第6章 2022令和四年 喪の仕事 その1 一人きりの家

この2週目の流れをどう意味付ける

2022-09-13


一昨日 9月11日日曜日に バイエルン州シャイエルン修道院(カトリック・ベネディクト派)から コロナ陽性者を少数出しながらも、ソプラノのブッセ夫人率いる混声合唱団カプリツィオの一行50人ほどは、無事にバートクロイツナハ市に帰り着いた。


帰途のバスの周囲360度は、青空に 雨雲と 夕焼け雲と 煌々たる日輪の競演、雲の山に(自然の山はないので)くっきりした光の束が

どっとばかり差し込むさまは、世界中に公平に配られる光景ではあるけれど、

その全方位 遮られることなく空の下にいる感じは、

おまけに100キロ以上のスピードで疾走するのに、行けども行けども

色の散乱に取り巻かれている不思議さもあり、まさにえも言えないほどである。


ちょっと落ち穂拾いしましょうかね。。。

1。

0904 日曜日

そうだな、我々はもう愛憎を超えていた、全てを含めてよく笑った。

笑に昇華していた。愛の絆あればこその赦しだった

(怒っていた事柄やそんな自分を思い出せない)

幻像人間にパーフェクトなし、いつも凸凹してバランス取るのが精一杯。

それでも諦めないよね。


ふと気づく、頭に浮かぶJBの顔にはいつも微笑がある。覚えているあの顔だ、

ちょっと恥ずかしげな心配げな、思いやりが浮かんだような。

そんなことは稀だっただろうけど。流石だね、

その顔だけが記憶に残っているなんて。

これに関して、記憶にあること、

最近だったが、高い位置のランプを取り替えようとあたしが椅子に立った、

倒れそうなほど怖くなるのでJBに下半身を支えてくれと頼んだ。

終わって降りようとするが脚を曲げることができない、つまり降りられない。

仕方なく支えを少し強くしてもらって思い切って、言わば落ちたのであった。

それも優しさとして、助けてもらったこととして残っている、へ〜〜〜

あたし、ちょっと変じゃない?


2。

愕然とする、JBの3つの悪徳はもう消えた??? あたしの中にかけらもないよ、

その記憶が、思い出せない。

幻だから存在しない、わけ??? トゲが。。。。


数日後の見解:死なれると不思議なほどにこれまでの嫌なところが消えた、

忘れた、思い出せない! しかしこの事は自分がそうしたと言うよりも

自然の摂理であるとわかる、そうだとわかる。


3。

0905月曜日 

喪の仕事は何も始めていなかった、どうしたら??とのみ思っていた。

準備の準備、みたいなことはした。

友人たちにぼつぼつ連絡すると、「まるで手順が決まっていたみたいに、逝ってしまった、死の苦しみを味合わずに、何よりだった」と書いて、嗚咽に巻き込まれそうになって困った。しかし、ちょうど死後七日目の月曜日、


空を見上げているとふと感じた。JBが手を離した、笑い顔が浮かんだ、軽い気持ちでスッと遠ざかった、じゃあ行くからね、みたいに。

もう愛憎交々の夫婦ではなかった、明らかに変化した、

同胞として、友人として、振り返って明るかった。

それはあたしにも軽い嬉しい感じだった。寂しいとか悲しいとかは全くない。

よかったねーよくがんばったねー とあたしは呼び掛けたのだった。

彼の嬉しさが嬉しくて、ちょっと踊り出しそうだった。

その代わりにワハハとこう笑した。

これは大きなプレゼントだったですよ、神さん。


4。

声聞試み

「御身隠り身は ありとあらゆる可能性と叡智、パワーと愛と

無限の聖霊エネルギーの動きでありましょう、

それが凝縮した時、その無限性の様式数式情報が凝縮した時、

そこに物質の形を取るのでしょう、その有り様は 

ちょうど蛙の卵塊のようであり、小さな卵に光が当たると反射して 

壮大な無限の幻像世界が生じるのでしょう、

限りないオリジナルの情報に 限りなく近づく事は 

可能性として設定されているのでしょう。


なのでいろんな次元パラレルワールドの物理学的推測については不明でも

とりあえずこの幻像世界の誕生と仕組みうんぬん、

我々の意識・感情・霊の意図・冒険心etc.の・天界と幻像界カルマうんぬん 

の話の信憑性は不明でも

いずれにしろ幻像界も御身隠れ身のシステムに則った現象であり 愛の喜びという最も根源的な現象であるのでしょう。


さらに自由意志について、科学的には自由意志は無いように操られているらしい、

かもしれないとしてもその意味するところは、

自由意志とその衝動は所与のものとしても

誰が・いつ・どんなふうに・あるいはやらない・と言う選択可能性が開かれているのでしょう。


5。

0906火曜日

早朝出発なので、JBのダミ声が声高にあたしの名前を呼んだ、明らかに!

