序章 内なる声の回顧録

 俺の知らない、記憶にない誰かが死んだ。

話し相手を失い、途方に暮れていると、突然目の前の景色が変わった。

まるでフィクション作品におけるテレポートのような、瞬きをした一瞬の内に、暗い影に覆われた異空間から脱出し、光の広がる場所に出たのだ。

その転移先は、見覚えのない小学校の……校庭だった。

正面右には校舎が広がり、少し左に行くと中庭の花壇とウサギ小屋が。

どれも俺の知らない光景だった。

そして校庭に設営されたコートの中では小学生によるサッカーの大会が開かれていた。

コートの外から応援する沢山の親達やチームメイト、そしてコーチ達の姿があり、俺はその光景を少し離れた位置でボールを蹴りながら見ていた。

……蹴りながら?

いや、ボールを蹴っている筈なのに、その感覚が無い。

視界は目まぐるしく上下し、体全体でボールを地面に落とさないようコントロールしているのが分かるが、足の甲や内土踏まず、足の外側薬指の付け根付近、そして脳天から背中に至る体中の全ての感覚が無かった。

俺の意思で体を動かそうと試みるが、全く思い通りにはならない。

脳からの信号はブロックされているらしく、何を考えているかも分からない。

俺に出来る事は、見て聞く事だけだった……。



ふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがって……。

何故この僕を試合に出さない!? 

このクズ野郎ぉぉぉ!?

ふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがってふざけやがって……。

何故僕を使わない!?

何故僕を出さない!?

何故僕に点を取らせてくれない!?

審判免許も指導員ライセンスもないバイトの分際で!!

何であんなゴミクズ野郎共の言いなりになってんだよ!!

あいつらばかり依怙贔屓してんじゃねぇよ!!

ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな……。

誰がベンチなど座るものか!!

誰が大人しく応援などするものか!!

あんな奴等を仲間などとは絶対に認めない!!

パスを出しても、どんなにフリーでも、どんなにピンチでも、一切僕にボールをくれないあいつ等なんか!!

こっちは金払ってるんだからまともに練習させろよ!!

僕は誰よりも上手いんだからまともに試合させろよ!!

何で何で何で何で何で!!

僕はいつも独りなんだ!!

だから来たくなかったんだ!!

出してもらえないのが分かってるのに、何で来なくちゃならないんだ!!

僕がどれだけ惨めな思いをしているか、お前等に分かるかよ!!

大体僕が上手く……強くなったのはお前等のせいだろ!!

お前等がボールを蹴らせてくれないから、俺は独りで練習するしかなかった!!

だから個人技だけが異様に上手くなった!!

僕が一度ボールを持てば、全員まとめて抜き去ることが出来るようになった!!

こんな0対2の状態など一瞬でひっくり返すことが出来るのに!!

5分だ……。

5分あれば充分だ!!

こんな下らない茶番は終わりだ!!

終わらせてやる!!

僕が!!

この僕が!!

そしてあいつ等に思い知らせてやるんだ!!

圧倒的力の前に叩き伏せるんだ!!

そしてこう言ってやるんだ……

『己が無力さを呪うがいい!!』、と!!

まともに努力もしないで、僕を貶める事で強くなった気になっている奴らなど!!

あぁつまらない。

つまらないつまらないつまらないつまらないつまらない!!

なにもかもつまらない!!

僕の進化について来られないあいつ等がつまらない!!

いや……僕を否定するこの世界の全てがつまらない!!

……そうだ。

僕ながら良い事を思いついたぞ!!

僕の力を世界に知らしめてやるんだ!!

僕の事を世界に認めさせてやるんだ!!

ただの殺しじゃつまらない……。

ただの復讐じゃつまらない……。

奴等にとって一番ダメージの大きい何かをしよう!!

そして僕はこのつまらない世界と決別する!!

僕を殴らず、蹴らず、傷つけず、抱きしめてくれる優しい世界に生き返しを受けるんだ!!

もう鬼だの死神だの、殺神鬼だなんて呼ばせない!!

今度は僕がお前等を玩具にして遊ぶんだ!!

「おい」

精々僕を楽しませてくれよ……雑音共が!!

