希少率0,8%木原東子の思惑全集 巻10 歌人もどき

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第1章 「哀歌集 洋光」時空を超えた始まりの三十一文字(みともじ)1999−2019

本来ここに一番目に並ぶことになる短歌たち、恐らくずっと後でやってくることに。。。

今は2024年です。


「哀歌集 洋光」一九九九年十月 前段 没後十年のこと


木原東子は珠のような男の子を三人授かりました。

それだけが人生の価値あることでありました。

しかし

悪徳と罪と堪忍にまみれた母ゆえに洋光は二七歳の秋、飛び去っていきました。

その意味を尋ねることがあたしの為事となりました。次男と三男とを尊びつつ。


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一九九九年十月八日、一本の電話がもたらした暗黒の緞帳は。

自責と後悔、絶望と悲哀、愛惜と混沌の中から

一粒ずつ定型詩の器にそれらを押し込む、

そんな行為が自ずと現れました。




 あれやこれしてやりたしと思ひしに「有難うお世話になりました」と去ぬ



 夕顔の虚空にひとつ笑みかすか はりさけ呼べど吾子よと呼べど




 これまでは別れ暮らすを悲しめり さらばと永久に置き去らるるか




 なぜひとり耐へむとしたる メールくれつ在るがままにて母を許すと




 運命を克服したる誇り見るその薄き耳撫でたかりしを




 青雲の決死の上京 夢あれば耐へ忍びしを誰が無下にせし




 五年ぶり吾子右に座す冬のバス その夏遊び暮れに泊まりぬ



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一九九九年十一月 

長く別れたままの年月に重ねゆく死別の日々、

本当とは思えないのに不在が事実であることに愕然とする、

そんな瞬間が溜まっていく。その日々の潰えた心、微塵に色あせた世界。



 六年の集合写真同じシャツ 美意識秘めて清貧を生く




 無慈悲なる母にありせば地の果てへ暗黒をわが転(まろ)びゆくのみ




 驕りあり 恥ぢの半生五十路よりジャズなど好む 汝(な)が終の日々

 



 忽然と出現したる 卒然と消滅したる眉の涼しさ

 



 数へらるる程の思ひ出 アルバムの増ゆることなき二十七年




 おのが子を放さむなどと思ふなく始めたる愚の無残の今よ




 かく責むる二重の罪よ 吠えて哭くわれまた吾子を放擲せしと




 ただ黙し子は耐へたらむ八歳の悪夢の現実 枕のみ知る




 父ら集ひ魂を送る日 骨ひとつ無きわが前のつたなき挽歌




 喪の葉書四十九日忌 日に幾度「うそよねこんな」言ひて首振る




赤き歌(心のままに作った歌)


晩秋はさらだに侘しを 露草も咲かず ほとほとと哀歌泣いて書く

夕顔の顔(かんばせ)に映ゆ 露草のデニムのシャツは ひまはりを抱く


ーーことだま

「ぼくのことは悲しまないでください」と 「そして時々思い出して」と

果つるまでの 懊悩のさま 突きつめん わが試みに 絶対の叱責あり

くびらるる 正夢ありしに「母よ知れ この苦悩をば」とばかりなるに

死してなを 吾子のくれてし可能性 「僕の分も生きて」 幻聴の意味か


ーーひととなり

弟は歌ひ暮らせり ひばりなり 兄は微笑みつ そを愉しみぬ

ひとみなの信を集むる高貴の風情 惜しむなん吾子かの絶品を

弟ら兄の心を洞察す ストイックに過ぎプライド高き

何ひとつ欠けたるぞなき吾子惜しや DNAの精華一途に去りぬ

愛し児よ 愛くるしき目優しくも ひたと寄り添ひぬ ひとと我とに

愛し児よ いかなる由縁か そそぎ合ひぬ われらかたみに愛には愛を

愛と真 清らにして善 真面目なる 吾子 自らを罰したる不憫


運命を克服したる誇りあり 吾子薄き耳 撫でたかりしを

青雲の 戦ひ果てし 吾子なれば 罪人母は 闇に堕つのみ

消滅は 武士の意志なり 宇宙空間 制御の自由を 解く能はずんば

神あらば など愛でざらむ 疾く来よと 自刃の勇のみを 与へたるにや

あな嬉し 吾子戻り来と思はする 苦学生らし 一心に行く


ーー十九年の悲話ののち

吾子あるが免罪符たるに 希望尽き 疲れたるらむ 別れ無言なり

うまうまと このまま宿命(さだめ)乗り切らふぞ 秘かなる誓ひ いかにや吾子よ

吾子生きてあれば そがれぬ怨念ぞ ひとを恨まする 地獄の坂道

まろび行く 無慈悲なる母持ちし吾子 地の果てまでの闇昏(あんこく)を行く

こんな母の子に生まれたる 悲運なるに 潔しとも ひ弱とも言はるる

苦しみを終へる強さや 今はハレか ごめんね 許されむとてにあらねど

かの正午 ついえし 吾子よ 絶望に 母の命も 世も暗転の日

思ふままに 怒りほとばしれ 復讐ぞ 吾子恨め呪え 正しく生きたるに

逆縁をヒドイ ヒドイヨ 我恨む 吾子の叫びたらむを 母消えてより

かく泣くは二重の涙 吾子にとり二度目の死ゆえ 母失せてより

母泣くは ただ悼み恋ふるゆえならず 吾子悲しみたる 苦しみたるゆえ

思い出すことすら避けて身を守りぬ イエスタディの曲 飢ゑさせし夜

その昔 封じ込めたる涙袋 今は破れてとどめもつかず

世のすべて 悲哀の種なり 例外無く 生くるよすがを 取り落としたれば

愛し児よ 母の命もて贖はむと 狂ひおりしを あだなる逆縁よ


ーー霊界

罪と責め 我らを恨む ひとぞあれ なんらかの因果 むしろあれかし

死に意味をいかにか与えん イエス的聖なる使命 命じらるにや

われら屈す 悪しき秘技(ひわざ)に 清(すが)し秋 とばり落ち来る 露草色の

汝れひとりの命にあらずと 冥界にて 吾子責めらるるや わが嘆けば

明かされぬ生命の由縁 ありやなしや 霊なるつながり 人類の幻か

生命の意味 問い直す 吾子生まれ 消えたる地球に 合理ひとつなきを

いずこからか 絶えず見てなむ 明眸の吾子 語りつつ歩む 今ぞともに

阿弥陀仏 悪人すら得る 大慈悲を 必要なるは われ 吾子は仏にして

すでに去る 今生の煩悩 苦の代価 ひたひた感ず 吾子充たさるるを


ーー生命科学

夢は来ず 科学進みて生の謎 解き明かさるを 吾子と語る日

なにひとつ 欠けたるぞ無き 吾子惜しや DNAの精華 一途に去りぬ

ひとり読む 天才たちの書にたどる 生と死と脳 吾子ゆえに切


ーー愛惜の淵より

悪しき言に 議論もて挑み 護りぬき 命かけ生みぬ 悪夢に負けじ

見回せば ともに見たるが 耐へ難し 終に見ざらまし事象 惜し悲し

チリとなる死人 戻れる験しなく 吾子無き生も 記憶も苦なり

煙となる死人 戻れる験しなく ああ 吾子は消ゆ 日も月も失せぬ

覚悟する 吾子在まさずと かきむしる 心 命を 縮むべくも可

愚かなり 吾子のメッセ-ジ 曲解す わがことばかり 万死に値す

われを刺す この世のすべて 不憫なる あわてん坊の手 電源切りてより

転生の 四十九日の 吾子いづこ 涙の種類 増えたるを数ゆ


紅葉散る 逝きてふた月 しみじみと 繰り返してみる さよならヒロくんと

絶対なる 別れなるもの 悪路の果て 呼べど叫べど 泣けど死ぬまで

哀れ吾子 遠きおじさんとならむ 写真のみの 弟ら各 分身を得るときに


分けらるも 共に此岸に生き得たる 吾子無きあした いくつなを重ねん



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二〇〇〇年新年

ミレニアムと世は騒がしい。

除夜の鐘をつきに行く、ただにこの年が過ぎていくのが辛い。

決定的な別れ、それを突きつけられるようだ。




 クリスマス桜太陽誕生日 楽しかるべき日の来るを泣く




 共にありしこの年の往き くりかへす吾子無き月日なほ茫々

 


 喪は明けて取り残されし異界にて悲のカレンダー目に刻み初む




 冬の陽の色麗しきそんな朝 青ひとつぶに汝が充つるがに




 みつきして吾子を見つけぬ 夢に抱き「母はここなり安心せよ」と




 つまりこれ「いつかみな死す」涙より甦りたり夕の米研ぐ




 苦を去りし吾子なるになほ辛からむ寒からむかと無用の母の




 ことごとに汝れに言ひたし伝へむとメール思ひて気づく一瞬




 失きことをいかに耐へえむ 息切るるわが涙こそ笑止千万




 吾子よもうしかとわかりぬこの事実背負ひて生くる永久なる定め




 賢くも明るき若人 心躍る刻もちたると信ずる我か




 なほ二人弟ありて泣くみれば一人ひとりの掛替えの無さ



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二〇〇〇年五月


亡き子には意外な栄誉も与えられ、哀惜の思いに苛まれる。



 空いづこ緑なす山 呼び惑ふ 黄泉の国より取り戻さむと




 この下のこの石の下の愛し子の 叩き壊さむ憎しこの石




 酒飲むを好みし吾子と知らざるも せめて喜ぶひと時の幸




 絶望のいかにかありし 大学に絵を描く子らの見上ぐる瞳




 時来ればいざ消えゆかむ母もまた わが子と同じ空無に戻らむ


 一心不乱 赤き心の吾子は早や得心したり空無と化せり




 見事にも意味無しとしてや散らしたる命ただただここに在れかし




 「ねえヒロくんどうしようか」など尋ねてもある筈もなき魂なりて




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 二〇〇〇年秋墓参


 汝が友ら四たり訪ひワイン汲む 冷たき石に宴の跡あり




 去年の春彼ら五人のチームなる グラスを干して四人の旅と




 あのビルの大阪塚本あの窓に子をあやしつつ何も思はざり




 汝が前に黄菊溢るるまでに置き 知らざれば問ふ「黄色好きだった?」




 会ひたさと不憫さ哀れさ懐かしさすべて詮無く髪かきむしる




 子のくれしオルゴール鳴る「イエスタデイ何故に捨てたの信じてたきのう」




 悲しみの潜み居たるか胸底の水面裂かれて鈍く光れり




 頭垂れ碑文谷警察いでくれば幻の汝れ信号渡り来




赤き歌(感情のままに作った歌)


喜びも苦も無き吾子よ母は問ふ 何か思ふや思はざるやと

ことごとに 吾子に伝へむ 語りたし メール出さむとて われにかへる一瞬

われを愛でし 父よ祖父母よ 吾子来れば とりなし給へ 誰にとは知らず


あるいはまた 生命線短き はらからの幸護らむと 身を挺せしか


拒絶禁止 母のいかなる悲しみも 若き吾子 涙枯るるまで 泣きたれば

目の中を涙流るる くひしばる わが悲しみは 笑止千万なれば

もうわかった 吾子恨むも是(ぜ) 報復受けむ 行き所無き悲痛 母も耐へむ

逃げおおせぬ どうしようもなき悲しみを 抱き続けること 宿命と知らさる

死も親し 吾子往きしかの道なれば 遭ひ見る日のみわが楽しみにして

薬もて黒き眠りに引き入らる 醒めて愛憐のひと日宵まで


いかなる魔 吾子を襲ひしか ふたつなき 得がたき存在 無に帰せしむる


ーー無念の五月


知るや吾子 最高の栄誉得つ 生 完結したり 喜べわれよ

ウツの本に親しみゆく日 近づかむ 吾子の心へ くすり飲みつつ


吾子逝きし日々に添ひ行かむ そのとおかを 愛し愛しき悔やみ尋ねつ

いまはどこ やがて逢へるか 宝石の 吾子清(すが)しきを 飾りて歩む

十分に悲の日続きぬ 知らずなを修羅の日来るを 愛し児が身に


ーーせめて偲び合ひて


相互(あいかたみ)時空違へてぞ偲び合へ 母恋ひの旅 子悼みの旅

先鋒とて 壇上の吾子述ぶ 新理論 心枯るまで励み来しオランダ

務め終え 願ひへ向かふ車窓望郷 母在りし街せめて識りたし

終に来たり 母の住みたる一点へとミュンヘンの数日 はじけたる泡ビール

学問の 礎(いしづえ)成して聳え立つ ゲルマンの石造り 余りの高さか

薄き瞳(め)と金色の頭(かしら)よ われら共に誘ひ込まれしアジアンコムプレックス

思ひ出あるひまはりの種贈らむと運びくれし道 母も辿らむ

偲び行く南都への旅 野も家も託されてしか メッセージなだる


ーーーーー

再び藍色の秋となりぬ


時来れば喜びて消えむ母もまた 吾子と同じき空無に戻らむ

一年の喪の眠りより醒めし朝 長きわろき夢終りしと幻想す

なをむごきさだめ世に満つ 比ぶれば 言はむか吾子は恵まれてんと


やはらかき吾子が心は傷つけり 母と世の咎(とが) 傍観 酷薄 不備

我が声の電波に乗りて吾子を刻す 異界への道接続可能か


運命の糸合ひたれば 浪花そばの 肉も卵も吾子すべて食す


かへり見れば 一打ちごとに悲運のてつ強さ増しきたる どこまで耐へよと

思はざるにいよよ手ひどき悲運受く ぬかるみ続くはては横死ならむ

吾子消えしこの悲しみはさりながら いのちの顕現まことに是なるや

「サティスファイド 残りは屑のみもう充分」 かく逝きし吾子 われは飽かずに


喪は明けぬ 取り残されし異界の原に今刻み初む わが悲の暦よ

けふこそはわれらがこよみ開く日ぞ 神無月の八日異界へと歩めば

悲しみは飽くまで歌へど生の謎の無窮として残る 死への誘(いざな)ひか




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二〇〇一年

二十一世紀


 ヒロくんの生きてありしこの二十世紀 さらさら すべりゆく砂時計



 東京は憎し東京は愛おし  汝(な)が夢育て破りしメトロポリスよ



 「その準備」ノートに遺す その心悔いず憎まずむしろ晴れやか



 山杉の男の子なりしを 雲めざし ただ伸びんとしき あやふき程に



 げにもそは 死の病なる 酷使せる心脳痛みてすでに憩はむとす



 汝は待ちぬ  紐を結びてひとり逝く ゆらり下がりて見つけらるを



 「意味もなき生」と残れど母にとり意味なりしこと 紛れもなき



 遂に知る 生の意義なる逆説を 無意味なるわれに汝(な)とふ意味あり


 

