第4章 2021令和三年 黙示録 その7 9月 神さんとの対話
ああバカらしかった 空無3連発表明
2021-09-05
「母が去って4年になるなー」
と錐子オババの独白、今日はこんなところから始まった
:
ちょうどあたしの今の年頃の母が、道を隔てたマンションに住むようになってから、意外に親しい関係となった。それまで仲が悪かったのではなくちょっと波長が合わなかっただけ。
なんでもないことでも話しかけられて、笑い合えるいい感じだった。
母は感謝するのが上手だった、そしてあたしのことを「決してイライラしたり怒ったりしない」と何度も表明してくれたので、へえ、そうなんだあたし、と自分で感心した、ふふ。
そんな相手がいなくなったのは、やはり困る。今でも写真に話しかけるのだけど、返事がないし。
それで、
8月30日月曜日に、夫婦揃って退院を果たしたその続きが、バカらしすぎるので母に語りたいところなのである。
8月31日火曜日、
JBがハウスドクターのトレス先生に大学病院からの診断書を提出。
JBの腕の治らない傷を見てショックをあらわにした彼女は、「壊疽」なので入院するようにという申し送り書をくれた。これはOK 普通のありうること。
さて翌日の翌月、9月1日水曜日、前からの予約があった、
一昨日まで入院していた大学病院の別の階、普通の診察フロアで。
退院の際に、それに行くようにとわざわざ注意を喚起されていた。
おかしなことだと思いはしたが、
タクシーで往復2万円(健保から9割ほど出る)の遠征、あたしも駆り出されてドライブという感じ。
ところが、
秘書が「今日のはキャンセルしましたから、同じ検査をまたしても意味ないし」とぶすっとして宣告したのである。
それなら電話でもしてくれたら良さそうに!
ドイツ全土で市街地では車の速度制限が30キロになったので、タクシーは困っていた。
翌日9月2日木曜日、今度はあたしが自分の診断書を(マインツのとDiakonieのと2通)ハウスドクターに持っていく番だった。
31日にJBが一緒に持っていってくれるべきところだったが、彼のキャバシティを超えていたので自分のだけを提出したのだ。
11時ギリギリに決心したのでタクシーで行こうと思った。
ところが来ないのである。
速度制限30キロのせいらしい、40分も待った。
今から来ても12時までにたどり着かないのでキャンセル。
翌日9月3日金曜日、
実は退院した日にABC耳鼻科(この町医者がJBの検査をするらしく)から電話があり
JBの睡眠時無呼吸症候群の検査入院(Diakonieで行われる)を早めることになった。
それがこの日だった。JBも多忙である。
まず、要請されていた コロナの簡単検査の24時間以内無感染証明書をあつらえに出発。
マイタクシーのイラン人が教えてくれて、うまくできた。タクシーで帰宅。35ユーロ。
一息ついてから、夕方8時に例のDiakonieまでまたタクシーを呼びJBが出発。
9時までに来て一晩眠って検査される予定だった。
あたしはほっと一息つこうとしていた。そこへ
電話、「誰もいない、病棟が暗い」
1時間後電話、
「通りがかった看護師が調べてくれ、みんな病欠なのであなたも帰ったほうがいい、と言われた」
全く無意味だった。
電話を終えてから、この三日間の空無な騒動がはっきりと見えた。
あたしは大声で笑った、お腹の底から可笑しかった。(恐らく耳鼻科の町医者とDiakonieの間で予約変更の連絡が取れていなかったのだろう)
ところで追加情報:
この9月3日金曜日午前中に、あたしはもうトレス先生の診察を受けていた。
アラフォーで睫毛の濃いルーマニア人の彼女は、診断書を読み、あれこれ説明、薬を変えたりしてくれた。
「不整脈の手術を勧められてるのですが、症状が無くなったので迷ってますけど」
「受けてください、ここに書いてあるようにエコー検査で心房細動が見られてるのですから」
「まあ、自分では感じられなくてもある訳ですか」
これは確かなことになったなと感じた。
(幸せの相対的判断、この技には慣れてきたけど、でもJB関連はどうもまだ下手すぎるなあ。彼は彼で欠けたる所なき魂で、この世の勤めを果たしているはずだが、あたしがそれをネガティブ判断してその姿を見ているだけだ。そこまでわかっているのになあ。。。)
*******
0902 嫌(いと)ふもの一つあるとも 自らも含め平均51点へ
おりおりの歌伴なひて逍遥す 山河きよらに平和の国に
0904 ふるさとの歌聴かむとにあらねども SONYプレイヤ点くる夜半なり
............
