第2章 2019令和への流れ パンデミー以前 その2 2019回顧
万全の捻挫に感謝!
2019-12-18 00:59:46報告
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「いつまで続くぬかるみぞ」
何ゆゑかドイツの窓に依りて住む この街もまた通り過ぐるか
安堵して棲む終の家見つからず 心は神に預くとはせよ
古稀すぎてなほ人の世話できる運 ビタミン剤にて有難生活
「枯れ葉に静かに雨の降る」
雨すぎて水滴満ちゐる園の内 どつと秋陽の差し来て完璧
雨音に魂(たま)洗はるる心地して手の平に受く自然治癒力
かすかにも揺れて結ばる魂遊び 必ず仰天させらるる待つ
「ことのはの発想転換」
水晶のうちに幻浮かぶかに 言の葉透きて形ぞ見ゆる
秋たけて緑いろより万の色 拾はむとして選びやうなし
御業冴え奇跡ばかりの神無月 発想転換それのみ鍛ふ
憧れし白衣の天使 父のふと「医者にならんか」わが世開けり
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子供の頃、ビタミンBの吸収が悪くて脚気や顔面神経痛になった。大人になってから、何だかやる気がなく、家事のことを考えるのもしんどいとき、アリナミンなどを服用すると、いつの間にか体が勝手に動いて家事をしているので毎度のことながら驚かされた。それで、今でもできるだけBを服用している。すると不思議にも、まるで家事が楽しいことででもあるかのように、よし、明日はキッチンから掃除始めようとか期待までしてしまう。(いつも成功するわけではない)
今日はそれがうまくいって、家中の床掃除をまず新品のホウキで済ませた。長い柄のホウキを買うにもそれを持って帰るのが難儀だったので、1年間も買うことができなかった。(尤も掃除機のホースと同様、ホウキの柄を動かすのも手首などが痛い、これは思いの外だった)。
こうして掃除もでき、爪もきれいに切りそろえて、さて執筆態勢に入ったが、例の如く助走が必要らしく、こんなことを書き始めたというわけだ。そうそう、床掃除について、触れておくべきこと。
掃除体制の全てが整っても、肝心のJBの態勢が大抵はそれを阻止しようとしている。テーブル、その周り、机の下、紙が散乱。テーブルには清らかな紙が一部敷いてあって、そこでインシュリンを打ったり、食事をしたりする。それがすむとパンのカスは散らばったまま、鼻を拭いた紙は少し横に積み重なる、もしさらに清らかな紙が必要な場合は、その食べかすだらけの上にまた敷けばいいので、便利と言えば便利な方法である。
(余談に走るけれども、JBの潔癖症は2000年ごろに野良猫の世話をすると言い張って、実際はあたしがもちろん手を汚したのだけど、そのあと極端になった。彼が触ることを厭わないものは数えるほどしかない、どうしても触らなくてはならない場合は、紙を間に入れる。
少数の聖なるものを触る前には徹底的に手を消毒するのだが、この区別の厳密さには今でも虚をつかれる、あたしは呆れ返る軽蔑する。皮膚も爪も破壊されるほどに洗う。洗って濡れた手は大量の紙で拭く)
あたしの持論では、いわゆるゴミ屋敷の住人の大部分は潔癖症だと思う。ものを買うまでは清らかなものが、幾ばくかののちには不潔な、捨てることすら不可能なものに変化するので、溜まっていくのはどうしようもないのだ、彼らには。
同じ系統の人であるJBの療養室が、最近2019年11月12月変化。JBが変化。何となく紙の扱いに留意している、あたしもこれまでのようにつきまとって片付けないので、散乱がひどくなるはずのところ、横に紙用の袋、プラスチックゴミ袋と2つ並べて置いたのへ分けて入れている。厳密にするならば、
1、リサイクルできる紙、
2、使い切った汚い紙や食べ物の残り、
3、野菜果物の残り、
4、その他プラスチック、缶を主流としたリサイクルゴミの4種類のゴミ袋が並ぶべきところだ。(その他、ペットボトルはスーパーに、ガラス製品、衣類は捨てる場所が駐車場に備わっている。ただ金属製品、乾電池についてはまだ解明していない)
あたしもお人好しのため、少しでも彼が自分から片付けようとするとしめた、よしよしとそれを手伝う。彼が最近掃除ロボットを買うと主張した時も、悪い意図はあたしにはお見通しだが、便利なものなのは知っているので買わせた。すると彼の聖なるものに入ったらしく、説明書を研究しているのもよしよし、のうちだ。
何故、JBが変化するなどということが起こったか。そこには長い長い話がある。
あたしの案は、冷蔵庫と電子レンジを療養室に置くというものだった。JBはこれに掃除ロボットで対抗してきた。何故なら、理由その1、JBは今年の夏にあたしの目的を叶えて介護認定された、痴呆がないので最も軽い介護度1であるが、自宅介護人の妻がそろそろあてにできないのでヘルパーの家事手伝いを派遣してもらおうと(もちろんあたしの希望であり、JBは性格的に他人を寄せ付けないのでなかなか申請すら実現できなかったのだが)そのための待ちリストにやっと入れてもらった。10週間ののちらしい。この算段がついたのが10月26日であった。(日本で言えば介護保険の地域包括センターのような組織があり、世話人がいる)
その時、宇宙から余りにもツーカーの配剤が送られてきたのだった。そうでなければJBはいつまでも他人の手に反抗していただろう。ヘルパーに買い物をしてもらい、料理を作って冷蔵庫に保存、それを電子レンジで温める、掃除もしてもらう、それであたしはほとんど自適悠々の自由人になるのだ、こんな悪巧みが許されてもいい、あたしはもう十分尽くしたのだ、自分を許してもいいのだという証拠のように。
つまり
2019年10月28日に、春頃だったろうか、何故だか知らないうちに高校の同級生の一人とメールを交わすようになったのだが、そのドイツびいき、音楽好きの未亡人の智子さんがあたしを訪ねてきてくれた。当時からの彼女の印象では、奥様になって幸せな一生を送る人、であったのだが、まさにその通りの恵まれた体験を積んできたらしい。
スーツケースの半分は、海苔、胡麻塩、椎茸などあたしは食べ残しでいいからと頼んだのだが、たくさんのお土産で占められていたのを、ペンション(これはうちの隣)の玄関でもう店開きして袋に詰め替え、軽くしたスーツケースを持って3階の部屋に移動し、一頻りお喋りしてから、木の階段をぼつぼつ二人で降りてきた。
これからの予定の話をしながら、2階へのの階段を一番下まで降りてきたと思ったのだが、先に床に下ろした左足が意外にも、もっと左の空間にグキっと曲がり、もう一段下まで体ごと落ちた。何と思う暇もない、もう床に座り込んでいた。
痛みに絶望した。せっかくの客人をもてなすことができない、彼女一人であちこち行くなんて大変だろう、いくら旅慣れているとしても。軽い捻挫ではなさそうだった。
智子さんは薬剤師で亡きご主人が医者という環境なので、荷物の中からすぐに湿布を取り出し貼ってくれた、何故か包帯まで持っていて巻いてくれた。最初の痛みが消えたので恐る恐る立ち上がると、移動は可能なようだった。
恐るべし、聖霊の配慮。最適の人を捻挫とともに送ってもらったのだ、智子さんは即座に決心した。数日の予定を1週間に伸ばし、名所見物ではなくドイツの日常生活を体験すべくあたしの世話をする(JBも加えて)と。
こうして魚心と水心が一致して貴重な日々がすぎた、同時におそらくJBにもあたしがいかにあてにならないかという体験でもあったはずだ。百の言葉で語るより効果があったはずだ。こんな手を編み出すとは、本当に「神」の智慧はいつも想定外だ。
思い返してみると、智子さんは出発前の数ヶ月間、あれこれの思いがけない病気にかかり、旅行できるかまさに運任せのような状態が続いていたのだったが、それも彼女の健康をリセットする結果になったようなのだ。旅行中智子さんは万全の健康だった。一人の病がどんなに多方面に影響するか、他人にも意味を持つかという、人知を超えた運行の見本のようだ。合掌。
そうそう、こんなことも。高校の同級生と言っても、昔からゆっくり話すことはなかった二人だったので、智子さんはあたしの両親についてどんな人だったのと尋ねるのだった。何か気にかかることがあるせいだとは思いもせずに、あたしの幸せな親子関係を説明した。すると彼女が思い出話を始めた。
