胡乱文芸部ワンアワーライティングチャレンジ企画用

笛座一

最後の晩餐(お題:欠落したものが回復する。)

 改札を通り、男はいつものようにホームへと向かう。年齢は若者と呼ぶにも、中年と呼ぶにも中途半端な年齢のはずだったが、その表情はとても働き盛りの男性とは思えないほどに暗く、歪んでいた。まるで、生きていること、それ自体が苦痛であるかのように……


 都内某所、某駅、時間は深夜、丁度日を跨ぐか跨がないかの瀬戸際。駅のホームには、男以外には数人いる程度だ。当然だ。次に来る電車で終電なのだから。電車が来るまであと三分もない。周りの人々は、とくに何をするでもなく、手元のスマートフォンを見て時間を潰していた。

 男は違った。今か、今かと、身体を小刻みに震わせながら、電車の到来を待っていた。


 この男は、これから、その電車の目の前に飛び込むつもりなのだから。

  

 今思えば、最初から限界のまま、何年も放置していたのが祟ったのかもしれない。新卒で入った会社が、ブラック企業だった。テレビではよく見る話しだったが、いざ自分がとなったときに、男は最初に思ったのは「まさか」だった。疑問ではない。冷笑としての意味でだ。

 同期がどんどん辞めていったときだって、周りの耐性がないと思っていた。どんどん退社時間が遅くなっても、それは自分の要領が悪いからだとばかり思っていた。上司に怒鳴られても、次から失敗しなければいいと思っていた。この御時世、簡単に転職なんてできるわけがない。それに、簡単にやめるような奴に、他に居場所などあるわけない。そう思っていたのだ。

 だから、自分の身体のSOSに気が付かなかった。いや、違う。見ないフリをしていたのだ。

 今日のことだ。いつ終わるか定かですらない量の仕事を抱えたままの残業中、男は用を足そうと立ち上がり……そのまま倒れてしまったのだ。その時、周りには先輩社員もいたはずなのに、誰も男を見もせず、黙々と作業を続けていた。そればかりか、聞こえるように露骨に舌打ちをする音すら聞こえた。

 こうなったこころあたりは分かる。睡眠不足だ。ご飯だってまともなものを食べる時間がない。運動などする暇もない。そんな生活を今までやっていて、むしろ何故、身体が壊れないと思わなかったのだ?


 もう、限界かもしれない……


 男は、残業中に、勝手に仕事を抜けた。フラフラと、あてもなく、行き場も思いつかず、ただいつものように駅に向かって歩いていた。

 仕事を放置したことを思い出し、男はどうしようかと考えた。答えは直ぐに出た。


 死ねば、俺は解放される。




 結果を言えば、電車が来ることは無かった。


『先ほど、○○駅におきまして人身事故が発生し、現在電車が遅れております……』


 構内に響くアナウンスを聞いて、男は苛立った。どっかの誰かのせいだ。勝手な奴が線路に飛び込みやがったからだ!自分がしようとしてたことを棚に上げて、男は地団太を踏む。

 電車は当分来そうにない。どうしたらいいんだ……

 そう考えて、男は考えたようとしたが、長年の疲労で限界の脳が解決策をだすわけがなった……

 駄目だ……考えることすらできない。


 そうやってその場で頭を抱えていた男の視線に、ふと、ある光が見えた。


 屋台だ。こんな深夜にも関わらず、屋台が営業している。


 その屋台は駅の外に位置していた。今まで気にもしていなかったが、あそこでなら何か食べれるかもしれない。

 男は来た道を引き返し、改札へと向かう。これから、最後の晩餐なのだ。

  

 その屋台は、おでん屋であった。屋台に簡易な椅子が数個設置しているだけの、TVなどでよくみるものだ。客入りが悪かったのだろうか?深夜にも関わらず、鍋の中にはそれなりの量の具が残ったままだ。その中から、とりあえず、適当に卵とこんにゃく、大根を注文した。どうせこの後に死ぬのだから、適当に選んだのだ。

 最後の晩餐がおでんとは……出されたものは、なんの変哲もない、普通のおでん。最後にくらい、もっと豪勢なものを食べたかったな。そう思い、男はおでんを口にした。


 そう、それだけで終わらせるはずだったのだ。


 そのおでんが格別に美味しいわけではなかった。ただのおでんだった。だが、それと同時に、男にとっては久々の、暖かく、栄養のある食事だったのだ。男は自分でも驚くくらい無我夢中でたまごを食べた。こんにゃくを喰らい、大根に噛り付いた。そして、自分の目の前からおでんが消えて、はじめて気が付いた。

 

 もっと食べたい。これでは足りないと。


 男は飢えていたわけではなかった。だが、それと同時に、今までの食事は、単に「死なないため」に摂取していた程度だった。だから、こうやって、食べ物を味わって食べるということをしばらくしていなかったのだ。そう、これが本来の食事なのだ……ただ口に入れるのと、味わうのでは全く違うのだ。


 気が付けば、おでん屋の店主がニコニコしていた。ああ、なんということだ、鍋はもう底をついているではないか。


「そんなに腹が減っていたのかい?」


 気さくに話しかけえてくる店主に対して、今更ながら男は羞恥心を感じた。ああ、まさか、ここまで夢中になるなんて……だが、不思議と不快感は無かった。むしろ、いままで自分の中で欠落していた暖かさを、今、身体の内側から感じていることに、感謝しているくらいなのだから。


「だけど、悪かったなあ」


 男は首を傾げる。

「そんな腹が減ってるのなら、牛の角煮もいれときゃよかったよ」


 角煮!男は思わず復唱する。


「明日になったら有るんだがなあ」


 そう言って、店主はへへへとバツが悪そうな顔をするのを見て、男は思わず笑みを浮かべてしまった。


 ああ、明日も生きる理由が出来てしまったと、心の中で呟きながら。


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