第155話 無精髭の男
淡い間接照明に照らし出されるアジアンリゾート風の小洒落た空間。
同系色で統一された籐製のソファーは温かみに
天井でゆっくりと回転するシーリングファンは、まるで
そんな
どこからどうみても未成年な二人はもとより。
一人は近所のコンビニ帰りか? と疑いたくなるようなグレーのジャージ姿。
更にもう一人は、何故か全身黒のエナメルボンデージに身を包む女王様なのだ。
これを場違いと言わずして、何をか
部屋の中では、そんなお笑い混成部隊を思わせる全員がソファーから身を乗り出し、小さなクリスタルテーブルの上で互いに顔を寄せ合っていた。
「それじゃあ、おさらいよ……」
声を
この部屋の利用目的を鑑みるに……他の一般的なホテルの部屋にくらべて防音性能は非常に高いものと考えられる。
にもかかわらずだ。
声を潜める必要性がどこまであるんだろうか? ふとそんな疑問が脳裏を過ぎる。
でもまぁ、これより一大決戦に挑む……って言う緊張感が、恐らく彼女にそうさせているんだろうけどね。
そのぐらいの事は分かっているつもりだ。
だけど、地球上最強戦力を体内に宿す僕からしてみれば、はなはだ
「いま、このホテルの防犯カメラは全て停止しているわ。もちろん事務所のモニターには停止前の静止画を表示させているから、スタッフも直ぐには異常に気付かないと思う」
続けて彼女は、テーブルの上に置かれたノートPCの画面を指さし始めた。
「このホテルは五階建てで、上空から見るとロの字型の建物ね。中央には中庭があって、五階まで全て吹き抜けになってるわ。吹き抜けの天井には明り取りの天窓があるから、外部からの侵入は不可だし、雨も入って来ない。そして通路はこの中庭に面した部分に配置されていて、中庭側には窓は無し、
彼女からの説明に、僕以外の全員が小さな頷きを返した。
ちなみに、ビルへの侵入は屋上のドアからで、
「各階への移動は北側の屋外階段と南側の屋内階段。それに、中庭に張り出したガラス張りの一般用エレベータが一基と、北側の屋外階段の近くに設置された荷物用エレベータが一基。それから、私たちの居る部屋は……えぇっと、ここよ。四階にある402号室。そして
ここで彼女は渋い表情のまま、自分の
「肝心の敵が居そうな部屋なんだけど……。残念ながら今時点で特定出来ていないの。怪しいのは506号室の両隣か、真下の405号室って所なんだけど……。クロちゃんの話だと私たちがこのビルに来た頃から魔力の流れが全く感じられなくなったそうよ。犯行が既に完了したのか、それとも既にビルから逃走した後なのか……。残念ながら一部屋づつ
なるほど、そう言う事か。
後から入室したとなると、
「かと言って、手をこまねいている訳にも行かないわよね。監視カメラを止めておくのにも限度があるわ。まずは
それに合わせて、もう一度頷き返すお笑い混成部隊。
「それじゃあ、先鋒は僕と
僕からの提案に、
いつもは何か一言ぐらいは憎まれ口を叩きたがる彼女なんだけど。
緊張してるのかな? まぁ、珍しい事もあるもんだ。
「そうと決まれば善は急げね。今後は随時スマホのグループ電話を使って意思疎通を図りましょう。念話は禁止よ」
僕は
「あー、あー。聞こえてる?」
「えぇ、聞こえてるわよ。それから、もしもの場合に備えて、
「
それにしても、
相手は教団な訳じゃないんだし。ちょっと過剰戦力感が
まぁ、念には念を入れて、って事なのかな?
でもなぁ。所詮、相手は一般人を使役するだけの能力でしかないんでしょお。
たとえ一般人が百人集まった所で、僕の能力には到底及ばないだろうし。
なんだったら、ブラックハウンド化すれば瞬殺だ。
いやいや……壱號や弐號でも十分瞬殺かな? あはははは。
そんな軽いジョークを胸に。
僕は
監視カメラが停止しているのであれば、特に身をかくす必要すらない。
僕たち二人は、堂々とエレベータに乗って五階へと移動。
そして北東側の角部屋となる506号室の前へとたどり着いたんだ。
「どうしたら良いと思う? いきなりドアを蹴破るのもチョット派手だよねぇ」
僕は困惑した様子で
「そうねぇ。まずは
「なぁるほど。確かに」
そのぐらいが最も穏便な対応だろう。
店からは何度も
うん、まぁあり得る話だよね。
これなら、仮に未遂の状況であったとしても、大事には至らずに済むだろう。
僕は納得顔で、ドアの横にあるチャイムを押下した。
――ピンポーン……ピンポーン。
静寂に掻き消されて行く
待てど暮らせど、誰も出て来る気配がない。
このホテルでは、ドアの前に必ずチャイムが装備されているんだよなぁ。
確か、入り口のドアを入った先、通路と部屋の間部分に、結構分厚い内扉が備え付けられているんだっけ?