すぐにヤーと返事した。リアル、日常! 何だこりゃ。。。


6。

さて、幻像的現実。

全員、お年寄りである。団員とその家族、友人も加わって7万円で6泊、片道6時間超の旅である。もっとも、あたしは何故か半額でいいと言われて、ホイホイと封筒に入れて渡したら、

「キリコ、あのね〜4万5千円入ってたわよ」

両方とも名字が長くて、よそ行き体で話すと面倒、主にあたしが、なので親称で話すようになったのである。

とりあえず恥をかくあたし。「エイ、じゃあ寄付にするわ」

そうは行きません、と結局すごすごと返却してもらう。これがどんなに助かることになるか、まさに神のみぞ知る。


7。

さあ、7時15分、出発である。

同じ敷地に住んでいるので、便利なことこの上もない、車で集合場所まで運ばれる、

車からあたしが小型のスーツケース1個で降り立つと、旧ブッセ夫人こと ビルギットが

「あらあ、日本風ミニマリズムね」とみんなに向かって叫んだ。みんな振り向くので、こんな時はお辞儀して和風対応で済ましておく。数人は顔見知りがいて、一同、仲良くする気満々である。音楽好きに決まっているという受け入れ条件。


8。

途中の街を観光しながら、という趣旨である。ブリギットのパートナーが歴史文化の専門知識を披露し、立板に水、という観光案内もちゃんと手配してある。

ローマ時代とキリスト教、中世、戦争、産業革命、言うことは尽きない。


到着した・巨大な、時代ごとに建て増しされていった修道院(12世紀)には、

ホテルともなる部屋が100くらいあるのだろう。

ビール、チーズなど生産し、天使が食事の支度しているのかと思うくらい、姿を見せない調理人たちがいる。ウクライナ人も多いようだ。


バイエルンの、あるいはミュンヘンの当時の美味しいパンが出た。

それを食べながら泣き出した自分にびっくり、

その心は:これをどんなにかJBも食べたかったことだろう。

誰も気づかないのはわかっていたので、しばし静かに涙を流した。

あたし結構泣き虫なんだ。

夕食にはアルコールと生演奏がついて、しまいには半分以上が踊り出し、

大騒動となった。これは面白かった。


9。

0907水曜日 どうしてもミュンヘンに行かなくちゃ

しかし、交通機関が不明のままであった。

この日は午後、ビールのホップ生産場見学だったが、

あたしは昼食後すぐにタクシーを呼んだ。

最寄駅が鉄道か郊外電車かすらわからない。仕方ない。

そしたら1万4千円もした。ビルギットの戻してくれたお札が役に立ったわけだ。


ママ友とは会えたが、銀行では案の定ややこしそうだった。

息子の署名が必要だと。

悄げて交通機関で帰ろうとすると、切符を買うのに苦労し、

乗り場を探して走り回りひどい目に合った。

ママ友はいつものように「困ったときの聖子さん」だった。


11。

帰りつき、広い建物の廊下のややこしいのを突破して、

合唱練習の場にたどり着いた、歌声だけが頼りだった。

その部屋も内部は教会だった、こっそり端の椅子に座ってキョロキョロしていると、目の前に楽譜が置いてあった。

すると向こうでビルギットが腕を振っている。

仲間に入れということかと思って、こちらは両腕を振ったのだが、

ふとわかった。そこに座るなという指示だったのだ、

割とすぐに理解できてよかった。

移動して見ているとその端の椅子には4人の吹奏楽器担当者が来て座った。


気を取り直して、練習を見学、修道院付きの合唱隊との合同で、

彼らの指揮者はモジャモジャの髪をしてお人形のように可愛い男性であった。

ビルギットも手足の美しいめだつ人だが、

音楽家の精進と技能才能には感嘆せざるを得ない。

ラテン語の歌、言葉を操るのも大変らしかった。

何しろ老人ばかりなのだ。ではなく、相手方には若い女性も半数いた。

みんなで集中して技を向上させようとがんばっているのを見ているうちに、

涙が零れた。

キリストの愛の慰めに触れることなく、病に倒れ全てを失ったJBが、

いかにも可哀想に思えた。


12。

0908木曜日 フライジングの町

ここで、このバイエルンの旅のもう一つの意味が明らかとなった。

改築中のある教会に入って、説明を受けた。

すると驚いたことにそこでは聖ゲオルクを祀ってあるという。

この騎士は竜を退治したという話になっていて、JBの名前はそれに由来している。

こここそJBの霊的な出自であるのだろう、少なくとも彼自身もよく話していた。

残念ながら、難聴の上、補聴器を無くした身としては

そこの解説者の説明全部は理解できなかったが、

多いに興味をそそられたのであった。合点がいった。


13。

むしろ失敗談、しかし救われた

夕食はフライジングのレストランが予約されていた。

初日のバス内で紙が回って来て、料理を選ぶようにというのだが、

どんな規模のお皿が想像つかないので(こんなとき世間知らずが困る)適当に4箇所印をつけた。

グループには引退した医者が二人参加していて、