 他人にも心惹かるる  若くして逝きたる人のみな美しく



 ひたすらに偲ばるる子か バスの中 仕事為さむと人ら生き行く



 泣き顔はシャワーに隠す 眼裏(まなうら)の吾子貧しきに湯浴みは欠かさじ




溢れて

ある限りのニヒリズム読めど ひとり死ぬ 思ひ想へば のがるる方なし

さまざまに縁(えにし)探りぬ 生と死の円環に秘密ぞあるべからむと

敵(かたき)なるたれを憎むべし わが任か 無念晴らさむ かの男(ひと)かの女(ひと)かの・・・


ーーー2001年の桜も若葉も

 白骨は昏き地底に遠ければ夜風淋しむ 迷ひ出で来よ



 白骨は静まり淋しむ  風止まぬ小高きところ 我が魂漂ふ



 ひまはりの庭に育(お)ひたる遠き日を「されど忘れじ」吾子語りたる



 大空へ向かふ黄の色そのごとく生きむとぞせし われらが花よ



 山羊座はグー 思ひ通りのひと日とか  運勢見てるヨ 甲斐も無いのにネ



 吾子よ汝が歳古りてこそ語り得し まだ言はざること 母はありしに



 なじりたし 「大丈夫ですって言ったじゃない!」 異界へとおらぶ 「僕は大丈夫って!」



 あの昼の 「ヒロが死んだ」とふ 不穏の言 すさまじき闇 ただちに降りぬ



 汝が逝けばいくたの人の悲しめる 置き去られたる問ひの深みに



 底無くて 一族ふたつ堕ち行くか かく世をつらみ 在るをはかなみ



 いかならむ高み深みに達せしか 日々極限の問ひ重ね答へて




 白光よ夢をたよりに走り逝きし ひとを愛したる はた裏切らる



 汝(な)は吾(わ)なり 望みかけてし子に遅れ その夢を継ぐ母となるべし



 嘆きつつその悲しみを記し往くは 夢断ちし子よ  我がすべきこと



溢れて

ふらり来た慰め猫の汝が元へもどりてやがて その仔も果てぬ

嬉しからむ われら果つれば必ずや汝とも猫ともまみゆとならば


ーーーー

2001年のひまわり咲き初めたよ

 生別を淋し尽きぬに 哀歌繰る 紙いたづらに黄ばみゆく夕



 さしかけの仕事開けば 気付かれぬ 始めしことを告げやりしもの



----高さ40センチ余りの黒い厨子、その扉は常に開けてある、写真 とろうそくと金色の鈴(りん)、それらを慰みにしばし浮遊する-----


 鐘の音(ね)よ 澄み至りては汝(な)が元へ 極微の波動かき鳴らすゆゑ



 まなざしはひたと注ぎて二人の孤 ほのほ灯して 額(ぬか)鮮やかに見ゆ



 悲の石のひとつ来れり 抱(いだ)かむにあらざる共居(ともい) ふと夢見さす



 老眼鏡(めがね)してひとりひんやり対(むか)ひたる 面なつかしき 日常出でて



 二年(ふたとせ)の線香赤くてけぶり立つ 汝(な)とはすなはち今 この香なり



 二十年前 学ケ丘にわが家あり 幸せの絵の我とふ黒点



 分骨も遺品も無ければ 焼かれたるみどりの髪のひと束ぞ惜し



 ページ繰りはたして見つく汝(な)が論功 引用なされつ つかく名ぞ残る



 おとなひし夏より二年 古き木のドア叩けども 応へ無きまま



 わが脳は古びゆきつゝ 上り坂の知識の配線 使はざり吾子



 世を捨てし月ごとの日は森に座す  君棲天然 ひとつとなりて



 夏二度目 さわさわ翠 唐かえで この路うるはし ホラネ 素敵でしょ



 日々の路 美しければ佇みぬ 四季の移ろひ 吾子なら愛でしを




溢れて

流れ揺るゝ黄金(こがね)の音(ね)こそ域を越え 空(くう)にぞ沁みゆけ 幾々叩かむ

誰かひとり少女(おとめ)よ切に寄りそひて 吾子淋しきを愛したる無きか



ーーー心決めて、友垣にメール送る、その日までのBBSの記録、転送しくれる 若者たちの息づく世界、今もそこにある、確かに-----


 汝が息吹 甦りくる 葉月盆会(はづきぼんえ) 転送されたる チャットの記録に



 友垣へ 元気なメールのくちぐせは 謎なる「ワッサ」と 「フミフミ」 「ウナァ」



 覚悟せよ しからば永久(とわ)の別れとや 科学者吾子に 霊の余地なしと



 空腹を 激しき飢餓を感じたし あはれ吾子 徒手徒拳疲れたり



 後悔の かけらも見せぬ 吾子なれど 幾度泣きたる 死すとぞ思ひて



 露草は青き朝もたらす さんざめく 日まはりの笑み 夕顔のおとづれ



 夕されば白きゆうがほ 今生に また出会ひたる 待ちかねつと申す



 こはすべて 限りの夏の共の花 季節失せしもせめて華やげ



 磁石もてメモリ消さむとせし場面 逐一記してパソコンに残れり




溢れて

ひと求め われ向学心に燃ゆるころ 親は遠かりし 何ぞこの涙

メール数行 ひと月ほどを 潤せり 乾きゆくまま 流るる日々の

後の世は 中年も使ふなる 十八切符 青春往かまほし汝が行程を




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二〇〇二年

二年の日々過ぎゆきて 三年目 

 太極のま中に張れるアンテナの 気の舞ひ受けよ 約束なれば



 形なきメイル舞ひ来つ 生きる術不明(わからず)なりしか 生き終へたるか



 定めなき仮の渡世をクリックする 支度整へ「満足したり」と



 いつしかに吾子が文体真似て書く 知性と軽み倒錯求めて



 汝がためと心砕くに閃光射す 慰め無用 むしろ生者にと



 さりながら身の置き処なき末日を いかに過ごすべき 日常許すまじ



 暖かき居間は明るし 離されて白骨(しらほね)ひとり 白菊枯れて



 いくつかの汝が呟きの悲の波紋 かくやあらぬや つまづきの石



 死の淵を過ごし損ねし汝が不運 ヒト仮に生く 実在無かれよ



 たそがれは水音ひとり たちまちに気配添ひ来て 繰りごと交す



 めざましのさえづり憂きをいぶかしむ  やがて目覚め来 悲しみの由縁



 汝が言葉噛みてもどしてまた想ふ 恨みもて死す ありえぬと知る



 こんなあんな空につづりて苦笑すも 伝へたきこと弄びゐる



 まざまざと心えぐらる汝が不在 けふまたなどか 撃たれてさらさる



 氷柱の米寿とふ媼が止まぬ声 「あの子はイナイ」 ただそれのみの詠



 丈高く白きコスモスなを一輪 清(すが)しく区切りぬ悲秋の空を



 世の中に佳きことあれば惜しまるる 悪しくば寿ぐ亡くて見ざるを



 白々(しろじろ)とやりとりひとつ記されゐし 期待の言葉と最期の「オウ」と



 卑小なる我に示しぬ がんばってネ 「オウ」と応へて生死の境を



 重ね合はす 幼き見ればちさき頃 はた老いたればかくならむかとも



 最悪の真実ひとつ浮かび来る 夕闇 見殺しの罪凝結す



 やはりそうか 罪ザアザアと圧し流す 吾子よ蒼白の ただに学を愛す



 頼りなるは自が脳ひとつ 情深くて思ひ定めし道途絶ゆとは



 パソコンと自転車と本 シンプルにその他は求めず 玉肌焼かれぬ



 勝者ならむ抜き手を切ってぞ生きたるがふと角に立ちコースを下りぬ



 わが子らは面優しくて果敢なり 世を捨て世を越え はやも翔び立つ



 揺り椅子にまだひとつ身のものとして 日がなバッハ聴き書読みしわれら



溢れて

今やただ似たる他人(ひと)探す これまでは汝が霊示とも受け取りしもの

交わしたる約束いくつか 待てば来て母と行く国 まことの言葉も

思ひ想ふ 我が心裡(しんちゅう)より立ちいづる 知見とどろきて大路(おおじ)明(めい)に見ゆ

もみじ映ゆ 空爆止まずいわし雲 美し醜しヒトたるを捨つ

在りし汝れ在りうべき汝れ世に充ちぬ 人型求めなぞりて終(つい)なき



ーー

二〇〇二年 当年とって三十歳か、いやまさる不在

 目標はそもそも仮にてしばらくを 空理の世界に遊ばむとする



 リアルなる世界の仕組みは見通しぬ 純粋に唯興味貫きて



 解けぬ謎 「学びて」何を思はんとて 定めし目標投げ捨て逝くか



 函館に行きたや 同じまなこ持て いかに辛からむ 未来大学ありて



 時に激す人類のため果たすべき課題あらざるや恥ずかしからずや



 さに非ず理由(あれ)は脳(うつ)のせいそれのみさ 狡猾強烈やられてしまった



 たしかにね恥かくだけの人生さ そう執着の価値もないかも



 生も死も独自のもので君らしく計算合わせ幕引きしただろ




----何かの不安にかられて探る手段のようにして鞄を送った、その色が「美しいです、感動するほどです」とメールにはあった、それはむしろ読む者の心を洗い流してくれるような、若若しく繊細な、柔らかく暖かい、鼓動する命の感覚だった、なおその二十日前にくれた感動-----


 

 我が与ふうす茶の鞄いと美(は)しとかがよふ言葉遺(のこ)しくれてし



 かなし子が「感動するほど美し」となを喜びし みずみずしさよ



 心揺れことばとなりて伝へらる そのかがよへる命たふとし



 感動告ぐ未来あるかのメール来て安堵しをりぬ ただ二十日余を



 生(あ)れ出づる関門過ぐるをともに耐ふ 三十年前冬の嵐夜



 からうじて隠せし嗚咽のきっかけの小さきフレーズ取り戻せぬけふ



 けふなどかまなざし黒く輝きぬ あくまで白きほほかしげたる



 騙してもごまかされてもならじとぞ黒き扉閉じぬ 見詰められをり



ーーーーー

「イエスタデイ」のオルゴールを誕生日に贈ってくれた、七年もの別離の年月の後の再会に-----


 あまりもの痛みゆえ秘す毒液の宝ものあり やよ飲みぬべし

  


 ようようと まことのいのち ひかれかし まさきくあれと名附け祈るを



 「お母さんと今度は一緒に行きたい」と訴へ寄越せし母の日のカード

 