恐らく防音性を高める為なんだろうけど。
って事は……なるほどなぁ。
いくらドアを叩いた所で、内扉の向こう側で
そりゃあ、チャイム必要だわ。あはははは。
などと
「なにまどろっこしい事してんのよ。もしかしたら、まだ
「うへぇ……はいはい。そうしますよ。って言うかさぁ、さっきと言ってる事が違うじゃん」
後半は
良くよく考えてみれば、彼女の言う事はもっともな事なのかもしれない。
この部屋へ確認に来た僕たちは、完全に善意の第三者だ。いくらプレイの一環だとしても、
しかも、
僕は意を決して、結構重厚な造りのドアノブへと手を掛けたんだ。
――ガチャ……ガチャ、ガチャッ!
当然ながら、鍵が掛かっていて開ける事は出来ない。
「……チッ!」
ふと、後ろを振り返れば、不機嫌な様子で舌打ちをする
うわぁ、恐ぇぇ。
そらそうだわな。ただでさえオートロック付きのドアだ。
誰もロックを解除していないのであれば、いきなりドアが開く事は絶対に無い。
「ふぅ……」
僕は半分観念した様子で、握りしめたドアノブに力を
――ググッ……グググッ……
徐々にドアノブへと与える力を増幅させて行く僕。
僕はクロとの誓約により、魔獣の力を継承している。
その力は魔獣の姿形に変形している時だけではなく、次第にではあるけれど、人の姿をしている時にも発揮できるようになっていた。
そう言う意味では、僕から魔獣の力を継承している
これは本来の素質と言うか、適合性と言うか。
僕と彼女では、人型の時に出せる力の度合いが大きく異なっていた。
彼女の力はせいぜい女子としての上位クラス。
結果的に人類の範囲を超えるものでは決してない。
しかし、僕は違う。
僕の力は既に人類の能力範囲に収まりきらない。
地上を走れば、百メートルをおよそ七秒で駆け抜け、垂直飛びは優に五メートルを超える。本気を出せばもっと上だって狙える事だろう。
そんな僕がドアノブへと力を込めるのである。
結果は推して測るべし、なのだが……。
――ググッ……グググッ…………バキッ!
力を
割としっかりとした造りのドアノブが、ダランと力無く下を向いている。
……だけじゃない。
そのままゆっくりとドアノブを引き抜いてみれば……。
ドアノブの取っ手の所だけが、ガッツリと取れてしまったのだ。
「あは、あははは、あはははは……」
もう笑うしかない。
僕は乾いた笑いを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
するとそこには、鬼の形相をした
「……チッ!!」
さっきよりも、更に輪をかけた強い舌打ちをかまして来る。
だってさぁ。
このドアノブ。
めっちゃ
僕はモノは試しに、そっと目の前のドアに手のひらを付けてみる。
たとえドアノブが取れたとしても、ドアが開きさえすれば全然問題はないはずだ。
そうだ、その通りだ。
結果的に部屋に入れさえすれば、オールオブオッケー。
問題は無かった事になる。
無事ドアが開く事に
――ググッ……グググッ
あ、あれ?
――ググググッ……ググッ……ググググッ!
これって。
「……チッ!!!」
力づくでもドアを開けろと言った張本人の
そんな彼女の舌打ちが、無情にも静まり返った廊下に響き渡る。
僕は彼女からのあまりの仕打ちに瞳を潤ませつつも、この世の中の不条理に対してだんだん腹が立って来たのだ。
だいたいさぁ。
僕としては、面倒な能力者をサッサと排除出来ればそれで良いんだからさぁ。
ホントにもぉ。
僕は全然悪く無いのに、
ホントもぉ、踏んだり蹴ったりだよっ!
そんな軽い苛立ちを拳に込めて、憂さを晴らすがごとくドアの取っ手の残骸部分を軽くひと殴りっ!