「聞こえてるのか!!」

「うるせぇんだよバイト風情が」

「お前いい加減にしろよ。その態度は違わねぇかって何度も言ってるよなぁ?」

「お前は俺を怒らせた。俺は一度嫌いになった人間とは一生仲良くしない」

「お前が俺を嫌おうとどうでもいい。俺はお前に個人的興味はない」

「気が合うなぁ。俺もあんたみたいな雑音、興味ねぇよ」

「いい加減にしろ!!」

「おめでとう!! たった今、俺のあんたに対する認識が雑音から騒音へと進化したよ!!」

「ちょっと黙れや」

騒音は俺の胸倉を掴んで脅してきた。

俺の軽い体は地面から浮き上がり離れた。

……うぜぇんだよ雑魚が。

「離せよ騒音。……殺すぞ」

「っ!?」

奴は俺の言葉と殺気に恐怖したようで、すぐさまその手を離した。

俺は地面に足が付くと、その着地を勢いに変え、騒音の胸倉目掛けて腕を伸ばして飛び掛かった。

「なっ!?」

50センチ以上体格差と30キロ以上の重量差があるであろう大の大人を、右手の力だけで巻き取り、俺の背にある壁当てボードに向けて叩きつけた。

「がはっ」

騒音は無様にも砂利に倒れ、頭を押さえて痛そうにしている。

「……俺はやられたらやり返す。殴られた回数、蹴られた回数、何をされたか正確に記録し、同じ回数分やり返す。お前4カ月18日前に俺に同じ事をしたよなぁ? 自分がされて嫌なことは相手にやっちゃいけないって習わなかったか? 幼稚園児からやり直すか? あぁ!?」

「く……クソぉぉ」

「あんた、俺に用があるんじゃなかったの? ぶっ倒れられても困るんだけど」

 俺は倒れた騒音を叩き起こす。

「要件だけ言いなよ。どうせそろそろ出さなきゃマズイから呼びつけたんだろ」

「ああそうだよ。最低5分は出してやらないと、お前の父親がうるさいんでな」

「だったら早くしてくんない? お前のせいで最高にイライラしてんだよ」

「わ……分かった。16番と交代だ。さっさと行ってこい」

「は? 何でこの状況で右サイドバックなの? フォワードの間違いだよね?」

「2点差で残り10分だぞ。返せるわけないだろう」

こいつ……ふざけるなよ……。

「確かに、一度開いてしまった点差を詰めるのは、時間制限のあるスポーツでは難しいでしょうねぇ。でもこれはサッカー。正解のないスポーツですよ?」

「幾らお前でも無理だと言ってるんだ」

「じゃあ俺の好きにしてもいいんですね?」

「……好きにしろ」

俺は騒音の元から離れて、運営本部に急ぎ、交代の手続きを済ませる。

だが……俺がコートの脇に立つと、あいつ等は自陣内でわざとボールをキープし始めた。

理由はただ一つ、俺をコートに入れたくないからだ。

負け試合とはいえ決勝だぞ?

それが如何(いか)にスポーツマンシップに反した行為か、見るのも憚られる滑稽さだ。

……さっさとプレーを中断しろ。

そして俺を暴れさせろ……。

しかし中々ボールは外に出ず、時間だけが過ぎていく……。

奴等……笑ってやがるな?

3分経ったか経たないか、俺は我慢の限界に達し、奴等に向けて地鳴らしをした。

そしてほんの一瞬、俺が交代する予定の16番の選手を気の緩みか何かでサイドライン際に出されたパスをトラップミスさせ、ボールを外へと出させた。

……よし、成功だ。

しかも思惑通りに気の緩みとして処理されたらしく、仲間内から物凄く責め立てられてる。

この力の精度も中々に極まってきたな。

いっその事、何もない所で転ぶという恥ずかしい失態をやらかさせても良かったんだけど、こんな観衆の面前で俺の能力をネタ晴らしする訳にもいかないからなぁ。

そして相手チームのスローインからリスタートするタイミングで俺はコートに入った。

勿論、交代のハイタッチなどする訳がない。

この俺が……いや、僕がお前等と好きで慣れ合うなど絶対にあり得ない。

誰が協力などするものか。

一度だ、一度ボールを奪えればそれでいい。

ボール欲しさに群がる敵、それを見越してマンマークに付く僕と仲間らしい奴等。

スローインの出し手に困っていらっしゃる様子。

僕も一応はサイドバックだから、仕事は全うしなくちゃいけないんだけど……。

時間も無いし早めに決めちゃおう。

僕はわざと敵フォワードのマークを外す為にバックステップを踏んだ。

予想通りにその敵目掛けてスローインが構えられた。

バカめ。

僕にとってこの手のステップは助走と同義だ。

一気に敵の背後から抜き去るように身体を入れ、投げられたボールは俺の胸によってカットされた。

そしてそのままゴール目掛けて思い切り蹴りつけた。

そのボールは敵の頭をゆうに超える高さで美しい曲線を描きながら敵ゴールを襲った。

混戦の中、突如として放たれた超ロングシュートに対して、敵ゴールキーパーも反応が遅れたらしく、神様コースの頭上に着弾する予測のボール目掛けてジャンプするものの、ギリギリ届かず、地面に舞い戻った。

ガンッ!!

だが、ボールはクロスバーに跳ね返され、地面に落ちる瞬間に……

「まず1点」

超ロングシュートを蹴った瞬間に敵陣目掛けて全速力で走り込んだ僕の右足でゴールネットに押し込まれたのでした。

いやだって、始めから直接ゴールを狙った訳じゃないもん。

キーパーが上手けりゃ、この手の威力の無いシュートなんて、ジャンプで手を伸ばせば幾らでも取られちゃうし、そうなったら無駄じゃん?

だったら、最初から跳ね返りを計算して自陣から蹴り出してゴール付近まで自ら走り込めばオフサイドの心配も無いし、確殺できるでしょ?

とにもかくにも1点返したってことで、ボールをセンターサークルへと蹴って戻す。

こういう時に時間稼ぎされたらウザいからね。

ロスタイムの意味も無くなっちゃうし。

僕は自陣に戻っても元のポジションには戻らない。

センターサークルの外でプレーが再開する瞬間を狙い、すぐさま2点目を奪う。

「おい〇□、元の位置に戻れよ」

こういう文句だけで結果を残せない奴は死ねばいいと思うよ。

「一点も取れない君に変わって俺様が点を取ってきてやるんだ。素直に感謝してお前が下がれ役立たずが」

「んだとこの野郎!!」

「お前居ても居なくても変わんねぇんだよ役立たずが。勝つ気無いなら無いでいいけど、俺の邪魔はしないでくれる? 役立たずが」

「……ってめぇぇぇ……」

大事なことだから二回言うっていう風潮を作った人も浮かばれないよね。

今じゃ煽り文句の常套(じょうとう)手段(しゅだん)だもの。

こういう本当の事言われると何も言い返せない奴には効果抜群の嫌味だよ。

そうこう言っている間に試合は再開する。

点差は1対2、残りは後3分ってとこか。

相手はバックパスでボールを下げる。

ゲームセットまで耐えようという魂胆が見え見えだ。

俺は腕を大きく振り、ボール保持者の敵ボランチに向けて走り出す。

その走りはボールに対してではない。

人間に対して、鬼ごっこの鬼のように迫る。

俺に反応してさらに後ろのセンターバックへ。

尚も俺は標的を切り替えて襲い掛かる。

センターバックは左サイドバックにボールを流して回避する。

ここで俺は切り返して、左サイドバックがパスを出しそうな中盤の2人の間の位置に立って停止した。

左サイドバック君は何事かとビビっているが、俺は微笑み返すだけ。

そして突然腕でを大きく振って襲い掛かる一歩目を踏み出す。

するとびっくりしてゴールキーパー君へバックパスするという誤った答えを導き出し、俺に難なくパスカットされ、一気にチームを窮地へと叩き落とす。

……この手の心理戦は俺の十八番だ。

スポーツでも勉強でも、性格の悪い奴こそが事を有利に運ぶ手段を沢山考え、用意し、実行に移し、高確率で成功させることが出来る。

何故ならイメージを思い浮かべることで、先読み能力が鍛えられるからだ。

サッカーに限って言えば、大袈裟なジェスチャーや声出し、アイコンタクトだけでも敵に与えるプレッシャーは尋常ではない。

何か仕掛けてくる……そう思わせる間、考える暇も与えない視線と体技だけの速攻スタイル、それが俺のやり方だ。

その一瞬の気の迷いによるミスプレーを俺は絶対に見逃さない。

楽々とボールを奪い、敵ペナルティエリア内に侵入。

センターバック君が向かって来るが……。

ここで俺は彼に対して、サッカーにおける無敵プレーを披露してあげた。

ループでボールを浮かせ、堂々とヘディングで細かなリフティングを刻みながら歩み寄った。センターバック君はこの行為に逆上し、俺の予想通りに浮いたボールを奪うために俺目掛けて飛び掛かってきた。そして俺は彼の体の下敷きになる形で倒れ込み、直後に立ち上がりボールを追おうとすると、彼は俺を押さえつけて妨害した。