 七夕の仮の願ひの短冊の幼き文字は心偽ると



 四肢凍りおどろおどろに臓腑もだゆ汝が悲の床もかく湿りしか



 とぼとぼとひとり歩けば滲みくる想念思ひ出 穢れ朽ちたし



 溢れ来る胸元までの悲しみは吐息となれど吐けど尽くせぬ



 我が恋のまた始まりし余波なりぬ命運定まりかくぞ窮まる



 物質のこの世を去りて逝く極限 汝が選択の道いづこへぞ



 命断てば予断ならざるおぼろかな死者永久(とわ)に生く死の世ぞ開きて



 春来たる肥後スミレまづ匂ひ立ち 椿桜もこの世を飾るに



 情熱く繊細にしてタフ 白椿 散りしきてなを姿とどむる



 つるまでの懊悩思へ 決意もて捨て去られたる はざまの惑ひ



 声とどく 春も見ずやとわかとふに 春と化したりそのものなりと



 生の枠 彼岸へ越えむと決めしとき 真白き自由響きたるらむ



 わが庭のニワゼキショウ群れ薄青し 墓地に風あり揺れ咲き居たり



----別れのメールは一時間で書いた、とメモに残る-----



 パソコンに Auf Wiedersehen! の文字 あるまじき刻 生き延びし我



 メール五通 美しき死に遅からず早すぎもせず着時定めぬ



 ありうるか 夢追い虫の性ゆえに 「ひも」理論とふを慕ひ始むも



 かぐはしき二十七歳のさつきころ 人間(ひと)の営為の誤謬の信念



 汝がとしを弟ひとりまたひとり 辿りてぞいく ふりかえり見つ  



 季節(とき)毎の花清(すが)しけれ言葉そへ心の限りに送り遣る彼方



 東大の助手となりしとふ かの友は 消えたる未来あらはれたるかの



 「めでたい」と吾子は言ふべし惜しさより歓喜に浸さる 生きてあるかに



 かの友は汝が論述を越ゆるらむ 突き詰め果てしスプリングボード



 かくなりし由縁ならむ我れ さまよひてときに願はく その些細なりしを



  些細なること叱りたる ごめんねと言へばその影 うたた麗し



 望郷よ青葉城の唄少年の歌 いんいんたる情 吾子も聞きしか



 砕かれし日常「もはや浪費せじ」と汝が断ちし時われの生き行く



 冴え冴えと青き勾玉煌めくも露しげき朝夜空色して



 身をよじり泣き惑う子いる検査室 母若き腕さしのばす空



 半ばまでを逝かまほしけり 随行(したが)ひて仮に身を去り魂(たま)ふたつとし



 ありのままをそうかと捉ふる日は来たり 可哀想さこそ増しゆくものを



 どうして!と吾子に向かひてなほ発す はた運命に問ひ糾す声



 夜流る 汝が悲しみを悲しみて 汝が苦しみを苦しみ抱く





ーーーーーーーーー

二〇〇三年

生きる意味


 一月はうたかたのごとすべり過ぐ そちらはいかが 三年(みとせ)暮らして



 霜ザクリ 春や立つとふこの日より此岸の暮らし潔(きよ)く供えむ (如月)



 悲しみは突風のごと来る 拷問のごと 蛇のたくりてからくも逃(のが)る



 苦しみて眠る闇道 きれぎれに作る幻像(まぼろし) 「かくありたれば」との



 白きまま見ても見倦かぬこの額 母知らぬ間に花のごと育つ



 「いかにあれ汝が子なるをば良しとす」と言ひ切りし子を助け得ずなる



 ひとつの死 のら猫なれど石として記憶へさざなみかき立ててゆく



 わが生きて偲ぶ限りは在る吾子とひしと愛しむ 永遠にぞ生きむ



ーー漂泊詞 と名付けてまとめようとする歌

弥生の月命日に確信できた君の心と時刻、

自分の中の同質の波長の働きに過ぎないとしても--


 ガリガリと生きてるこの日 その刻の符牒などくれて助けてくれた



 「そうだったの、とても辛かったね」 こう言えてはっとして見れば十一時だった



 羽ばたいたあの金曜日のその時をシグナルくれた 涙送れた



 卑小なりに成し遂げることある朝(あした) カラスとヒヨと鋭く高速



 最高だった一九九六年は嬉しかった ガラクタ道でビー玉転がし



 比喩として柊もくせい撫でてみる 皮膚裂く香りもう二首出血



 苦しめて寝(い)ねがてぬまま朝を得る うらら弥生のヒヤシンス匂え




--幾度も思い出している彼との数少ない会話

ーーそれがときにその特別な意味を現すことがある

--「お母さんの思い出は夜聞こえていたタイプの音」

-- あるいは「僕練習したらすぐプラインドで打てるようになって」--


 タイプのこと またわからせてくれたのね 言葉の含意は別離の重さ



 君のなかのタイプする母に並ぼうと ブラインド練習したと知る今



 自らの死後の世界を生くるやう かく続くらむ七夕前後



 五才の子が戻らぬ母と理解せしその瞬間を神よ癒し給へ



 記されたる三つ子の透徹尊き語 紙片甦れば押し頂きぬ



 許されしわが嗚咽なり夢なれば  吾子悼む人沈み漂ふ



 朝な夕な無言の笑みに黙し言ふ あとで会おうね語って泣こうね



 つたなくて倒れし仔猫 魂(たま)消えてのちは分子と回収さるらむ



 明朗に閾(しきい)を越えたそう思えた そろそろ逝こうもういいかなと



 藤いづこ菖蒲はいかに 必ずや時得て咲ける花を追ひ泣く



 鬱と聞き自死と読むたび懐かしむ サイエンス雑誌解き明かしいて



 所縁(ゆかり)なるいとしきテーマセロトニン 明かされゆくよ吾子には遅くも



 花寒の二度と逢えない だからこそあなたの代はりに舞ふを見ている



 迷い込んだネットの路地に薄日さすぽっかり同じ涙あとあった




--

夏、異国の8月7日、夕暮、脈絡もなく、湧き出でし声ある、

--「助けて!」と声は聞こえた、散乱の3畳の部屋より--


 その終わり その一瞬までも耳澄まし奇蹟のノック待っていたのか



 そうだろうね そうであるはず 賭けていた 誰かがドアを叩くかどうか



 五年前汝が居たるゆえ懐かしき異国より戻る 露草の庭に



 この夏の露草たちはゆっさりとみどり繁れどあくまで青なり



 黄なる口 コバルトブルーが耳なればミッキーマウスと呼ぶ国もあり



 思ひ出の吾子は母をば笑はさむと 耳ひっぱりてミッキーを模す



 露草のしをるる正午悲報の刻 メール着きたる電話ありたる



 露草に夜露は残れり 半日のコバルトの星撮るはむづかし



 黄に青にかわゆき花かな露草は 野の草なれどもはや踏まじな



 ミッキーよコバルトブルーの耳をした 母を許すか奇蹟失格の



 柔和にて繊細敏なる子等生きよ 無数の傷を負ふとはしても



ーーー二〇〇三年十月八日


 ひと日だにあらざらましを四年過ぐ 耐え越ししこと思ひを絶す



 かの日々を生き延びてきし 鮮血の流るるにただ慣れにし日常



 古きあり錯綜せるもあり生の樹の苦の年輪を人並みに持つ



 生の樹のいよよ影濃き年輪の愚か古きも見えて失笑す



 いづこより九月二五日 孤絶なる寂しさ伝わる ひとり ひとりと



 この時刻 生きていたはず四年前 泣いた怒った眠った何した?



 青山と柿の木のある石の下 腕を差し入れ想ひ撫でやる


ーーーーーー二〇〇四年 歌の漂泊

ネットの海に漂泊して見当たらなくなった歌がある。致し方なし。


ーーーーーーー二〇〇五年五月までは漂泊中

再展開、二〇〇五年水無月よりの日々

--水無月--


 くれゆきてあやめも知らね夕顔の君匂ひ立つ季(とき)とはなりぬ



 おもひでのひまわりひまわり描かせよ あの黄金のいろはなけれど



 いづこをかさまよひあらむながたまは もどれよ庭に青きはなさく


 うつくしき言葉も音もうるわしき形も色もあれどかなしき



--文月--


 空ま青 湖(うみ)藍にして花青し ゆうべの群青もろ手垂らしぬ



 じょうびたきひっひっとぞ哭く ゆえ知らぬ風の哀しみただ耐えがたし



 北に行く金木犀のかほるころ彼岸ひたすら赤き花道



 ひたすらに罪の分析 重なれるあばら骨めく過去また過去は



 再会を果たせしものを 吾子白きカッターシャツなり十七歳にて



ーー葉月ーー


 寡黙なるわが指先に徒らに集まり沈む想ひうたあまた



ーー長月ーー


 助けてと溢るる声よ この青き生命の星はただに不条理



 千の風になりしと歌ふ わが内にあるとふ魂よ いかにぞ聞くや



 濁世より思わず助け求む日々 助けられずに死なせた魂へ



ーー神無月、六年の時は流れて君の死に六度目に出会うーー


 今を去る六年前とは惑星の軌道は六巡 虚空の疾走



 なんの意味もあるはずはなく生命の環(わ)のひとつとし システムを唾棄す



 あがきをればわが脳髄か はた神か 「絶妙のハード与えし」と宣(の)る



 「絶妙のハードの制御為すべし」と 「ヒトら成就せよ意味を」と宣(の)るや



 疾く逝きて宙(そら)舞ふ自由ことほがむ 雫も青し露草らの眸(め)



ーー霜月、死を肯定し得て、時分の花咲くかに思われてーー


 秋深く露草引きつつ祈りをり 夏には生れよ 今は別れむ



 墓守の女郎蜘蛛の巣見上げては飲み食ひ笑ふ 天地四人なり



 生死の輪つなぎあわせのパラドクス キラー惑星? 与え合う命?



 人間を一巡りして一に立つ 時分の花とて新ら坂行く



ーー師走、考えても考えても存在の意味は不明にして、徒に走るーー


 冬の夕 金星低く月細く 唱えつ歩く日月の数



 吾子在りし二十世紀古る 狂奔の新世紀 見よまやかしの時を




ーーーーーー

二〇〇六年 外界への一歩

ーー睦月ーー


 恨まれて護られて誰が手のうちに転がされては落とさるるまで



 少年泣く 柊木犀花かげに かれらが涙 我が手にこぼる



 繋がれてありし公衆電話 一本足 寒風野晒し さみどりなりしが



 午後に見し上弦の月わたり来て 西空飾る 君は三十四歳



ーー如月  母ありてかく詠みぬ   亡き子おぼろまなこ凝らせば天心に祝事(ほきごと)あるらむ雪降りいでぬーー

 


 吐息つこう まれに慶びあるときは 未来につながれ確かな獲得



 わが誇るこの男(お)の子らの力業 妬むもあらむ静かに臥せよ



 文字なれどそこに在るはずみたま児よ 泣きては笑ふ母を識(し)るはず



 青銅の菩薩 面差し安寧なる 買い求めしは若き弟



ーー弥生ーー


 春の夢 木瓜(ぼけ)笑みかくる さはあれど生の原型冬木清(すが)しも



 わが心たれを悲しむ みな人の無限の想ひ思はるるとき



 有限なるヒトの形をとりながら抱(いだ)く想ひの哀れ果て無き



 汝が形失はれたる 汝が想ひありてありたる 惜しも懐かしも



ーー卯月、弥生尽にして。桜咲かぬ。みぞれ降る。日に一つの恵み得て、他人の愛はいざ知らず、自らの愛情は当てにできる。ーー


 紅らみし木瓜のつぼみに怯えある 寒気団くるも耐えよしのげよ


 わが内の不変の金剛すべて世はこともなしとぞずしり伝うる


 長冬を忍びて咲きぬ桜花 風なき空に貼り付く豊穣


 シジュウガラ是なり是なりと揺らす花故無き厚情まさに我が依る


 核反応燃え尽きて死ぬ恒星にたとえむ生命エナジーとして



ーー皐月、どうかどうか! 東京へ、またもひとりを送り出す。正しいことと信じて、両手を握りしめて、どうかどうかと三方に向かい祈りつつ。ーー


 ずっしりと重いかたまり現れた 泣きそうなままじっと抱える


 たれ故のたが悲しみかひと日ずつ孤独に慣れむと諭し別れて


 風清きさみどり頃の闇の夜をいくつ経つらむ母無き子らは



ーー水無月、小さな悟り? エネルギーの限りに生きる他なけれ、蚊も草もヒトも。ただ、我らが脳の新奇好きにてあたら自らに苦しみを為す。ーー



 大ととろわれ関せずのあくび呵々 いざ疾風として野を走りゆく

 

 テラに立ち息を吐きては息を吸う 滂沱と貫く存在の有無



 函館に果てしは白虎隊か 啄木の短き幸か 誘われたる



 啄木の懐かしき町函館に夢を埋めし矢車の花



ーー文月、もう六十一歳になるけど。暑い夏だよ、みんな格闘してしばしの地球生活味わってるよ、どうぞ見ていてね、生物の苦しみの少ないこと祈るのみだね。ーー


 文月くる葉月長月神無月 ひたひたぽとり今年の涙



 見るたびにやめてお願いと叫んでる やめてやめてよ生きて生きてよ



 かるがると夢に別れて笑みて往く 今生の負い目たっぷり背負えば



 つくづくと考え込んで思い出のひとつひとつと向き合わされて



 つまづきの石混迷の渕さらさらと流されてかつ笑い飛ばすよ



ーー葉月、悪い兆し。夏の花の命の盛り。自らの過ちを数える。為した罪、為さざるが故の罪におののいて日輪に溶解されゆく影としてゆらめき歩く。ーー


 命運は露草に似て目覚ましき心はひまわり夕顔の面



 肉厚のサンセベリアの頼もしき どつしり自我に充足するか



 絶対に護られている生きるとは愛の記憶に誰かの愛に



ーー長月、タイムカプセル。一九九六年から一九九九年秋まで、吾子暮らしたる、そっくりそのままの家に出会うとは。タイムスリップさながらの八月真っ昼間のSFの世界で、そこに閉じ込められて喜んで汗をかいていた。ーー


 自由が丘アパートはありぬ あのままに時も流れず切り取られし画



 陽炎のタイムカプセル蒼ざめしアパートに出会う 人ら行き交う



 思い枯れ時も止まれる自由が丘を行きつ戻りつ郵便局へ



 あるひはとPOSTATMの細き糸 ここに来たはず触ったはずの

  


