お酒って怖いよね
吉田 有
お酒って怖いよね
酒は良い。まず美味いだろ、そんでだんだんふわふわしてきていつの間にか身体中に幸福が満ち満ちているだよ。
いつもは仕事で成功したいだとか、友達によく思われようだとか、彼女が欲しいだとか何者になりたいだとか、どうせ叶いやしない希望をてっぺんに光らせて、それをしるべに昼夜問わず働き続けるんだ。真面目すぎたんだよ、俺たちは。
だが酒はその程度なら全部曇らせてくれる。曇らせて、終いには最初っからなかったことにしてくれる。そうして曖昧な幸せが身体を浮かせて天まで昇らせてくれるんだ。何をやっても気持ちよくてたまらないが、特に女とヤってるときだ。そのときだけは、間違いなく俺は天国にいる。昔アメリカが酒を禁止する法律を出したそうだが、結局密造酒だの違法酒場だので溢れて、終いには世界恐慌で批判を浴びて頓挫だ。結局、人間は酒が大好きなんだ。先のことなんか全部忘れて、その場で幸せになりたいのさ。
そんなことを言っていると、妻は顔色ひとつ変えずにこう返してきた。
「まぁパァーっとなるっていうのはすごくわかるのよ、私。でもね、シテるときだけは勘弁して欲しいのよ。飲むと直ぐに萎えちゃうか、勃つにしても固さがないじゃない?自分が気持ちよくなるのはいいけどもう少し私たちのことももう少し考えてくれてもいいんじゃない?」
いつもと変わらないサバサバとした声で返事をする。彼女はこれでもラジオパーソナリティなのだ。地方局だとはいえ、こんな下品な会話をラジオでもしている。地方局だとはいえ、ホンネの本音なんて番組銘打って、これでよく番組が打ち切りにならないものだ。
あぁわかったよ、そうだったな。次からは気をつけるよ。
俺はそうやって妻の気をなだめる。だがそんなやりとりでさえも楽しく思えてくる。心に思ってる言ったところでなんのメリットもないことを吐き出して、それに返事がくる。会話をしているんだ。独りほど恐ろしいものはないから、返事が来るだけでとても愛おしい。
妻は続ける。
「お酒って怖いよね、そうやってあることないこと喋り続けて。そのうち変な問題起こすわよ?それに、あなた飲みすぎたら最悪死んじゃうのよ?もしあなたがそんなにお酒ばっかりに頼っちゃうようなら」
ラジオをつけなさい、と。
そうだ、ラジオをつけよう。外は満月だ。こんな夜に、妻とふたりでラジオを聴きながら酒を洒落込むっていうんだ。そんな素敵な夜はない。何かが俺に叫ぶが、そんなの気にしない。
俺はラジオを取りにいって
やめろ
お気に入りの放送局に合わせて
やめろ
音を、出した。
「〜〜さぁ今日も始まりましたホンネの本音。今日もMCは私山川が務めさせていただきます。しかし、今日でついに1年が経ちましたよ。今日だけは、少ししんみりと思い出話でもいたしましょう。こんなに月が青いんです、まさしく、1年前に亡くなった、いえ、1年前からMCの席を空けている星野月夜の名前にふさわしいのですから。彼女は…」
あぁ、そうだった。
妻は、死んだんだった。
1年前の今日、俺が昔付き合ってた女に刺されて、死んだんだった。
そんな女と付き合ってたのは誰だ?
そんな女に見つかったのは誰のせいだ?
彼女を殺したのは、誰だ?
俺だ。
俺が彼女を殺したんだ。
俺がそんな女と付き合ったから、そんな女が未練を残すようにしたから、そんな女に二人の時間を見られたから、そんな女から彼女を守るのが遅れたから、彼女は死んだんだ。
全部、俺のせいだった。俺が彼女を殺したんだ。
酒だ。
酒を飲まなくては。忘れなければ。至福を感じねば。楽しくならなければ。気持ちよくならなくては。思考を宙に浮かせなければ。
天に昇らなければ。
スマートフォンを手に取って、妻の声が流れるそれを停止し電源を切る。
外からの風によって靡いたカーテンの先、窓からの満月か俺たちを照らす。その光が、俺と、止まったままの妻の笑顔をよりいっそう蒼白く輝かせる。
酒はいい、希望だとかそんなもんは忘れさせてなかったことにしてくれるから。なのに、
本当に忘れたい後悔だけは、なかったことにしてくれない。
お酒って怖いよね 吉田 有 @You_yoshida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます