ブルーフェアリー・ガール
咲倉 未来
第1話:訳ありな、お針子嬢と伯爵令嬢
――カラン、カラン
街の小さな雑貨屋で店番をしていたアメリは、扉を開けて入ってきた客に笑顔で挨拶した。
「いらっしゃい、エラさん」
「ごきげんよう、アメリさん」
エラはニーライン伯爵令嬢という身の上で、事情があって先日この雑貨屋にドレスを一着持ち込んだ。
雑貨屋はレースやリボンなどの洋裁の材料を取り扱っていて、簡単なお直しも受けてはいた。
けれど令嬢の着るドレスが持ち込まれたのは、初めてであった。
エラは自分が非常識な行動をとっているのは重々承知していた。それでも彼女を駆り立てるだけの事情があるのだ。
相談を受けたアメリもまた、諸事情により最近雑貨屋に住み込みで働きだしたところであった。
通常であれば令嬢のドレスのお直しなど街の雑貨屋が引き受けられるはずもないのだが、腕に覚えのあるアメリはこれを快諾する。
そして約束の日の今日、エラは半信半疑で店に訪れたのだった。
「あの、それで、先日お預けしたドレスはどうなりましたか?」
アメリは店の奥にいる店主に断りを入れると、自分の寝泊まりする部屋へとエラを案内する。
扉を開けると、そこには先日エラが預けた桃色のドレス――ではなく、美しいドレープが波打つ水色のドレスが一着、部屋の真ん中に置かれていた。
驚くエラを前に、アメリは勢いよく頭を下げる。
「預かったドレスじゃなくて、これを着て舞踏会にいってほしいの。お願い! このドレスはこのままだと誰にも着てもらえないの」
「どういうことですか?」
驚いたエラは、アメリのお願いよりも彼女にそうさせた理由が気になった。
理由を聞かれたアメリも、無理なお願いをしている自覚はあるため、経緯を包み隠さず話すことにした。
「私、元はブルーノ商会でドレスのデザイナーとして働いていたんだ」
「ブルーノ商会って、最近貴族の間で人気のドレスを扱っているところですよね。すごいわ!」
「もう辞めたんだけどね。それで雇ってくれる工房を探したんだけど全然ダメで。ドレスも作ってみたけど売るあても無くてさ」
勢いで辞めたあと思った以上に再就職先に難儀したアメリは、持ち込み用にと作り始めたドレスが仕上がる頃には、再びドレスデザイナーとして活躍する夢を諦めざるを得ない状況になっていた。
ただ、夢は諦めても一生懸命作ったドレスが日の目を見られないことだけが、作り手として後悔しきりであった。
そんなアメリの元へ、偶然にもエラが舞踏会に着ていくドレスのお直しを持ち込んだのである。
軽く十年以上前に流行ったデザインに所々シミのついた布地は、どう直しても悪目立ちしかしない仕上がりになるのが一目でわかった。
それでも着ていくドレスが必要なのだと必死に訴えていたエラなら、アメリの作ったドレスを着てくれるのではないかと思ったのだった。
「でも、私にはこのドレスの代金は払えないわ」
「支払いはいらない。このドレスを着て舞踏会に行ってほしいだけなの。それで沢山の人に見てもらいたいんだ」
きっと、これが最後の仕事になるから、とアメリは心の中でつぶやいた。
「私にとっては、夢みたいな話ですから喜んで引き受けます。でも、こんなに技術があるのに、どうして辞めてしまったの?」
エラの言葉に、アメリの脳内で忘れたくても忘れられない記憶が蘇る。
「ブルーノ商会の会長の息子と三カ月後に結婚する予定だったんだけど、用意していたウェディングドレスを売られちゃって破談になったの」
アメリのドレスは貴族の間で非常に人気があり、その腕を認められてブルーノ商会の会長から息子テイラーとの結婚を打診された。
二人とも幼少期から知っている仲で互いに相手への不満もなかったので、トントン拍子に話は進んでいたのだが――。