夢見ていたことが起こらなかったり、起こったり
2021-09-14
どうなんでしょう?
何が?
あのですね、あたくしわざわざ苦労してこの幻像世界に何十年もいて、遠回りとわかっていながら「あなたの真実がわからない」者のふりをしてますでしょう?
あーそうね
陛下、あ、違った、昭和天皇の口癖と似てたものでつい。
呼び方はどうでも良いよ
はい、実は今日ですね、さっきから急に元気に朗らかになって、勇気とやる気が湧いてきたんです、あたくし。階段から転げ落ちないようにしっかり手すりを握らないと危ないくらい。
今日食べた寿司が体に合ったのかな
まあ、神さんったらお見通しのくせに話を聞き出そうとしてますね、かな なんて!
そりゃあまあ、そうするとそちらの 意識と心理と社会的すり込み の具合がわかって幻像世界でのすったもんだがより面白く感じられるよ、何しろ人類には自由意志を大天使ルシファーが振る舞ってくれたからねー
せいぜい楽しんでください! でも余り極端になりそうなときはよろしくお願いしますよ。ところで、これまで 肝心の部分を表に出さずに 真理追求作業をしてきたあたくしですが、そろそろその手の話にかかりますよ。
ふむふむ、ではどうぞ
全ては、あるいは細かいことは神さんにお任せして生きてるわけですからねー どうなるかは全く不明、まずは今日起こったり起こらなかったりしたことを報告しようと思ってますでござります。
話題はまさにそのルシファーでありますよ、神さん。
(と、ここで錐子オババに代わり語り手が顔を出す。顔はないけど。)
オババの男を選ぶ基準はいい男、である。
振り返ってみるとまさにそうなのだが、
つまりは自分がある人間を美しい好もしいと思ったわけだが、
そこにはいわゆる「人気」のあるなしの多寡の問題はある。
わかり切った話。
思春期になるとそこから「惚れたはれた」が重大問題となり、
恋ー愛という感情に取り憑かれる(生化学的、生理的ホルモン分泌の影響はちょっと横に置いておいて)。
わかり切った話。
そこでは結婚という目標が重大になり、つまりお互いに所有する。
4、5年でしかし狂気は平板になり
契約関係はガタガタになるが、
子育てという仕事に生物としてはかなり専念する。
人類の存続と生の意義がかかったこの様式を推進するのに、
人類の感じる「愛情」は巧みな仕掛けである。
わかり切った話。
男女(大多数)の肉体、愛情すなわち情欲、性欲、快楽、と密接につながっている。「何がしたいねん、自然!!?? 神さん!」
この仕掛けを、錐子オババは実に怪しからん、と感じてきた。
うまく出来過ぎ。
動物全般、基本同じ仕掛けになっている。
しかし、この愛情たるや、利己主義もいいところ、
お返しがないと自殺するほど嘆き悲しむ。
まあ自分の遺伝子が賭かっているので仕方ないとも言えるが。
野蛮な時代はやむを得ず、暴力を使ったり。
ルシファーというのはドラマの主人公である。悪魔そのもの。
地上に現れて人間を体験しようとする。
よくあるテーマだが、事件あり笑いあり涙あり哲学あり、なかなかよく出来ている。おまけにおそらく世界中1億人?はその役者のファンがいる。
ネットを通して強いファン交流が自然に生じ、それが脚本家にも影響を及ぼす、新しいエンターテインメントのあり方を促進。
もちろんルシファー役の男がとても魅力的に作ってある。
子供から若い男女、年寄りまで楽しく悲しく引きつけられてしまったのだが、
彼を所有することはもちろん、
お返しもセックスも可能性はない。
いわゆるファン心理を自分も感じ、
他のファンの言葉をたくさん読むこともできることから、
錐子オババはこの「無償のファン心理、愛情」に目を向けることになったのである。
人類はこんな風に、特定の人に対して無償の愛を抱くことができたのだ!