そのときたまたま彼らと同じテーブルになった。

ほとんどが普通の未亡人という構成なのでそのテーブルはハイソサイアティであった。あたしもがんばってちょっと気取って日本について質問を受け付けていたら、

ビルギットが後ろから小声で

「キリコ、4つも注文してたでしょ、とてもじゃないけど食べ切れないから2つに減らしたわよ、グーラシュとサラダね」


あたし、呆然としている。隣の医者の妻が笑っている。

助かった〜 よくぞ気にかけてくれた。

後でビルギットには、恥をかくところだった、ありがとう、と声をかけた。


14。

0909金曜日朝4時半 

十三夜?の月がいてくれた、僧院の僧坊のひとつきりの窓から外を覗く、

この部屋の天上は斜めである。今の住まいではほとんど月は見えない、外にでたら見える。


次々にきて・月を隠しては去る黒雲が・速いので・まるで月が疾走しているように・錯覚して面白い。

しかし次には大きな黒雲が待っていたので諦めるも、よかった、感激した。


2018年にドイツに移住準備に来たとき、ホテルでJBがレンタカーに傷をつけた街での、明日の演奏会のため合同の合唱練習があり、歌わないあたしらはウロウロした、プファッフェンホーフェンという変な名前の街。


15。

0910土曜日 土砂降り あるいは晴れ

テーマ 神との協働

神と人類との関係は、主ー被創造物、与えるー与えられるなどだけの上下関係では全くない。

幻像人間は不確定性のために確かにひどく不安定で離れているが、

それでもその進化し、覚醒し真理を知ろうという絶えざる意図により 

神との協働と言う本質を体現しているのである。

プファッフェンホーフェンの教会で合唱と心が あたかも天上に広がりゆくような雰囲気を醸し出した時、このような思いになった。新しい。

音楽で、歌詞、その作者、作曲家自身がどう考えていたとしても

その行動の意味は明らかとなった。いつも不思議に思っていたが。


絵画、スポーツ、工業技術に至るまで、全ての人類の向上欲は、神との協働への意志の現れ、人類の苦しみを示唆し減じることへの・神への・差し伸べる手であり、こちらへ、ここへとあたしも神の力を呼び寄せます。


0911日曜日 帰宅の日 雨 十字架のお祭りのミサ

始めてのミサ体験なのだ。まさに善男善女という感じで人々がびっしり参列。

合唱団は2階のパイプオルガンのあるところから、まさに天使のように歌った。

あたしがつい、人の波に並んでいたら

次第にお坊さんが立っているところに向かって行く、人々を観察、口が動いている、まさかホスティエ、JBが経験ありという、

キリストの体を意味するせんべいみたいなもの。

口を開けていると入れてくれるとか。

大変、みんなはでも口を差出してはいないよ、どうするの? 

両手を組んでそこで受け取っている、そしてすぐに口に入れる。

後で聞いたところではその際にアーメンというらしい。


このしきたりの変化したのは主に、衛生上の理由だとか、

ビルギットのパートナーが説明していた。


「何か困ったりしたら、すぐにうちにいらっしゃいね」と

彼女は別れ際に何度も言った。「蝋燭を灯すといいわよ」


そっかー あたしって世間からずれてるからなー 異国だからなおさらよねー

昨夜、土砂降りのビール祭りで鳥の丸焼きの残りを 少しパンに入れて、持って帰って来てるからそれでも食べるか。

「ただいま、JB」部屋に入ったがもちろん居なかった。





葬儀を二つ 遺族をケアする

2022-09-22


まだ昨日のこと、2022年9月21日水曜日午後4時すぎ:


ドレスデンからの帰途、ちょっとした自由の行使として

あたしはライプチッヒの空の下に佇んでいた、

今さっき出てきたMdbK(絵画美術館)というガラス張りの建物の前。

名称に似て中身も、洒落てるようで洒落てなかったかな。

タクシー呼んだけど、

手を振り回したけど通り過ぎた一つがそうだったのか、まだ来てないのか、

ひたすら左右をキョロキョロするのみの、白髪断髪東洋人。


すると次の瞬間目の前にタクシーが止まった

黒髪の女性運転手だ、もうドアを開けて笑っている。

名前を言いかけると「え? 電話で呼んでたの?」

「そうだけど、無視されて」「・・・まいいや、乗って」


これは珍しい流れである。

通りかかったタクシーを呼び止められない不便さには辟易させれらている。

「駅までね」「ええ、すぐそこなのはわかってるけど」

「日本人でしょ」「え? どうしてわかったの」「顔が違うから」

って、ライプチッヒにはそんなに日本人が多いのらしい。


「それでお宅はどこの国の出身?」

「え、私はドイツ人ですよ」「ま、ごめんなさい、髪が黒いので」

「ママに似てね、パパはブロンドよ」「そうなんだ」

数分のうちに、あたしはこの旅行の目的を話してしまい、彼女には孫がいるが娘夫婦がよく揉めて、と心配事を打ち明けた。そうする間に、車は駅前広場を大きくUターンして、料金を7、5ユーロにしていた。


あたしの手にはすでに10ユーロ札があったが、「8ユーロでいい?」とケチった。

「ガソリン代入れると8、5ユーロかかるの」「じゃ9ユーロで?」

「それじゃこちらのチップがないじゃない!」

あたしはその率直さに?呆れて「じゃハイ、10ユーロあげる」となり、

巻き上げられてしまった。

次に妙な気持ちが沸き起こり、

「あら、あなたは美人ねー」と彼女を笑顔満面にさせた。事実美人だったが、

毒くわば皿まで、みたいに。その後一人で駅構内を歩きながらクスクス笑った。


その後は、まだ9月だというのに一様に気温15度の駅から駅へ、乗り換えて帰宅したのは23時前だった。おかげで昨夜からこむら返りがひどい。


〜〜追加〜〜

*例の美術館には真っ裸のキリストもいた。「やっぱり描かれている!」という感じでまずは驚いたが、やはり聖なる体という感じに描かれていた。

*列車では、環境アクティヴィストの若い一団が乗っていて、流石に現実的な真面目な話の内容が聞こえるので、そうだ、とあたしも思い出した。人間が食用にする動物たちのひどい状況の改善、というのがあたしの強い願いだった。近い2人の人間が亡くなったことですっかり忘れてしまっていた、そのことに気づかされた。


こんなライプチッヒ体験のその前の1週間は:

9/14 JBの遺灰埋葬、樹木葬である。ミュンヘンからママ友が来てくれた。普通だった頃のJBを知っている。大家さんと、はとこのヴィータ、みんなで4人にもなった。

9/20 学友のお葬式、あたしは風邪状態を押してドレスデンへ。50人以上の参列者。彼女の遺灰は姪なる人のリュックに入って、日本まで運ばれる。


〜〜補償〜〜

*余りにもはっきりと、あたしのJBに関する記憶からネガティヴな部分が消えた、

思い出そうとしても実感がない、JBはまるで洗われたような存在になってしまった、つまりあたしの心から澱が消滅した、まるで初めからそんなものはなかったかのように。これを称して

「心理の問題じゃなく真理の働きだと信じています」

こうすることにしよう。


*イエスキリストという人物像の設定について、人間心理との関わりを時々考えようとする。大袈裟に言えば、自分に湧いてきた思いに依るのみで、他の人の考えを排除しようという意図があるので(一致することはあるとしても)、

何の取り柄もない考えだが:


9/7ベネディクト派僧院

十字架上のイエスの姿が、あの苦しみ疲れた、という形ではなく、完全に両腕をゆたかに広げ、真っ直ぐに十字形になって、

さあ、来よ、ここへ、ここに慰めがあるよ、とでも言うかのような姿であった。


9/12賛美歌を作り、歌うという行為から

その時々の人の心は別として、より向上しようとする人の活動(どんな分野であれ)は真理に向かっている、こんな人間の役割と立場を 知らず確信している

その行為は知らずに人間を超越している

人間独り一人こんな行動を必死でする時、彼らはキリストである、自分のできることを捧げ尽くして生きる そんな行動と思考によってすでに真理の仕組み、定義、働き、関連が確立される。

どんな言葉であれ感情であれ祈りであれ嘆きであれ すべて神との協働作業である。


9/13号泣してしまった

みーさんのコメントを読んでいて、いったい自分が何だったのか、自分の姿を改めて初めて知った。そして止めどなく泣いた それは悲しいとか寂しいとか愛しているとかじゃなくて 我々が心の繋がった同胞であり、魂の友であると言うことへの感動で この涙に悲しみは無いが止まらない こんなこの世の仕組みがただありがたい 心を揺さぶられる 寂しいとは全く逆でつながりがしっかりとある 永遠の友としてのつながりが。

小さい神様、これが我々 幻像世界に生きる魂である キリストの生涯にも似て、生きる苦悩をさまざまに自分に科した者たち 喜びすらも禁じた者たち。


しかし、何故にこのような幻像的現実が真理システムの一部なのか?


