第101話 控えの間での情報交換

「お初にお目にかかる。エレトリア教区の司祭枢機卿であるエレボス・コニアテスだ。よろしく」


 案内された部屋へと入るなり、俺の目の前へと差し出される右手。


「おぉ……ごっ、ご丁寧にどうも……」


 ちっ! この歳で、思わず口ごもっちまったぜ。


 部屋の外は、ようやく夜のとばりが下りようとしている頃合い。

 枢機卿諮問会すうききょうしもんかいの集合場所である大神殿へと向かった俺は、入り口で待機する修道女に導かれ、この控えの間へと案内されて来た所だ。

 ちなみに、俺の侍女扱いである紅麗ホンリーちゃんと、俺の奴隷扱いである片岡は、従者専用の待機部屋へと連れて行かれてしまい、いまここにはいない。


 しっかし、こちとら人見知りが激しい日本人だぞ。

 いきなり見ず知らずのヤツとそんな気軽に挨拶なんて出来ねぇっつぅの。

 大体、握手ってなんだよ、握手ってよぉ。

 そんな習慣、日本にはねぇんだよっ!

 ホント、勘弁して欲しいわぁ。


 なんて、口に出して言う事などもちろん出来ず……。

 結局のところ、愛想笑いをしっかりと浮かべた俺は、遠慮がちに男の右手を握り返す事にしたんだ。

 まぁ『郷に入っては郷に従え』とも言うしな。


「わ、私はノリヒロ=カモサカ。東京教区の司祭枢機卿です。よろしくどうぞ」


 突然話し掛けて来た男は、教会関係者にしては珍しく、日に焼けた赤黒い肌を持つ結構なイケメン男性だ。

 年の頃なら三十代後半、いや、四十ぐらいか?


「あぁ、あなたがカモサカ卿か。卿の武勇伝は聞き及んでいるよ。今日は卿にお会いできる事を楽しみにしていたんだ」


 おいおいおい、楽しみって……。

 それに、って、なんだよ! ってよぉ。

 って言うか、こんなオッサンに会いたいだなんて、コイツ、見かけ通りのか?

 って、流石にそれは無いか。

 いやいや、そんな事より。

 その聞き及んでるっつー、武勇伝ってヤツが気になるな。


「武勇伝……ですか?」


「そうさ。卿はあの伝説と言われるブラックハウンドを目撃したのみならず、二度も撃退したそうじゃないか。それに司教位二名が亡くなった例の東京事変。あの時にも、一番最初にブラックハウンドを見つけ出したのは卿だと聞いているぞ」


 例の東京事変って……あぁ、この前のビジネスホテル屋上での一件か。

 確かにこの男の言う通りだ。

 伝説上の生き物と言われているブラックハウンド。

 それを何度も目撃しているのは、確かに俺ぐらいのもんだからな。

 でもまぁ、撃退したってぇのは、かなり言い過ぎだが。


「いや、実際に追い返して下さったのは、蓮爾 れんじ司教や、リッカルド司教、バジーリオ司教の御三方ですよ。私の手柄ではありません」


「いやいや、ご謙遜けんそんを。実際、こうして枢機卿諮問会すうききょうしもんかいの最後に呼び出しを受けると言う事は、つまりは、そう言う事でしょうからね」


 そう言う事? ってどう言う事だ?


 軽く首をかしげている俺を見て、コニアテスは軽く驚きの表情を浮かべてみせる。


「卿の教導司教は確か……蓮爾 れんじ司教枢機卿でしたか?」


「えぇ、そうです」


 教導司教と言うのは、自分の教育担当となる上司を差す言葉だ。

 ちなみに俺は司祭だから、教導担当は教導司教。

 自分が助祭であれば、教導担当は教導司祭となる。

 これは、教団の運営組織体制と完全に合致している訳では無く、一般社会で言う所の学閥がくばつに近いモノと考えてもらえば、わかりが早いだろう。

 特に何かの縛りがある訳では無いんだが、当人の育成に関する指導や情報は、この教導担当の上役からもたらされる場合が多い。


「私も何度かお見掛けした事があるが、あまり言葉数は多くない御方の様だったな」


 確かにな。

 あまり多くを語らない人だ。

 おかげで、何を考えてるんだか、さっぱり分からない時も多々ある。


「教導司教を差し置いて、横合いから部外者の私がアレコレと説明するのもなんだが……まぁ、東京教区は遠方ゆえ、本国の風習やしきたり等についてはうといと言う事もあるのだろう。もしよろしければ、大司教様からの呼び出しがあるまで、少し話をしようじゃないか」


