第3話 聞け、残酷な事実を
「紅茶、ありがとう。美味しかったよ」
「お茶菓子を準備できず、申し訳ありません」
「いや。そこまで悠長に構えてもな……お」
「どうかされましたか?」
中庭には屋根がなく、雨が降ると俺の座るテーブルセットも濡れて紅茶どころじゃなくなってしまう。
心配そうに俺を見やるディアナに向け指先で空を指す。
ちょうど俺の視界に入るようにカラスが飛翔しくるくると空を舞っていた。
「カラス、ですか?」
「桔梗。もうここには俺たちしかいない。気にせず出てきていい」
空に向かって呼びかけると、カラスが屋根の向こうに消えていく。
「イル様」
「きゃ」
気配を全く感じさせずに後ろから俺の名を呼ぶ抑揚のない少女の声。
突然のことにディアナが悲鳴をあげる。
体ごと声の方に向き直ると、猫耳の黒装束が片膝をつき頭を下げていた。
「簡単にでいい、報告してくれ」
「市井に目立った動きは、無しです」
「ヴィスコンティ伯の噂は?」
「ところどころで」
「なるほど。既に市中にまで知れ始めているってことだな」
「はい。反応は様々ではありました」
「分かった。後で詳しく聞かせて欲しい。次の指令をいいか?」
黒装束の猫耳少女――桔梗は小さく頷きを返す。
次の言葉を待つ彼女に対し、頼むべきか少し悩む。
ええい、是非も無しだ。
準備するにし過ぎるってことはないだろ。
「先に一つ。ネズミとコンタクトは取れたか?」
「はい。お待ちしている、とだけ」
「分かった。行く際は誘導を頼む」
「承知しました。カラスで示す、でよろしいですか?」
「横を歩いてくれる方がいいんだが、その格好じゃ逆に目立つな」
「影は影らしく。イル様を陰ながら御守りしつつ、誘導いたします」
桔梗は膝をついたまま顔をあげ、無感情に言葉を返す。
目元と猫耳以外を布で覆っているから表情は見えないけど、きっと眉一つ動かしていないのだろうな。
彼女は隠密として自分の任務をこなそうと、私情を出さぬようにしている。
これも俺を想ってのこと。彼女を影としたのは俺だ。最後まで責任をもって彼女の面倒を見るつもりでいる。
もう一人の影である九曜も同様に。
「夜までに準備して欲しいものがある」
「はい」
「カツラと服だ。どのようなものにするか、桔梗の好みで適当に集めてくれ」
「……桔梗が……ですか」
ロシアンブルーの猫耳がピクリと動く。これまで平坦だった彼女の声色に明らかに動揺が見て取れた。
いつもは「承知しました」と即答する彼女にしては珍しい。
そこで、ここまでずっと俺たちの様子に狼狽し押し黙っていたディアナが口を挟む。
「イル様。それでしたら、私が持っております。もしよろしければそちらを」
「お、ならそれでいくか。ディアナ。夜までに見繕っていて欲しい。桔梗、夜まで街の噂を、特にヴィスコンティ伯と王族のことを中心に」
「承知いたしました。至らぬ点、申し訳ありません」
「いや、俺も無茶振りが過ぎた」
右手を振ると、桔梗がすっと立ち上がり回廊から天井を伝い姿を消した。
「驚かせてしまったな。今までディアナにまで秘密にしていてごめん」
「いえ。イル様のことです。深いお考えあってのことでしょう。あの方は?」
「彼女は桔梗。スフォルツァ家のつまはじき者の俺は、誰かに消されようとしても不思議じゃない。だから、情報収集を行うことと魔の手から護るために雇っている」
「それでしたら、これまで通り、秘密にされていた方がよろしかったのでは」
「これからは、ディアナとサンドロには秘密事は無しで行きたいと思っているんだ。君たち二人はこの状況でも俺についてきてくれている。俺も出来る限り君たちの想いに応えたいと思ってさ」
「そういってくださると、とても嬉しいです。私はスフォルツァ家ではなく、イル・モーロ・スフォルツァ様の侍女なのですから。あなた様が否と申さぬ限りあなた様の侍女でありたい」
両手を胸の前できゅっと組み、唇を結ぶディアナ。
真っ直ぐに俺を見つめてくる彼女に向け、俺なりにできる精一杯のふんわりとした笑顔を向け大仰に首を縦に振る。