 カプセルの中今も行くこの道を吾子よ 「暑いね一緒に行こうね」



 タンクトップ燃え立つ髪の若者がぬつと出てくる 暗き路地より



ーー神無月、図らずも。あれやこれやプラン立てれど実らぬままの白い手帳を持っている。図らずも見つかることもある。思いもかけなかったことが。ーー


 このために残されし母乗り継ぎてこの灯を見出す 君がみそぎせし



 夕闇に一つ明るむ店ありぬ日常の救いコインランドリー



 その明かりシャワーとランドリー孤児汝れを懐のごと抱き入れしか



 十六夜の忌日過ぎゆきウイーンなる作家の日記 かの日付け読む



 露草は一日おきに咲くらしも 今朝揺れ合ひて忌日の飾り



 荒野行く仔猫三匹世を眺む ひとみ怯ゆるフォトの悲しも



 よく実る風船かずら抱く種 碧き小さき葉 神の織物



ーー霜月、暖から寒へ。昨日までの暖かさついに終わりを迎える気配。なべて子を生さねば人類も静かに絶ゆるべしと聞く。とまれ、無限乗宇宙の願わくば完全円満なる旨を、試みにこの脳に念ず。ーー


 矩(のり)またぐいかなる思念のあればなる 試みに生きこれにてと戻る



 こころみに眼つむり座せば金剛のあけらき原則見えむとぞする



 次元超え時空もわかたず脳内に信号つながる意味の輪のごと



 あてどなきこの信号の波ヒトを律す 苦楽は相対なれ念じて律さむ



 安んじて笑みこぼるる顔空(くう)に見ゆ ひたにぞ祈るこれぞ意味なれ



 エネルギーとこれに呼応する物質とヒトの意識とその仕組みやも



 わが長子絶対にして無言 何をかもなお欲するやただ仏なるや



ーー師走、遅れた記載も許してくれたはず。貫徹の志に身を撃たす。鞭とも刃(やいば)ともなるこの内奥の渇望のいずこより來るを知らず。ついにわれら闇を突破したり。ーー


 若くして去にたる人ははらからを 守りくれると多々うなづかさるる



 戻りこよ 惜しさの余り惑乱す 生き返ること確信しえたる



 冬の間も顔をそろえて咲きつどうパンジー植えし ぎゅっと土圧す



 年越しはわがうたながら泣かさるる 明日無き吾子を惜しむ古歌(ふるうた)




ーーーーーーーーー

二〇〇七年 それぞれの路

ーー睦月 墓前に報ず。ひとまわり程も若き弟が、新生の一歩進み行くと。ーー



 天心よりなみだ真白に忌日来る さしのものパンジー花びら凍てつ



 ひとまわり若き弟彼なりの厄災の路戦ひ抜きしよ



 奈落より這ひ上がることあらずとも道は道にてザクザク進む



 十二回息も凍れるとき流る かく年は過ぎ赤きうた書く




ーー如月9日、3人の前にぬかづきて。悲しませ我慢させ淋しがらせて苦しませた、混乱させ絶望させて世をはかなませた。それでも君たちは雄々しく立ち向かう、自らの限界まで挑戦し続ける。皆さん、私は最低最悪の母親です。でもきっと、いないより生きていたほうがいいのだろう。愛と償いのため。ーー



 憶(おも)ひ出で春には春を哀しみて 夏を淋しむ秋ことさらに



 代へ難きそれぞれの声幼な顔 いのちといのち共なりし刻



 ストリートさすらふ者でありながら足元一尺存在を踏む



 ヒト群れて生き残りかけ競ひ合ひ迷走しつつ謎へ迫るも



ーー弥生、人並みに暖冬を憂いつつも。悲しみのひとつ減り、この良き時の流れに流されて天に両手差し伸べる。世に安寧は少ないが、せめてもの恵みいただく。古き悲しみ残るとも。ーー



 生きる意味問ふまじむしろかく為すと自ら定むさようにてござ



 わが産みし命みっつをいかにせむ 至上命令従ひにしが 



 危ふきも わが油断せし時まさに 珠失はる攻守のはざま



 アイディアを思ひつきまた見失ふ さもあれ次のより良きを待つ




ーー卯月、金星は十字に光り、桜世に満つ。ただ一人恥をさらして生きる者あり。ーー




 春東風と聞けばおのづとしのばるる 物学ぶこと好きな子なりし



 桜満ち世は抱かれぬ 汝が心 つね広ごりて世を受け止めし



 おぼろなる眉月に添ふ十字光 われらが位置を知らしむるなり



 もの喰へばひもじき吾子の悲しさよ ひもじひもじと友へメールあり



 世のすべて欲りたる我に汝が頭蓋 雲水のごとほろほろまろし



 なお残る最小限の欲と物 わが短髪のなお知るを欲る



 つたなさと自己弁明も際立てば恥をさらして生きる歌なり




ーー皐月、この惑星のエネルギーは緑色なり。三つの命の行く末のみを思い暮らす。あちこちに写真は時空をこえている。秘密の花園、プレーヤーをしまってある小さな戸棚の中に、若い二人が暮らしている。ーー


 他人(ひと)ですら夢つひえたるは哀れなる 置き去りにせし吾子ならに     



 知らぬ間に時の底へと引き込まる 頭振るひてため息に逃ぐ



 一人目はひとみ不変に厨子に在る 修行中もあり 三昧の子も



 その瞳不変なればぞ柔和にも気難しくも見ゆる日影に



 合間見てかの声浴びんと扉引く そは別世界善きかなLOVEは




ーー水無月、けふの最期の光の使者は竹たちの片側のみを輝かす必ずまた会うは定めなると、我ら一なるものでありしを知らされて竹の秋ーー



 魂のげに美しき宝子ら 憶ふ日没 必ずや会ふ



 ただ待てば吾(あ)を待つ影に会ふ定め 世は事も無し待てば会ふなれ



 四月号の中に居るかにただ嬉し 汝が足跡のなほ載る会報



 黄砂浴び朧となりし満月を浮かべし空に異星人ひとり



 万緑を透かして聞こゆ竹の秋 凄まじきかな矩も越ゆべし




ーー文月、夏は哀し、思ひ立ちてまた向日葵植うる。「毎朝伸びているのを見て驚いた、お母さんが植えて下さっていたのでしょう」などと幼き時分の夏の思ひ出、便りしてくれしをこの昼に想ふて涙流れぬーー



 しつとりと文月始まる向日葵のつぼみ迫り来 予感のごとくに



 汝が影をけふまた見るに晴れ晴れし 命の限りに生きたると泣く



 汝と語るまれなる時に雨なれば露草の花昼までも咲く



 苦しとも思はず母を押して行くあじさい過ぎてこの世の径を



 今生の債務を果たす 緑陰のひとつの虫も等しと思ふ




ーー葉月8日、勤しむ日々に 一瞬たりとも無駄にはせずと立ち振る舞へど限りあればできること少なし。わが人生かく流るとは知らざりし若きころをふりかえれば、未知なる生の前にまさに立つ若きら愛ほし。ーー



 言ふてみる「苦労しなくてよくなった?」追ひつめられて必死の言ひ訳



 美しき言の葉ざくざく集めよう手当たり次第に見てよこの世を



 露草は葉月五日にわつと咲く永久(とわ)にとどめむすべ無きままに



 幻とするほかはなき青よ青 ツユクサ惜しも狂ひて撮りぬ



 けふもまた存在せぬこと肯んぜず 立ち去るために命はあるも



 生きてゐる 汝(な)はここにありわが内に今なお笑みて訪ひ来るに




ーー長月、仮想世間に生きる。おそらく再びは見ること無き皆既月食。ふと見上げし夜空に見つけたり。この一日を生き延びること難けれど、わが肉身のうちがわの平静にして健やかなるを立禅して観ずるも良し。ーー




 夏風に仏桑華赤し ふと笑みつ働き盛りの姿想ひて



 ぎりぎりと残暑の道を巻かれゆく 援軍来ざる恋ふ人もまた



 思はぬにメガネ探せば吾子に似る我がぼやけ顔鏡にありし



 悲しみをひしと抱いてあやしてる潰されそうなそんな日もある



 紅色のもみぢあふひとふ手の形 真似してみせぬ二才の吾子は



 語ること悲し過ぎればせめてこの堪へうるほどの小さき器に



 月食の影のカーブは紛れなき地球の稜線 想へよ円弧



 物好きな生け垣欲しき茶の木か小笹 からたちくちなし





ーー神無月、8年経過 ふと思い返した。初めての陣痛が信じられないくらいの痛みだったと。死なれたときの辛さも信じられないくらいだったと。泣けば息が止まりそうになった。割れそうな頭痛におそわれた。ーー



 今年また吾子の果敢な死出の旅同行始めよ 満月あとに



 汝は知らじ 温暖化にて地球上遅れて十月彼岸花咲く



 海遠く昔八年逢はざりき けふまた八年永久に別れて



 惜しげ無く自然は差し出すまぼろしの汝が卓上にうるはしき実を



 十万年無知にあらねどなかなかに謎なる我ら何故に生かさる



 明日何がふりかかる身か 蟻ン子を逃しつつ言ふ「命無くすな」



 巨大なる机彷徨ふ蟻ひとつ 救ふを諦め図書館出でつ





ーー霜月8日、悲しまぬという覚悟 そもそも陰暦の話なれども 九月の十五夜を見て、新月を経験してあとの月、十三夜をしみじみと眺める。月はランタンのようでもあり時には不機嫌に黒い天幕からのぞく。ーー



 この夜さを人無き地下にのびのびと憩ひたるかも苦役の痕して



 哀れよと悲しみはせじ成し遂げし汝が超えて来し讃ふべき道



  

 匂ひ濃き木犀の下生き延びし外猫チビが忙しげなり


 厳(いかめ)しき炎帝空を望月にゆづれば澄みぬ風の鈴音(すずおと)


 運命に選ばれざりし一人とし地を這ひてなお為しうるを為す


 露草を鉢にこんもり咲かしめて冬まで愛でむこの宙(そら)の色


 幻の物理学者よ清明(せいめい)の氷上スピン光り彩(あや)なす


 世に絶えてあらざる響き綯(な)ひ合はす旅の楽士よその長き影


 三角の上弦の月 金色の眼をして闇より睨みて止まず




ーー師走、空しき幸せ  闇夜こそ星あまた、それぞれの色して煌めく。地上にはダイオードの透明な青の街を装ふ頃、空ろなる心の幸せーー



 けふわれはイメージを得つ 命とは打ち上げ花火黒き宇宙に



 厄災に遭ふことなくて来りたるわが道の辺に屍水漬く



 恨むまじ心冷たく過ごしきて今ひた満つる受容の海は



 己が日をみな生きあらむ 今しばし放下いつとき風呂に溶けゆく



 体勢は整えておけ 助けてと今に聞こえる闘ひに出る 



 ふたつなきこの肉体を運営し善悪為さしむ精妙の謎



 久々に相見し吾子に太ったねと言ひてしまひし 詫びもせぬまま






ーーーーーーーーー

二〇〇八年 二つの契り

ーー睦月 おみくじは吉。新しき暦をかけて良き年を願う、わが子らに、苦しみの中に落とされたる人の子に。わがミトコンドリア絶えることふと気づく。ーー



 暗きほど永久なる星の光るめり睦月の命日新月にして



 けぶる雨 あると見えぬにつと散らす白珠よかく降るものを待つ



 汝が心折れにし決意降りにし 空の彼方に叫ぶ吾れかも



 白き腹してふつくり生きるのみ枯れ葉か鳥か風無きに降る



 けふのため小さき恵み降らしめよ雪のひとひら小鳥の「ちゅるり」



 金色に天地貫く忽然のあまたの直線 竹林浄土



 わが庵の樹々の移ろひしるくして冬至は嬉し 希望来るかに



 夕日受けきらめきをりし竹林にふと闇は充つ 電話してみむ





ーー如月 牡丹雪降る。何とかこの一日を乗り越えたりと安堵して 瞑るまぶたの闇に 不安の一滴アドレナリンの輪を描く。おろおろとひと日、一世を過ごすかな、エネルギーの海にたゆたう、密度の加減に過ぎぬ身のーー