******

0904 緑葉の並ぶ階(きざはし)つい笑みて視る上り下り ここが好きなり

0911 完円の月が叢雲かき分けて独りの疾走 疾風受けて

十五夜と同じむら雲 見あぐれば陽すらも謎の同径銀貨

あまつちを昇り下りする水へんげ ドイツの草原四方なる空に

むだに電話して来たる夫往にて使うも稀れに 雲湧きて消ゆ

0915 安寧の地に辿りつき 魂の在るに驚く汝れであるはず

喉腫れて何の炎症 埋葬後次のチャンスを真理の給ふ

0918 サファイアの須臾に光れる夏の露 時の指先飾りて揺るる

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盛り沢山でした、お腹いっぱいです

2022-09-27


毎日、二食目はおおよそ6時ごろを目指している。

お米を炊くのが普通の小鍋なので、噴きこぼれてしまう。

あたりが汚れるので、時々しかご飯にしないのだけれど、

今日は素直にヤロと思えて、結果はうまくできた。

ミルクライスという命名の米で、ドイツの子供はこれを甘いお粥にして食べさせられるらしい、旦那のJBはこれが大嫌いだったとか。


それに出汁の素と白味噌をといて入れただけの味噌汁、これが天にも登るほどおいしい。サバの干物ならぬ燻製、玉キャベツと卵の炒め合わせ、梅干し、最後はノンアルビール。

満腹、ついウトウトしてしまい、椅子から転げ落ちるところだった。


昨日、9月26日月曜日、JBのいない4週間が過ぎた。

遺産裁判所という組織があり、遺言があれば確認して遺産証明書をくれるので、

これを故人名義の銀行に提出する。まずはその遺産証明書を出してくださいという願書を出すというので、11時半に予約が取れていた。


1)しかしその前日に、なんとなく書類を眺めていたら、あのミュンヘンで銀行マンが喋った時にメモした用紙が目に入った。今頃目に入るなんて!!!!!!


彼は言った、一に財務局で相続税への問題なし証明、という意味不明のものが必要である、第二に今やろうとしている遺産証明書、第三に死亡証明書4通もらう、これはすでにスミ。


1番目は財務局に行くのだって!!!

慌ててググらせたら、Diakonie病院の近くにあった。ドイツでは看板が少ないのでちっとも目立たない。月曜日は予約なしでサービス係が応対するらしい。これはすぐ行かなきゃ。

という、ギリギリのお知らせを神さんよりもらい、同じ月曜日に急遽早朝の予定を入れたのであった。


大変、朝食はバナナとコーヒー半分、ひょっとしてバスに巡り会えるかもと、8時50分にバス停に立つ。


2)全くあてにしていない、すでにタクシーを呼ぶ計画も同時進行だ。ちなみに今回は列車は役に立たない、駅と駅の中間地点が目的地だから。


が、やってきた。郊外バス222だ。全くの偶然。

モルトケ通りで降りる。こんなところで降りるのは初めて。


3)うまくサービス係に会えた。幸い若い男性だ。男女どちらでも若い方が与し易い感じがする。

しかし、JBの仕事や年金が日本のせいか、ここではできません、クーゼル財務局のこれこれへ電話して、と体よく追い出されてしまった。すぐ調べると列車で2時間半かかる!


静かなところで電話してみようと思いつつ、またバス停へ戻った。バスが来るなんて考えたのだろうか!?


4)果たして、201番バスが来た、おまけにインゲまで乗っていた。彼女とは例によって意味不明の会話を交わして、本駅で降りたが、もちろん次の目的地である遺産裁判所へのバスはこない。


時間があったので、そうだ、近くの鍵屋に行こうといきなり動き出す。お墓に添えるJBの名札を彫り込んでもらうのだ。


5)十字架教会の向かいあたりに移動、見かけない店が稼働している??!!

どう見ても古着屋である。

何国人か不明なおじさんが、あたしを注目している、注目しているあたしを。

尋ねる機運が合ったので、

「知り合いが処分したがっている、ちょっと困った衣類があるんですけど、」

「なんでもいいよ、持ってきて、ただ全部寄付ってことで」

「どうでもいいです、それで。靴もいい?」

「持ってきて持ってきて」

天の声のようだった。


6)あたしは信じられなくて頭をふりふり、広場を渡り、鍵屋へ向かった。そこで文面を相談し、「あなたの妻ソウルメイト」と付け加えることにした。これも前日だか思いついて納得したのだ。


バスはもう諦めて、駅前のタクシー乗り場に向かう。何か食べたりトイレも必要だったが、それが簡単にできるドイツなら苦労しない。

タクシーはおらず、おまけにタクシーセンターが電話を切っている。一杯なのだろう。


7)呆然としていると見覚えのあるタクシーが突然現れた。それは誰あろう、JBお抱えのあのイラン人であった。2018年に初めてこの駅に着いた時、彼がいたのだ。

彼ら夫婦は、いつも人助けする気満々でいる。単なるタクシーではない。


無事に遺産裁判所に着いた。と言っても法律センターとなっていて種々の法律機能が集まっているのだ。

まだ時間には早かったので、例の新しい懸案の電話をかけてみることにした。

外の寒いベンチで。中にはトイレがあることを願いつつ。


8)クーゼル財務局では、珍しくすぐに電話に人が出た。用事を言うと、画面を見ながら故人の誕生日は、名前はと探し始めたようす。

しかし、最近亡くなったのでまだこちらに情報が来てません、ですと!! 