俺たちは一蓮托生。だけど、失敗した時、彼女に累が及ばぬようにしたい。
身勝手ながらそんなことを考えつつ、彼女とこの場で別れ、一人王城の広間に向かう。
◇◇◇
広間には演壇を囲むように文官50人、騎士が40人ほど集まっていた。王が演説をする時に集められる人だかりから比べると、だいたい半分ってところかな。
俺の姿に気が付いたアレッサンドロが駆け寄り、片膝をつく。
「思ったより集まっているじゃないか」
「残された方々も我らと同じです。不安を覚え、少しでも情報を集めたいと考えていることかと」
危機を察知し、自らの判断で動くことができることは肝要だ。
座して構えていても何も起こらないことをここに集まった者たちは分かっていると見ていい。
ここに集まった者たちならば、多少の荒波があったところで乗り越えてくれるのではと期待が持てる。
演壇の階段を一歩、また一歩登るたびにどよめきがあがった。
そうだろうな。第三王子までならともかく、第四王子たる俺が王に見守られもせず演壇を登っているのだから。
「諸君。知らぬ者もいるだろうが、私はノヴァーラ・スフォルツァの第四王子、イル・モーロ・スフォルツァだ。アレッサンドロに頼み君たちを集めたのは私である」
「イル様だと……」
群衆にありありと不安の色が広がっていく。
誰もが口に出しては言わないが、「何故お前が」といったところか。態度に出ている者もちらほらいる。
そうだろうな。表舞台にあがったことなんて数えるほどしかない俺が、王族の中で唯一人姿を現したのだから。
「これから私は諸君らに事実だけを告げる。逆賊ヴィスコンティ伯が挙兵し、王都に迫っている。ミレニア王国には対応できるだけの兵の備えがない」
シーンと静まり返る。
ここミレニア王国は常備軍を持っていない。騎士団はいるが、五百に届かない程度。残りは街を護る衛兵と警備兵がいるのだけど、まあ戦力にはならないだろうな。
彼らは戦争に赴くための訓練を受けていない。
常備軍は非常に金がかかる。重税を課してもまだ搾り取ろうとしていたミレニア王国に常備軍を養うだけの資金などあろうはずもないのだ。
といっても、地球の中世だって似たような感じだったから、特にこれが悪いことだとは思わない。
そのために領地持ちの貴族がいて、傭兵もいるのだ。いざとなれば貴族と国が兵を雇い、戦争に備える。
今回は王が何もせずに逃げ出したわけで、兵など望むべくもない。
「王は一族と王族派の親衛隊や貴族を連れ逃げ出した。私の予想であるが、帝国辺りにでも行ったのだと思う。持参金として宝物庫の中身全てと重税でむしりとった資金を持って」
「王子! して、あなた様はここに我らを集めてどうされるおつもりですかな?」
壮年の騎士が前に出て進言してくる。
彼は右頬に縦に傷が入り、真っ白になった髪を短く刈り込んでいる。この歳になっても筋骨隆々で、はち切れんばかりの腕、胸元、太い首が彼を歴戦の勇者だと示していた。
「騎士団長……いや、トリスタン・トリニダート先生。あなたはどうされるおつもりですか?」
「叛乱軍に玉砕する所存です」
「あなたならそうおっしゃると思っておりました。集まった騎士諸君も同様か?」
俺の問いかけに対し、悲壮な覚悟を持って敬礼をする騎士たち。敬礼する先は俺ではなく騎士団長トリスタンに向けてだ。
我が師トリスタン。幼い俺に激しい稽古をつけてくれた人だ。男らしくあらんと努力したいと申し出た俺に対し豪快に笑って快く修行を引き受けてくれた。
王国一の武勇を持つと言われ、その実力だけで騎士団長にまで昇り詰めたある種の生ける伝説なのだ。
「私は諸君らに正反対のことを願いに来た。どうか、最後まで聞いて欲しい。聞いた上で個々人で判断をして欲しい」
演壇の袖を両手で掴み、身を乗り出すようにして群衆に語り掛ける。
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