――ドガコッ!!
――バキバキバキッ! グギギギィィィ……
本来は音も無く開閉するはずのドア。
それが、痛々しい
恐らく今の衝撃で
「ヤバっ!」
一瞬のうちに我へと帰る僕。
なにしろ、ホテルのドアを軽く殴っただけで、思い切り内側にめり込んだのである。
一般人的な感覚として、『やっちまった感』は否めない。
僕は驚きとともに後ろを振り返ってみると、そこには微笑みながらも納得気に頷く
「なんだ、
そう言うなり僕を押しのけ、部屋へ入ろうとする彼女。
え? ……マジ?
「いやいや、中には敵に操られた人がいるはずだし。
と話している途中で、彼女は僕の目の前に自分の手の平を向けて来た。
「ちょっとストップ! 確かに危険はあるかもだけどさぁ。前回の事を考えれば、中では
当然のごとくドヤ顔の
そんな彼女は僕の制止すら意に介さず。
壊れたドアの
まぁなぁ……。
もし
それに、獣人の力を継承している彼女の事である。
一般人が相手であれば、遅れを取る事などそうは無いはずだ。
多少無理やり感はあれども、そう納得した僕は、壊れて捻じ曲がったドアを完全に取り外すと、入り口横の壁へと立てかける。
「ねぇ、中はどんな感じぃ?」
僕は入り口付近から、部屋の奥にいる
するとその返事は、予想外と言うか予想内と言うべきか……。
「えぇっとねぇ、ある意味予想通りだったわぁ。二人とも死んじゃってたぁ。もう、グッチャグチャな感じぃ。どうする?
いやいやいや。
グッチャグチャと言われて、見たいと言うヤツが居ますか?
この世の中にそんなヤツが居ると思うのですか?
まぁなぁ。
ホラー好きとか、スプラッター好きとかは、確かに居る訳だからねぇ。
そりゃ見たいって人も居るでしょうよ。
えぇ、そりゃ確かに居るんでしょうよ。
でもなぁ。
僕はソッチ方面の耐性がめっちゃ弱いんだよなぁ。
魔獣化してる時には、なぁんかスイッチ入っちゃってて、結構食用生肉的? な感じにしか見えなくなる時も、あるにはあるんだけどねぇ。
……うぅっぷ。
余計な事考えてたら、ちょっと気持ち悪くなってきた。
これではとても修羅場に入る事など出来やしまい。
僕は部屋の奥にいる彼女へ、誠意ある『お断り』の気持ちを伝えようと固く決意。
大きく返事を返すため、自分の両手を口元へと添えた、その瞬間だった……。
――パン、パン!
突然、鳴り響いたのは二発の乾いた破裂音。
続いて、焼けるような激痛とともに、誰かに蹴り倒されたかの様な衝撃が僕の背中を襲った。
「ううっ……げぼぁ!」
意図せず自分の口元より
――ゲヒュゥ……ゲヒュゥゥ……
喉は溢れ出す鮮血で全て塞がれているはずなのに。
自身の背と胸からは、初めて耳にする風切り音が鳴り続ける。
「たっ!
視線のその先。
部屋の奥より
――パン、パン!
更に二発!
大きく目を見開き、『信じられない……』とでも言いたげな。
そんな
「アガッ……ガッ……ガッ……」
叫びたいっ!
叫び出したいっ!
彼女の名を!
僕を気遣い、僕の為に撃たれた。
そんな彼女の名を叫びながら。
今すぐにでも駆け寄りたいっ!
しかし、その願いが叶う事は無く……。
重力に
僕は最後の力を振り絞り、僅かに捻りを加える事で後背へと視線を向けた。
すると、そこに立っていたのは、無精髭を生やしたニヤケ
「なんだよぉ、ヤクザとドンパチ始めようって時に、防弾チョッキも無しとはなぁ……」
無精髭の男は呆れた様子で、スーツの胸ポケットから煙草を取り出してみせる。
「それからよぉ、俺ぁ少年兵の怖さってヤツをよぉく知ってるからさぁ。相手が女だろうが、子供だろうが。引き金引く時ゃ、手加減はしねぇんだよ。よぉく覚えとくんだなぁ……って言っても、もうじき死んじまうお前達に話したって意味ねぇか。げははははっ」
下卑た笑い声を上げる無精髭の男。
こっ、このっ……クソ野郎がぁぁ!!
それを最後に、僕の記憶は途切れてしまったのさ。
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