それでここに情報を書き送っておいて、と長々しいメルアドを言われて、苦労した。


さて、法律センターの中はなかなか立派で、職員の食堂まであった。

でも遺産裁判所は、あるドアに紙切れでそう書いてある場所だった。


また若い職員が相手、あたしと一緒に遺言書を解読して内容を書き下ろし、

それを読んだ相続人が署名する、そんな書類を作成するのだ。

これが遺産証明書の願書であるらしい。あたしも息子も、名前が二つあるのでそこを正しく書き分けておかないと、誰が誰か、何故に同一人物か、と難癖を付けられることもある。


さて、ともかくあれこれ済んだが、帰りの足がない、以前アメリカ軍がいたと言うドイツには珍しい雰囲気の地域である。

確か市営墓地はこの近くのはずだが、とぼつぼつ歩き始めた。埋葬の後一度尋ねたきりである。


9)延々と歩いて行き墓地の長い塀にあたったのはいいが、

通用門から入ったので樹木葬の場所が見当つかない。

たどり着いてみたら、白いばらが1ダースも盛り土に置いてあった。綺麗だった。

カスタニアの美味しそうな実がポトンポトンと落ちてくるので、それを集めて供えた。

リスが走り回って楽しそうにしていた。

誰だろう、はとこのヴィータかな。


10)さらに徒歩で駅まで戻り、構内を突っ切って、列車で帰るかと考えていたら、なんと目の前をバートミュンスター 行きのバス201が走って行くではないか。

働いてる! 

バスは橋を渡って駅のバスストップへ走って行く、あたしも急ぎ足で追いかける。

運が良ければ間に合う。

そして間に合った。中は小学生でいっぱいだった。彼らの澄んだ瞳をみることができて幸せに思った。


11)これは今日のこと。ネットでまたググり、合気道道場を見つけた。思い切って電話した、以前メールは書いたが無視されている。

割といい感じで、JBの合気道用具をもらってくれると言う話になった。

その他に、JBの貸しベッドを引き取りに来ると言う電話もあった。



こんな細々とした、日常の奇跡、神さんの思いやりに呆れている間に、

もっと骨太の思いが湧いてきた。


JBの人生の後始末にアタフタし、あるいは絶望するかもしれない、しかし

あたしの意思は、全てを楽しい行いに、神さんに見せる供えもののように執り行うことである。

それに、昨夜の瞑想でくっきりと分かったこと、この言い方

「隠身と幻像人間の関係は協働の行為である。協働して真理に近づき平穏を目指す。ここに全ては集約される。」


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0922 けふもまた経文一篇物したる 隅々までも愛しや命

0924 悠久の時流るるか 恒常の次元転化かあなおもしろや

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ヤバイかも ひと月経って

2022-10-01


ただ今は、10月1日、夕食に 昨日に引き続き即席ラーメン、ねぎ卵ハムチーズ入り、をいただいてまたお腹いっぱいです。

でも、

気分は、ちょっとお助け〜という程度、まず寒いったらない。

もちろん頑固な年寄りとして暖房を入れないからだけど、それにしても本来寒さが早すぎる。

湯たんぽという手段を使い、昼も夜も過ごしやすくできたのは自慢だけれども。


9月28日までは、

この市の合気道場にJBの残したものを寄付する手筈が進みそうだった。

ところがその後、あたしの10年もののスマホの具合がおかしい、

電池表示がおかしい、音が消えている。お互いに電話を掛け合っても、

ちっともつながらないのだ。

余りのことに、これはヤバイということかも、とさすがのあたしも諦め始めた。


さらにまだ、あたしの大エラーは続いたのであった。


この29日、JB死去後一月の日、は、

夏からずっと待ち構えていた内耳のMRI検査予約日であった。

右耳にインプラントする覚悟はとっくにできていた。


満を持して、早めに家を出ると本駅で運よくすぐに接続バスが来た。

時間ができたのでいつもの中古店に入って、暖かいセーターの掘り出し物を探した。大抵のものは受け入れるつもりだったのに、それでも買えるほどの物がなかったのには気落ちしたが、

それでも時間ぴったりなので機嫌よく、放射線センターに入って行った。


「ええ、ありますね、予約。で、紹介状は?」

「もうCTの時出してあります」

「MRIのはありません」

「二つ書き並べてありました」

「いいえ、そんなことないです。それもわざわざ私見ましたから」


敗北。何か方法がないかと迷ったが、とりあえず家に帰って探すことにした。

敗北。家にもう一枚残っていた。あたしの思い違いであった。

2ヶ月も待たされたら忘れますって! 

急いで電話したが、同情してくれながらも、一月半後の予約しかなかった。

敗北。インプラント危うし。


ここまでは一時のほろ苦い体験ですんだ。

同日、 日本から2通の郵便が届いていた(A, C,)。

財務局からクーゼル財務局へ回された件で、メールを送っておいたのへ向こうから電話がかかってきた。奇跡的にスマホが動いていた(B,)。

午後には電話などの通信関係の手続きを始めた(D, E,)。


A,

一つは懸案の、私に全権委任という息子の署名、ミュンヘンのH銀行へ送ることになっている。これで、狂ったJBにより権利を抹消されていたあたしも預金額情報がもらえるという見通しなのだが。

C,

他は、思いも掛けず総務省から、JBのもらっていた少しの恩給の残り3ヶ月分をもらう手続きをせよ、というもの。


B, クーゼル財務局の要求は、かなり無理なもの、

つまり息子の例の署名を見せろ、それから遺産額の一覧表を提出せよ。

そうすると目的である「担税能力証明書」(???)を発行する。一体何がしたいのだろうか???

