会者定離

舶来おむすび

会者定離

 ヴィクトリア式のロングスカートをさばきながら、転がっている瓦礫をあらぬ方へと蹴り飛ばした。メイド服の裾から覗く奇蹄類めいた脚は、しなやかな風切り音を奏でつつ、身の丈ほどのそれを宙へ吹き飛ばす。

 遥か後方から地響きと悲鳴が聞こえたような気もするが、今は些末事と切り捨てた。

「まだ、諦めませんか。名もなき旅人よ」

 輝く大剣を支えにかろうじて立つ、襤褸ぼろをまとった青年へ声をかけた。ぎらぎらと瞳ばかりが雄弁に、感情の炎を燃やしている。それが怒りなのか、あるいは悲しみなのか、メイドにはとんと判断がつかなかった。感情に応じて文字通り目の色が変わる仲間たちと異なり、人の感情は複雑怪奇だ。読み取りにくく難しい。

「なぜだ」

「何がです?」

「なぜ。あなたはまだ、立っている」

「まだ、動けるからですよ。お嬢様のために、可能であるならそれを限界まで遂行する。私の衿持だとでも思ってください」

「だが、その……」

 青年の視線の先を追って振り返った。夜闇にそびえた魔城はもはや跡形もなく、透き通るような晴天が廃墟と化したそこを彩っている。

「『終夜よすがらの女帝』でしたっけ……あなた方が名付けたのは」

 似合っている、と思う。魔の血を引く者の常として、彼女もまた夜が好きだった。名が知られ始めた時分より囁かれた称号なのも相俟って、誇りとすら捉えていた節がある。

「それがああなってしまっては、なるほど確かにお嬢様は薨れたのでしょう。あなた方の勝利ですね、おめでとうございます」

 褒めたというのに、表情が歪んだ。いや、これはもしかすると笑みなのかもしれない。人は笑うときに歯を見せると言うから。

「……『女帝』はもう、どこにもいない。彼女の配下も、皆が降参したと聞く。あなたが戦う理由は、ないはずだ」

「言ったでしょう? お嬢様のためだ、と。彼女の命令を叶えるまで、私はここから離れるわけにはいきません」

「ではその『命令』とは何なのです!」

 この男は何故、こうも必死なのだろう。旅人に身をやつした青年。輝ける神の剣に選ばれた者と主は見抜いていたがゆえに、敢えて城へと招き入れた。一宿一飯の恩義を着せるふりをして様子を見る、それだけのことで何を感じたのやら。

「『贈り物をあげる』と、言われました。だから、ここで待つようにと」

「……は、あ?」

「だというのに、来たのは敵の首魁。まったく、お嬢様は最後の最後まで私を騙したのでしょうか」

 思えば、出会った時からいたずら好きだった。魔族を山と召し抱え、恐れ知らずに各地を蹂躙しながら、やることなすこといつまでも稚気が抜けなかった。私も、仲間たちも、自制の欠けた思い付きに何度ひどい目に遭ったことか知れない。

「待て、違う、あなたは───」

「私はその命令を守っているのです。あなたはどうせ、何も知らないのでしょう? でしたら消えてください。私はここで『贈り物』を待たねばなりませんので」

 一息に言い放ち、視線を逸らす。

 この男に用はない。私が待っているのはいつでも、お嬢様が私を呼ぶ声だけなのだ。

『───サラ!』

 吹き付けて消える一陣の風のように、総身を叩いてかき消える叫び声。たとえ彼女がこの世を離れ、光も闇もひとしく呑み込む『変転の輪』に加わったとしても、きっと私を呼んでくれると信じていたから───


「───サラ!」


 ───時が、止まったかと思った。

 お嬢様のそれとは違う、深くて低い声。だが、抑揚から何からすべて同じだった。似ているなんてものではない。まるでそっくりそのまま複製したかのよう!

 いやそもそも、それ以前に。

「あな、た。今、なんて」

「……サラ。あなたは、サラなんでしょう?」

 青年は、笑っていた。ぼたぼたと、何本もの透明な筋を頬に伝わせて、鼻の頭を真っ赤にしながら笑っていた。

「覚えて、ないかあ。15年、前だもんね」

 ぼくの村が焼かれた日───と呟いたのを見て、頭がぶわりと熱を帯び膨れ上がった感覚に襲われた。

 足下を見下ろす。髪の毛と同じ、焦茶色の毛並みが包む馬の脚。今の今まで何とも思わなかったのに、どうしてこんなにもちぐはぐに感じるのだろう。

 クラシカルなメイド服。上等な布地だ。肌をすべるような触り心地、『あの頃』に幾度も夢見た服。

 そして、ああ、そして何より、目の前でべそべそと泣きじゃくる青年の顔立ち。

「…………もしかして、君は」

「そうだよ、サラ。あなたが生きてることを信じて、僕はずっと歩いてきた」

 ごめんね、と口の中で転がすように言葉をこぼして、青年は───すっかり大きくなった弟は、私の前に立ちふさがった。

「これ、『女帝』……『お嬢様』から、渡すように頼まれてた。贈り物って、たぶんこれのことだ」

 すすけたマントの中から現れたのは、小さな白い花の束。花弁が7枚、棘が環状に規則正しく並んでいる。ああこれは、たしかあの城と人の住む町の境に生えていたものだったか。

 名は何と言うのだっけ……と記憶をたぐりよせながら、ふと鼻を近づける。

 なつかしい、煙と熱の匂いがした。



『お……様、これ……の子です……』

『は? ……あら、……しいこと…………食べてしまおうかしら』

『私の……収集……ションに加えて……』

『おやめ』

 ざわざわ、ざわざわ。

 音の洪水を割るように、ほっそりした指が伸ばされる。

『火傷をしている……脚は、どうにかしましょう。身体は……そのままでいいわ』

『でも、これじゃあまるきり人間です……』

『いいの。……私の世界にひとりくらい、光の住人がいたっていいでしょう?』

 髪に差した白い花を揺らして、小さな身体がけらけら笑う。

 甘く甲高い声だけが、夜の帳に謳っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

会者定離 舶来おむすび @Smierch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る