8-萌えよ兄
「そんな……嘘でしょ……?」
私が『籠の森』に辿り着いて目の当たりにしたのは、一人の子供が木々の間を走り抜けている光景だった。
見た目はとても幼く、齢のほどはきっと私よりも十年ほど小さい男の子だった。眼鏡を掛け、薄い半袖の服と多数の収納がついた七分丈の穿きものをしていた。
遠くから視認しているので断言はしないが、少なくとも王都に住んでいる子供ではない。なぜなら髪色や顔立ちの印象が我が国アルトリアノ民のものでは無かったからだ。
この国は今、移民の受け入れを行っておらず観光目的の入国も許可してない。彼は不法入国者かそれともずっと以前から住み着いた者なのか――そのようなことはもはや些細な問題だった。
何故なら、彼は『魔術』を行使していたからである。
彼は『籠の森』に立ち並ぶ木と木の間を魔力によって強化された脚力で走り抜け、ときおり高く跳躍して木の幹と幹を蹴り渡りながら森の中を颯爽と駆け抜けていた。あまり運動慣れしてないのか動きはぎこちないが、それでももの凄い速さで森を疾走している。
その少年の後ろを十体ほどのゴブリン族が彼を追いかけている。その中には外敵を殺害するのみに特化したゴブリン族の精鋭である、レッドキャップの姿もあった。
レッドキャップが出張るなんてよっぽどのことだわ。あの少年はいったい……。
『魔術』を使っていることといい、外で起きていた樹海の消滅に何かしらの関わりがあるとみて私は急いで彼とゴブリン族の後を追いかけ始めようとした。
そのときだ、逃げる姿勢を続けていた少年が突然ゴブリンたちの方に振り向いた。
「うぉおおおおおーーー!!」
彼は叫びながら左手を突き出す。そして、その先に収束する膨大な魔力の気配に、全身に鳥肌が立つほどに寒気が走った。
まずい、防御しないと――!
咄嗟に近くの木の陰に隠れ、速攻で呪文を唱えて魔術強化を施し幹を盾にして身を守った。
――その直後、濁流のような魔力の奔流が森の中を
「くうぅ……!」
とんでもない魔力の放出。身を守る大木に常に防御魔術を張り続けなければあっという間に瓦解するほどの強力なものだった。
この魔力の属性は……侵食――まさか【闇属性】!? あの少年は上位属性の魔術を行使できるというの!?
侵食の属性を持つ魔術はとても厄介で、防御魔術の上からでも大木を破壊できる。全力を出さなければ私の身も危うい……!
「イグニッション、ジュエル・ルーメン!」
懐から白の宝石を取り出し、勢いよく掌で木の幹に叩きつけて砕く。そして即座に対闇魔術の守護結界を構築する呪文を唱える。
「白き
時にして数瞬、魔術の行使の間に目の前の大木は闇魔術の侵食によって既に崩壊寸前だった。
だが焦って魔力の流れを乱せば間違いなく死に直結する。繊細な結界術式を極限の中、丁寧にかつ迅速に組み上げる。
「――顕現せよ、レイ・サンクティウス!」
私が放ったのは闇属性と相克する聖属性の魔術。
互いに打ち消し合うこの魔術でなければこの魔力は防げない。
魔術の完成と同時に闇魔術に侵されきった幹が崩落し、なんとか間一髪で防護結界を展開することに成功した。
「――って、嘘でしょ……!?」
展開したての防護結界が既に闇属性に侵食され始めるのを見て私は驚愕する。
純度の高い聖属性の
「あぁ、もう、この種石高いのに……!」
悪態をつきながらも出し惜しみして死んでは元も子もないので、私は懐から追加の魔晶石を取り出して防護結界の強化、修復を行う。
ほどなくして、少年から発せられる魔力が止んだ。
あの少年が魔術を行使していたのは、時間にしてはほんの僅かな間であった。が、その短い時間の中で射線上にあったものはことごとく甚大な被害に遭った。
周囲にあった木々は闇魔術によって黒々しく爛れ、地面は腐敗し、私の遥か前方を走っていたゴブリンたちは見るも無残な残骸と化していた。
私は周囲の安全が保たれたのを確認して防護結界を解除する。
強大な魔力の中心に立っていた少年は左手を突き出したまま、自分でも何が起きたのかよく分かっていない様子で目の前の光景を見つめ立ち尽くしていた。