恋愛と同じ熱情でありながら無償である。
イエスキリストへの愛が昂じて、祈りながらエクスタシーに達する状態が事実あるらしい。
脳の不思議として可能だろう。
あるいは臨死における法悦、至福もある。
錐子オババ、実は一度だけ、数年まえだが非常にまれな感覚に陥ったことがある。
半睡状態だったと推測されるが、
ある一瞬、神の愛をつくづく感じた、そう思えたのだ。
その切ないほどの熱情が自分に与えられているのが信じられた。
もちろん自分も神への愛を感じたがそれに勝るほどの与えられる愛の凄さがあった。こんなにも神は世界を愛しているのだ、と信じることができた。
もちろん、強いエクスタシーを感じていた。
このことを元にして、錐子オババの中で世界の仕組みが逆転した面がある。
このような神の愛が、
人類の意識においては恋愛、性欲、生殖へと変化していった、
この生命の様式は、神の無償の愛の何らかの変遷の結果であるような感じだ。
何らかの、というところは不明だが。
〜〜〜〜〜
でね、神さん、聞いてくださいよ、このドラマの最終篇が9月にやっと出るというのでとっても夢見ていたあたくしなんですよ、でもこれまでのように自然にパソコンに入ってこなくて、苦心の末、ついに諦めました。どうせ日本語訳は出ないし、英語ではせっかくの機知に飛んだ会話がわからないし。
それに、あたくしの滞在許可がたったの2年しか延長されなかったこと!
この二つの出来事で、1週間ほどちょっと停滞してて。拒絶されたって感じで。
そうだったねー ルシファーを観てるときはいつも幸せだったね、慰められ全てを忘れられてたねー
神さん! ちょっと知らないふりをして聞いててくださいよ、今日のこと。
リハビリの帰りに、たくさん買い物してしまって、
腕が抜けるくらい重たい袋を引きずっていたでしょ、
バス停で道路に袋を置いて突っ立っていたら、タクシーが止まった。
前にいた人を呼び込んで駅まで連れて行こうとしてるじゃありませんか、
他の客も乗っていたのに。
知り合いなのだろうと思ってたら、あたくしに、
駅まで送るから、次のタクシーに乗って、と運転手が言うのです。
果たしてすぐにタクシーが止まり、乗せてくれると言うのです。
重たい袋を運び込み自分も転がり込みました。
危ないだろうって? 確かに!
こんなこと、あたくしはいつも夢見てはいましたよ、
あー通っていく車が止まって乗せてくれたらなあと
夢見ながらバスを待っている日々ですもの。
ここまで乗ってきた人が扉を開けて手伝ってくれるし、
次のバス停では若者二人も乗せました。
「バスが来ないんだよ、ストじゃなく、この線のこの時刻だけ、今だけ。理由は知らん、来ないって言うんでこうして駅まで運んでる、無料だ」
この人天使? トトロの猫バス?
タクシーがなぜにこんなボランティアを?
誰が言い出したのか? ガソリン代はどうする?
知らない同士の拾われた客?は呆然として無口。考えられないのです。
あたくしは、年寄りらしくポケットの5ユーロを出して、どうぞ受け取ってくださいと無理に渡したのでした。ええ、他のバスは走ってました。
夢見心地でしたよ。その後も。
帰宅してから、パソコンを開いて
ツイッターでちょっとファン心理観察を始めました。
みんな、もうこの夢のようなルシファー世界が消えるので、泣いたり泣いたり大騒動です。
いつも見ない人のツイートから知らない人へ、また知らない人へ、と飛んでいたのですが、いつもしないことですよ、
あるツイートの返信欄にありました、こんな情報が!