彼女はずっと以前、高校の同窓会名簿作りの世話もしていたので、一時期居場所不明だったあたしの住所を聞くために両親を訪ねたそうだ。すると父が厳しい顔で応対して、「娘は勘当したので住所もわからない、二度とこんなことでこないで欲しい」と言うので、何と怖い父親だろうと思って退散した。
そんなイメージを持っていると言うのであたしはびっくり仰天、父は最も敬愛する優しく思いやりのある人だった、あたしが再婚してドイツで暮らしていた頃も怒ってなどいなかった。
「それはきっと、あれよ、私の住所が名簿に載ったりすると前夫が知るかもしれないのを恐れたから、意図的にそんな振る舞いをしたのだと思う」
これには智子さんがびっくり仰天した。
もちろん、そこらへんの詳しい理由は黙っていた、恥ずべきあたしの過去がある。
智子さんは翌日散歩に出た時、野草で小さな花束を作ってきた。そして父の写真に供えた。恐ろしい人と長い間思っててごめんなさいと手を合わせた。
そうか、父の心も智子さんに繋がっていたのか。合掌。
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夕闇を揺する稀なる鳥の歌 天使に別れ一人座し居て
あの時のあの子にせめて慰めを 神よ憐みたまへその時を
捻挫してめうに新たの心地せり 拳のごとく窓叩く雨
こころ憂しデジタル世界の雲かすみ ダークマターもかく立ち籠むる
去年(こぞ)の秋に書きたる日誌 そのあとに打ち寄せしもの知りて読むなり
朝がほに蕾もつかず 葉に紛れ爪より小さき深紅の蔓花
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数え上げ その1
2019-12-19 20:04:49報告
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鵙啼けば草引く背なに秋なりし ドイツにも聴く似たる旅鳥
冬鳥の番に飛べど夜を耐えて啼く音短し 冬至へ向かふ
心込め二の子の呉れしメッセージ 涙止め得ずわが許されて
黄葉(こうよう)に山は埋(うず)もり霧流る ほろろと民の竈の白煙
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どう考えても1年前のことだ。今年は2019年の令和元年という節目の年で去年は2018年まだ平成30年だったのだ。
1年前のこの時期、十日後くらいに冬至を控えてただでさえ薄暗い曇り空に夕焼けもささずに夜の帳が降りる。四方の小山は近くに迫っているのでたちまちに真っ暗になる、その暗い森の中をタクシーで走った。空に木々の影すら見えない。目が見えなくなったのかとふとゾッとする。と、陽気な光が不意に遠くに見える。その嬉しさ。人の世界があるのだ、クリスマスまで毎週末開かれるこの村の名物の夜市である。
階段を降りて、無人の家に着くと、左手の庭の上部には樅の大木に半分覆われた、夜空がある。おお、何とその狭い隙間に輝く半月がちょうど引っかかっていた。あたしを見下ろしている、何と言ってもそうだ、ありがとうお月さん。
そんな去年だったが、今年も変わりなく、紅葉ではなく黄葉の楽しい眺めも、枯れ木が増えるにつれこれまでの邪魔な葉っぱがなくなりナーエ川の様子が様々に見えるのも、その向こうに絵本のようにディーゼル列車が走っていくのも、とりあえずは気候変動の影響も目立たぬ同じさである。
あの頃、7週間の入院中に夫のJBのステント、及ペースメーカー手術がすみ、クリスマスまでには退院帰宅すると騒いでいて、実際にそれを貫徹したのだった。
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新年2019年まだ平成31年になりすぐに腰痛となり、明るい未来がおじゃんになり、
1つ、JBの毒舌のための毒舌があたしを傷つけ始めた。
2つ、日本からの荷物を家の上下に配置し、あたしの自室ができて、念願の別居形式が実現した。