……ジャンピングアットにホールディング。

後者は相手プレイヤーを止めるために、相手の体や服を掴んだり押さたりする、混戦では往々にして行われ、程度の軽いものは見過ごされるファウル行為だが、前者はその比ではない。相手選手に飛びかかる反則のことを言い、体が接触するファウルの中では非常に危険なものとされている。このファウルを犯すと相手チームの直接フリーキックでゲームが再開される。相手選手が近くにいる状態で、浮いた球をヘディングするためにジャンプした際に、相手選手、つまりは俺とぶつかるとこのファウルを取られる事になる。ボールを奪いに行くと見せかけて故意に相手選手に飛びかかった場合は、イエローカードが出る。それがペナルティエリア内であり、確定的なゴールチャンスで合った場合は……もはや言う必要もないだろう。因みに、あの場合の正解はキーパーが危険を冒してでも手でボールを奪いに来る、だ。だが、取られたら引き分けというプレッシャーの中でそんな勇気は簡単には出せまい。あいつ以外には中々な……俺、初めてあいつの事を心の底から賞賛した気がするな。

結果、彼はレッドカードで一発退場となり、俺はPK(ペナルティーキック)を獲得した。

仲間らしい奴等は俺に蹴らせたくなかったらしいが、わざわざ痛い思いをして戦力を削いだ上に貰ったチャンスをむざむざと渡す訳もなく、俺が蹴ると言って退かなかった結果、主審から注意を受け、ファウルを貰った俺が蹴る様に促してきた。

……審判とは実にやりがいのある仕事だと俺は思う。

審判のジャッジで試合が動くのは当然の事だが、荒っぽいプレーの目立つ選手に対して一言、「おい7番、今のプレー危ないぞ。次やったら(イエロー)カード出すからな」と注意するだけでそれ以降のプレーが嘘のように静まり返る。審判とグルで相手を陥れるのは悪だが、審判自らの意思で選手を押さえ込む事は善であり、望ましい行為であり、容易に可能だ。

そういう意味で、この試合を担当してくれた若いお兄さんは優れた主審だと言えるだろう。

どこかの誰かさんもとい、騒音とは器が違う。

そしてPKの結果は、言うまでも無し、外す訳がない。

助走は付けずに一歩で踏み込む。

そして勢いも付けずにキーパーの頭上に蹴り込む。

神様コースというやつだ。

焦ったのか、俺が右足で蹴るのを考えて、足の可動域である左側、キーパーから見たら右に飛んだ訳だが、俺はどうでもいい心理戦には始めから付き合うつもりは無い。

だから、蹴り出す直前まで目を瞑って視線も読まれないようにした。

そしてさっさと引き上げて自陣に戻る。

2対2の引き分けとなったお相手は1人欠けた10人で最後の全員攻撃を仕掛けるつもりらしく、前線に人数が掛かっていた。

俺としてはこのワンプレーを耐え抜き、PK戦に持ち込んでも良いのだが、必ずしも俺が蹴れる保証もないからな。

それにあいつ等PK下手だから、負けた後に虚しくなりそう。

確実にカウンターで追加点を狙いたい。

ホイッスルと同時に最後尾のキーパー君へとボールを下げる相手チーム。

そして低い弾道のアーリークロスが放たれる。

だが、数的優位な現状で浮き球に対してファーストタッチを許すことはなく、味方のヘディングで跳ね返される。

跳ね返ったボールを再び蹴り込もうとするが、常に跳ね返りを計算して走り込む俺の前で判断する事は遅すぎる。

浮き球を下から蹴り出そうとする足に対して、俺はスパイクの裏でストッパーを掛ける形で構えて対決した。

当然、地球上には重力というものがあり、加えて体を支える支点の安定性から俺の敗北など万に一つもなく、ボールを押さえ込み、体を入れてキープした。

そして再びボールを浮かせ、振り向き様に追い抜かした。

ボールを奪い返そうと向かって来る有象無象達、だが1対1では奪われる気がしない。

何故なら、ボールの扱い方がまるで違うからだ。

地面を転がしていては無駄な動きが多く、足を出されただけでカットされかねない。

ではどうするか、細かいリフティングを刻みながら走ればいい。

基本は走りながら太股で、バランスが崩れそうになっても、その勢いを利用し胸でトラップして調整し、敵が来れば頭上を越える強さでボールを蹴り上げて抜き去る、それで十分だ。