 清浄の身体は燃えぬ 翌日に骨温かく抱かれて行く



 おめでとう三十六の誕生日みんな一緒に随いてゆくから



 マイボーイ全速力で漕ぎ出して母の心は追いかけてゆく



 連なれる命賜はる哀しさよブロークンハート葉陰に伏すまで



 誰が夢の破れざらんや野を行けばゆらめく星ら いや高にして



 泰平の世に仰向けに佇つ我を垂直に撃つ 問ひの雫は



 時充ちて崩さるる壁あるものを囲まれている我とふ限界





ーー弥生 春は確かに来るらし。私の心は億万年の氷河のように硬かった。がっちりと立っているために、訓練し修行して得た固さだ。ーー



 人も世も淡き桜に抱かるる頃 汝が寛き心根思ふ



 広げたる大鳥の羽ふうわりとあまねくこころ配りし子なり



 重力に反してのぼる白梅の蕾は拳 ひるまぬ形

ーー卯月 桜狂想曲。母は知る、君の最後の花見に固い蕾が寒さに揺れていたことを、今はただ、無心に歌おう、渾身の桜のエネルギーの魅せるものをーー



 いくつかの小川の記憶 緑なす野はなだれゆく光る流れへ



 飽き足らぬツグミの叫び花酔ひの小雨もしとど たそがれをるに



 五分咲きを散らす雀ら花ひとつくわえて楽し朝餉とすなり



 瞑りたる眼を開きては白白と桜ばかりの窓にたはむる



 咲き初めの桜を揺らすメジロその小さき軽き土緑色



 花のまま旋回しつつ降る桜 雀の狼藉花むしろ敷く



 時を止め夕闇桜浮かぶ図は 在るや在らざる酔ひて唄はむ



 はらはらと散ればこそとふ桜花 いっとき動かず時空に貼り付く





ーー皐月  望外の幸せがくるものかな、努力して得られるものにあらず。ただ恵なり、天より降りし愛なり。ーー



 これらの世 在るだに胸のふたがれて歩きつ見つつ低く嗚咽す



 眼裏にいがぐり頭ふたつあり 一人を足してわが誉れとす



 われもまた命育む者たるか われを出でたる無頼の子らの



 裸木も花も葉も美(は)し平安の絵巻物見る わが佳き日々に

 


 末の子の隘路(あいろ)に愛ぐし藍色の華 一筋の日差しに立つと



 汝がための魂の糧白き花 双手に抱け心ゆくまで





ーー水無月 純白の小さき花たち。契るとは信頼の約束、裏表なき二人の誓い、さはあれかしと理解したる日に涙溢れぬ、我ら獣道の親より出でて。ーー



 「水無月だよ」鉦高らかに打ち鳴らす 尋ねてみたし月の軌道を



 ここまでとページの角を少し折る 闇に静かにおやすみと言ふ



 わが影の移ろふ道に鳥影も疾走するなり 撫子濃き日





ーー文月 水蜜桃の季節となる。哀れ玉の如きわが子よ、世の不完全に耐える能わざりし、かとあれやこれやと思いつつ、この享受すべきときを、桃のしずくを心して味わむとする。ーー



 鮮らけき生の感覚益やある 死にし吾子へと繋がらざれば



 夢のごとき長き夢見し かの世なる君の住まひを訪れをりし



 「マボーイ」と低く歌ふよプレスリーも 親とし怖る愛子(まなご)の行く手





ーー葉月 人類どこへ向かうとも 喜び浮かれし母我は ふらふらと「昔の話」の門扉を開けぬ。ただ慟哭、ただはげしき叫びに、驚愕して撃たれる。されど姿なき子よ、今は喜びを共にせよ。誰がくれし恵か?ーー



 けふの日のこの哀惜に出逢ふかな カナトコ雲は怒鳴りてゐるぞ



 コウロギの呟くに似る吾子の声 蝉なら叫べ祈れかまきり



 耳深くこおろぎ二匹 高低く響き止まねば夜を聞き入りぬ



 開け難く立ち去り難き禁忌の門 園の激しさよろぼひ出ぬ



 純白の花嫁の手に委ねし子 区役所に寄り勤めに行きぬ


 細胞よ漸次滅びに向かふべし若きらは発つ未だ見ぬ道


 まどろみに新婚の屋をおとなへり 支え終はれば巣立ちぬ空へ





ーー長月 月の軌道を思いつつ 地球から見える月を見る。うちわ抱き覚悟する音遠花火 ミズスマシメダカを墨で遊び描き 積乱雲我慢強き子その心、俳句のマネーー



 じっと見る九月の暦「いつ決めた?」心に問ひつ数字の列を



 あと一歩の踏み込み足らざり 堅固なる汝が決定をくつがへすこと



 どの子らもわが悲しむを思ひ遣る 子らの悲哀を思ひて泣くに



 子は母を選び生まると人の言ふ 我に欠けたる一途とふ芯



 夕まぐれすすり泣くがに群るる百合 明日は刈らるる身と知る白か



 朝晴れて高砂百合を倒す音 小暗き樹間の白き飾りを


 ドンとくる打ち上げ花火 夕顔は支柱を越えて軽やかに伸ぶ


 明日は切るあの赤松に絡む葛 末の子にして支へ合ひしが


 遠花火華やぎのあと轟けり 苦し楽しき子育て終はる


 クマゼミの必死と競ふ青き青 雲眩くて風ひとつ鳴る


 水滴を含みしままの朝風にヨルガオの張る十のアンテナ

 

 嗚呼真白 幾万トンの雲の山 小さき頭ひとつ生まれぬ


 明け鴉ハローハローと不思議なり誰か誰かが要請すらし





ーー神無月 新たな暦を立てむ。 亡き子よ、偲ぶ心はいつの間にか存在の謎へと向かう。一つの偶然が一つの事実となるは必然的?そうだ、人の世のシステムという圧力もある。しかし時の流れの中、今や現実があるのみ、どんな偶然が君をなお生かし得たのだろう。ーー



 香に充つるこの清明の秋日の置き去られたる今年は半月



 かの夏に汝が見上げたる向日葵の育つを見れば悲しかりけり



 わが内に今浮かぶこと あの日々に汝が思ひたるそのことならむ



 朝顔のひとつ 辛くも拠りて咲く ひまはりの茎立ち枯るる辺に



 海中にヒトの生きたる時期あると読みしよりわが潜水泳法


 

 拠るべなき裸のサルは実を求め 草より糸を紡ぎまとひぬ



 偶然のひとつ起こりて確定す すなはち事実かく虫を打つ



 仕込まれし宇宙の種の育ちしと かく識る世紀に生まれたるかな



 粛々と二十一世紀生きてゆく「神」解かれゆく未曾有の日々に



 プリンタはギャーティギャーティ声明(しょうみょう)す 生死無ければ救ひも有らじ



 サギも来て平等院に集ふ音 幸あれかしと言の葉あはれ



 青空に血の色かざすサルビアか カッと目を剥く朱(あけ)のペチュニア



  バス停の無人のベンチにメモを書く 仕事帰りに二十分待てば





ーー霜月 旅の空ーー


 物の理や海碧くして空蒼し 前線の雲上下に分つも



 深きより隆起せる峰の先端を機窓に眺む 島国とふもの



 四国のみ雲に覆はれ山々のくぼむところにダム湖の光る



 半島に風車の並ぶ佐多岬 大分までは深き道なり



 ここよりの眺め墨絵に描きたるは無からむ 海と久住連山



 山ひだに紅葉兆して延々と高圧電流運ばれてゆく



 一の子の休らふところ 仏寝るカルデラ上空 五色の畑地



 モダンなる巨人の風車一機のみが風をとらへて大車輪見す



 去年(こぞ)の旅 子と巡りたる外輪山 日暮れは去るらむ空港に降る



 名をば呼ぶ 心傾け空しき名 空しけれどもわが恃む綱



 呼びかくるその名無ければ良平の心も迷はむ ただ塞き上げて 

  ==半田良平みんなみの空に向かひて吾子の名を幾たび喚(よ)ばば心足りなむ


 子らと居てコスモス畑 幸せの夢の如くに時に埋もれき



 合はす掌はひとつの世界「大丈夫?」とか「あのね」とか長き祈りの



 汝が墓は庭石菖(にわぜきしょう)に囲まれて 揺るる青色 日差し淡きに



 ふたつなき儚き色よ 頂きし柿と楓(ふう)の葉 墓参のみやげ



 想像の土を撫で上げ子らの面 残しおきたし 知らず涙す



 すずかけの朽葉の道に面差しの似る姿あり 夢にも見ずば




 

ーー師走 今やっと弟たちは定まりぬ。永遠に若き君よ、母の老いもここに定まりぬ。ーー


 ぽっかりと空くとふ穴はやれやれと寝(い)ねむとするに正に現はる



 ヘッドフォンは音の横溢 魂の慰撫を失ふ片耳壊れて



 囀りの澄み渡る朝 祈り湧く 鳥のひと日も楽しからめと



 落葉道 無限の彩(いろど)り散りしくに 何故ここまでと対話を始む



 手短かに詣づるばかりの父の墓 木枯しチリと風鈴を押す



ーーーーーーーーーーー

二〇〇九年 十年生きた

ーー睦月 ついに二〇〇九年となる。一九九九年の別れから一年経ち、二年経ち、ついに十年経つことになる二〇〇九年となった。君に関わりなき凡庸の日々の苦しみ、変わらずにーー



 キーボードに手を触れて待つ 肩越しの自死の子の瞳に頷きつつに



 ぽつぽつと五月雨よりもなほ僅か得し拍手なりおろそかならず



 亡き父の生日に子の逝きしこと 偶然にあれ大切に思ふ




ーー如月 日々新しき思い。日々に何らかの感慨を与えられる。シナプスが繋がってそうか、とわかる。不安も絶望もあまり意味なしとせよ。金星が、我を見よとばかりに、宵に凛々とーー



 花博の暦をかけて十年を月ごと飽かずめくる悲しみ



 理由無き夜の不安を凌ぎえて朝には呻く 悔ひの数多に



 駆け上がる駅の階段 ワサワサと光りの中へ消え逝きし影



 一言も忘れまじとふ瞳して聞きくれし吾子 この卓の横



 慄きてわが見し彼は 堂入りと回峰行を経てのち如何に


 光すら余れるエナジー 言ひ聞かし言ひ聞かしつつ磨く厨辺


 救済を世に約したる人ありて イバラの冠父は泣かぬか




ーー弥生  さみどりの命芽吹けど、呟く泡の心の揺れにも鈍くなり、為しおおせぬ課題居座って、呆然と眺める世のさま、言葉も乏しくーー



 「汝を祀るサイトを見し」と「汝が魂の訪れゐる」と言ひくれし人



 汝が写真後ろにあるを見むとして 鏡に写し今朝を合図す



 手の甲に老いのむくみの訝しく 生き生き滾る好奇心ある


 そら中に色いかめしき松毬は清く正しく鱗を重ぬ


 我を見よ この光をと金星の傾(かたぶ)く頃の花びら月夜




ーー卯月 新しい年度始めの桜世界だよ。 恐ろしい考えを思いつく。CP対称性の破れの仕組みが解き明かされ、物質の存在が必然であって、ヒトに至る生物のシステムも否定できないと知る。なぜか恐ろしい。ーー



 鷺ひとつ銀の翼をはためかせ社(やしろ)の池へ飛ぶ 世は桜



 弥生尽 高き航路を三日月の舟渡りたる はや西岸に



 お彼岸はお墓掃除のためなるか どこに居るのか汝は幸せか



 遠き日に我も母たり 指さして記号を学ぶ幼の仕草




ーー皐月 緑の雨は箱根の山にしんしんと降り、流石に天下の嶮と歌われたもの、霧か霞か、立ち上りつつ、しかし全ては善し。ーー



 抜きん出て悲しみも美も感じたる夭折の子に敢闘賞を



 嵐来て見事なるべき花房の 夭折のごと藤は崩れつ



 夕光の慰めの手が薄雲を富士にかき寄す たれの描くや


 ワイワイとお祭り騒ぎ 雲雀らのとことん陽気「明日は七時」


 感慨のささやかにして消ぬべきを詞に依りてわがひとつ置く


 苦しんで生まれ苦しみ死なしめるこのいたづらを為せしはたれ


 システムを掴まんとする数の理の脳は有限 夢想は無限




ーー水無月 見てもらいたかった。吾子よ、多分一九九八年に「太極拳を始めたから上手になったら見せてあげるね」「ハイ、見せてください(笑)」と約束したね。今度出会ったらきっと見せてあげるね、もう11年も練習したから。ーー



 六日夜ネットを切りぬ 七日のみ残るひと日を如何に何処に



 夏至の夕 真直ぐなる雨潔く緑明るき世のさまや惜し



 挽歌のみ湧き出づるかな 長梅雨の隠けき日々の作用にやある



 六十年時が造りしわが顔の空疎なること仕方も無きか


  薄汚れドン詰まりにて花と詩の美しき夢振り絞る夜


 霧と靄 箱根八里に雨降りてひとりの旅は明けもやらずに


 かりそめに巡り合ひたる旅宿のひとの言葉のわが核となる




ーー文月 しっとりと恵の緑の雨なおも降る。自死したる人とその遺族との名誉を回復すべしと、地位先集まり宣言しつと。君の姿彷彿として落涙す。「真面目で優しい繊細ながんばり屋」ーー



 嘆き無き人はそもある イカロスの舞ひ落ちしこと諦めきれず



 旧友へコツコツメール打つ我と 哀れ亡き子も同窓生なる



 些事のみにかまけて亡き子見ざれども余りに先を行けば届かじ



 この日頃なほざりにせし吾子よ 常母よりはるか先を行きたり



 賜はりし予定なき日に思い付く風来坊とふ言葉懐かし



 緑雨 ふと居眠りて目覚むるにダリアの珠の白く浮かべる




ーー葉月 立秋と聞けばおののく気持ち。大事なひまわりなのにどうしてだろう、植えることができない。他家に咲く健気なひまわりとじっと見る、情けない気持ちで。ーー




 無為なりし文月 大事な向日葵を避けて矛盾の仏桑花咲く



 憶良詠みし 旅に死に往く子の心「遺せし親はいかにか泣く」と



 子は水に放り込まれて浮かび来てのちはイルカの如く潜れり



 汝が面にまなざし正し はらからは為すべきを為し素的を生くる



 論文の参照さるるを図書館に秘かに見つく すがる証と



 汝が魂は哀れみ来しや わが一生最後の昂揚せめて夢見き



 コスモスの中にはにかむ若子らの生き残りゐてアルバムや善し



 カナカナと雀と猫とヤモリらの行き交うさ庭 早朝曇天


 カナカナのひとすじの声夢に来てブラインド越しに覗く惑星


 何故ここに 存在の謎追ひかけてなほ潜む謎 ホーキング笑む


 夏 葉月 陽は強力(ごうりき)に大輪の向日葵回す ここあそこにて


 心打つ露草の色けふのため花色八つ呼ばふ そこここ




ーー長月 空あくまでも澄み渡り。全ては謎に満ちているが謎を解くべく脳はあると、エトセトラ。死ののちこそ生よあれかし。ーー



 心また震へる九月 朝光に悲しきまでに花は彩なす



 上弦の半月南天に突き立ちて鉄槌さながら家の上にあり



 ロケットの飛びしは十年 叶はざる到達地点 無為と恥ぢしか



 哀し児へ弟たちの如くにと をみな清けき絵姿を添ふ



 慎重にきっと山ほど思案して消去法にて辿り着きしか



 ひがな座し心遊ばすこんな日をお腹の吾子と持ちたる記憶




ーー神無月 失われたHPーー



 二つ目の矢車草のちりちりの 花色淡し露草よりも



 文明の栄華の裏の穴ぼこに吸はれし吾子か 足るを知らずて



 忌日まで従ひ行く日を 虹色の円弧戴く地球にてあるか



 

ーー霜月  ーー


 

 いかばかり悲しみし汝か夕星に導かれつつ遅き帰路かな



 香焚きてお鈴すずやか一人きりただ息をする 君と母とで



 繰り言は三十一文字に納むとし笑ひて今生過ぎさせゆかな



 夜の雨の名残の雫煌めきて不思議のもみじ佳き朝来たる


 神かけて永遠に離れじ 若きらへ熨斗袋わが華やぎ送る


 尿して秋は空なり 軽き身の望まぬうちに孫を賜はる


 子から子へ伝はりてゆく我が選りしYと呼ばるる染色体は




ーー師走 ーー



 舞子より対面したる波風に畏まりてぞいたぶられゐる



 富士遥か並ぶ暦に歴史待つ西暦二千十年の吾



 未だ見ぬサザンクロスよ光無き暗黒星雲隣り合ふごと


 我のみが世に合はざるか 人中をいでたち奇態に構はず歩む


 手鏡の六十五歳 流されてなほ幻の真理を訊ぬ


 足かせが無くば心よ覚悟ある 世界の真理訊ね歩くと


 人体の複雑さはや 生かされて癌細胞の生れぬが奇跡


 指先に潰してしまひぬ黒き跡 粟粒ほどの定めわが咎




ーーーーーーーーーー

二〇一〇年 一つの結末

ーー睦月

 青鷺の棲む古き沼 われは知る赤き眼をして蔭より翔ぶを



 灰色に穏しき空を水玉の奏づる音も夕べ果てゆく



 子から子へ伝はりいくも 我が選りしYと呼ばるる染色体は



 五グラムの胎児の浮遊する海を抱く仕組みのありて 苦楽す



 観る者も無きに巡りて億年の乾ける月の旅を悲しむ



 この世にて詠むことごとく挽歌とし供ふる心なると気づきぬ



 究極のモンスターのごと富士やまは寄る辺なき民最後の砦




ーー如月

 子らはみな母の誇れる一等賞二人残りて愛の余れる



 結局は憑かれ浮かれて子が生れて 誰の命なるこの大騒動




ーー弥生

 ぽろぽろと歌は零れ来 死に近き弟もあり子へも参れず



 カフカ書く犬のごとき死待つのみの生きとし生ける 涙あへなし



 微風にもはらり散るらむ桜花 枝のみなりし空間を占む


 花びらはもう旅立つか 互にぞ会ふらむ縁あらば会ふらむ


 詩句ひとつふと生まれたる愛しみの枝の彼方に青きシリウス


 久方の空色ありて野紺菊の枯れしに注ぐ 祈りの水を



 

ーー卯月


 星の子と夢見をりしにリアルとぞ 鏡合わせの命あるやも



 うつかりと踏み込みたりしこの小道 行きはよいよい沼までつづく



 わが自由など求めんや 死にし子は自由が丘に夢を追ふらむ



 ああ人よ生き物として踊りつつただ生きて死ぬ それでいいのか




ーー皐月


 惜春と言葉浮かびて蘇る 汝が終の日よ忘れ雪散る



 これにてと桜舞ひ散る今生の 別れ別れて巡りて遭ひて



 桜散り少し壊れて昔日を憧れてをり 滅びの美学




ーー水無月


 顔拭い偽りに生く 苦しさの本体暴けばわが耐ええずて



失望や未練や意地や計算や 憎悪や慣れや 見栄や諦観



 さつさつと風捲く御幣 首延べて誓へる二人ふとおののきぬ



 つるばらと尺取り虫とベランダに遊ぶ雀と 輪廻の輪かも



 我が手こそ大き手である 糸くずのごとき毛虫の命を握る




ーー文月



 夕顔の面差し浮かぶ水無月のけふの意味するsynchronicity ーー共時性



 望月に差す青き影 雨雲の彼方見えねど忘れやはする



 夏至の夜のかすみし半月 はるばると遠き人へと何か遣りたき



 歌詠みて仰ぐ月影山の端へ 別れて遠きいづこ送らむ



 青梅雨にあふらるる葉や飛沫らのはねて散らばす光や影や


 葵咲き父の失望ひしひしと胸に食ひ込む 文月ここのか


 父なのか甘え親しみ有り難うも告げず別れてけふの合図か


 風なきに天使の喇叭揺るる刻煉獄よりの念波と戦ふ




ーー葉月


 詩心も枯るる時節や汗ふきて盆に夢見る天のカナカナ



 なきがらにクロマニヨン人供へしは矢車の花青色なりしか



 朝顔も露草も青 深き青 東雲(とううん)かがよふ草生の中に



 薄紅の鳳仙花さもいじらしき などか思ひぬ風船かづら




ーー長月


 手のひらを立てて左右に振りながら出逢ひたる角永久に去る駅



 自転車のカッターシャツとブラウスの眩しみ出遭ふ白く笑ひて



 我にまだ爪のみはなほ美しき キュッキュと光らす息と会ふからに


 こんなにも羽がはえたる母として子たちに送る濃い葡萄色


 わづかなる音に縛られ歌を問ふ行ひをかしと寝転ぶ畳


 古きより女性の歌ふ 充たしたき不定の器ひと掬ひずつ




ーー神無月


 命日のメール送るよ 新月ね日と地の間そこらでいいの



 十一年経ちても重き塊をいまさらのごと葬送の曲



 愛しいと思う者たち遠いけど わたしの傍にいないけれども



 風立ちて秋思の日々を流さるる 我に合図を感じさせてよ



 頬につたふものはのごはぬ 砂粒のごとき吾が悲の感傷ひとつ



 彼岸過ぎ 途方に暮れて信号の下に待ちゐつ白粉花と




ーー霜月


 我がうから かくも優しき質なると花野そよがす無窮の御手に



 七年の間に生ひ立ちし汝が姿 見上げ母ぞと告げし日ありき



 ベランダの万年ホープ 肉厚の白の斑入りの無名の青年



 竹林にさえづる小鳥 なにごとの話かふとも知りたき鬱屈



 唐突に月の丸き眼 椋鳥の眠りの歌は夜空を満たす


 半月を見しより七日 椋鳥の樹と暗雲を洩るる円月


 雨雲のふと分たれて望の月 夢のごとくに七日暮らしき


 人事の間かけぬけて逢ふ満月の光は雲をはつか突き刺す


 忘れまじ雲間の満月 稀れ人に心傾け逢はむと待てば


 くるくると柿の実むきて素粒子をかりっと摂り込む 脳への流れ


 霜月は種も熟成ころころとしつかり黒し エナジーここに




ーー師走


 クリスマス常と変はらぬ朝まだき イエスは誰かわが確信得る

   

 正月の箱根マラソン走るかの勝負の年を震へ迎ふる



 戦ひの始まるは今 裸木に拠れるもののふ 友軍もなし



 「お母さん」と子が書きているツイッターのそれは吾がこと コピペしておく



 星の死のかけら無数に迸り 雷光として吾をつらぬくと


 風邪引きのさなかひらめく 引っ越しにまず捨つるもの一番決まる


 責むる子は多分正しき 此の世からはずれてしまひしわが芯の無さ


 耕して美しきものなべて植え 生れては散るを神は眺むや


 花弁の白きに紫紺の斑の美(は)しき昼顔の種子集めて別る


 名も知らぬ紫なりしが花茎のひれ伏すさまに白くほろびぬ




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「哀歌集 洋光」後段 2011=2019


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二〇一一年 千年の災い

ーー四面楚歌の冬 何を好んで震災から震災へと渡り歩く、割れ鍋に綴じ蓋ーー



 葉も花もなき如月に子を捨てし罰を乞ひをり 綻び果てて



 死にし子の空はいかにか冥かりし ガラスに止まぬ空っ風の音




ーー桜も見ずに春 諍う日々にーー


 幾月も供花の歌なく水無月の命日くるを知るや明眸



 何を得し 珠のひとり子生れたれど花咲かむとし散らせしもある



 もう自虐やめませんかと言ひくれし人とも会はず逆縁幾年



 空港へ涙構はず急ぎしに身は属さねば葬儀に行かざり



 忘れ得ぬ日に言霊はきらめくにすべりひゆ見て哀れ忘るる




ーー夏、連れてきた露草の色ーー


 鉢のまま運ばれ元気 露草の瞳の色は他に無き深さ



 あをあをとツユクサ茂る 哀しみの由縁たるべくさらなる日々も



 死ぬほどの苦しみならばよく堪へしそれまでの日を褒めてやりたし




ーー夏


 庭草は我が子等のごとそれぞれの形を成して日照りに負けぬ



 百人の自死せぬ日なくアナウンス聞く駅の端 熱風おどろ




ーー秋 墓参できなくなり思い描くのみーー


 山之辺の吾子の墓にも熱風の吹くや 涼しき精霊遊ぶ



 幻と玉の体は消へ果てて白骨となりたる しらじらと



 得も言へずゆかしき面の健気さを報はれをらむ 天のうてなに



 緑山に向かひ手を振る 三人(みたり)して昼餉を共にしたる嬉しさ



 墓山に庭石菖(ニワゼキショウ)の淡き海 影か光か頷き浮かぶ



 かの人の世には知られで遺したる言の葉いくつ惜しまるるかも



 不幸なくば傲慢軽薄限りなく情け知らざる我となりしか



 返歌してネット歌壇に遊ぶ間に汝へ供ふべき菊は咲きつつ



 虫の音のふいに美し霊祭り 彷徨ひゐるや涼風吹けば



 心萎え空も仰がずコンビニのレジの声にもややに頷く



 彼岸すぎ夏を見送る花鋏 百日草の色は末枯れず


 自死したる娘を理解する術やある 父もさまよふ電子の海に

 

 置き去りにされしは可なれ 潔き惜しみてあまりある愛娘


 人間にもの事の意味わかるはずなくば得てして不幸を招く





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二〇一二年 孫歌まざる

ーー冬

 跳ね返せそんな先輩無視しろと鬱の息子に言う じっと心に



 故知らず吾(あ)より生まれしその縁し天より来しごと 早や戻りしも



 唐突に幼きころの表情の明かりの如く甲斐無く浮かぶ



 「あれこれの君の仕草」と詠みかけて歌とならねど消せぬ言の葉



 この雲は定めか否か はらからにかかるもせめて君が手添へよ



 向けらるる秀づるゆえの当然の優しき視線 他をいたはりて



 尊厳死さふみなすべき汝が最期 意に染まぬ生肯んじえぬと



 つひにこの概念に遭ふ 部屋うちへ西日しみじみポトスを照らす


 

