ポケットから取り出した「すりこぎ」で、「輪ゴム・ボール」を、かっとばした。「輪ゴムボール」は、「たいきけんがい・ホームラン」となって、すっとびながら、空いっぱいに、虹色にかがやく文字をえがいていった。


 “いるか町へ、ようこそ!!!”



(了)



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