3つ、新しく知人が与えられる。同級生智子さんと黒服女史ドーラ、一方カフェ女主人ナディアとは縁が切れる。
4つ、腰痛のため一層身動き取れなくなり、専門医探し、健康保険を使う、介護認定申請、身障者申請などの手続きが遅々として進まない。大いなる悩みであった。
5つ、8月になり在宅介護センターとコンタクトが取れ、心臓弁手術のためマインツ大学病院入院というところまで進んだ。
6つ、あたしの不整脈もマインツ扱いとなり薬無しでは危ないと言われる。また関節問題が診察され、リハビリを有料だが受けることになり手首にプロテクターをもらう。74歳になり年寄り臭くしようとする。
7つ、8月からJB怒涛の入院騒動始まる。
契機は8/23心臓弁膜チタン化手術。退院後すぐに呼吸困難となり救済病院入院、9/1に突如歩行可能となり、味覚異常亢進が起こる。この始まりはどうも、院内ラジオでミサを聞いた時らしい。
それでも退院、翌々日癲癇的発話不能となり、9/3脳神経科へ収容されるも原因無しで退院、相変わらず味覚と認識昂進甚だしく全能感にみなぎり、快楽殺人心理に触れる発言あり、その時は笑っていたあたしだったけれど、有名な食人
映画ハンニバルが思い出され、生きながら食べられるという妄想に取り憑かれたのであった。その際にJBが堪能する様子が連想され、身震いして部屋に鍵をかけるしかなかった。
今思えば、この妄想こそ現在の別居状態を確定させた重要な出来事であった。あたしの責任というのか、天から降ってきた賜物と言おうか。
9/6癲癇的発作甚だしくなり、死を間近と思う騒動。三度目の救急車要請で二つの脳神経科を経て、閉鎖病棟行きとなる。JBはほとんど発話不能であったので、あたしの説明と訴えと恐怖が、JBの発言であると誤解されたのである。どうもそうらしい。
界隈で有名なアルザイキチガイ(これはJBの発言である)病院へ、ただしそこでの診察ではただの脳神経科で良いと言われる。
例の如く早速院内感染するも回復し、検査やテストをするが特に症状を引き起こすような病因が見つからない、それどころが急に癲癇発作がなくなり、元気に歩き同室の患者の世話をするという、おそらく元気に見せるための作戦か?
味覚昂進はあるので、原因はいわゆる気質的なものである、つまり狂気であると見る方向へ治療が、あるいは治療不可能が色濃くなる一方、あたしの同居不安は相変わらずで医者はこれも大いに考慮してくれるようだった。
つなぎとしてキチガイ科へ転院させる、つまり退院後は家に帰らずホームに入れる/閉じ込めるということがあたしと医者の間で承知された。
JBに関わる複数の医者は、開口一番「奥さんを食べたいですか」と尋ねた、そんなふうにいきなり尋ねることで本音が聞けるという方法であるらしかった。JBはそれには引っかからず、テストの結果せいぜい鬱だということが結論づけられた。
当然のことに、JBはあたしが自分をキチガイ病院に閉じ込めたとみなした。それで物凄く怒り、憎しみに満ちていた。ただ、ここでそれを爆発させあたしを怖がらせると不利だと思ったのだろう、要はともかくここから退院せねば、そうせねば離婚の手続きもできない、と決定的な時期に口にした。理性はあったのだ。
ところでこの準閉鎖病棟へ入院となった瞬間から、JBの味覚高揚は消えていた。
彼の方から離婚をいう、それこそ万全だった。その気にさせることがあたしにとって受け入れられる事態だった、離婚する気はなかったのだが。簡単に離婚などしない、もっとややこしくなる。もちろんそれでもいいけれども。ややこしくなるのは事実だ。
そんなありきたりの世間的な思惑のせいではなく、以前からの、ドイツ移住を決める前から気づいていた、奇妙な恐れがあたしの中に消えずにあった、まだあったのだ、彼の1月以来の憎悪、それからこの時に発生したさらなる憎悪にもかかわらず。
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数え上げ その2
2020-01-04 01:02:06報告
8つ、9月末に夫婦で協力体制をとり無理を言って退院、JBは自分からホテルクローネに3泊した。
その時に末息子が孫とドイツに来たのである、そんなこととはあまり知らされずに。JBには息子が大切であり尊敬もしていたので、ホテルから自宅に戻ってみんなで暮らした。昔懐かしいミュンヘンへみんなで旅行した。しかしそれは昔みんなで(孫はいなかったが)イタリア旅行した灼熱の夏、あたしと息子を病気にしてしまったほどのJBの無駄な頑固さを思い出させた。あたしたちは恨んでいた。
帰りに息子は父親のいつもの他人批判にかっとなり切れて怒鳴り散らし、家には帰らずそのまま日本に発ってしまったのだった。「あんたはクソだ、みんなをクソだという奴はクソだ」可哀想に涙をボロボロ流しながら、大の大人が。こんなことの原因でありこんなことを引き起こしたJBを許してはならないのだ。
9つ、JBに離婚を言わせるまでのこと。その後の変化の次第
9月初めにアルザイ病院に入ってから、主にスマホのSMSであたしたちは言い合いをした。際限もなく。あたしの別れたいのに別れられないためのあれこれの言い逃れ、JBの方は一人にされると困るので、これまたあたしを愛してるなどという状況ではないのに離せない、そんな二人の地獄の言い合いであったのだけれど、ついにそのうちに、JBがもううんざりだ、離婚すると言った。あたしはやはりほっとした。そこに行って欲しかったのも確かなのだ。その後考え出したらまた堂々巡りだが。
JBは、離婚を覚悟してから憑物が落ちたかのようで、理性が戻ったかのようだった。
9/26 忘れもしない、この日初めてのセラピーがあった、あたしのためだ。ドーラがあたしに告げた共依存という言葉にずっと煩わせられていたが、認めたくなかったのだが、1時間喋った後ギーホフ医師が「ご主人のことしか話しませんね」と言ったのが心に残っていた。
帰りのバス停で待っている時、急にはっきりした。そうだあたしは共依存なんだ。病気であり洗脳されていたのだ、罪の意識に、と現実を認識できた。そんな明白さは神の言葉である。真実なのだ。それから、急に妙な不安心配恐れを抱かなくなったような気がする。そんなふうに心が流れていかない。その後も何か話すべき神秘な出来事が起こるので毎回セラピストに喋り倒した。そんなふうに「神」を引き合いにして生きているあたしが正常かどうか、それを専門家に見ていてもらいたいのである。
この間に訪問客があった。3組。そして4組目が例の捻挫関係である。
智子さんとの万全の捻挫への感謝記録は10月末から10日間のことである。
捻挫事故によって、確かにある程度JBにも、あたしの脆さが、老化が、その自分への意味がわかったと思うが、その後さらに彼の態度の変化を促すような恵がマイナスプラスの波に洗われて現れていたのである。
少しでも時間の余裕ができると、懸案のあたしのビザ更新のために(それは11月29日の予約日であった)外国人の夫の妻の呼び寄せについて、という難民用の法律を理解しようとネットをググっていた、という話の続きはもう前々章で書いたように、意外にもあたしの自分への見方がコロリと変化し、大いに低下した、その相対的な動きとして、もちろんJBが軽蔑すべき人ではなく、敬愛すべき人に変化したのであった。
これは典型的な馬鹿みたいな話だが、不思議な話である。JBにも感じられている、あたしの変化が。あたしは動じなくなっている、彼のどんな態度にも。
JBのパソコンを壊したというマイナスから自分こそ責任者だったというプラスの波へ。正常な意識の動きとは思えないとはしても、JBの態度の変化、あるいは夫婦の関係変化にほとんど結論的に寄与したと思われるのでここにまとめておこう。
*****
しかしなお二人の態度に基本的に影響を与えたのは、黒服女史ドーラであろう。
ウクライナ人のナディアは、原因不明の無視行動であたしを辟易させ、彼女の店から撤退させたのだが、同時期に、ドーラが現れ、偶然にお茶を飲んだり語り合ってミニコンサートに行くようになった。そのいずれにも邪魔をするのが定番のJBである。何度でも電話してくる、DVの定番、所有物監視行動である。
自分が体験したことは、誰かが隠そうとしてもすぐにお見通しである。
(ドーラが自ら話してやまない人生航路によると、未成熟な両親がたくさんの子供の世話を長女のドーラに任せて遊びまわっているという悲惨な子供時代を過ごした。才智に恵まれていたので飛び級したほどだったが、家を出るために進学より就職を選んだ。努力もしてキャリアを積んだ。しかし恋人も結婚相手も親の愛にうえた同じ自己愛タイプであったため、女児3人を得たが離婚する。その時に心身ともに生きているのが奇跡と言われるほどの暴力を受けた。この時に臨死体験をする。2度目の結婚離婚も全く同じ結果であった。その間に両親を離婚させた。娘たちとは疎遠になり今は誰も相手にしない、ドーラも御免である。現在の病状は2重PTSD障害あるいは、JBの知識によるとニーチェの患った梅毒障害に酷似する、ひどい心身の苦悩の日々)
ドーラは自分がしたように、もう絶対に改善するはずもない壊れた人間から離れるように、別居するようにとあたしを説得する。一緒にいることであたしが壊れるのはもちろん、彼も一層自立した一人前の人間から遠ざかる。
彼女の言葉と主張はとても厳しくてあたしは呆然とするのであった。JBが実はホモであり、彼の病状が詐称であろうなんて、とんでもないことに思われたし、第一、あたしはすでに日本で決意したのだ、神の前に、神の愛にかけてJBを立派に死なせると。負けないという背景があった。
そしてこれは数日前に起こったのだが、ドーラは改めてあたしを不誠実な嘘つき、上部を飾り利益をくすねるためには人を破壊して恬としている、あるいはとんでもない弱虫であり嘘を平気でつくと、揶揄した。
しかし、彼女自身の現在の体調や孤独や人間批判、自己承認欲求を見ていると、真っ直ぐに生き抜いたとは言え、臨死体験により至福の世界を知り、本当に霊気や修行をした人物とは思えないようなテイタラクであった。
あたしはむしろ、彼女があたしに救いを求めているように感じる。その逆ではなく。彼女はそう思っているのだが。あたしは彼女を救うためにいるのだとあたしは思う。たとえ双方からそうであるとしても。
変な表現だが助け合い競争のような二人の態度である。他にもおそらくドーラにはあたしをもっと近づけたいという何か別の魂胆があるような気もする、それは不愉快だし気味が悪い。
それにしても、あたしはお人好しの莫迦さ加減で、次第にJBにドーラの考えを注進し、我々は心理的病気状態なので別れねばならない、しかし別れるにはあたしには心配が残ると訴えたのである。ヘルパーやホームやあるいは別の女が必要だと。
そのせいかあらぬか、すでに現に、あるいはあたしがガンとして受け付けないので、一人で病院へ行き、ナディアのケーキを食べに行き、相変わらず腰痛で唸りながら、できることはするようになった。外出中のあたしに電話をかけて来なくなった。
あたしは着々と介護体制に他人を引き入れる策を進めた、たとえば、彼の病室に冷蔵庫と電子レンジを買おうと言った。あるいは日に2回無理してでも(どうせ彼には運動が必要なのだ)階段をのぼりキッチンに来て食事をすること。これはまだ実行されていないが、あたしが熱いものを階段で運ぶのは事実とても危険だった。嘘ではない、絶えずひやっとする目に遭っているし、捻挫の数日後また、階段を滑り落ち持っていた全てを壊してしまった。運ぶために火を消し忘れることが往々にしてあるのも強調しておく。
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これより話が遡るし、すでに書いてもいることなのだが、ことここに至った原因なので触れておくと、10月半ばごろ、ドーラと偶然に出会った時あたしの滞在許可タイトルの話になった。現在の夫と同居している限りの許可で3年という期限つきである。これを不審に思ったドーラに付き添われて役所に行き、彼女の言動に惑わされた職員が予約日をくれた、ただ、ドーラはその理由に、あたしたちが別居していると強調したのであった。
それから流石のあたしもドーラとの連絡を絶った。ドーラは何を意図しているのか、あたしをドイツから追い出すつもりか。それに職員が新たにどう理解したかも定かでなかった。おまけにドーラは、こんな世話焼きをすれがお金になるはず、とか手引きしたから後は自分で必要なことをするようにとも言った。それであたしは、彼女のもう一つの言葉、書類書きを手伝う、というのも無視した。むしろJBをあてにした。検討した結果、どうも職員はJBを外国人だと感じている節があった。ドイツ人向けの別な書類がネット上には存在していた。
こうして夫婦で予約日に出かけた。この間に、ドーラにはミュンヘンから一度電話したのみで連絡は全くしなかった。彼女が苦しんでいるのを感じたがどうしようがあろう。彼女の偏屈と思い込みがそうさせるのだから。
ところで変なことに、彼女には公平さと共感もあった。変な人ではある。そういえばあたしの自室を見て、遊び半分の人だと評したっけ。そんなことは言われたことはない、今、自由な人間になりつつあるのだ。ドーラはあたしをとても誤解している。失礼極まりない。
さて、当日だが、職員のポン氏は、「で、別れたのですか、友人は別居のことを強調してましたが」と開口一番。あたしはびっくり仰天だ。そうか彼はそこを重要視して聞いたのだ。30年前のデータをミュンヘンに要請したが届いてないと。それではJBが純正ドイツ人だということも不確かなのか。
あたしは必死で嘘をついた。彼女がどの程度言ったのよかくわかりませんでした、あたしには。夫婦にはいろいろありますから、別れません、一緒に暮らしてますとも。JBと二人揃ってきたので、彼は
「そうなら、誤解だったということで今日は無駄足でしたね、2年後にまたより良いものを」
「あの、夫がドイツ人だということは確信してますか?」
「そうですよ、ドイツ人の妻の滞在許可、ということで扱っています」
「でも、どうしても今日は永住許可はダメなのですね、昔7年共同生活していたのに」「そうです、それは計算に入らないのです」
やっぱりドーラの策では今頃もう追放されていて今後の生活の汚点となったことだろう。たとえあたしとしては帰国しても何ら差し支えないとしても。別居しているが古い結婚なので永住許可に切り替えてもらうというドーラの魂胆は、薄氷を踏むように危険極まりなかったのは確かである。彼女の試みの危険が見抜けなかったのは、年寄りで、言葉の理解が完全でなかったからである。あたしは今回ラッキーだったとみなすべきだ。
10、ドーラ関係追加。
迷いに迷った末、このままでは失礼だろうと、日本人的な思惑から、最近訪ねて言ったところ、マリファナ治療でこの1週間改善したと言った、それほど最悪だったらしい。あたしを探し回ったりしたと。おかしくない? 過去の自分とこの年寄りを重ね合わせているのか? 彼女のいわゆるPTSDの症状は、鬱と攻撃性、日光恐怖、人間嫌悪、身体中の痛み、不眠である。
ところでその少し前、あたしはあっと気がついて、彼女の実相を拝んでいたのだ。そうか、それで彼女はふと決心して治療用のマリファナを買いに行ったのだ。
いかに彼女が失礼だろうと、誤解していようと、あたしは神の友達だから壊れようはない、ただただ尊い生命の実相を拝む、これは何とぴったりの言葉だろう。
昔30年前もあたしはJBを拝んでいた、と思っていた。本当は悪相を拝んでいたのだ、改善するはずがなかった、修行が足らなかった。
そしておまけに、あたしは勇気を出して、霊気をあんたから学ばせてとドーラに言った。そうすることで彼女に益もあるはずだった。そしてさらにセラピストへの自己申告書のドイツ語を見てくれるようにとも頼んだ。彼女がしっかりするように。
そしてなお、自然科学雑誌を持って行った。人類と脳のついての最新情報だった。彼女が客観的になれるように。
これが現在、2019年末、12月15日である。実録。無心に拝む毎日にせねば。それ以外にない。意識など使うも無駄だ。
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笑ふてる魔法の画面の孫十歳 天使の人形届きたる朝
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