 負けならず さうかさうかと誇らしくわが頷きて合点するけふ



 揺り椅子に一日読書に音楽に 時におなかに語りかけてし



 あの夏はカッターシャツの君なりき 七年ぶりの白き邂逅



 子の職は実験音楽家 空(くう)揺する波に楽器は 要らぬと書きて



 つひに立つ孤高の響き 伝へ合ふ波のうねりは無音でもよし



 究めたき世にまたとなき超絶音 ギターと心 声音震へり



 弥生の忌手を合はすれどふさわしき言葉のあるや 頬濡るるのみ



 なにゆえか悲しき生の 束の間に楽しき刻の稀にはあらむ




ーー春

 外は雨ややこでありし子のそばに大人の思ひ充たせし 春夜



 いまさらに性愛の意味諾えり 愛する人に贈る歓び



 あの頃の血を吐く歌を夜の雨と推敲したり わが生き延びて



 塚本と聞けば泣きたし 喪ひし子と楽しき日過ごしたる街



  人の輪を君も求めし ドラマにも親しき仲間共に働く



 婆ちゃんの長寿と愛に意味ありと学者の説けば 孫歌詠まむ



 「オバアタン」出会ひて笑ふ二歳児の別れのときは眼呆然と



 孫歌に障りはあらめ さはあれど愛の歌には変わりはあらじ



 この赤き髪はたれ似と問はるるに心秘かに吾なりと思ふ



 露草の花びらほどの翅をして青蜆蝶ひとり去りゆく



 君のこと天使としての働きを綴ってみよう その優しきを



 理不尽に砕かれて往く日々なると たれも嘆かず母を巣立てば



 東京に生きたかりし子よ 整然と機能する街見れば惜しかる





ーー夏

 死の顔は雀も人も遠きこと もどれぬ道をまぶた落として



 墓掃除しつつ謝る 優しかりし父の怒れる最期の眼差し



 階段を駆け上がりゆく紅顔の子の後ろ影 永別の駅

 階段を駆け上がりたる永別の子の後ろ影駅の光に


 逝き果ててやつと向日葵どつと植ゆ 稀代未聞(きたいみもん)の垣根六尺



 向日葵はわれらが標(しるべ) あてどなき母もつ少年じつと見上げし



 空の青見上ぐるたびに癒さるるとふ子の言葉 わが青を着る



 遠く住む子は夏空の紺碧をひとり折々うつとり見上ぐと



 よその人をときに母より頼りたる君の心をお盆に知らさる



 盂蘭盆会みな仏ゆえ恨みなく集へる笑顔 火影まはりに



 海上を蒼風(あおかぜ)わたる 充ち満ちて無窮の声のあるかのごとし



 火車のごとなりし葉月もゆくは惜し かく語りうる時の減りゆく



 忌日にてひとりか不二か デニーズのざはつきの中桃ゼリー食む



 竹取の媼は今も宝子と不二なる日々を笑ふて詠ふ



 高きより撃つ熱風に乗り魂(たま)は身に近々と屋内吹き抜く



 悔ゆるとも濯(すす)げぬ罪の重さゆえ 浄らなる人嘆くも妬(と)もし



 ガタンゴトン電車をさう呼ぶ二歳児の世界は素敵に充ちてゐる



 幼らに試してご覧とわが言ふは 失敗織り込みはげまさむとて



 母の尾にじゃれる仔猫は叱られて ほどなく捨て子となるを知らざる



 涼風にブラインド揺れ白々と透ける月影 こはどこの国 



 どの部屋に行きても窓にこほろぎの囁く夜となる 宇宙ノイズと



 満月を見上げその位置描きみる けふ球面に溢るる日光



 二歳児もエノコログサの穂の柔さ感じたるらし ふたつ引き抜く



 オリンピック見たるゆうくん かけっこ好き腕を泳がしどこでも全速



 「ゆうくんは男の子だから」たどたどとしかつめらしく二歳児の口



 「お袋」といふでもなくて唐突にあんたと呼びくる末っ子二十歳



 


ーー秋

 泣き暮らし涙も涸るるこの日頃ドライマウスにドライアイとは



 薄雲に紅刷かれゐて秋の夕 優しき指の存在(ひと)ぞあるべし



 函館のまちの輝き独り観てかへりし青年 十三年前



 二千八年挽歌以外をおろおろと歌ひ始めぬ わが老いづきて



 珍しくなにか嬉しきことのある それが嬉しき秋の朝顔



 失ひし二千四年の歌を探す 電子の海に浮きつ沈みつ



 悲哀より零(こぼ)れたる歌 また掬(すく)ひ紐に結はへて指の冷たし



 いかばかり砕けたるかと旧友のことば ますぐに津波のごとし



 玄関に毛玉のやうなる子猫ゐて その日の嫌悪すべて許しつ



 ヤブ医者に中耳炎の子を強ひし我 愚かなりしを遠く謝る



 宵闇を金色燦然昇りゆく月速きこそわれらが自転



 瞼閉ぢなほしずしずと湧きこぼる 冬涙雨金柑に降る



 生温(なまぬる)き凩激し 人絶えて乗り合ひバスを待つ月忌日



 天空の鏡面ビルに映るバスの窓に わが顔あり見詰め合ふ






ーーーーーーー

二〇一三年 世界のTokyo

ーー冬

 朝日子に大きプリズム差し出せば へやの宇宙に虹を浮かせり



 手入れされ窓静かなるマンションと隣る墓苑の然るべき石



 レインボーブリッジに白き石の群れ 意匠凝らしてしみひとつなし



 屋上まで高層ビルに乱れなく心貧しきわれは悲しむ



 大寒の車窓に流るる松並木 無駄なき自然の清き枝ぶり



 大寒の十三夜月 しみじみと何もなき庭眺めてをるらん



 子に詫びることのみ浮かぶ大寒の 小望月照る はみだすごとく



 「わが仲間細胞たちよ今はしも死にゆく刻ぞ」引き連れ去りぬ



 日あたりに烏のむくろてらてらと 見事な織りの羽根をたたみて



 パソコンの画面に虹を捉ふるは視覚細胞 数字を見るのか




ーー春

 笑ひ過ぎ涙こぼれてなほ可笑し いとけなきかな孫にも起こる



 二歳児の眠気と食ひ気照れ笑ひ カレーライスに顔を突っ込み



 不意に濃く懐かしさ湧きて汝が気配なれば暦に由縁を探る



 十年を遥か過ぎきて干涸びし世の浮き草の葉裏のその痕



 ひたすらに澄みし声なほ耳にある 寡黙なる子がふいに歌ひて



 春の日に届きたる文 はつこひの人の婚 汝が基(もとい)喪はる



 わが庭の小(ち)さきものたち青冴えて ことに露草 黄の色誇る



 虫も飛ぶけふ聖五月 白花をかかげて十薬ナースのごとし



 これからは笑ひて生きむ柿若葉 己が光の中冴え渡る



 苦しくも充実求め生きし子の無一物にて残す白骨



 父の字の残る手帖を充たしゆく 来ざりし時をわが片歌に



 海を見る窓に たゆたふ歌いくつ読みて忘るる そこにある蒼



 電車移動しつつパソコン開け本も膝に並べて 若きの居眠る



 あさがほのたまゆらの青に包まるる家に目覚めて 漂ひ歩く




ーー夏

 宝子の最後の写真をつくづくと美しと思ふ 古りし日のまま



 歌の題「硝子の心」のみ覚ゆ自死三万の始まりしころ



 思ひ出しくるる人なき命日を父は白百合のごとく笑へる



 無念なる娘なりしと嘆かひて父は逝きしか 思ひてへこむ



 シベリアゆ運良く帰国したる父の手帳に残る椰子の実の歌



 六十七歳のなほ残れる日 息子らのそれぞれ足れる境涯を祝ぐ



 返事無く会ふを諦め去りしドア 炎暑の東京最後のチャンスを



 暑きゆえ白装束にて訪へば「ああお母さんですね」家主の言ひき



 わが願ひ君に会うことのみなるについでの如く為してしまひぬ



 過ぎし日を愚かなる吾と知るなれど「予見できぬ」と言い訳なほも



 皺々の母の笑顔に会ひてのち 動かぬ顔を思へば震ふ



 先立てる父と弟わが息子 卒寿の母と生かされ長き



 蝉のうた尊きことば聴く墓前 汗は不動の脊を零れ落つ



 ナマンダブ合はす手は汗 涼し気に甚平姿の弟笑ふ 



 砂粒のすべての程も在る銀河 昼夜を問はず空には光 



 昔母に贈りたる傘わがさしていつもの独り 葛の香に佇つ



 産後鬱長引く嫁と暮らす子はしなう真竹のごとくなりたり



 コンビニでこの瞬間にベントーを摂る子の姿 現にツイッター 



 不憫なる愛(かな)しき子らのこの今を誰に托さむ 生きよこの今



 がつつりと心ぶつけて確かなる足場得たるらむ この子に恃む



 天の青とふ名の朝顔 青年の死のごと開き切れずに残暑



 銀河とは砂粒すべてばらまけるほど空にある 見えずともある



 還暦は再スタートとうろつきて諦めの渕深くして古稀




ーー秋

  自(じ)が声か胎児の鼓動聴きにしか 迷ひ吹つ切る情只ならず



 君の腕の甘い茶色の腕時計 似たもの欲しくて買って眺める



 あやまればすむことならずわがこらをかなしませたるわれをゆるすまじ



 弱音吐くメールは一度 まさに手を差し伸べる時逸したる者



 タオルケット歯ブラシパジャマ 一夜のみ泊まりて遺す君の痕跡



 幾年を音信不通か 日々遠き時の過ぎ行き数ふるを止む



 いつまでも点滅するを遠巻きに 涙のボタンに触れぬやう居る



 完璧の体と心捨てて往く その算段のやや楽し気に



 溶け合ひてしまふみたりの息の面輪 あの子この子と面影追へば



 椰子の実の歌のすべてが書かれあり シベリア時代の亡父の手帳に



 命なほいつまでと訊く母卒寿 負けん気のみに明日へ向かふ



  「肉太に生きむ」子の眼に覚悟ある 命を削る仕事と知るも



 カレンダーを買ふは霜月 半世紀も繰り返したる希望飽かなく



 失ふと思ふだに膝頽(くずお)るる それが家族であるべき定義



 吾が去りて悲しき子らの家の夢 夕べ影絵のドアは閉ざさる



 夢にわが飛び往く家の黒かりき 一目見んとて忍び歩けり



 カリカリの鰯のメザシわがうちをよく巡るらむ 分子となりて


 黄金の鳥か扇子か飛翔さす いちやふの末裔ドレス振るひて


 ヘッドフォンをやうやう買ひしクリスマス 滝に飛び込み音に打たるる


 柔らかに太極拳は空を打つ 足裏(あうら)に受けて満つるものもて


 女には所詮うからを愛すのみ 至上の恵みしたたるばかり


 ドイツ語の面白さ是非教えたく 白墨踊らす吾のありたり


 ここかしこ暦大小掛け替えて楽しき行事 知らぬが花と





ーーーーーーー

二〇一四年 欧州に行って帰る

ーー冬


 母と居る正月 吾に娘あり 銀髪整へ美しくする


 吾が想ひなにかが世とはズレがちをおっちょこちょいと父の呼びたる


 年新た父娘(おやこ)並びて「春の海」奏せし図あり 振り袖延べて


 野の花の絵のくすみたる薩摩焼 祖父の還暦祝ひの湯呑



 四十二の誕生日まで母吾を遠く歩ます 虚数の軸に



 生(あ)れしゆゑ生きゐる吾のニヒルにて 定め越えたる君安寧ならむ



 寒の日の時止まるほどしんと晴れ 無事なるはずの子が思はるる



 護られてまた護りたし子の一生(ひとよ) 邪魔せぬほどに託したき老い



 楽しかったと思い出話 ツイッターの心わが読む次男の人生



 亡き父のノートに残る空白に ひ孫友理のまるまるが続く



 生み捨てしやうなる別れ サボテンのごとく自然は汝れを育てし



 かりそめの縁(えにし)となりぬ 遺伝子のプールに夫婦の撚り糸消ゆらん



 はばたきて遂に消えたる子をはじめ 理解及ばぬ息子らをもつ

 


 哀惜にあらぬ 感動の涙なる君の短き一生のすべて




ーー春


 天才らの脳とビッグバン明かす日に間に合はざりて 死ぬに死ねざる



 大気層をまとひ疾走する地球 ダークマターと重力の加護


 