私は大量の魔力を行使した反動で全身にとてつもない虚脱感に襲われ、息も絶え絶えだったが、なんとか足を動かして少年の元に歩み寄った。
少年は前方から私が近づいてくることにすぐに気づいたようだが、逃げはせずに私が来るのをただ眺めている。
闇属性の侵食作用によって侵された地面はその性質が変化させて泥のようなぬかるんだ状態になっていた。腐葉土よりも更に濃いヘドロのような悪臭が漂う中を進んでいき、そしてついに少年の目の前に辿り着く。
「………………」
少年は私を見つめたまましばらくぼうっとしていた。魔力を使った反動なのだろうか、どこか心ここにあらずという感じだった。
見たところ額の方に僅かな矢傷がある他は目立った外傷はない。彼の内に秘められている
人間……あぁ、そうか。彼はもしや…………。
「あ、あの……あなたは?」
じっと私が沈黙を守ってたせいだろうか、彼はおずおずと声をかけてきた。彼の口調はアルトリアノ国内の標準語であったが、何かしら不思議な波長を彼の声音より察した。それは、魔力の流れとは違う、超常的な強制力を匂わせたものであった。
古代神殿の遺跡で観測可能な『女神の加護』に近いものを感じる。これはさらに上位のものかもしれない。
「こんにちは、おびえなくても大丈夫です。私の名はルア・ストロハイムといいます。この世界では魔術師と呼ばれる者です」
本名は長ったらしいのであえて短縮し、彼の反応を確かめた。案の定、彼は私の言葉を理解したようで驚いたように目を見開いてこちらを見上げる。
「ま、魔術師……!?」
「ええ、そうです。あなたは魔術師をご存知で?」
「し、知ってるっていうか……会ったことはないというか、そんなものが本当に……いや、やっぱりここって……」
彼はしどろもどろながらも何かを予感してるような、思考を絶え間なく独り言でつぶやいてる。どうやら中々に聡明で考え深い子供のようだった。
「ねぇ、あなたの名前を伺ってもいいかしら?」
腰を下げ、彼の目線の高さに合わせるようにして顔を寄せた。
たしか、子供と話すときはこうする方が良いとマザー・クレアがおっしゃていたのを思い出す。あまり近づきすぎず遠すぎず、少しこちらが見上げるくらいがちょうどいいとか。そしてちゃんと目を見る。うん、彼はきれいな瞳をしていた。
「あっ、は、はいっ……!」
彼は緊張ぎみに体をこわばらせ、顔を赤らめる。人見知りなのだろうか、それとも単に照れ屋なのか。とにかく子供が話し始めたらちゃんと聞いてあげるのがマザー流だ。
「お……おれ……僕の名前は……!」
「うん」
「宮田ヒロトです! 十一歳です!」
「ミヤタヒロトさんね。とても良い響きの名前ね」
正直なところ聞いたことの無い語感の名前だったが、とりあえずそう答えた。これはマザー流というより、自分の素直な感想だった。
「ミヤタヒロトさんあなたはどうして……いえ、どうやってこの森に辿り着いたの?」
「どうして……それは、その……」
「もしかして、分からないとか?」
「えっと……は、はい……」
彼はまたしどろもどろになってしゅんと肩を落とす。小さな子どもを問い詰めて困らせてしまったようでやや胸が苦しくなりながらも、私はさらに少年に問いかけた。
「無理に答えなくてもいいわ。あなたはもしかして、この世界で生まれた人間ではないんじゃないかしら?」
「えっ…………?」
呆気にとられたような表情、しかし動揺しているわけではないようだ。万が一にということもあったが、この様子だとやはり私の予感は的中していたようだった。
「おそらくあなたは、何らかの方法でこの世界に転移、もしくはこの世界にいる何者かによって召喚された存在――私たちはそのような存在をこう呼びます。【来訪者】もしくは――――」
【異世界人】――それが、森で出会った彼の正体だと私は結論つけたのであった。
〈おまけ〉
「あっ、ルアさん。俺のことはヒロトでお願いします。ミヤタは名字なので」
「あ、そうですか、わかりました(名字って何かしら。先祖の名前のことかしら。あと一人称が俺になってるけど……緊張が解けたのだろうか)」
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