「ドイツとオーストリアでは遅れて10月末に最終編がストリームされる」
神さん、これを送ってくれたのですね、ありがとうございます。
すごく幸せです、全てが楽しそうになりましたよ。
そうそう、その前後にふと思い直すことにしました、
「2年間しか滞在許可をもらえなかったと不自由をかこつのはやめて、
2年後に神さんが準備していてくださることを楽しみにしよう」と。
えらいでしょう? 柔らかい頭でしょう?
2年の意味を作ろうと、楽しみが具体的になったようで。
本当こんなことじゃ、自分でも抜けてるな、と思いますけど。
父がよく言ってましたから事実なのでしょう。
書くつもりはなかったのに、偶然か神慮か、書かせてもらうことに
2021-09-24
全く書く気はなかったのに
なんとなく美しい文章を書きたいという気はあったけれど
実践できる感じは全くなく、
ただお節介なネットの仕組みにより
ちょうど1年前の自分の記事を見せてくれたのだが、
いつものようにややこしいことを分かりにくく書いた後に
子供のように
「つまりあたしって実際に天国に住んでるんだー」と叫んでいる。
ここが天国のようだから、という理由である。
実はその1年後の今日、秋分の日で満月だというので
夜、そろそろ山の上まで上がってきたかなと思って外に出た。
すぐさま
その音を聞いて、JBがキリコキリコと叫んで子供のように走り回っている!
見捨てられ不安症候群だなと、放っておく。
月は見つからなかった。山の端の背後の一部が明るくなっていた。
部屋に戻り
さっき夕食を摂りながら心に浮かんだ言葉を思い出していた。
「朝起きても、朝食しても、コーヒー飲んでも、冷蔵庫開けても、着替えしても、ソファを寝室から書斎に改変しても、掃除しても、衣替えしても、Macに今日の体重や昨日の出費をメモしても、音楽聴いても、お香を炊いても、ゴミ捨てに出ると大家さんに出会って「(お互いに旦那が)病気のお爺さん同士ですねー」と嘆き合っても、そうなのだ、あたしはそれらの一つ一つが好きなのだ。
掃除は疲れたので続きは明日にする、朝顔の花は咲きそうもない、緑の観葉植物はすっきりした縞模様で、胡蝶蘭は4ヶ月間咲いて徐々に花を落とすところだ、月は見つからなかった、それらの全部が楽しく愛しい。
先日は、共通の廊下にベッドの枠が置いてあったので、
ベッドロスのあたしは、しめた神慮か?と喜んで、
大家夫人にメールして尋ねたところ、いいえ、うちの不要物じゃないですよ、シリア人家族が模様替えしてるのでしょ、と返事をもらい一人で顔を赤くした。
果たしてそれは不要物じゃなかったらしい。
それはそれとして、ちょうど出会ったシリア人の次女に、
うちの乾燥機を使わせてあげると申し出た。
子供5人もいるのに干し場も太陽もなくては洗濯大変なのだ。
整体に通い始めたんだけど、
運動が大事とけしかけられて意欲を持って動いていたら、
リハビリの器械運動が半分しかできなかった。
棒術は今練習お休みだけど、
一人で誰もいない公園で考え考え稽古している。手首痛いのに。
こんなことの全てが、あたしは好きだ、天国のようだ、好きなことばかりだ。」
なんて妄想終わり。
つまりこんなわけで
一つや、二つや、三つくらい意に染まないことがあっても、帳消しってもんよ。
第一、ヤツだって本体は聖霊だしね。彼が悪いヤツというわけじゃなくあたしがそう見ている、という仕組みらしいから、ここが困るんだけど、完成しないところがいいとも言えるしね。ここがあたしの地球的為事に繋がるところかもしれない、まだしっかりとはわからないけど。
自問:こんな自分が嫌なのでしょ?
いや、このこと忘れてたよ。天国生活の方が印象強いからね!
