感じる命の痛みに、私は
遊月奈喩多
第1話 近付いて、遠ざけて。
「っく……、うっ、ごめ、ご、ごめ……ん、ごめんね?」
そしてちょっと泣きながら、私の身体のあちこちを触ってくる。むずむずするし、くすぐったいし、身体がふわふわして怖くなる。それでも、千香ちゃんのすすり泣く声を聞いていると嫌だって言えなくて、私たちはずっとそんな夜を過ごしている。
* * * * * * *
「おはよ、
眩しい日差しと千香ちゃんの明るい声で目を覚ます。重い布団を
たぶん、千香ちゃんは私が昨日起きていたことに気付いていない。
だけど私は、それを言ったりはしないんだ。だって、きっと千香ちゃんは私が夜の千香ちゃんに気付いてるってことを、望んでいないはずだから。
「今日はね、理緒が前から食べたいって言ってたビーフストロガノフだよー!」
いつもいつも私を守って、優しくして、一緒にいてくれるお姉さんだ。柔らかくて、温かくて、ふたりでいると幸せな気持ちになれる、たったひとりの人。
千香ちゃんは、私がお腹を空かせないようにいつもご飯を作ってくれている。朝もお昼も、それから帰って来られない日には作り置きして夕食も作ってくれている。千香ちゃんが作ってくれるご飯はどれもおいしいものばかりで、何かを食べることが幸せなんだって、私は千香ちゃんから教えてもらった。
もちろん、朝はもちろんだし、お昼も、できたら夜だって千香ちゃんと一緒がいい。でも、そんなことを言ったらきっと千香ちゃんを困らせてしまうから、何も言わないでおく。何も言わないし、何も気にしてないよって顔で『いってらっしゃい!』って見送るの。
今日も、一緒にご飯を食べて、お部屋のなかで遊んで、それからお風呂にも入れてくれて。それで一緒になって寝転がりながら漫画を読んだあと、千香ちゃんは少しおめかしして外に出て行った。
あーあ、せっかく千香ちゃんと読みたくて選んだ漫画だったのに、あともうちょっとのところで時間になっちゃったなぁ。
「いってきます。危ないから、ちゃんと待っててよ?」
「うん、いってらっしゃい!」
明るい声なのに心配そうな――ううん、心細そうな顔をして振り返る千香ちゃんに、私は精一杯の笑顔を返す。だって、私が不安な顔したら、千香ちゃん苦しいでしょう?
だから、私は寂しくても我慢する。寂しいって言っても千香ちゃんは怒らないと思うけど、きっと
帰ってきてくれるよね、千香ちゃん?
私信じてるからね、千香ちゃんのこと。
千香ちゃんが歩いてどこかへ行く夕方前の、大切なものまで遠くまで飛んで消えてしまいそうな透き通った空に、溜息をひとつ溶かした。
* * * * * * *
千香ちゃんが帰ってくるまで、私はひとりでテーブルに座ってご飯を食べている。それからお皿を洗って、テレビを見ていた。今やってるのはなんだか見ているだけでドキドキするような恋愛ドラマ――たぶん千香ちゃんがいたらさりげなくほかの番組にされてしまいそうなくらい、その、男の人と女の人がくっついている。
唇を重ねて、お互いの首筋や背中に手を回して、それからもっと――千香ちゃんが泣きながら私にするみたいな手つきで触れ合っていて。だから、そのときに実感してしまう、あぁ、私と千香ちゃんがしてたのは、こういう人たちがすることなんだって。
だから、身体を絡み合わせながらじれったそうに洋服を脱ぎ出した人たちをテレビ越しに見つめながら、思ってしまった。
どうして、
* * * * * * *
少しして、いつもより早く千香ちゃんが帰ってきた。まさか起きてるうちに帰ってくるなんて思ってなかったから、慌ててテレビを消そうとして転んじゃったけど、千香ちゃんに会えたことがすごく嬉しかった。
玄関で何も言わずに、ドアを見つめながら立っている千香ちゃんの背中に思い切り飛び付いた! ドラマを見ていたら不意に芽生えてしまった、千香ちゃんへの胸が痒くなるような気持ちを抱えて!
「おかえり、千香ちゃん!」
「――――――っ!?」
その瞬間の千香ちゃんの顔は、今まで見たことのないような顔だった。
そして気がついたら私は千香ちゃんの腕からぽん、と飛んでいって、壁にぶつかっていた。
「痛っ、」
声が漏れてしまう。
でも、それよりもわからなかった。
なんで?
どうして?
痛かったし、びっくりしたし、怖かった。
でも、何よりもわからなかったのは、私をはね飛ばして痛いことしたはずの千香ちゃんの顔が、可哀想で、泣きそうで、いつものお姉さんみたいな雰囲気なんて全然ない、暗がりに残された小さな女の子みたいな顔だったこと。
どうして、そんな顔してるの?
ねぇ、そんな顔になってるのに、なんで私には何も教えてくれないの? 何から言ったらいいかわからなくて、胸が苦しくて、手を伸ばしたくて、千香ちゃん……ねぇ、千香ちゃん?
「えっ、あ、り、理緒! 嘘でしょ、大丈夫!? 理緒、ねぇ返事してよ、理緒! ねぇ!!」
絵に描いたような取り乱し方をして、千香ちゃんが私を抱き起こしてくれた。まだ頭はぼーっとしたけど、千香ちゃんの腕の温かさが気持ちよかった。
「ちか、ちゃん……?」
泣いてる、泣かないで?
私を見下ろしながら、千香ちゃんはボロボロと大粒の涙をこぼして、「ごめんね、ごめんね、ごめん、ごめん理緒……っ」と謝り続けている。
でも、わかる。
千香ちゃんは、私を見る前から泣きそうだった。
でも、そんなになってても、千香ちゃんは私に何も教えてくれない。それが、ちょっと痛かった。
「ごめん、ごめんね? ほんとに、ごめん……っ」
泣き続ける千香ちゃんの柔らかい髪を、そっと撫でる。大丈夫だよって伝えたかった、何も言ってくれなくてもいいの、どうしても何かが嫌になったら私に何をしたっていい。
苦しくても、寂しくても、辛くても、痛くても、私は耐えられるから。だって、千香ちゃんは何があっても私のことを大切に想ってくれる人だから。ね、そうでしょう?
「大丈夫だよ、私は千香ちゃんのこと、信じてるから」
この先なにが起きたって、私たちはずっと。
そう願って、私は千香ちゃんに囁いた。
感じる命の痛みに、私は 遊月奈喩多 @vAN1-SHing
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