ある日、休憩時間にアメリが部屋に戻ると、毎日少しずつ作りつづけていたウェディングドレスが消えていたのである。
泥棒が入ったのかと慌てて婚約者のテイラーに相談にいくと、そこで信じられない話を耳にしたのだ。
『アビゲイルの友人が、急ぎで結婚式を挙げることになって我が商会にドレスを注文しにきたんだ。既製品は嫌だといわれて仕方なく君が作っていたウェディングドレスを見せたら、すごく気に入ってしまってね。その場で購入してもらったよ』
『はぁ?!』
『ごめんなさい、アメリさん。相手は貴族のご令嬢で、断りづらくて……』
テイラーの斜め後ろで、彼の妹であるアビゲイルが申し訳なさそうな顔で謝罪するが、許せるはずがない。
朝から晩まで足が棒になるまで働いたあと、寝る間を惜しんで作りつづけていたウェディングドレスである。
『ふざけないで。今すぐ返してもらってきてよ!』
『もう支払いが済んでしまったから無理だよ。それに君ならいくらでも作れるだろう?』
『結婚式まで三ヵ月しかないのよ? 舞踏会開幕前の繁忙期で時間だって取れないじゃない!』
今年は王太子の婚約者選定も兼ねた舞踏会があるせいで、例年の倍以上にドレスの注文が殺到していた。
王太子がずっと婚約者を決めないことで令嬢達が婚約を見送っていたのだが、今年は遂におこぼれに預かれそうだと考えた子息達の一張羅の注文も、山のように入っている。
『……なら、店にある既製品に手を加えるとかして、間に合わせればいいじゃないか』
テイラーの身勝手な発言に、アメリの堪忍袋の緒が怒りの炎で焼き切れた。
――こんな奴と絶対に結婚なんかしない!
そして、二人は盛大に喧嘩し決別したのだった。
「た、大変な苦労をされたのですね」
「結婚しなくて正解だったと思っているから。でも、エラさんだって事情持ちでしょ?」
古いドレスを街の雑貨屋にお直しに出す令嬢など、普通ではない。
「私は、母を亡くして父が再婚した方と折り合いがつかないといいますか。義理姉と二人で雑用をたくさん言いつけてきて、ドレスを作らせてもらえないくらいです」
控えめに言っても虐げられているのは明白だった。
「私も母親は子供のころに死んじゃったな。お針子していた母のおかげで、そのまま仕事させてもらえたから良かったけど」
互いに共通点を見出し、互いの希望を最高の形で叶いあえた二人の仲は、急速に近づいていく。
「でも、よかった。このドレスを着てもらえる人ができて。今年は山ほどデザイン画を描いたけど、どのドレスも仕上がりを見られなかったのだけが心残りなのよ」
「なら、アメリさんも舞踏会に一緒に行きましょう。きっと誰かが着ているはずです」
「え、は?」
「シーズン初めの舞踏会は、王太子殿下が貴族から平民まで招待状を配りましたから。アメリさんも参加できるはずです」
確かにアメリの元にも招待状は届いていた。
なんでも王太子が意中の女性を見つけるために、国中の女性を招待すると公言していたからだ。
ただ、実際には平民で舞踏会に参加できる装いを準備できるのはごくわずかな金持ちだけであり、これらはただの演出だろうと思われていた。
「そ、そうは言っても、ドレスだって」
「ありますよ。ここに桃色と水色のドレスが二着。私は桃色を着ますから、アメリさんは水色を着てください」
「いや、それはいい。私は水色のドレスを着てもらった姿を見たいだけだもの」
「ハイヒールや宝石類なら私が用意します。一緒に行きましょう!」
エラの強引な誘いと、もしかしたらデザインしたドレスを一目見られるかもしれない誘惑に負けて、アメリは舞踏会へ参加することにしたのだった。
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