最近よく忘れてる。問題の存在を忘れてる。
そうそう、忘れかけてる問題が3つあった。
JBがお金の無駄遣いするので、禁治産者にしなきゃとあたしは一時焦った。
先月大学病院入院中には、痴呆症状を呈した、一昨年は発話不能と味覚異常になった、去年は意識喪失のまま大暴れを引き起こした。
ところが今、本当にあたしの思いが急に叶ったので、それはそれで大いに困惑した。
JBのお金の流れが全て、3箇所とも詰まったのである。
*ゆうちょ銀行ではキャッシュカードが読み取り不能になった。
*他の銀行はデジタル化するので
しかるべきネット上の手続きが必要だったのだが、
JBにはいろいろな意味でそれが無理だった。
*さらに、日本からの年金送金のための手続きに不備ありと連絡してきた。
JBが住民票を送っていなかったらしい。
これ、大動脈が梗塞を起こしたようなものだわ。
(事は順番に徐々に解決されている、できるはずの事ばかりなのに時間がかかる。JBの元気が失せているような感じもする)
こんな風に、とりあえず、
あたしは自分の妄想の世界で、全て好きなことに包まれている。
おまけに、例の1億の魂との地球スマイル作戦には、JBにも参加してもらっている。あたしの目の前の彼は何も知らないけどね。
JBの参加を思いついた事、何よりでしょ、神さん?
*****
0908 お互ひに木々も対話す 分子らが水・風にのり化学作用に
0914 山法師 楓(ふう)に百合の木見上げては飽かず過ごしき母と我とで
0918 「そうなのね」汝が若き眼に問ひかけぬ うから哀しと守護引き受けて
0919 日の陰る室に重ね着籠りゐて週末無為なり 足りて愛しむ
0921 死苦の世は無く幻像のこの世なり すなはち無にてただありがたし
何も無しあるは幻のみなれば嘆くも愚か 喝破し笑はむ
わが夫の三悪とかも無きものを まともにあるとおもふ愚かさ
世にみつる遺恨と悲哀と死の恐怖 なべて幻なれば*のカッパ
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終活の要としての「世界の構造定義」問題。。。。
2021-09-29
前回の記事は9月25日土曜日深夜にアップした。
ところですでに9月20日水曜日から、ちょっと困ったなあという別問題が再再度あたしの老いた頭に生じていた。
終活の要としての「世界の構造定義」問題。。。。
物理学世界では、いわゆる世界エネルギーの9割以上を占めている、いわゆるダークマター、ダークエナジーを総称して「モンスターエナジー」と呼ぶようになっているらしい。
彼らが敢えて避けているので、あたしは果敢にも、利己主義的にも、そこを聖霊世界と呼ぶことにして、辻褄が合うかを探究しているのだ。
いつも付け加えているように、物質粒子が5億分の一くらい?混ざっている。
ここがミソだ。
誰が混ぜた? いわゆるルシファーである。もちろん聖霊の意を受けて。
そして我々の物質部分と呼応して、宇宙が存在してるように見えるようになった。
我々の脳は即、物質粒子の喩えである。
無色無明の聖霊のイデアを顕現する鏡像世界(実相世界)はまるでダイアモンドのように硬くて美しい世界である(と設定する)。
ただ一部、物質粒子が例えば小さな金塊のように凝縮して?2つの作用を発揮する、ここがミソでありこれが喩えればすなわち人類の脳である。
聖霊の光と愛が満ちている実相世界で、それらを浴びて受け取り、さらに反射するのは物質の特性である。
反射された光と愛はさらに反射を繰り返し、
本来の形が変化してくるだろう。
ここがミソであり、ここから即、我々仮存在の創造力が強力に働いてゆく。
幻の幻像世界を思い描き、存在すると感じる、そして宇宙をも創造した。
ここに、我々のよく知る人類の想像(創造・幻像)世界が我々の脳の意識から生まれる。
物質粒子の第2段階の作用である。
そこは死すべきもの、したがって性欲と生殖が伴う世界である。本来の聖霊存在から細切れに分割され不安と希求とに満ちた心理的存在となる。
この不如意を超えて大いなる聖霊世界に帰国するまでが、まるでRPGのような面白い見ものであり、体験する価値がある。余りに苦しまず意義深く楽しくクリアする仕組みを探すのも興味深い部分である。
今日、改めてこんな風に書き直してみた。とりあえずこれくらいで納得しておこう。
さて、これに関連して
9月28日火曜日、昨日のこと
朝から一人稽古、ヘルパーと買い物、この前にJB、またマインツまで脳のCT検査に。
夜、Lesch教授の番組に与った。そしてヘルパーのグレゴール夫人の話も有意義だった。
ニューヨークの9・11テロの人々の記憶を数年後にまた検証する という調査研究がなされたそうである。
意外なことに、心に刻まれてしまうような衝撃のライブ記憶が、その前後の生活の記憶も含め、かなり変更されていることが発見された。
番組の最初は眠りの働きというテーマであった。
起きている間に無数に受け取る情報の山を 重要性にしたがって削除編集して エピソード記憶として海馬に保存する(ないしは脳の担当区域に配置されることもあるらしい)。
またのちに思い出したときにも、その時の環境や心理状態によって残す記憶が異なってくるだろう。
なぜ重要性によって記憶を取捨選択するかというと、
コンピューターに大きな容量のディスクを追加するのとは違って
脳には記憶要領拡大機能がないからである。(もっとも脳の10%ほどしか使っていないとも言われているが?)
ともかくこれが生物の前提条件だ。
こんな記憶を抱えて、
日々もろもろ体験しては眠って内容を適当に定着させている間に、
削除編集を繰り返されてしまっている我々だが、
こんな脳の考える意識をどこまで信じることが適当だろう?
脳に操作されて左右されている、というのが実態のように思える。
そこで、この表層意識を宥めたりすかしたり、訂正説得したりして対処すべき本当の自分意識とでもいうべきものがやはり必要なはずである。
そこで、もう恒例となっている次元の違う深層意識などを前提としたり、あるいはスピリチャルな捉え方も 人間がわでは駆使している。
ところで同日の昼間、
久しぶりにグレゴール夫人と買い物にドライブしているとき、
JBの病歴の話から 彼女が自分の鬱の体験を語ってくれた。
入院するほどのひどい状況を夫が支えてくれ、克服して今は幸せだというが、
ときに頭の中の小さな悪魔が活動しそうになる、と感じる時がある。
その時は
「あんたになんか負けない、今更顔を出すのはやめて、引っ込んでいなさい」
と話をつけるのだそうだ。
10年前にJBが癲癇らしい発作を起こした時、
脳内に小人の兵隊がどくろの顔をしてゾクゾクと行進してくるのを、
こちらは負けないように頑張って対抗するのだと語っていた。
心理的戦いでは無く、多分生化学的な物質同士の多寡の駆け引きではないかと思う、ただの仮説だが。
心理、と言ってもこんな脳内で作られる感覚なので生理を意識した冷静な感覚で対処するのが効果的かもしれない、ただの仮説だが。
ところで未だ、JBは禁治産者である。
今日は、Diakonieでペースメーカーの検査がある。まだ帰ってこない。あたしは間も無くリハビリに出発。なんとか全種の器械をクリアできるといいのだけれど。
このままアップしてしまおう。後で訂正することになるだろうけど。
教会でのコンサートにやっとありついた、悪夢の中の夢のようだった
2021-10-11
この十日ほどの間にあたしに起こった「やれやれ」とか「あちゃー」とか「ウェ ヤダな」とかの出来事、
それらを集めてみるのはまあ、ちょっと同情して欲しいからではあるけど、
それでもこれらのハプニングを如何にさらっと流して行けるか、
その際に少しは、
システム法則的な意味づけや神さんの慈愛と智慧を感じさせてもらえるか、
そんな視点からする行為です。マゾではなく。
実は、熟考を要するほどの大した問題はなかったけどね。
*健保の月々の支払額を決めるために収入を証明する時がきた。年に一度。
*大家さんから、去年度の光熱費など追加料金が4万円ほどきた。
家賃には熱いのと冷たいのと2種の言い方がある。
必ず決まった額の熱い家賃を支払うのだけど、
年単位で計算し直して使いすぎていると追加請求が来る。
*バスの運転手のストがまだ勃発していて、
列車を待っていたところ、1番線から3番線、5番線と移動させられて
両膝と耳に問題のある身としては困惑させられた。
次の日から列車の運転手のストも発生してまさに万全の状態。
*それからそうそう、固定電話が壊れた。これはまだ修理に至っていない。ストのせい。
*****
10月10日日曜日の午後、
有難くない悶々とした、未決定の状態が錐子オババに降りかかっていた。
週明けに薬局の入り口でコンサートのチラシを見かけた。
以前、ここで棒術のチラシを見つけたこともあった。
(あら、大家さんの合唱団、、と、あ、娘のアントニアも歌うんだ。聴きに行こうっと)
錐子オババ即決定。
アントニアはオペラ歌手になりたいので修行中なのだ。普通に犬のセルマ を呼ぶ声がまさに鈴をふるような声である。
「シュポンハイムのクロスター教会、、初めて聞く名前。どうせこの近辺の村だろ」