 コニアテスはそう言いながら、部屋の中央にあるソファーへと座る様に促して来る。そして、俺が座るのに合わせて、自分も向かい側のソファーへと腰を下ろした。


「まず第一に、ちょうどいま、本国で開催されている感謝祭の事はご存じか?」


「はい、一応は……」


 まるで子供にさとす様な言い回しだな。


 流石に感謝祭ぐらいは知っている。

 感謝祭とはこの時期に実施される本国での収穫祭の事だ。

 街では特別な市がたつし、教団側でも大がかりな祭礼が執り行われる。

 そして教団内部的に重要なのは、この感謝祭に合わせて、全教区の司教が一堂につどう司教会議や、枢機卿諮問会すうききょうしもんかいが開催されると言う事だ。


 司教会議は教団内の最高決定機関で、教団の特別な方針等を決定する重要な会議だ。

 一方、枢機卿諮問会すうききょうしもんかいは、本国の大司教が選出した枢機卿団に対して、大司教の権限において任意に招集出来る決まりとなっている。


 前にも説明したが、枢機卿団とは本国のヴェニゼロス大司教の特別顧問の役割を担っている。

 大司教の目となり、耳となり。

 色々な情報を収集しつつ、かつ彼の手足となって働く者たちの集団って事だ。


 ちなみにこの枢機卿だが、俺の知っている現代世界の枢機卿の位置づけとは異なる点も多い。役割自体もかなり曖昧で、単に本国のヴェニゼロス大司教の覚えめでたき人物が叙任されているのはもちろんの事、地場の豪族や商人など、教団に対して有益と思われる人間も枢機卿団の一員として名を連ねている。


 ただまぁ、そう言った一般人の枢機卿は全て助祭枢機卿と言う肩書で、完全に名誉職と言った感じだな。

 実際に重要な権限を持つ枢機卿とは司祭枢機卿以上であり、ここは明確に役割が分離されている。


 その重要な権限ってヤツだが、それは、本国の大司教を投票により決定する権限だ。

 本国以外の大司教は、本国の大司教が選任する決まりとなっている。

 しかし本国の大司教は、後任となる本国の大司教を指名する事は許されていない。

 ではどうするのか?

 そう。前任の枢機卿団員が、投票により後任の大司教を決定する事になるのだ。

 まず投票は司祭枢機卿の中で行われ、その結果が司教枢機卿の元へと知らされる。更にその後、司教枢機卿が投票を行い、大司教が選出されると言う流れとなる。

 この時、司祭枢機卿による選挙の結果と、司教枢機卿の選挙結果が異なる場合もあるのだが、残念ながらと言うか、当然の事と言うべきか、司祭枢機卿での選挙結果よりも、司教枢機卿での選挙結果の方が優先される事になるのだ。つまり、司祭枢機卿による選挙は、あくまでも予備選挙と言った程度のモノでしかない。


「となればだ。感謝祭に合わせて開催されている司教会議も既に終盤。残すところは重要案件の決定を残すのみ。と言う事ぐらい、想像がつくだろう?」

 

「重要案件……と言うと、例えばどの様な?」


「そんなもの決まっているだろう。人事だよ、人事」


 さも当然と言わんばかりの様子だな。


「人事……ですか」


「そりゃそうさ。最重要案件と言えば、人事をおいて他に無いよ。まぁ、それ以外にも今回はアレクシア神からの使者として、マロネイア枢機卿がお越しになっているからな。その件についても喧々諤々けんけんがくがく、議論が行われていたみたいだが……まぁ、司祭の私達にどうこう出来る問題じゃない」


 あぁ、マロネイアと言えば、例のヤリまくり貴族の事か。

 アイツ、そう言えば助祭枢機卿じょさいすうききょうとか言ってたっけ?

 でも信仰する神様が違うから、俺達の同僚って訳でも無いんだよな。

 しっかしアイツ、何の使者だったんだ?

 見晴らしの良い公園で青姦アオカンするために、わざわざ来た訳では無さそうだな。


「となるとだ。人事の焦点は次の二つに絞られる訳なんだよ」


 時折身振り手振りを交えて、楽し気に話を進めて行くコニアテス。


 それにしても、コイツ、めちゃくちゃ嬉しそうだな。

 よっぽど教団内のパワーバランスって言うか、マキャベリズムが大好きな人なんだろう。


「一つは、帝国への新教区設置に伴う大司教問題だな。一昨年のエレトリア攻城戦の勝利によって、エレトリアは事実上帝国の一部となった。隆盛を極める帝国は、今後もその版図を広げて行くに違い無い。となればだ、我が教団も新たな教区を新設せねばなるまい? 現在の教区割りでは、本国であるメルフィ教区、神々の聖地であるエレトリアを中心としたエレトリア教区、そして卿が在席する東京教区、この三つ。そして、それらを管轄する大司教も三人だけだ。新たな教区が設定されれば、当然司教位の中から大司教が誕生する事になる訳さ」


 ははぁ、なるほどねぇ。

 まぁ、好きな人には楽しい話題かもしんねぇが。

 そんな偉様えらさまの人事の話なんざ、中間管理職に慣れ親しんだ俺には、全く関係のねぇ話だな。


「と、ここで誰が大司教になるのかはさておいて、その件に関係してもう一つの問題が浮上する訳だ」


「ほほぉ、もう一つの問題ですか?」


「そうさ。先程の話の通り、遠くない将来、新たな教区を設置するとなれば、教区を管理する司教位の絶対数が不足する事態となる。しかもだ、新教区の話を別にしたとしても、先日の東京事変では司教位が二人も死亡している。つまり……当教団の司教位には、既に二つの空席があると言う事になるな」


 とここで、コニアテスが部屋の中を見回している。


「なぁ、ところでカモサカ卿。この待機部屋の中には、何人の人が居る?」


「何人と申されましても……」


 わざわざ周りを見渡す必要も無い。

 この部屋に居るのはコニアテスと俺の二人だけだ。


「……だろ?」


「……え?」


 何が『だろ?』なんだ? 意味がわからんぞ?