 存在の真実探る吾が視界 おぼろにぞ見ゆ社会も情も



 軽薄に過ごしし女真実を追ふ者となる 子の去りてより



 青年の逝けば涙の苦さより歌の雫とこぼれしそもそも



 自がみちを子の往く知らず「太極拳いつか見てね」とわが始めたる



 頑張ると思ふにあらず 約束の二筋の道おのづと辿る



 エストロゲン減りて惹かるる太極拳 たゆとふ武術動く禅なり



 止めどなき老いの変容呆れつつ 抱く心の核十余年



 生存せる子が発信する「さあ寝よ」と時刻同じに日本にい寝て



 後の世に平和あれども美醜あり 君関はらぬことばかりなり



 かはいさうでたまらぬ胸に「ノオ」とのみ あのこあんまり自立しすぎて



 果敢なしや子供なりし時過ぎ行きて 天眼鏡で見る子の写真



 取り返しつかぬことのみ 緑 赤 橙色も点灯する部屋



 死に方が気になる古希が目の前に 「やっと死ねる」と待つ境地待つ



 朝夕の不満だらけが不満にて自省すれどもぬるりとどぜう


 かく妻に疎まるるわけ何故作る 吾(あ)を頼る夫(つま)天涯孤独なり


 わが不満と隷属のわけ分析す 地霊のごときマグマ危ふし



 若人に無沙汰を詫びていまさらに 悔いと面影この八の日に



 わがうからみな肌白く丈高し 形質ともに凌がれ嬉しむ



 汝れ消えて命の限り泣き喚く 声の限りに共に叫ばむ



 君にとり誰に相談したとてもどん詰まりなる それが変はらぬ



 君とてもできる限りはいそしめど そもこの道がT字路とはね



 T字路を左折か右折あへてせず 己が路より美しきはなし



 寝る前に立ち待ち月を見に出でつ 指を幼にぎゆつとにぎられ

 無事に二人産まれて後に五たりの水子の弟妹 白紙のごとく




ーー夏


 早生の子の黒厨子をしづじづと 蓮の始めて開く七月



 油断して触れてしまひし罪科の輪 修正きかぬ変わらず痛む



 巡り来る同じ問ひかけ 隔絶のひと日如何にぞ過ごせしものか



 父の死の十一日と息の誕生 文月十四日無駄に拘る



 うたかたの体と存在真実を知らぬまま生き やつぱりと死ぬ



 ただここに意識のあるを頼れども事実か知らず 浄土も無からむ



 意味不明の亡き子のくちぐせ「ふみふみ」に今も親しむ 使ひてもみる



 母方も叔父叔母六人鬼籍にて君の居る世の賑やかなるかも



 風に乗り泣き声聞こゆ 遠き日の吾が子の涙ざんざと浴びたり



 とりあえず歌に詠むべし 優しさをあの世からまた貰ひたる日は



 いつかはと夢見る夢に 吾と子等みな集ひ居て笑ひて話す



 ただいまと孫得意げに叫びゐる ドアの開くを信じて四歳



 遺影つれ浮かれ気分に旅の空 向かひ風とて機体煽らる



 約束を果たさざりせば遺影のみ抱き来たりぬ 汝が夢の地へ



 果たせざりし約束重く子の遺影傍へにおけど 空のいづこに



 ミュンヘンは来るも去るもトンネルをくぐりまた入る暗渠なりけり



 過去未来苦悩の日々を与へらるる贖罪として受容せんとす



 幾年の昔かここに吾のゐて置き惑はせし人戀ひの痕


 長病みの夫には死出の旅なるか 追ひ立てられて運命に遭はむ


 相剋の已まざる吾とこのをのこ ここに至れば別れえざらむ



 赤銅の皆既月食 けふの心 永き交信ふと終へむとす



 逆縁の挽歌を集め罪悪感ばらまく行為 吾が止むべきか



 露草とヘブンリーブルーは兄弟か 空の涯の色濃きと薄きと




ーー秋


 奔る知らざるままの生殖の一途のあとの寂しくはなし


 ゆつくりと動けど垂るる汗の塩 ひと舐め旨きわが太極拳



 渋谷の夕きらめく雨に影黒き人らいづこへ 吾に宛てあり



 どうしやう君との関係この先の難聴の日々生きむと母は



 あとはただ最後の旅と名づけむか 明日よりの刻 道しるべ無し



 贖罪も悔ひも涙も終はらねど落雷ひとつなづきを打てよ



 また温き今年の立冬 同期会写真に映るここまでの幸



 大阿蘇の煙と白川流れゆく わが愛憐の城下町なり



 この青き球のめぐりの莫大のすべて致死なる 眼を剥く寂寥



 為すべきを子らは黙して為すならむ せめて渾身わが句点を打つ




ーーーーーーーーー

二〇一五年 またイエスタデイ

ーー冬

 四十三の君の生日 まみえたる清しき額なほここにあり



 明日は雪 無音のものの憶はれて仰ぐ宵空半月霞む



 時経ても冷たき季節 あのときの涙凍てつく枕の匂ひ



 七年を経し再会に子のくれしオルゴールの曲「イエスタデイ」悲し



 涙してきつと迎へに来るからと母の約束嘘となりたり



 土曜日の家族四人のおでかけをあの頃たれかが笑まひて見きか



 遠国に男子(おのこ)わさわさ生きてゐる 人は知らねど我の生みし子



 福島の市の職員も疲弊せり 亡き子の生を夢見ておれば




ーー春


 子のツィート「ブンデスリーガに移籍してまごつく」 夢と読みて笑ひぬ



 写りゐる笑顔惜しくて 君のその大きな耳に福ありしはず




ーー夏


 ユニクロの濡れているかの涼感を転職間近の子にと買ふ



 「一抜けた」汝は苦笑して四次元の此岸を去りき不可知の真理へ


 

 たしか見た亡き子の姿 漆黒の夢の世界に色の欠片と



 想ふだにいとほし哀し 仮初めにわれと出逢ひし子らの定めの



 慈悲により許し給ふ神あるとても我が罪を我が許すはならじ




ーー秋


 愛ぐし子ら わが唯一の誇らしき価値ある出逢ひ導かれしごと



 いくたりに許し請ふのか 暗然と仰ぐ山翳許さるる無し



 とびら開き笑顔覗けよ 天国に住む人恋ふて縋るまぼろし



 犬の声かすかに遠し 我が暗き日は過去となり秋陽ふりくる



 何か悲し 夢を見たるや最高のたまわりものと思ふ吾子らの



 山手線その風圧にうなだるる この熱気なり君を失ふ



 空の青留むるあさがほ十五個と数へるそばのつぼみ真白し



 セピア色の家族写真をパソコンへ ここにある人みな過ぎ去りぬ




ーーーーーー

二〇一六年 まなうらに

ーー冬


 古写真拡大すれば五歳なるわれに見出す汝がをさながほ



 瞑想の世界に君を呼び出(いだ)し時に救はれ時に助くる



 それぞれの色に輝くうからたち 我が眼裏に諸手に抱く



 時に齟齬あるも変わらぬ母われの赦す心を自ら恃む



 前髪にてタンコブ隠すこの日々に記憶明るむ 初の鬼ごっこ




ーー春


 「ウイズドム国際学院」の看板に夢か願ひか ついえたること



 子の墓に詣でず五年 モノレールに伊丹に向かふ会へるかのごと



 日帰りの旅の逢瀬に 生きてゐる二の子のどこか似たる雰囲気



 矢のごとく学び学びて去にし子の最後の日記の七言絶句



 唐突に被災地となりて子の暮らす町グローバル KUMAMOTO地震と



 膝ふたつ自己憐憫もともに抱きそぞろに悲し どの子も遠し



 脳内に鈴ふる声に孫の言ふ「じいじはぼさつさまなんだよねえ」



 倉庫群に名だたるロゴの連なれる江戸川の辺(へ)におとと住まひき



 花の声と問答しつつ描きたる「かあいい子ね あなたはだあれ」と母の画帳に



 ディズニーの『バンビ』に息のみけらけらと笑ふ幼よ 尊し夢の間



 見ぬふりに何も言はざり 初めての負けに隠れて泣く子の背なを



 子とともに信じてゐたりトトロの夜 幾度待ちしか明(あか)き猫バス



 数珠珊瑚(ジュズサンゴ)の真紅の実のこと どうのこの息子夫婦とスマホに語る



 六歳の弟 初代ゴジラ見て顔真つ青に帰り来しこと



 子と孫に触れ合ふ一刻はや過ぎて ふはりと肩に羽毛の残る



 末つ子が実り多き日と言ひくれし墓所の会話を風よ 聴きしか



 いつの間にか君の心をなぞりゐて 一九九九年飛翔の日が来る





ーー秋


 夢遠き三畳の部屋に立ち尽くす 絶体絶命一本の綱のみ



 名を呼ばふ 幾度も呼びてひしと抱く「やっと会えたね」謎も解けたり



 クリクリの男の子なりけり 大人めき静けく理解も愛も深かり



 無情さよ血を吐くごとく溢れたるわが古歌か 引き込まれ読む



 歌詠みて暗き谷すぎ けふあれど作歌のそもそも見失ひてをり



 読み返すも計らひならむわが挽歌 神への問ひの深まりてぞゆく



 生と死の起こりし数字の繋がれる子と父招く 指のすき間に



 芥子粒のごとき意識に描きみる神霊聖霊世界 我がもぐり込む



 わが非にて悲しませたるを涙にて謝るしばし 「大丈夫」と聞ゆ





ーーーーーー

二〇一七年 許さるるなし

ーー冬


 小寒を過ぎて生日四十五回 君に断たれし地上の時間



 我が内に共に生きたる日もありぬ 今は遠くも近きとも言はむ



 蒼白の君が面立ち この世ならぬ決意にうからの先導果たす



 早生の子が光へと駆け上がる 新大阪駅の階段ありし日



 ランダムに過去の写真を見せくるるデスクトップに笑ひて泣きて



ーー春


 「なんとなく憶う」


崩落せし阿蘇大橋の彼方なり 麦ご飯なりしかのユースホステル

 (麦ご飯生活で絶好調だった 遠いあの頃 もう行けない


弟のボール状の手をもろに見し兄が泣き出す火傷の翌日

 (時々辛く思い出す 母親としての落ち度


二人子に火傷をさせて泣かせたること思ひ出づ 痕残らねど

 (幸いにも傷痕にはならなかった 未熟な孤独な母親業


ミレニアムの頃の記憶はぐびぐびと三十一文字の器より飲む

 (二千年になってしまうのが本当に悲しかった頃


悲しみは千羽鶴のごと折りたたむ 千もの哀歌万もの繰り言

 (周期的に理由もなく 襲ってくる悲痛




ーー夏


 ただ泣きて 君が尊き意図なれど泣きて過ごしき ただにあはれと


 君の顔ちちははの写真三つ並ぶ茶の間に日永 ぐうたら過ごす



 神界なる茶の間の上部 笑顔にて見下ろされゐる日常安堵す



 自らの太極拳を動画とす 友も師もなき古稀の稽古に



 知られえぬ君が尊き意図なれど撃ち毀たれぬ あの日来りて



 黄泉にゐて忌み嫌はれてゐはせぬか 自死選びたる選ばされたる



 からうじて読み過ごされなむ短歌なら 口をひらけば蜘蛛の子散らす




ーー秋


 苦もあれど滑り台のごと長月のすぎて命日十八回目



 測り得ぬ尊き思惑ありにしか 自が生絶ちし君に訊きたし



 終はるなき君の不在に追ふ夢か 神性あるべし命日夏日



「許さるるなし」


Lティアニンなるもの飲みて眠りやや増えて 悲しき夢にし出遭ふ 



人寄りてわが生日の祝はれしこと絶へてなし かくぞ逝くべし



汝が逝きし日の巡りきて立冬の空 ひたぶるの蒼



許さるるなきわが業と思ひ知る それがけふなる意味は如何にと



惨めなる死にざまならむそのはずとこの身に敢えて悲痛をねがふ



あらざらむわが僥倖か 品位ある男の子らみたり勇壮にして



役立たずの我が生なれど大当たり 誇らし愛し男の子みたりの



あとはただ冬を待つ身となりて古稀 皺の中にもまなこは光る




ーーーーーー

二〇一八年 一本足の公衆電話機

ーー冬


 このほかに手柄などなし 此の岸に残せる息子善人なること



 CMの荒野に立てる一本足電話のコード 外されしまま



 一本足の緑の公衆電話機よ 心の荒野に褪せず佇む



 行方(ゆくかた)も知られぬ日々に秘かにも母子(ははこ)つなげり 永遠なれかしと




ーー春


 永遠(とわ)に若き吾子に切なる頼みごと そつくりの人そばに与へて



 どなたやら足長おじさん誰にでも変はらぬ慈愛くれて影のみ



 亡父母の待つドイツに帰りつきし夫(つま) 吾に離れずちちははむすこ



 

ーー夏


 再会はななとせぶりの我らなる写真に出会ふ 時空は流れ



 高校の同じ部活を選びたる吾子の心根しみじみと沁む



 画素数の少なき写真拡大す あるいは吾子かぼやけてばかり



 ハイティーンの父母の姿と気づきしか 母の恋唄読みたるらむか



 処暑過ぎの三〇年前の生日にプレゼントくれつ 母と思ひて





ーー秋


 汝が父と汝がはらからとしめやかに 父祖らと汝れを祀れると知る



 ジタバタの涯に命運ホームレスと ふさはしきかも地上に家なし



 お互ひに菩薩の修行 頭を垂れて拝み合ふほか往く宛てもなし



 事ここに至れるまでを手を引かれ 智慧と人との網の目模様



 目的を果たせし刹那 ぽつかりと皮肉の穴を開けたるは我



 目的についに来し時大墓穴 怨念悪意の力に負けたり



 「赤心」の語をいつ知りぬ 泣きつつに吾子を詠へばわれにあらはれ



 心身のすべて嬉しと愛しめば 隠れておはす息吹温しも



 麻酔なしに切開されつつ実相を思ふ 昔も陣痛さなかに



 真言を唱ふる日々にたどり着く われに已まざる苦のお陰なり



 甲斐あるや 未だも生きて子を想ふ 心乱れて苦しみたらむ



 生き通しなる命ゆゑ 今生に絶えて愛しき子も同胞なり




ーーーーーーー

二〇一九年 二十年見ず

ーー冬


 亡児(こ)の歳を数ゆる生日 二十年ぶり会ひたしとじつと目合はす



 懐かしき人らは早も生まれ変はり友とし我をこの世に支ふ


 

 たれ一人夢にも来ねば散歩せん 生まれ変はりに遭ふやもしれず


 

 九年前癌の知らせに涙せし 弟疾く逝き はやも八年



 君の夢支へむと我が密かなる送金のこと ここに記しをく




ーー夏


 もう後はクズのみと記し座を立ちぬ どこか感じて居たる我やも



 二十年経つも変はらぬ愛惜の逝きたる子はも いづこに在るらむ



 二十年を見えざる国に居る君か 竹林の図のときにうごめく



終わり









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