しかし、
日曜日当日午後になっても、決まらなかった。ネットで調べると25分かかると出てきた。
どうやってそこまで行って帰るか。
棒術や入院仲間の、車を持っている女性の顔も浮かんだが、
(わざわざ電話して、コンサート聴きに行こう、乗せて行ってと頼むほどの仲ではないしなあ、大家さんは時間的に忙しいし、アントニアなら、と考えてくれたが、彼女はここに住んでるわけじゃないし)
(ヘルパーの大男音楽家、あるいは気のいいヘルマン、現在ヘルパーの元うつ婦人、しかし男性陣は病気とか、彼女はなんと誕生日だって言うから、ここらも全滅だなー)
(じゃあ、やはりマイタクシー。夜予約して会場まで迎えに来てくれるのはあのイラン人しかないよね、その分チップが、、、)
錐子オババは悪い癖で、際限もなくグズグズしている。
どうしても教会に鳴り響く美しい音楽が聴きたい、片耳であっても聴きたいと思うのだ、その思いは切である。
(でもこんなに決められなくて苦しいのなら、いっそ諦めたら、気楽でしょ)と自分に言ってみるのだが、
どんなところなのか想像もつかないが、
きっと草原の中の小さな村で、バスも通らないところで、
遠すぎてもしタクシーも迎えに来れなかったら、
ホテルもないので森で過ごさなきゃならない、と不安が恐怖にまで高まってくるのに、
それでもどうしても聴きたい、逃したくないと言う熱望が消えないのである。
そこへ、捻挫の天使の智子さんからLINEが入った。彼女の反応が思いがけなかった。「そんな時には動くべからずよ」
「えー! でも行きたいのよ」
「せめぎ合いね」
しかし、この瞬間おかしなことが起こった。錐子オババの中に急に勇気が湧き出た。
マイタクシーに電話をかけた。イラン鈍りがまだ残るドイツ語で
「いいですよ、5時開演ですね、じゃ4時に妻か、代わりの人を送りますから、私はちょっとダメなので。ええ、帰りも迎えに行きますから」
さあ、もう動き出した。
錐子オババはまだ普段着のまま
少しは見栄えの良い、寒くない服を考えてもいなかった。教会の中は暖房無しなので着膨れたままなのだ。外は15度くらいか。
結果は、おかしなことになった。白い牛皮の上着にぼろい細身のジーンズ、
寒いので母の形見の軽いコートをもう一枚羽織る。
チケットはもちろん買ってない。当日15ユーロである。一体席がまだあるのだろうか。
何ジンかわからない、もさっとしたおっさんがやって来た。
目的の村は初めてらしく携帯をカーナビ代わりにして進んでいく。
行けども行けどもたどり着かない。
車がまるで通らない。
村々をすぎ丘をのぼり草原を走った。
着いたところは坂道に家の詰まったような難しい場所で、
教会は見えているのに道がややこしい。運転手は2回も人に尋ねた。
そこへ車が突然次々に現れた。
同じ道を進む。同じ目的地を目指しているのだ。
その後を追ってゆく。
広い駐車場(と言っても草っ原だが)はすでに満杯である。
これは大変だ、と思いながら、
「帰りは来てくれますよね?」
と錐子オババは必死で確認する。運転手はメモを渡した。終わったら電話して呼んでくれと言う。
とりあえず進むしかない、周りには年寄りたちがウヨウヨしている。
石の壁がいい淡い色をしているなあと、好ましく思いながら
掻き分けて行きたいがそうもいかないので、
同じスピードを保ちつつ、切符売りらしい机にたどり着いた。
「まだ切符も持っていないのですが」と恐る恐る伝える。
何も問題なかった。
しかし、ほとんど椅子は占められている。
あちこちに禁止の張り紙のあるベンチがある。距離を取らなければならないわけで。
そういえば皆マスクはつけているが座ると皆はずしてしまった。