「いやいやいや、救国の英雄にしては理解が遅いなぁ。もしかしたら、わざと話をはぐらかそうとしているのかな? つまりだ。わざわざ司教会議の最後に、卿と私が呼び出される。しかも、司教位には二つの空席。となれば、当然、私達二人の司教叙階の話に決まっているじゃないかぁ」


 なんだ、その『ムフー』っとした顔は。

 言っとくぞ。

 四十近いおっさんのドヤ顔なんざ、ぜんぜん需要ないからな。

 

「いや、それは無いでしょう。コニアテス卿は確かに叙階の話なのかもしれないが、私はしょせん人で、エルフではない。しかも、全くと言って良いほど魔力を持っていないんだ。つまり、一般市民と同じレベルと言って良い。ともなれば、私が司教として振る舞う事など出来ようはずもない」


 無理だムリムリ。

 そんな都合の良い話は絶対に無い。

 たとえ神様が許したとしても、エルフ至上主義である東京教区ウチのニアルコス大司教やアイスキュロスが賛成する訳がない。

 おかげで、蓮爾 れんじ様や俺が、一体どれだけ苦労しているか聞いて欲しいぐらいだ。


「そうは言うが、カモサカ卿。見ての通り私も人種族なのだよ。確かにこれまでエルフ以外で司教位まで登り詰めたのは、蓮爾 れんじ司教ただお一人。しかし、ヴェニゼロス大司教は我々の様な人種族の言葉にも真摯しんしに耳を傾けて下さる奇特きとくな御方だ。この後もヴェニゼロス大司教の時代が続けば、いずれ人種族が教団の中核となる日も近いはずさ。だって考えてもみたまえ。今世界を動かしているのは一体誰だ? エルフか? ドワーフか? はたまた獣人たちなのか? いいや、違う。世界を動かしているのは、大多数を占める人さ。人種族なんだ。そう考えれば、今回の人事はこういった世界情勢を反映していると言っても過言じゃ無い」


 えらく熱く語ってんなぁ。

 まぁ、自分を引き上げてくれるって言う上司に向かって、悪く言うヤツぁいねぇわな。


「もちろん、卿の教区を管轄するニアルコス大司教は、ガチガチのエルフ優位思想の持ち主だからなぁ。蓮爾 れんじ司教や、卿の苦労が偲ばれるよ」


 なんだ、この男。

 俺や蓮爾 れんじ様の苦労が分かってんじゃん。


「まぁ、そうですな。しかし、そう言う意味では、エレトリア教区の……えぇっと、どなたでしたっけ……あぁ、そうそう。ペイディアス大司教。あの御方はどの様な思想をお持ちなのですか?」


 こう見えても一応俺は司祭だからな。

 三人居る大司教の名前ぐらいはおぼえているさ。

 流石に司教全員の名前までは覚おぼえちゃいないがな。


「あぁ、うちのペイディアス大司教ね。あの御方はこう言った政治の話には全くと言って良いほど無関心でねぇ。その温厚な性格と敬虔けいけんな信者としての行動が評価されて、年功序列的に大司教となっただけの方だからなぁ。ただ、あの温厚なペイディアス大司教をもってしても、エルフは人より優れていると言ってはばからん。そう考えれば、ヴェニゼロス大司教の柔軟性は素晴らしいの一言に尽きるな」


 ははは。

 自分の上司については、結構キツイ評価だな。

 もしくは、枢機卿として引き立ててくれたヴェニゼロス大司教への感謝の想いが強すぎるとでも言うべきか。

 ただ、この世界における階級や種族による差別の根は思いのほか深そうだ。


「失礼致します。加茂坂猊下、謁見えっけんの準備が整いましたので、あらためてお部屋の方へご案内致します」


 声のする方へ振り向くと、先程の修道女がひざまずいて頭を垂れている。


「それではコニアテス卿、お呼びがかかった様なので、先に失礼させていただくとするよ。大変参考になるお話しだった。ありがとう」


「いや、こちらこそ楽しい時間だった。それに、数少ない人種族の司教同士となるのだからな。是非、今後とも懇意に願いたい」


 俺は赤黒い肌を持つイケメン司祭ともう一度握手を交わすと、迎えに来た修道女に続いて控えの間を後にする。


 いやぁ、参ったなぁ。

 まさか俺の武勇伝を、本国の別の司祭から聞く事になるとはなぁ。


 昇進なんて縁が無いものと思っていたが、あれだけ言われればその気にもなろうと言うもんだ。

 ワンチャン、俺にもツキが回って来たんじゃねぇか?


 謁見えっけんの間へと向かう道すがら、俺はコニアテスの言葉を思い出すたびに、自分の口元がだらしなく緩んで行くのを抑える事が出来なかったのさ。

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