だがこのドリブル方法は先の無敵プレー同様、敵からのヘイトを溜めやすく、一斉に俺に向かって襲って来る。

一度抜き去った敵も執拗に追撃して来る。

だが遅い……。

チビでも足の速さだけは毎年リレー選手に抜擢される俺の走力に勝てると――。

思う……な……よ?

あれ、何で追ってこないの?

敵さん? 何で固まってんの?

何で皆して体操のポーズ取り始めてんの?

おい、お前等も何か言ってや……れ……?

嘘だろ!? お前等もか!!

てかお前等、揃いも揃ってブッサイクな顔してんなぁ。

…………。

ねぇ、なにこれ。

今気づいたけど、ギャラリーの応援の声も聞こえなくなってんだけど。

審判のお兄さんも固まっちゃってるし。

「ねぇ、何で固まってるの? ちょっと、主審のお兄さん?」

目の前で手を振っても反応が無い。

腕を掴んで揺らしてみようとしたが、掴めるだけで動かない。

完全にその場に固定され、石像のようになってしまった。

そして、動いているのはその周囲に見えただけでも、俺ただ一人だけだった。

仕方がないので、ボールを蹴りながら彼らが再起動するのを待ってみた。

暇だったので、相手チームのゴールのクロスバーを使い、壁当てと同じ要領で練習したりもした。

……そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。

一向に再起動する気配が無い!!

もうそろそろ疲れてきたな……。

元々曇りだったが、少しづつ暗くなってきた気がした……。

今何時だろ……。

そう思って主審の腕に着けられたストップウォッチを覗き込むと……

デジタルの表記はPM2時29分の時間を示していた。

「えっ……」

いやいや、可笑しいって。

1時間くらいは経ってると思ったんだけど?

俺はこの状況を到底受け入れられなくて焦った。

そして、少し考えてから辺りを見渡した。

別の時計がないか探す為だ。

だが、見渡すまでもなく、目の前にそれはあった。

校舎に設営された、大型の電波時計だ。

今まで気付かなかった俺……いや、僕がバカみたいだ。

……いい加減、イラつくとすぐに一人称が俺になってしまう癖は直さなきゃダメだな。

そんなことはどうでもいい!!

その時計が指し示す時間は……。

17時49分!?

どうなってるんだ!?

あれから3時間以上経ってるっていうのか!?

集中していると体感時間が遅く感じる事は往々にしてあることだが、僕の感覚の3倍以上の時間が経過していたとは……。

3倍……大佐になれる日も近いな。

もう一度空を見上げてはみるが、とても午後2時29分の空とは思えない暗さだ。

この固まった人達はどうしようか……。

このまま帰ってしまってもいいのだが、この光景が家まで続いていると思うと恐ろしい。

認めたくはないが、俺以外の人間の時間が完全に止まっている。

世界の時間が止まっている訳ではない。

微かに腕を逆撫でする風の気配は、確実に時間が動いている事を証明していた。

その渦中にただ1人、生体時間の継続が認められる俺は……。

自分で自分の感情を曝け出すっていうのは、想像以上に表現に困るし、おこがましいし、図々しいし、はたから見たら馬鹿馬鹿しいのだけれど、一言で言うなら……うん、そうだね、酷く憤慨していたよ。

ただでさえ贔屓され続けベンチを温める事を強要され続けた俺が、途中出場のワンプレー目でゴールを撃ち抜き、心理戦と個人技で同点ゴールを決め、これから8人抜きしてハットトリックを決める所だったのに!!

お楽しみはこれからだというのに!!

無駄に凝ったドッキリに付き合わされている程、俺は暇じゃない!!

こんな事なら試合などバックレてあいつ等の家に行くんだった。

またあいつとボールを蹴りたいんだ。

またあの子と本気の勝負をしたいんだ。

まだあの子と話したい事が沢山あるんだ。

俺は……僕は……あ、あれ? おかしいな……俺は……誰だっけ……?

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