気の進まない本のページを開いて読み始める。内容がまったく頭に入ってこない。けれど、じっと読む。他に読みたい本がないからだ。僕は望みの本を全て読み尽くしてしまった。おしりかじり虫ならぬ、本のページかじり虫だ。だから読んだことのない本なら、どんなにつまらなくても興味がわかなくても、読んでしまう。週2日の休日の退屈は、そうやってやり過ごすしかない。一週間分の溜まった家事をまとめてこなして、凝った料理を作ったところで、どうやっても時間は余るのだ。

 さっきのことを思い出す。工場作業のように文字列を追いながら別のことを考える。あの司書。名前がわからないので勝手に彼女を△と呼ぶことにする。きっと△は元文学少女/今図書館司書ドジ娘に相応しい、子のつく名前だろう。読書家の女は美人で子がつくと決まっている。栞子か、読子か、遠子だ。そうに決まってる。△の三つの角がそれぞれを象っているのさ。

 △の推薦図書は、読書界のチーターの僕でさえ速読できなかった。内容が難解というわけでもないのに、集中力が続かず、20ページくらい読むと疲労を感じる。散歩に出たくなり、中断。貸出期限の2週間で読み終わるかな。

 翌日早朝に起きて僕は仕事に出掛けた。通勤時間、休憩時間をあわせると2時間くらいあるので、本が必要になる。鞄には常時、文庫本を2冊。(1冊だけだと読み終わったら困るから)

 隣接市なら貸出カードが作れるため、僕は地元と近隣の二つ、計三の公共図書館を利用している。各図書館からそれぞれ10冊くらい借りて、さらに毎日本屋に寄って1日1冊は本を買う。それでもすぐに手元に未読の本がなくなってしまう。僕の部屋には家具家電より本が多い。僕は小説を読みすぎた。飽くなき興味の進行が、心を飽きさせた。ならなぜ今も本を読み続けているのか? 昔ときめきを感じたからだろう。

 剣と魔法の冒険ファンタジー。宇宙を舞台に戦争を繰り広げるスペース大河ドラマ。自分の学校とはぜんぜん違う楽しげな学園生活。それらの読書体験が僕を作った。ノスタルジーなどひたりたくないが、そうとしか言えない。その強烈な体験を今も求め、なぞろうとしている。しかし大人になるにつれ感性は古びた絨毯のように摩耗し劣化し、昔感じたときめきが蘇ることはもうない。

 いまはただ作者の定型文、紋切り型の表現、そしてアヴァンギャルドな型破りの文章・物語にさえも、心底うんざりしている。じゃあ読むなって? ……しょうがないだろう。恋人も友達もいないし他にこれといった趣味もないんだから。

 インターネット上で延長の申請をして更に2週間伸ばし、28日間かけて△の推薦図書を読了した。

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