しかし、銀行側もその「担税能力云々」を必要としている、それがないと行動できないようだ。またあたしとしても、

銀行側の情報なしでは遺産額の一覧表など一行も書けるはずがない。

まるで三すくみ状態。カメかウサギ、じゃなく、鶏か卵か。


とりあえず銀行へ、あるものを送って 待つ。


追加の F,

どこからの情報だったのか、思い出せないのだが、フランクフルトの日本領事館へも配偶者死去を伝えて、戸籍を書き換えてもらう必要があるらしい。

そこも混み合っていて、二日がかりで電話がつながった。死亡証明書とその和約、などメール添付でいいので、急がなくていいので、と強調していた。


で、呑気に構えていたら、思いがけなくも

C, 総務省からの催促が

(但し、5年間のうちに行えばいいとか。そのうち死ぬか忘れるか、諦めてもいいけど、それもまた手続きなんだよねー)

だけど、戸籍謄本6ヶ月以内のものを提出せよと。JB死亡の記載は必要ないかな。要は請求人が妻だという証拠が欲しいわけだろうけど。まあどうなるか、戸籍謄本を請求してみよう。(めんどーだなあ)

それが済んだら、待つ。


D, とはテレコムという電話会社での電話、携帯、インターネット契約者変更の件。

E, とはうちではテレビ契約者変更の件。


この関連はJB任せにしていたので、ともかく「助けて」作戦で行くしかない。

D, テレコムではまだ十代かと見える青少年が、問題なく手続きを進めてくれた。

ただ、心配なスマホの充電異常へは新しい充電器とケーブル50ユーロを買わせられた。しかしその後もおかしい、古いので急いだほうがいいかもしれないが変化は怖い。誰かに任せたい。

彼の言うには、パスワード問題がある場合の機械の変更などは、フランクフルトのアップル直営の店しか対応できないでしょう。

この先はお先真っ暗、待つ、ですますわけにいかないかもしれない。


ここで、時間を動かして9月30日、もう一つあたしのエラーが明らかになり、恥ずかしいったらない、誰もそばにいないけど。


30日の朝、明るいところで、これまで押しては音を操作していたボタンを、

何気なく見てみると、なんと押すのではなく左右に動かすようになっていた。

そして窓は赤、つまり音声を消したまま、付けようと何度も押していたのだ。

なんという、愚かさ。何年も知らずにいた。

そして、合気道のノル氏とすぐに電話が繋がり、

双方から「やっと!!!」という叫び声を発したのであった。

幸運にも解決した。


E, ヴォーダフォンである。手続きは問題なかったが、その後が複雑なことが起こる。

本日10月1日、黒い箱が2つ届けられた。

その前にメールでメルアド承認しろと煩く言ってきていた。

何が出てくるか分からない、いつも驚かされるのが常なので放っておいたが、

そのせいらしく配達がストップされたらしい。

仕方なく、エイっとばかり承認した。別に恐ろしいことは起こらなかったが、

箱を開けてびっくり。

4つの機器をつなげと!!!

それぞれが電源にも繋がり、2本のケーブルが壁の変な場所に差し込まれている。

アンテナとネット接続なのだろう。

きっと何かエラーを犯すあたしだ。したくない。自信ない。



あたしの雑記帳に見開きのページが続いていく。

待つ、と書くまででひと段落。その後はまたお楽しみ、だろうか??


合気道用具寄付  待つ

病人用ベッド返却 待つ

墓の名札     待つ

MRI 待つ

光熱費値上げ   待つ

総務省、領事館、銀行、遺産裁判所、クーゼル財務局、 待つ

テレコム     待つ

ヴォーダフォン  行動 黒い箱接続

廃棄物   徐々に行動

アップル     行動 変更相談


*気分が暗く寒くなりがちだ、負けないぞ、明るく楽しく自慢してやり抜くのだ。神さんとの協働作業だから、楽しいに決まってる。


*明日は日曜日、世界が止まっているのであたしも止まっていたいものだ。

一日中冷たい雨のようだし、そうだ、最近の読書ファインマンの「光と物質のふしぎな理論」に集中しよう、ドレスデンのヒーサからもらってきたが、どうも読まれていないようだ、代わりに読むからね。


*JBが最後に家を出る前に、あたしが切った髪をなんと犬のセルマ がこっそり部屋に入って咥えていたのには驚いた。もう捨てられたと思っていたので。

触ってみたら捨てるに忍びないのでビニールの袋に保存した。おかしなあたしだな、と苦笑しつつ。

 

只今の妄想:

*人間の性質が良くも悪くもその最後のところまで進化?してきたとも言える。

ここまで進化して、地球環境を使い果たした

ヒトラー、プーチンに代表される権力思考の行き着く果て

民主主義資本主義理想追求の進化、その果てが今なので、もう本当に終わりかもね。ちょっとシニカルすぎる?