錐子オババは、ただ一人の外国人として、
ドイツ人の中をズンズン、控えめに進んでゆき、
幸い、無理やり流れに流されるように、ベンチの一部に座ることができた。
理由はなかったが、恐らく寒かったのでマスクはつけたままにした、ただ一人。
音楽が始まると、天国のようだった。
響きすぎるくらいよく響く。
おまけに演奏者はプロだった、
パイプオルガンとピアノ、ヴァイオリンとチェロ。
二人のソプラノ。合唱団は素人の集まりだが、よく訓練されていて、
男声が十分な数存在するので、重厚な音が出る。
錐子オババは感激して心から拍手を送るのであった。
合間の休憩時には外で、あたりの夕景を眺めながらワインが振る舞われた。
錐子オババはまるで幻のように人々の間を歩き回り、自由に行動した。
知り合いもいないのは気楽だったし、寂しさも得意な気がした。
2時間ののち、終わるや、すぐに電話しようとした。
しかし「この番号はありません」と来た。これは万事休すだ。
よく見ると明らかに出だしの携帯特有の数が間違いだ。
勝手に修正してみると正しく伝わった。これはラッキー。
20分で、とおっさんが言う。
駐車場はたちまち空っぽになった。
比較的早く、アントニアが恋人と思われる男と出て来た。
「あら、いらしてたの」
「ハロー 素敵でしたよ」
「ありがとう」
もっと言いたかったが、急いでいるらしく見えたので、一言でも感想を言えて良かったと思われた。車の中で男がすぐにタバコを咥えたのが見えた。
大家さんもそのうち出て来たが、車に荷物を積むとまた教会内に戻っていった。
空は綺麗な鴇色に染まっていた。
大きな石臼が置かれていた。
いかにも修道院という佇まいだ。普通の教会とは建物の感じが違う。
細い三日月が光っていた。墓地も備わっている。
もっとも高台に位置している。
しかし、本当にうまくタクシーは来れるのか、心配は消えなかった。
もし来なかったらどうしよう、大家さんに泣き付くしかないか。
向こうから、一台だけ車の光がやってくる。
「ストがあったけど、ちょうど誰からも呼ばれなかったので運が良かったですね」
「ハイ、45ユーロで。私を救ってくれてありがとう」
錐子オババは往復82ユーロ(円にするには130をかける)を支払った。
帰宅するとすぐに大声でJBに全て語った。それから暖かいスープをパスタと食べた。
うまく行った。
散財したがあの響きには替えられない。それは密かにスマホに録音してあった。
他にそんな行為があったかどうか、知らない。
少なくともどこにもそれを禁止するような文言は見なかった。
時に平気で悪を犯すところのある錐子オババであった。
さあ、今日は何をもらったかな。
チョコレートのかけらをいくつか食べながら、降り返って見ようとした時、
あ、痛い、顔の右半分、ひたいと頬骨が、
神経的な痛みだけど、寒かったせいかな、きっとそうだ。
毛糸の帽子かぶっとこう。
光が当たると影ができる。理屈だ。
どちらも十分味わった。しかし、光の方が凄かった。
人類の作るあの美しい音、
いかに不完全とはいえ真理と愛を求める心を象徴する憧憬は
人類に備わっている。
備わっているなら存在するだろう。
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1001 かなしごよ花博暦喜びておりしにある日変ず 悲のこよみ
むくのこよかなしごよりもなほかなし わからぬままにみなたちさりぬ
『サマータイム』流れて心おセンチに たれも知らぬがわが喜寿の時
静かにも空と川あり千尋(せんじん)のそこひの青に 航跡光る
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