*瞑想だけですでに良い気分になったら、成長がそこで止まるよねなんて言い訳。


*とりあえずは(一面的にだが)、周り中にある自然の動き〜人間の意図に関わりないシステマティックな変化の連続〜その結果の面白さ

さらに、自分たちを観察することで生まれる神の概念、

神の存在可能性必然性、無限のパワーシステム、知恵、が在るはず、そうでなければこの世の存在が不可能である、不条理ではあっても。

科学というもの、そもそもは神の存在証明を目的としていたが、逆に無神論を主張するようになった。神は必要ないという、法則があれば。

それを神と呼びたいのだけど。


忘れた!!

何とJB旅立ちの一月後、この29日の日は、最後に盛り上がったのだった。

そこまでのうんざり感を記述するうちに、力尽きて思い出し損なった。


デジタル関係の2件の話を終え、

本駅でバスを待ってみたが、無駄だとわかって5分ほどを必死で歩き、

駅のホームで待つこと30分、どこで待つのも変わりなかったわけだが、

少なくとも列車の来る予定はわかっている。

一駅だけ7分間乗ってバートミュンスター 到着、その間にも切符のチェックが入った。


よし、途中で寿司を食べようと決心して、必死でだらだら坂を行こうとして、

目の前に止まった車の中に見知った顔があった。

どうしたことか、それはヘルパーのゲオルク夫人であった。

何故ここで会う? 

もう会う機会のない立場であった。

彼女と一緒にあたしのベッドを買った、それをよくちらと思い出す。

彼女はもちろんJBのことは知らされていて、盛大にハグしてくれた。


「まさにあの最後の日だったですよ、私たちが買い物してるころ手術されていた、あるいはもう心臓が止まっていた」

「ご主人を連れ出して城砦へ行った時、嬉しそうでしたね」

「あなたは数少ない話をした人なんです」 

ゲオルク夫人はその姓がJBの名前と同じ意味であるのみならず、武道好きという共通点もあった。


「一番忘れられないのは、チョコレートを分けてくれたこと、何十こも買ったチョコレートを半分冷蔵庫に入れましょうか、って尋ねたら、チョコレートは人に分けない、とおっしゃってね、あの時は奥さんお留守の時で、終わってからチップを渡そうとされるので、それは受け取れません、と断ったら、じゃあとチョコレートを分けてくれてね、それがとっても嬉しかった」

「でも今日はよくぱったり会いましたね」

「そう、この近くで仕事してちょうど考えていたの、一度尋ねてみようってね、そしたらそこに歩いてくるあなたがいてね」

「まあ、ひょっとして神通力ある?」


彼女は今でこそコロコロ太って幸せな結婚をしているが、母親に無慈悲に捨てられ、入院するほどの鬱に襲われ原因不明の重病になり、悲しみを超えてきた人である。ヘルパーさんたちの一人ひとりの人生にあたしも思い入れがあるのだ。


それから良き気分で、さらにおいしい寿司を食べ、

帰っても意外に元気で、床掃除ののち、JBの武道ビデオを戸棚から取り出し、

ついでに隠してあった怪しいものにうんざりしそうになるのを克服して、

次は自分の衣替えを始め、息子の住民票を独訳し印刷させた。


そうして、湯たんぼで熟睡して迎えた30日であった。


ついでに10月2日、この追記している本日のこと:

次第に理解が深まってきて、テレビと黒い箱とルーターとアップルのルーターと電話とのケーブルを繋いでみることにした。

ゆっくり考えゆっくり行動する、説明書は推測が必要だ。

ついに全てを繋いだ。ここで休憩。稼働させる勇気がまだない。


明日におしやるつもりだったが、このままではWifiがないのに気づいた。電気が通じてない。

瞑想して、あたしの知り合いのその祖先の魂ウン十万と合唱した、実相完全円満、久遠の金剛心身!

やおら立ち上がり、階下へ突進する。

コンセントに蛸足配線してあるソケットを恐る恐る差し込もうとして、

その前にやはり、試しに空気清浄機やお掃除ロボットとかを単品で試してみたら、

何と、何だかコンセントの効きが悪い。停電なのかと疑ったくらい。


それからあれこれ試しては考え、慌てずにじっくり取り換えたり抜き差ししたりした。1箇所、十分深く差し込んでないこともあって苦笑い。

結局古いタコたちをお払い箱にした。後は、願った通り粛々と進んでいった。

何だか画面が美しい。

しばらく眺めながら、JBの薬を仕分けし、同時に古い機器を返却するために、例のチョコレートの箱二つをくっつけてちょうどいい梱包ができた、得意になった。コホン😀


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